編集長日誌〜本の御しるし

トップページに戻る


編集長日誌22

4月18日(月曜日)

森井書店森井健一さんにお話を伺った。平成二年二月号で福岡の葦書房の宮徹男さんと往復書簡の形でご寄稿いただいたこともある。バブル経済に湧いていた二十二年前の古書業界だが、その時に書かれた「私の取扱っている近代文人の自筆類や美術・趣味書は、古文書類と同様、より内容の優れたものに集中する傾向が見られます。さらに美術的要素が加わり、見て楽しいもの、美しいものがより求められております。」という姿勢は今も変わらないようだ。彼を傍らから眺めてきて三十年くらいたつが、本当にパワフルで活力に満ちた古本屋でありつづけているのは偉いものだ。五月号の掲載である。

先日名古屋で開催された全古書連総会歓迎の大市にも行かれたそうだが、私も本欄前回で紹介した漱石の中川芳太郎宛葉書の落札が目的だったようで見事しとめられたらしい。流石である。

奇人の木版彫刻師伊上凡骨の事跡調査をライフワークとされてきた小谷厚三(ペンネーム。盛厚三)さんが、長年の研究成果をまとめた『木版彫刻師伊上凡骨』を刊行され送って下さった。発行元は凡骨の故郷の徳島県立文学書道館で、「ことのは文庫」の一冊だ。発行者が瀬戸内寂聴というのが凄い。努力が実るのは嬉しいだろう。

八木書店卸部の店頭に「曹洞宗全書 初版本完全復刻版」のチラシがあり、見ると全18巻をオンデマンド印刷で105万円とある。ジェイライブという会社の発売だ。随分高い本だな、古本の原本なら幾らするのかと、日本の古本屋で検索すると、ある仏教書専門店でそのまま105万で出ていた。昭和45年の刊行である。しかし、この本には続編と別巻があり全34冊が揃いだ。それだと京都の古本屋が300万で出している。オンデマンド版の価格は古書価から決まったのはあきらかだが、なぜ続編と別巻を復刻しなかったのだろう。ここまで調べてチラシの裏を見たら「企画趣旨」が書いてあり「普段からネット上で、古書市場の動向を徹底的に調査しています」とあった。

4月19日(火曜日)

昨日の鹿沼市での小学生六人が死亡したクレーン車の事故は、親の気持ちを思うと居たたまれない。震災といい、どうしてこうも痛ましいことが続くのだろう。

昨夕、ある先生から大正期の売り立ての落札状況を知る手がかりはないだろうかというメールがあった。美術倶楽部での入札会で目録があり日時もはっきりしているので、会報のようなものを調べれば分かるかなと、社長に聞いてみると、『美術商の百年 東京美術倶楽部百年史』という本があると貸してくれた。この本を見て驚いた。平成十八年に刊行された本だが、東京、大阪、京都、名古屋、金沢の各美術倶楽部の入札売立史が出ている。東京で言えば、明治36年から昭和20年まで230頁に亘って売立ごとに概容が記録され、その出典も明記されている。例えば大正五年五月十六日に仙台伊達家御蔵品入札第一回が開かれているが、詳細な記録が「書画骨董雑誌」大正五年六月号など数種を引用しているのだ。先生に聞かれた入札会もちゃんと出ていた。残念ながら戦後分は殆ど省略に近くて残念である。まだ全てを明るみに出すには生生しすぎるのか、数が多いか、むしろ内容的につまらなくなっているからなのか、どうなのか。

今日、ある業者に聞いたのだが、先週月曜日の中央市会に漢籍や和本などかなり良い本が多数突然出品されたのだという。二口あったらしいが、一方の長野の業者による出品に、私は残念ながら見ていないのだが、明版の「文選」があり高額で落札されたらしい。そのほか丹緑本も出たという。先週の速報目録を取り出してみると、「曽我物語」3、4、5というのがあるから丹緑本はこれだろう。「文選」は速報には出ていない。市場には何が出るか分からないというが、その通りになったわけだ。

4月20日(水曜日)

本日の資料会も沢山の出品だ。震災以降蔵書や在庫を処分される方が多いのだろう。ただ、資料会らしい商品ではなく、文学系統のもが多いし、和本のようなものは無かった。夕方落札額はどんな状況か見に行くと、やはり全体に低めな感じだ。聞くとこころによると被災地でも蔵書処分の話しは多いという。阪神淡路の時と同じだろう。

