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[27542] 【習作】本能寺の夜
Name: 魏延◆702371e1 ID:4130dee3
Date: 2011/05/03 07:00
「若、ここにいらしたか」
「利三か・・・いや、そなたがここから離れるなと申したではないか」
「左様ですな」
 ニヤリと少しだけ愉快そうに笑う甲冑姿の男、年季の入った顔面と屈強な体つきはまさに侍そのものである。
「しかしながら、私の言葉が若に伝わっていることは少のうございますからな」
「初陣だ。私とてわが身をわきまえる」

 居並ぶ旗は水色桔梗。周囲には天幕、かがり火。
 横に並ぶ武者の名は、斉藤利三。
 そして俺の名は、―――改め、明智光慶。
 時は戦国、平成の世から移り住むことはや九年。
 歴史書に名を連ねるような豪傑達と肩を並べるまでに至ったわけである。

「に、しても」
「なんだ」
「似合いませぬなあ、その言葉遣い」
「え、マジで?」




 ~本能寺の夜~



「よくやった! はっは、此度の戦はつらいものとなったが、ともあれ、息子の初陣を勝利で飾れたのは吉兆よ」
「ありがとうございます」
 近江国坂本城。城主である明智光秀、もとい、父はわが子の成長に久方ぶりの笑顔を見せていた。
「利三もよく光慶を補佐してくれたようだな、あとで褒美をとらす」
「恐れながら、すべては若の才覚にございますれば」
「くっくっく、みなまで言うな。光慶の補佐とは、こやつを落ち着かせることも含めてよ。よくじっとしていられたな、ちびったか?」
 からかうように言われた俺は、つとめてそしらぬ顔で言う。
「いえ、武者震いこそあれ、漏らすなどと」
「ああ、よせよせ、どうせここには身内しかおらぬのだ、似合わぬ言葉など使う必要はない」
 手に持つ扇をパタパタと動かしながら、終始破顔した様子である。明智光秀の元にはこれまで女子しか産まれておらず、長男である俺、光慶の晴れ姿に我を忘れるほど喜んでいるのであろう。
「三河の徳川殿などは、負け戦で糞尿を垂れ流して逃げ出したそうな。天下の大大名でも出るものが出るのだ、貴様のような小童が何をたれようが、恥にはなるまいよ」
「う・・・実は、ちょっとだけ」
「は! そうか漏らしたか!」
 明智に生を受けての八年間でもっとも大事件といえる初陣を、俺はなんとか乗り切った。
 乗り切ったといってもまあ、利三の指示に従って本陣で構えていただけである。それでもちびってしまったのだからまったく情けない話だ。
「気にするな、気にするな。そもそも九歳で初陣などとは早すぎるのだ、まあ此度の戦は小競り合いであったし敵も弱卒、万に一つも危険などあるまいということで連れて行ったにすぎぬ。のう、利三」
「は、越後の軍神や大殿、信長様であっても初陣は十を過ぎてからであります故」

 それにしても、とつくづく思う。今でこそ明智光秀という人物を父と呼び、もはやこの時代に慣れ親しんでははいるものの、人の運命なんてものは、どこでどう曲がってしまうか分からないものだと。
 まして赤子になって再び人生をやり直すなどと誰が予想できただろうか。いっそどの時代であっても平民に生まれれば、なにも考えずに人生を謳歌できたのかもしれないが、あろうことか戦国、しかも武家に生まれてしまったのだからそれも叶わない。


