第1管理世界ミッドチルダの名門クラナガン大学。この大学の敷地からは、やや遠くに離れた、時空管理局地上本部の天空を突き刺すようにそびえる超高層タワーを拝めることができる。さらに敷地内を見渡すと、中央区画の都心部からやや離れたこの土地には、様々な木々や花々が植えられていた。
快晴の一日、キャンバスには大学生活を謳歌するために走り回るもの、講義を受けにきた者、十人十色、様々な人間がいた。その中を一人歩く少年がいた。その顔つきは周囲の人間と比べるとかなり幼い。が、特段珍しいわけではない。ミッドチルダの大学は実力さえ伴っていれば歳がいくつでも入学できるのだ。学生たちの中には、なんと七歳で入学したものもいる。
彼の年齢は十二歳、珍しいと言えば珍しいのだが、総学生数が五百万を超えるこの大学の中にはこれと同じ年齢の学生もそこそこいる。しかし、彼が道を歩いてゆくと、その行く手を阻んでいる者は自然と退いていく。くすんだ金の髪色を持つ少年には尊敬、羨望、嫉妬、憎悪など多様な視線が向けられる。
彼の名はレオポルド・ゴールドシュミット、時空管理局の最大のスポンサーであり、数多の次元世界の経済を支配する最大の財閥ゴールドシュミット家の後継者の一人である。彼はとある教授の下へ質問に向かうところだった。
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「おや? 君はゴールドシュミットの・・・、何の用かね?」
彼の目的地は資料が山積し、様々な機器で溢れかえっている研究室だった。壁の至る所が黄ばみ、焦げ付いていて、薬品特有の異臭がする。その中に一人たたずむは、還暦が迫ったくらいの、禿げ上がった頭の教授だった。現在は昼時で、本来いるべき彼の助手や生徒はいない。この時間を狙って彼は来たのだ。
「教授にお尋ねしたいことがあり、参りました。・・・プレシア・テスタロッサはご存知ですね?」
「ハハッ、PT事件の事でも聞きに来たのか? あいにくだがご存じだ。あんな優秀な生徒の顔を忘れるほど呆けちゃいない。ところで、やって来て早々質問とは、『黄金鍛冶』の名が泣くぞ?」
教授はにこやかにレオポルドの質問に答えた。後に続けた彼への戒めも、何ら失礼だと思っている様子はない。
「申し訳ございません。レオポルド・ゴールドシュミットです」
「こちらこそ、ミッキー・ゴードンだ。ミドルネームは勘弁してくれ、噛んでしまう。還暦前の老人を労わってくれると嬉しい。で、ミス・プレシアの何が知りたいのかな? 家族構成とか? それとも、当時の学生生活? 待ってくれ、今茶を出そう」
ゴードン教授は茶目っ気たっぷりに言った。一方のレオポルドはにこりともしない。
「いえ、結構です。彼女が進めていたプロジェクト・F.A.T.Eについてです。かつて、ゴードン教授も携わっていたとの噂を耳にしたものですから」
彼は淡々と発言した。この発言は、今まで晴れ晴れとしていた教授の顔を一瞬で恐怖と憤慨の色に染めた。
「何のつもりだ? とうとうゴールドシュミットは管理局を滅ぼすのか? あいにくだがな、あれに関わるのをやめたときから、金輪際、あの計画の事は語るまいと決めたんだ。もし、あれについて聞きに来たなら無駄足だったな」
教授は静かに、しかし、怒気を込めて言い放った。もっとも、レオポルドも動じない。
「時空管理局は我々のパートナーであり、政治行政においての代理人ですから。滅ぼすなんて。僕はあの計画が、時空管理局の慢性的な人員不足の解消になるかと思い、我々の資本の下、再び研究を始めて欲しいと考えただけです」
「元々、それが原因で始まった計画だよ。・・・思い出したくもない。あの頃は毎日が地獄だったよ、思い出したくもない。断言しよう、あれに関わった、ミス・プレシアを含むほとんどの研究者の末路はひどいものだ。いくら金を積もうが、あれについて話す者は決していない。聞きたければ、スカリエッティにでも聞け、奴なら金を積めばホイホイ話すだろう。何処にいるかは知らんがな」
教授はレオポルドを睨みつける。彼は何を考えているのか分からない無表情のままだ。
「犯罪者に手を貸してもらうほど落ちぶれてはいません。今日はこれで引き上げるとしましょう。では、またいずれ」
「そうだな。今度は明るい未来についてでも話したいものだ」
教授は再びにこやかな表情に戻る。レオポルドは研究室を後にした。今日、大学に来た理由はゴードンを尋ねることであり、他の用はないので、自宅に帰ることにした。
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クラナガンの臨海地区に広がる高層マンション群の中の一棟が彼の自宅である。自らの部屋に着いた後すぐに昼食を済ませた。食事は必要最低限度の栄養が摂れればよい、というのが彼の考えであり、栄養ドリンクと固形食だけを食べた。
食事? を終えた彼は、第98管理外世界『地球』に向かうため、地上本部に出向いて、出国の許可を取りに行くことにした。自分が父から管理を任されている投資銀行の様子を見るためであり、別の用事も達成するためだ。