本日、弟子丸泰仙という方の『禅と文明』(誠信書房・昭和51)という本を購入した。未知の方だが、フランスで禅の布教に努めた曹洞宗の僧らしく、パリに仏国禅寺、アバロンにも大乗禅寺、および大乗仏教研究所を設立されたという。1914年生まれだが、1982年に亡くなっている。チラッと中を見ると、文化人類学のレヴィ・ストロース、精神医学のポール・ショシャールとも共同研究をしたらしい。巻頭の写真はそのレヴィ・ストロースとのツーショットだ。沢木興道の弟子で、山田霊林の推挙によりフランスで禅の布教を開始したらしい。いろいろな人がいるものだ。このところ、どうも宗教色の強い本に引かれるのである。次号五月号はその関係もあって、遠巻きではあるが「災害と宗教」といったテーマのご寄稿を何人かの方にお願いしている。

4月21日(木曜日)

本日午前中は今期の決算報告であった。一応赤字ではなかったのは幸いだが、雑誌単体の収支の数字を見てのけぞった。雑誌を継続するために、他の古本業や出版業を頑張っているというのが実情だ。なら、雑誌を出さなければ黒字幅が大きくなるかといえばそうではない。毎月お手当てを頂けるのは雑誌収入があるからで、出版も古本も雑誌があるから成り立っているのだ。改めて読者に感謝して、継続していけるようこれからも頑張ろう。

お昼の郵便で、「出版ニュース」四月下旬号が届いた。ニュース欄に「出版社の初任給」というのがあった。出ているのは出版労連傘下の大手が殆どだが、最高額は昔から決まっている福音館で43万、次が実業之日本社で33万、三位が同友館で32万。あとは岩波や講談社、小学館、集英社でも20万円台で普通である。有名出版社でも10万円台もある。初任給よりもどのように昇給していくかが興味のあるところだが、「出版ニュース」社の方は何故毎年これをニュースにするのだろう。読む側としては少し虚しい。

4月22日(金曜日)

先日この日誌で紹介した、古書うみねこさんの目録第三号発行を記念した展示会が、古書会館二階の展示スペースで開かれた。目録の内容を紹介したときに一緒に書くべきであった。会期は明日までなので残念である。目録から注目品を展示したほか、童画家茂田井武の装丁本も併せて展示している。これは、うみねこさんのほかに、落穂舎、龍生書林、西秋書店さんが協力して資料を集めていて壮観であった。目録に写真が掲載されていてもやはり原物を前にすると魅力がより伝わる。随分参観者も多いようだった。

埼玉県本庄市の俳人で、高柳重信の書誌や散文の集成をライフワークにされている岩片仁二さんから、手作りの雑誌「夢幻航海」76号を頂いた。中綴じ142頁というボリューム。巻頭に重信の「宇都宮雑記」という「俳句評論」掲載の入院中のエッセイが収録されている。立風書房の全集に収録されているが、一部削除された箇所があり、それを復元している。「俳句評論」内部のある画策の事実を抹殺するために全集編集者の一部が「削除」したらしい。組織というのは主導権をめぐりどうしても矛盾を抱えてしまうものなのだろう。それはともかくとして、この「宇都宮雑記」はすばらしいエッセイである。難しい言葉が一箇所も出てこないのに内容は深いのだ。病はある意味、精神を鋭敏にするのだと思うが、得てして分かり難い文章になりがちだが、これは本物である。大江健三郎がむかし、快復期にある人間の力には素晴らしいものがあると書いていたことがある。ただ、この時、重信は快復したのだろうか。

4月25日(月曜日)

福島県いわき市在住の読者からお葉書が届いた。地震と津波、原発事故の影響でしばらく東京に避難されていたらしいが、四月初めに戻られたものの、水に傷み廃棄せねばならぬ多くの蔵書を前に鬱屈した日々を送られているとのことだが、本誌が届き何となくホッとしたと書かれている。五月号にも何通か紹介するが、被災地に届く郵便は精神的に安心感を齎すようだ。

また、北海道の読者が、北海道新聞に掲載された札幌・石川書店閉店のニュース記事を送って下さった。社長からそのニュースは聞いていたが、昭和九年創業の老舗が消えるのは寂しい。ご主人の病気も原因のようだが、大きいのは後継者がいないことだ。今回の震災の被災地にある古本屋さんでも、後継者が存在する場合は立ち直っていこうとする意欲が湧くようだ。

昼休みに古書会館に行くと、熊本の河島書店と札幌市の弘南堂書店がいた。特別な出品物はないのにと思ったが、聞くと日本古書籍商連盟(ABAJ)の総会があるらしい。来年京都で世界の古書展が開催される予定で、その打ち合わせなどもあるようだ。来年になれば外国人の日本アレルギーも消えるだろう。

会館地下ではフリーダム展が開かれていた。新宿の古本屋さん達の展示会だが、そこで堀井春一郎編集の「季刊俳句」創刊から四号を購入した。1973年創刊で、深夜叢書の斎藤慎爾さんが編集協力している70年代の如何にもという内容。前衛俳句のまだ盛んな頃だ。表紙をつげ義春や横尾龍彦が担当している。B5判で用紙も上等な時代を感じる雑誌だ。