「あらあら、なにやら楽しそうでございますね」
「ああ、玉か。お前もこっちにこい、光慶の初陣祝いじゃ」
 す、とふすまを開けて部屋へと入ってきたのは桜色の着物を着た妙齢の女性であった。
 明智光秀の三女、玉。現代では細川ガラシャと言ったほうがわかりやすいかもしれない。まだ結婚もしてなければ洗礼もうけていないのでまだ明智玉であるが、これが史実通りの絶世の美女である。
 この美女を姉と出来るだけでもこの世に生まれたかいがあったとでも思えるほどだ。
「光慶」
「はい、姉上」
「若くとも初陣を済ませたなら貴方はもう明智家の武士、ゆめゆめそれを忘れることの無いように、醜態を晒さぬように」
 しかもこの姉は聡明である。九歳の俺が言えたことではないが、まだ十代の前半にして気品が漂うほど凛々しく、気位が高い。まさに理想の武家の女と言える。
「くくく、それは無理じゃ、のう、光慶」
 明智光秀は上機嫌のまま俺をからかい続けた。
「い、いや父上、なんのことやら」
「ほう、先ほどまで糞をたれたといっていたではないか!」
 そりゃあない、何も姉の前でそんなことを暴露しなくたっていいじゃあないか。
 案の定姉上はまあ、などと呆れたような顔でこっちを見ている。まったく、格好悪いことこの上ない。
「実は父上、先ほどまでは糞かと思っていましたが、よく思い出してみたらあれは兵糧の味噌だったのではないかと・・・」
「はは、徳川殿の言い訳まで真似しようというのか、よいよい、まあ姉御の前で格好をつけたいというのもわかるが、玉もな、偉そうなことを言っておるが、お前が帰ってくるまではせわしなく城内をうろうろ、うろうろと・・・」
「父上、よけいなことをおっしゃらないでください」
 ははは、と笑い声が響く。



 明智の家は、居心地がよい。
 明智光秀と言う男も、それまでに俺が思っていた狡猾で、冷静という性格とはほど遠いように感じられる。
 だからこそ、というべきか、俺の中で謎は深まるばかりだ。
 史実では、明智光秀は反乱を起こし、そしてその後は滅亡への道を辿る。
 何故明智光秀は織田信長に背いた? 何故明智はああもあっさりと天下を手放すことになったのか?
 
 まあなんにせよ、本能寺の変が起こってしまえば、俺も死んでしまうのだからこれはダメだ、最悪だ。せっかくの第二の生が台無しである。
 何が悲しくて自分の死期を知らなくてはならないのか、と愚痴りもしたが、まあ前向きに頑張ろう。
 第一これはチャンスでもあるのだ。一人の歴史ファンとして、本能寺の変の真相に迫れるのだから。
 明智滅亡への道、戦国時代最大のミステリー、本能寺の変。
 これを絶対に阻止、
 ・・・できるといいなあ。



 天正五年六月二日 本能寺の夜まで、あと五年。  



[27542]
Name: 魏延◆702371e1 ID:4130dee3
Date: 2011/05/04 06:43
「本願寺?」
「ええ、此度の相手は本願寺勢でござる」
「しかし本願寺って言えば、あれだ、つい先日織田勢が大勝したばかりではなかったか?」
「ほう、若は石山合戦をご存知か。よく勉強しておられる」
 斉藤利三は満足気にうなずいた。年の頃四十を越える彼は、人生五十年と言われる戦国の世では老人の域にまで入ってもおかしくない年齢である。
 そんな様子は微塵も感じられないが。
「おっしゃるとおり、本願寺の主力は昨年の天王寺にてそのことごとくを討ち果たしてございますが、今回はまあ、その残党狩りと言ったところで」
「なるほど、まあ俺みたいな子供に回ってくるのはそんなもんか」
「はは、さては戦記物でも読みましたかな。残念ながら大手柄は既に刈りつくされてござる」
「あ、でかい手柄とかはいいや。死にたくないしね」



~本能寺の夜~




 本願寺。尾張から上京を果たした織田信長が最も手を焼いた大敵の一つである。
 宗教と結びついた特殊な勢力であり、毛利や武田と通じて織田に対抗した。
 最終的に膝を屈することになるが、合戦途中は織田を大いに苦しめ、そのためか織田信長は本願寺勢を攻撃する際に苛烈な手段を用い、織田の悪名が轟いたとも言われている。

「まーいつの時代も宗教ってやつは、厄介なことこの上ないねえ」
「若、若。十年ばかりの人生で時代を語るのは流石に大人風を吹かせすぎかと」
「そりゃそうだ」

 互いに苦笑いで返す。
 本願寺は宗教勢力であり、各大名とは兵質において毛色が多少違う。僧兵や、雑賀衆のような傭兵集団が混じることもあるが、一番の違いは民草が多く混じっていたことである。