地球へと行くためにレオポルドが向かったのは、ミッドチルダ北部にある臨界第8空港だ。ここにゴールドシュミット家所有の次元航行艇がある。彼の行先は第97管理外世界、現地名『地球』にある、アメリカ合衆国のニューヨーク。この世界の経済の中心である。そこに本社を置く、自らが経営にかかわる投資銀行ゴールドシュミット・インベスターズ(GI)の様子を見に行くのが彼の今回の要件なのだ。
元々、ゴールドシュミット家は『地球』のドイツ発祥で、イギリスで力を付けた一族であり、『地球』においても巨大な企業グループを形成している。もっとも、表に出て行かないので陰謀論が出回っていたりするのだが、大抵の人がバカバカしいと思ってしまい、逆にやり易い。陰謀論者にはこちらから感謝したいくらいだ。
平日なのだが、空港は各次元世界からやって来た者、もしくはその反対の者によって混雑していたが、レオポルドは専用通路を通って専用機までたどり着いた。そして、『地球』へと去って行った。
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機内ではデータの整理をしたり、音楽を聴いたりなど、比較的自由な時間を過ごした。普段は、大学の論文や、自分が取締役を務めるもう一つの会社、かつて経営不振に陥り、GIが買収した、ゴールドシュミットの魔導端末メーカー部門の一つ、カレドヴルフ・テクニクス(CW)社の経営再建などで手いっぱいだ。
そうこうしているうちに、気味の悪い次元空間を抜け、青空の中に出た。向こうは昼だったが、こちらの世界はまだ朝方の様だ。ニューヨーク郊外の私用空港を経由して、ジョン・F・ケネディ国際空港へと、そこからの飛行機で向かった。
エンパイア・ステート・ビルディングを代表とするNYの高層ビル群も見える。この混沌としつつも美しいNYの街並みを、レオポルドは結構気に入っている。クラナガンは雑多すぎて小汚いし、半ばゴールドシュミット家の領地と化している第1特別行政世界アイゼンバーグの首都であり、ゴールドシュミットの本拠地が存在するアーヴィングは整理されすぎていて、逆に不気味だ。
JFKに着陸した後、タクシーで本社のあるタイムズスクウェアに向かった。朝方であり、それぞれの勤務先へと向かう人の波でごった返しているのが車内から見える。だが、道路も当然混んでいてなかなか進まない。地下鉄で行けばよかったと後悔している。
レオポルドは人の波を見ていてときどき思うことがある。彼らは何のために働いているのだろう、と。当然、目的は金を稼ぐためである。では何のために? 家族の為、遊ぶため、見せつけるため、いろいろあるだろう。自分は何のために働くのか? 家族と言えば、働きづめで碌に顔も合わせない父、魔法の才能だけは凄まじく、コネで14歳にして執務官になった兄の二人だけ。遊ぶつもりも誇示するつもりもない。ただやれと言われてやってるだけ、意味があるのだろうか?
考えているうちに、ガラス張りの本社ビルが見えてきた。クラナガンほどではないが、ごったな建物の並び広告で溢れかえるタイムズスクエアに建つ綺麗なビルは結構目立つ。高いし。
出社してくる金融マンに混じって彼も中へと入ってゆく。携帯端末をいじりながらエレベータに乗り込む。普通の携帯端末で、魔力の才能をほぼすべて兄にとられたのか、自分の魔力はないに等しい彼にデバイスは必要ない。父も当初は、兄と同じく管理局に彼を入れようとしたが、魔法至上主義ともいうべき風潮のある管理局では足手まといの様だったのか、現在はこの仕事に就いている。
エレベータがビルの最上階に着いた。この階には会長室が置かれている。この階に用事のある人間はほとんどいないので、静かなものだ。現会長の出身国に因んで、浮世絵が飾られていたり、ガラス越しで見える庭園には竹や松が植えられ、獅子脅しや石灯籠が置かれている。やはり整理されていて気に食わない。彼は混沌が好きなのだ。あんまり汚いのは嫌いだが。
廊下を歩き、会長室の前へとたどり着いた。木でできた扉を開けると、NYの街並みを一望できるガラス張りの部屋が広がっていた。窓から見える高層ビルや空をバックに、奥には机で作業するガタイのいい男がいた。
「これはこれは取締役殿、本日はどのような御用件で?」
遥か年下の少年を無駄に恭しく扱うのは、GI会長兼最高経営責任者(CEO)の露崎京太郎、大学を卒業して入社して以降、GI一筋30年、いわゆる生え抜きだ。
「ちょっと様子を見に来ただけです。どうですか?」
「お分かりの通り、地球における前年度の売上高は過去最高の1260億ドル、純利益は150億3000万ドル、いずれも過去最高、心配していただく必要はまったくございません」
自分は取締役、彼は会長で露崎の方が年齢も立場も上なのだが、厭味ったらしくも敬語。彼はレオポルドがゴールドシュミットのコネで、しかも本来ならまだ小学生のはずの子供が取締役になっているのが気に食わない。自分は実力でここまで這い上がって来たと思っているから。