「石山合戦じゃあ、信長様は武士じゃない相手にも随分酷いことしたって話だけど」

 行軍の最中、世間話のように利三に話を振るが、返ってきた言葉は予想通り歯切れが悪いものだった。

「戦でありますので・・・まあ、常よりは激しく当たったというくらいで」
「それじゃ敵さん、さぞ恨んでるだろうね」
「それも世の常でしょうな」

 本能寺の変の謎解き。父、明智光秀が能動的に謀反など起こすように見えない以上、誰かにそそのかされたのではないか? という疑問が湧き上がった。とすれば織田を恨んでいる人物や勢力がその容疑者だ。すると此度の本願寺など、まさにその条件に当てはまるのではないだろうか。

「うーん・・・それってさ、織田だけ恨んでるのかな。それとも、うちも?」

 織田勢の中でも、明智家は本願寺との戦いに参加した主だった家の一つである。

「どうでしょう。恥ずかしながら、先日の戦で光秀様は珍しくも大敗を喫した立場ですし、家臣の中で特に明智を恨むということはないように思いますが。・・・ところで、そろそろ残党の根城につきますぞ」
「そんなもんかね。・・・あ、利三。今回の指揮って俺がとってもいい?」





「押せー! 押し切ってしまえー!」
 馬上にて指揮棒をぶんぶんと振り回しながら俺を大声を張り上げた。
 敵味方の数は双方百にも満たないの小規模な戦場ながら、俺にとっては二度目の戦場、自分が何か行動しているという点ではまさに初陣である。
 そして知っているのだ、戦国物や戦記物では大将が前に出ることで士気を上げて勝つ。小競り合いでの戦いは士気が全てであるということを。
 大将自ら前に出れば部下はそれこそ奮い立つはずなのだ。
「いくぞ! 私についてこい!」









「で、利三。あの馬鹿息子は無事なのか」
「全身に打ち身を負っておりますが、命に別状はないかと」
 明智光秀は深くため息をついた。
 頭に手をやり、茶を一杯啜る。
「まあ初陣のようなものであるし、名誉の負傷と考えれば武士の誉れとも言えるが・・・」
「左様でございますな。馬から落ちた傷が含まれるのかは多少疑問ではありますが」
 利三の答えにまた光秀は椀に手を伸ばして茶を啜った。
「ま、まあ、先陣を切ることによって士気をあげようという腹はわからぬでもない。現に残党の討伐自体は成功しているようであるし、こうもあっさり片がついたのだ、光慶の手勢はさぞ意気軒昂だったのだろう」
「かも、しれませんな。どうやら先頭の連中などは、若に怪我をさせればどのような沙汰があるかわからぬと怯え、いつも以上に働いたということですし」
 利三はまたもすらすらと答える。
 その済まし顔に冷や汗をたらしながら、三度明智光秀は椀を傾けた。
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・お代わりをお持ちしましょう」
「・・・・頼む」



[27542]
Name: 魏延◆702371e1 ID:4130dee3
Date: 2011/05/05 10:24
「では次の目録です。近江は水産も物流も盛んな地、仕事には事欠きません」
「あの、姉上」
「なにせ、尾張と京の中継地です。父上がここを任されるのはそれほど重要な土地であると―――」
「姉上」
「・・・なんですか」
「私ももはや武士の端くれ、書物を見るよりも先日の汚名を返上―――痛っ」
「見なさい、何が汚名返上ですか。私に少し触られただけでそんなに痛そうにして」
 明智玉と明智光慶、つまり姉上と俺の二人は坂本城にて事務仕事に励んでいる最中でありました。
「第一これは父上も許可していること。若いうちに文官の基礎を学んでおくことは長い人生できっと役に立つとのお言葉です」
「そんな馬鹿な」
「貴方はただでさえ落ち着きが足りません、いい機会ですからしっかり勉強なさい」



~本能寺の夜~




「ほう、では光慶はよくやっているか」
 明智光秀と斉藤利三。最近になってこの主従の間でよく名前が挙がるのは、誰あろう嫡男光慶のことである。
「は、それが、書物の覚えもよければ周辺地理にも明るく、特に算術に関しては教師役の家老も舌を巻くほどだとか」
「それほどか」
 報告を聞いて明智光秀は驚きを隠さない。確かに光慶は利発な子ではあったが、赤子の頃からどこか浮世離れしており、成長と共にあるいは世捨て人にでもなるかと心配したものだった。
「若に文官の才能があるとは夢にも思わなかった、と殿の才を見る目に感心していたようです」
「いや、何、光慶の落馬以降玉がうるさくてな・・・まあ無駄にはなるまいと思ってやらせてみたのだが、そうか、それほどまでに優秀か。どうも光慶は頭の足らぬところがあると思っていたがよく回るようならなにより」
「まったく、流石は殿のお子と言った所。足らぬ頭がよく働くというのも、それはそれで心配ではありますが」
「はは、上手いことを言う」
 子供を褒められて機嫌が悪くなる親などいない。家臣の中で近頃の殿は笑顔が増えたというのは決して間違いなどではないのだ。

「―――して、文官の手習いは良いとしても、いつ頃までさせましょう」
「ぬ? いや、それほどの才能を腐らすのも惜しいとは思っているが、そちは反対か」
「恐れながら、ゆくゆくは明智の大将となられるお方ですので」
「そうよな・・・」
 瞑想にふけるように目を閉じた明智光秀はこの時既に五十路を向かえ、光慶との年の差は当時の常識で考えるのなら祖父と孫とも思えるほど離れていた。
 戦場を駆け回り野山に付してきた傑物とはいえそこは人の親。
 少し前までは思い浮かびもしなかった子煩悩の三文字が鎌首をもたげてもなんらおかしくない頃合である。
 ましてそれが齢を重ねてからの子となればなおさらであった。
「一昨年か、長篠で武田を破ったことで、信長様の前から敵は消えたといっても過言ではなくなった。勿論油断などがあってはならぬが、最大の敵を葬ったと言っても決して行き過ぎではあるまい」
「左様でございますな。残る大勢力といえば毛利か、上杉か」
「うむ、しかし今上杉には柴田勢が当たっているし、いかに毛利と言えどここまで巨大になった織田を討ち果たすまではいたるまい。すると十年かすぐ先には太平の世が待っているのではないかと思う。そんな世になればあるいは文官であるほうが光慶にとっては何かと有益ではないか、とも思えてな」
「・・・」
「それに、光慶の武官の才があるとも思えぬし」
「・・・そのようなことは、ありませぬ」
 くっくっく、と笑いながら明智光秀は腰をあげた。この話はここまで、という意思表示であった。
「まあ利三の気持ちは嬉しく思う。どうあれ明智の頭をやってもらわねばならぬからな。しかし光慶はまだ幼い。二、三年ほど遊ばせても遅れるということはあるまいよ。少し様子を見よう」
「―――は、殿がそうお思いならば」




 ぺたぺたと廊下を歩きながら坂本城内を闊歩する。流石に事務仕事ともなれば当時と現代の教育水準の差をいかんなく発揮できる。そしてそのおかげで姉の喜ぶ顔が見えるのだから喜ばしいことこの上ない。
「うーん、流石にこのレベルの計算とかは簡単にこなせるんだよなぁ。まあチートといえばチートか・・・しかしどうせならもっと戦国で役に立つ能力が欲しかったような」
 そんなこんなでぶつぶつと独り言を言いながら帳簿を開いていると。同じ速度で俺と並行して歩く人物がいることに気がついた。
 さほど背が高くないそいつはぐぐっと帳簿を覗き込むように見ると、ほうと声を上げた。
「この帳簿は坊主の仕事か。これを簡単にこなすとは、なかなかの才能ではないか?」
 次にそいつは、帳簿を覗き込む体勢そのままにぐいっとこちらに顔を向け、にっかと笑って見せた。
「ぬお・・・」
 思わずのけぞってしまった俺の目に映ったのは、ひどく特徴のある、なんとも言えない顔面である。
「・・・猿?」