「いえ、様子見がてらに融資していただきたいところがありましてね。よろしいですか?」
「CW社でしょう? あいにくですが、あんな不良債権の塊みたいな会社を支援するわけにはいきませんな。そもそも、軍需部門のゴールドシュミット・デュポン(GD)に売り払ったばかりですし、我々も多少は努力して経営を改善したつもりですが、あの様です。お父君のゴールドシュミット卿が直接率いる商業銀行部門のバンク・オブ・ゴールドシュミット(BOG)にして頂けばよろしいのでは? 資金力もあちらの方が上ですし」
要は、売りとばしたものを再び助ける気はないし、売却したことにより、利益が出たので後は知らんというハゲタカらしいやり方だ。謙虚で有名な日本人がどうして外資系の中でトップになれたのか、人情のかけらもない男なのだ。はっきり言って、CW社のメインバンクはBOGなのだが、BOGに頼るということは父に頼ってしまうことになるだろう。何となくだが、無理やりやらされたのだが、今回は初めての大仕事なので、自力でやりたいと思ったのだ。だからわざわざこんなところまでやって来たのだ。
融資してもらうには将来性について言わなければならない。ゴールドシュミットがこの会社を買った理由はただ一つ、AEC武装という技術のためだ。この技術はアンチ・マギリンク・フィールド通称AMFに対抗しうる数少ないものの一つだ。それについて語ったが、
「そんなことはおっしゃられなくても分かってます。ですが、のちに耳にしたところによると、ゴールドシュミット・デュポン本体が時空管理局と共同で第五世代デバイスを造っているとか。そちらの方が実用的では?」
「第5世代は実用化にあと30年ほどかかると言われていますが、ここだけの話、AEC武装はあと数年で実用化できます。実用化した後、現在のデバイスに代わって管理局の標準装備となれば、あっという間に経営が安定して、株価も上がるでしょう。今のうちに投資した方がいいでしょう?」
実際、一時期とはいえ、向こうも経営に携わっていたのだからAEC武装が直に実用化されることは分かっているだろう。一方、第5世代が当分実用化されないことを知っているのはGD社の人間と時空管理局上層部、ゴールドシュミット家の人間だけだ。露崎は、椅子をくるりと回して窓の方を5秒ほど向いた後、こちらを振り返り、
「ふむ、年利60%ならいいですよ。担保は?」
嫌味ったらしくにやにやして、言った。30億ドルほど融資してもらいたいのだが、金利60%と来た。アメリカには法定金利というものが明確には存在しないので、こんなめちゃくちゃな数字が大手金融機関でも言い出すことができる。さすがにきついので、特大のリーク情報を出すことにした。
「融資していただければ、とある情報をお教えしてもいいと思ったのですが、金利60%では・・・。GDにも大きくかかわることですよ」
露崎はいぶかしむ目でレオポルドを見た。そしてすぐ決めた。
「40%。これ以上は引けませんな。融資の額は30億程度ですか?」
「結構です。ご協力感謝します」
二人は握手を交わした。露崎がここまで上がってこれたのは人情のなさと即決力だ。早押しクイズ男と社内では揶揄されている。
「で、情報というのは、内部リークですが、再来年までには世界最大のエネルギー商社のエシュロンと全米2位の通信プロバイダのインターナショナル・シグナルが破綻します」
露崎はいきなり大笑いした。そしてバカにしたように、
「何をおっしゃるかと思えば、エシュロンとインターナショナル・シグナルが潰れる? ハハッ、天下の御曹司様にそんなジョークが言えるとは! インターナショナル・シグナルはITバブルがはじけ、合併に失敗して業績が悪くなっているとはいえ、未だに巨大企業、まあ、そろそろ融資と株式を引き上げようと思っていたところですが。しかし、エシュロン! これは大きく出ましたね。今期はもう最高益だと言われ、事業も好調、会計監査も5大会計事務所のジミー・アンダーセン、全米で最も勢いのある会社でしょう。潰れるなんて! CW社が潰れることがあっても、エシュロンが潰れることはないでしょう」
ナイスジョークと言わんばかりに大笑い。レオポルドは何の表情も浮かべない。僅かながらの軽蔑はあるが・・・。そして、内部リークの報告書を露崎に渡す。大笑いしていた露崎の顔が次第に曇って行く。
「不正経理とは・・・。エシュロンが潰れれば、間違いなく市場は影響を・・・、というかわが社も・・・」
この世の終わりだ、みたいな表情だ。最初のいけ好かない態度からの豹変に満足して、声もかけず部屋を去った。ちなみに、自分もエシュロン株を持っているが、今期の決算後に売り払うつもりである。
融資も約束してもらったので、もうNYに用はない。という訳で、JFKの自家用機に戻った彼が次に向かうのは露崎の祖国、日本である。この前言った際においしい喫茶店を見つけたのだ。それにPT事件もあって、その様子を尋ねたいと思っていたのだ。