[27542]
Name: 魏延◆702371e1 ID:4130dee3
Date: 2011/05/08 05:46
「羽柴殿、使いを出していただければもてなしの準備をしたものの」
「なんのなんの、わしと明智殿は金ヶ崎で共に死線をくぐった間柄ぞ、それに明智殿は今や織田家臣筆頭、信長様に大目玉をくらったわしのほうから出向くのが礼儀というものではないか」
「警護のものはいかがしました?」
「ここは味方の城ぞ、警護など必要ないわ。のう、坊主」
「・・・おっしゃる通りかと」
 人たらし。
 無邪気な顔で上機嫌に笑っているこの男こそ羽柴秀吉、後の豊臣秀吉である。戦国一の出世頭と言われ、農民の出から関白の地位まで上り詰めた秀吉の武器と言えば、人を味方につける不思議な魅力であると答える者が少なくないだろう。
 織田信長などのカリスマ性などとは方向性の違うにせよ、人物としての大きさを感じられる逸話が多く残っている。
 今こうして実際に会ってみれば、なるほどと、納得させられる。
 本来、明智光秀と羽柴秀吉の二人は共に織田家臣であり、明確な序列は存在しない。戦場で、官位で、などとそれぞれの場では順序がつくものの、一方が一方の本拠である城へ、それも単身で出向くなどあってはならぬことである。
 それを平然とこなし、城内で子供に話しかけ、そして城主まで辿り着いてしまった。あるいは、俺が明智光秀の子である、などということはとうに調べがついていたのかもしれないが、まるで表に出たことのない俺の顔を調べ上げてあるとなれば、それはそれで恐ろしいことである。
「―――して、羽柴殿直々に我が城へいらっしゃるとはただ事ではありますまい。いったい何があったので」
「それがのう・・・、最近の信長様のご様子について、明智殿はどうお思いかな?」




~本能寺の変~





 肩が熱い。
 父、明智光秀との面会に部屋に入った時から、いや、廊下でここへの案内を頼まれたときから、ずっと羽柴秀吉の手が置かれているからである。
 そして驚くことに、俺がそれに違和感を覚えたのはつい先ほどなのだ。あまりにも自然に、親しげに肩をとられ、そしてそのままここまで来てしまっている。世に疎い乙女ならば、肩から手が離れるまで気がつかないのではないかと思えるほどである。
 しかしこの肩の熱さはなんだろうか。気のせいであろうが、これほどの熱量をもった手で捕まれては、思わず尻の穴の心配が頭をよぎる。
 例えば、こうだ。美少年の噂を聞きつけたある有力な武士が一目見ようとと見物に現れ、それを気にいてっしまう。しかし不幸なことにその美少年は自分と同じくらい地位の高い武士の息子。何とか手に入れようと画策するその武士は最後の手段にと直談判にあらわれたのである―――。
 腐ってやがる。
 いや、待て、確かに秀吉は無類の女好きで知られているが、男色の類はいっさいなかったと言われているはずだ。と、なると、まさか熱量を感じているのは俺のほうか? 親の同僚に親身に接され、次第に惹かれていく少年の心、そしてそれに答えるわけにはいかない有力武士との間に湧き上がる淡い恋心が一つのロマンを産み出すのだ―――。
 うん、ねーよ。 

「信長様の様子、と言われるが、あの方は中々掴みどころのない御仁ですからな。羽柴殿のほうが付き合いが長い、むしろこちらが教えて欲しいほどで」
「いや、何もそう難しい話ではござらん。先ほども申したとおり、信長様に大目玉をくらいましてな。何かご機嫌取りの種でも転がってやしないかと探してみたが、何分北陸に遠征していた身でして、昨今の機内情勢には詳しくないのです」
「それで、我が城に?」
「と、言う名目で、まあ世間話に参ったわけですな」
「ふふ、ご冗談を」

 何か探りに来たのではないか、と警戒する明智光秀と、それをのらりくらりと交わそうとする羽柴秀吉。そのような図式が成り立っているようであった。
 そして同時に、俺の肩を離すまいとする秀吉の狙いも少し見えた。
 硬い話に話題を持っていけば、当然明智光秀は構えて接する。すると、突然の訪問という型破りを最初に犯している秀吉はどうにも立場が弱い。そうさせないためにも子供であり、息子である俺を無理やり同席させてなんでもない雑談の態を保とうと言うのではないか。

「そういえば、ご子息は、この年で初陣を果たされたとか。羨ましいことですな」
「戦場で落馬するような不出来な息子でして」
「元気があってよろしいではないですか、若いうちに小さくまとまるよりはよほど良い。たとえ落馬といえども得がたい体験になりましょう。子には与えられる限りの勉強をさせたいと、そうは思うのが、立派な親というものでありましょうや」
「その通り、ですな。そういえば羽柴殿のお子は―――」
「石松丸が昨年のうなってからは、とんと」
「これは失礼を」
「生き死には侍の世界では日常の様なものですからな、ま、気長に次を待とうという次第ですよ」



 何気ないやりとりが続く中、俺はある一つの仮説を思い出して背筋を伸ばしていた。
 羽柴秀吉黒幕説。
 本能寺の変を語るに当たり、明智光秀が織田信長に怨恨を持っていた、と言う説の次に決まって語られるのが、羽柴秀吉が黒幕であったのでは、と言う説である。
 何事か物事が起こったときには、最も得をした者を疑えと言う常識に沿った観点から見るに、なるほど秀吉は怪しい。
 彼はこの一連の騒動によって単なる家臣から天下人への階段を登っていくことになるのだから。
 そして羽柴秀吉が明智光秀を謀反に向かわせたというのであれば、どこかで両者の話し合いが持たれていたはずである。
 現在はもう、本能寺の変が起こる天正十年までもう数年しかない。
 そんな時に現れた羽柴秀吉、そして二人の密談。
 疑ってみる価値はありそうだ。何か機会を見つけて羽柴に近づくのも面白いだろう。



「羽柴殿には、優秀な軍師がついているとか。なんでも、今孔明」
「竹中半兵衛と申しまして、我が配下のものは勿論、話を聞きつけた輩がこぞって講釈を求めておりますよ、私の様なものには過ぎた家臣です」
「羨ましい、と素直に思います。我が家には武の達人はともかく、文の者は少なく」
「それは、明智殿自信が卓越した戦術家であるからでしょう、そういえば、明智殿のお子は算術に才があると聞きました、どうでしょう、一度半兵衛の講釈を聞かせてみては」
 明智光秀はその言葉を聞いた後で少し止まり、落ち着くように茶を飲んだ。
 どうもこの父は、考え事をする時によく茶がすすむようだった。
「・・・羽柴の城に、息子をよこせと?」
「・・・まさか、そのようなこと。信長様に大目玉をくらったばかりの我が身で、今度は家臣の間に不和をもたらしたとあっては、今度は首が涼しくなってしまいます。しかし、先ほど明智殿は、子に経験を積ませるのが良い親だ、と」
「・・・」
 じりじりとした音が聞こえるようであった。しばらくの無音と、茶を啜る音、菓子をつまむ音だけが聞こえ、どちらもお互いの発言を待つという奇妙な空間が場を支配した。
 嫡男を一時でも他家の城にやりたくないと明智光秀は思っているようであったが、俺には思ったよりも早く、羽柴に近づくきっかけが現れたように思えた。秀吉が何故こんなことを言い出したかが不気味ではある。しかしそれは考えてもわからないことだろう。



「父上」
「光慶、黙っていなさい」
「いいえ、父上。私は今孔明殿の話に興味がありますれば、羽柴殿の好意に甘えとうございます」
「おまえは帳簿の仕事すらまだ満足に覚えておらんだろう。そんな子供が遊び半分に行っても迷惑になるだけだし、そうだな、羽柴の城は近江よりも敵に近い。危険もあろう」
 渋い顔であった。反面、羽柴秀吉は思わぬところから――あるいは、予想通りの――援護射撃があって顔がほころんでいる。
「何も、敵の城に行く訳ではありませんし、危険などと」
 そのニヤケ顔がしゃくに触ったので、少し反撃がしたくなったとしても、誰も俺を責めることはないだろう。
「それに、羽柴様はよほど信長様のお叱りを恐れておられるご様子。そのお叱りを受ける覚悟でわざと北陸から撤退したという智謀、是非この目で見てみたいと思います」
 ニヤケた猿顔が一瞬だけ止まったように見え、肩に置かれた手には一層力がこもった。
「ほおう」
 猿の顔に皺が増えた。まるで玩具を与えられて楽しげにそれをいじくりまわす前のような。
 あ、これ早まったかも。
 




[27542]
Name: 魏延◆702371e1 ID:4130dee3
Date: 2011/05/08 05:39
「どうじゃ半兵衛、明智の倅は」
「賢しいですな」
「切れるか。鷹の子はやはり鷹と言うところか」
 竹中半兵衛とは、羽柴秀吉配下の中で随一の智謀の士である。
 斉藤家に仕えていた頃、主君を諌めるためと称して二十にも満たない数の手勢でもってその城を攻略したことで一躍その名を轟かせている。
「賢しいというのは、小賢しいという意味でして」
「するってえと、トンビか」
「・・・どうにも、腑に落ちません。少なくとも、親鷹に並ぶ器ではないとは思うのですが」
「なんじゃあそりゃあ」
「世に天才と言われる人物は、他に変わる者無しと思われる者ばかりかと思いますから」
「明智光秀には代わりは効かず、明智光慶には代わりが効く、と」
 竹中半兵衛はしばし考えた後にこくりと頭を動かした。
 その評価を聞いて羽柴秀吉は待て待て、と右手を振った。齢を考えろと。
「ですから、腑に落ちませぬ。天才の幼子を相手にしているというよりは、それなりに頭の切れる大人を相手にしているようで」
 優秀な子を相手にしているはずなのに、あまり先が楽しみではない、と半兵衛は言う。
「とはいえあの坊主め、我らが北陸からの撤退を故意だと言い当てよったぞ」
「・・・初耳です。するとやはり鷹でしょうか?」




~本能寺の夜~





 詰まるところ。
「草です」
「あらあら。ずいぶん小さな間者ですこと」
「明智と羽柴は共に織田家臣でありながら、同時に信長様の歓心を競って得る間柄。つまりですね、侍女のお姉さん。羽柴殿の弱点を探しているのです」
 正確に言えば、“草ごっこ”を装った草である。
 草、つまり密偵や忍びは決して身分の高いものではない。酷使されることはあっても重用されることはほとんどない存在ではあるが、スパイと言う単語に現代人が感じる浪漫をこの時代の子供が感じることもあるらしく、探偵ごっこや秘密基地作成などはこの時代においても子供の遊びの種類の一つである。
 まして武士の家ともなれば、調略などの言葉働きは武功の一つ。子供がふと気まぐれに行っても不思議はない遊びなのだ。
 せっかく羽柴の陣中に疑いなく入り込めたのである。多少露骨といえども何か収穫を持って帰らねば近江を離れた甲斐がないというものだし、幸いこのなりなので警戒もあまりされないだろう。
「弱点はいっぱいあるわよー。あのお人はまーだらしないからねえ」
「というと」
「女にだらしない」
「英雄にはありがちな弱点ですね」
「そ、女と見るやすーぐ手をだして。ちょっと痛い目を見たってやめりゃしないからね」
「なるほど、他には」
「幼女趣味でもあるのよ。こないだなんか君と同じくらいの娘にまで色目使って」
「えと、他には」
「他人の妻であっても蛇みたいな目で見てるの」
「あの・・・」
「どう? 最低でしょ」
 なんだか勝手にヒートアップされてしまった。この侍女さんは羽柴秀吉が女好きであることに怒り心頭である様子。
 一人の女として倫理感が許さなかったのだろうか。いや、地位のあるものが複数の女性を囲うのはこの時代では別に責められるようなことじゃない。当然そんな倫理感はないだろう。
 ・・・ははあ、読めたぞ。女性にとっての立身出世といえば良縁に恵まれることだ。間違って高貴な男の息子でも孕めば、侍女などと言う立場からでも一気に贅沢ができる身分にのし上がれる。
 とすれば女好きで実力者の羽柴秀吉は絶好の標的だろう。
 きっとこの人は女好きの秀吉が自分に手を出さないことにフラストレーションを貯めているのだ。
 なるほど、秀吉が幼女趣味ならばすこしとうの立った具合のこの女性では難しいかもしれない。
 しかしその話ばかり聞いているわけにもいかないので、適当になだめておくことにする。
「まあまあ、おばさんも美人だし、そのうちお手つきになれるでしょ」





「・・・半兵衛、あの木からぶらさがった蓑虫は何だ」
「いえ、なんでもおね様に失礼を働いたとかで」
「・・・やはりトンビかも知れんな」
「はあ」


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