4月26日(火曜日)

キャンディーズの田中好子さんの葬儀が昨日行なわれ、生前に録音されたお別れの言葉がテレビでも放送されたが、死を覚悟した上での立派な女優さんの言葉で感動させられた。彼女のイメージカラーがブルーだったとは、同世代の私だが知らなかった。優しい女性らしい方だったが、やはり爽やかなイメージなのだろう。

そんなことを考えていたためでもないが、前田千寸という方の本『むらさきくさ』(限定1100部・昭和31・河出書房)というのが眼に入り購入した。自ずからなる本の格といのがあるが、これは体裁だけではなく立派な内容の本である。東京美術学校日本画科を卒業後、旧制中学の先生をしながら、古代の色彩の研究、実際の染織法の再現に生涯をかけられた方で、その成果をまとめた本だ。書名は以前から聞いたことがあった。前書きを佐佐木信綱、窪田空穂、山岸徳平が執筆、これも現在ではなかなか見られない名文だろう。文献の渉猟だけではなく、記録に残された染料の材料となる植物などの名の時代的地域的な変遷、そして現実に染織してみて分かることなど、正に実証的な研究である。旧制沼津中学時代の教え子に井上靖や芹沢光治良がいたようで、彼らは作品にこの先生をモデルとした人物を登場させているらしい。こういう一途な人物、先生には確かに人をひきつけてやまない魅力がある。

4月27日(水曜日)

今朝の朝日新聞に、国会図書館が、入手困難な絶版本の画像データを、公共や大学の図書館でも見られるような措置をとるべく、著作権の改正や関係機関との検討をするという記事が出ていた。以前から、明治期の文献についてはまだしも、大正以降現代の出版された文献を何の基準もなく画像データにすること自体が私には疑問であったが、それを図書館での閲覧という制限はあるにせよ公開することにどれほどの意味があるのかと少々腹がたった。

明治文学書のカバーとか箱とか袋などのついた完全美本は、確かに探すのも困難だろうが、ネットでの検索が容易になり、図書館相互による貸し借りという方法も普及しているのに、今回、閲覧本として想定されている研究書や資料類にどれほど入手困難なものがあるというのだろう。裁判資料や外交文書、政府の答弁記録、国会審議録、医療や医薬品の事故などに関する資料なら、データ化してネットで閲覧できるようにする意義も大きいが、閲覧に行く時間や古本で探す手間とお金を惜しまなければ容易に入手できるものが殆どだろう。国会だけにしかない本と分かっているならそれだけデータ化すれば済む話ではなかろうか。

本を保存すると同時にデータで保存、どこか安全なところに保存する意義は、あるいはあるかもしれないが、現状から言えば、状態の悪い近代デジタルライブラリーの画像をきれいにするとか、画像化の進んでいない和本や古文書、古地図、漢籍、自筆資料などの画像化を早く進めて欲しいものだ。画像化してしまったから、少しでも利用できるようにしようというのでは本末顛倒なお粗末な事業としかいいようがない。日本は市場経済を原則としている。個人で必要な本があれば自らの時間と費用を使い図書館で閲覧するなり、書店で購入すべきもので、個人の要望を税金で叶えるべきものではないだろう。市場経済と自由競争原理が出版の質を基本的に維持させている面も考慮してほしい。また、将来的に図書館の機能は全て各家庭の端末で利用、図書館という器を不要とするための計画なら、それは器ではなく図書館というスペースの持つ意味を余りにもないがしろにした計画といえるのではなかろうか。

本日の資料会に戦時中の植草甚一の書簡葉書20通ほどが出ていた。植草は戦時中も洋画の興業をし続けたリベラリストだ。内容を紹介しながら、本誌の目録で販売してもよいかなと、珍しく入札してみた。しかし、売れる値段を考慮しながらそれなりの金額を入札したつもりだったが、落札金額は遠く遠く及ばなかった。ちょっと残念。

4月28日(木曜日)

本日の一新会には映画雑誌の珍しいものが沢山出品されていた。なかでも「キヌタ」という創刊号から四号までの薄い雑誌はいかにも魅力的であった。淡島寒月や内田魯庵など執筆者が誠に良い。昨日に続き入札したが、昨日よりもさらに遠く及ばない落札金額であった。当たり前の話だが、見ているだけでなく入札すると大分感じが違う。これまで偶に入札していたのは、自分で欲しい本か入札を頼まれた場合だけだったが、売るという視点で見て行くと判断が違ってくる。まあ、落札は難しい。

明日からゴールデンウイークだが、世の中全体がそんな雰囲気ではない。昨日お見えになった読者が、先日伊豆の温泉に行ったが、旅館に二組しか泊り客が居なかったと話されていた。一方で被災地に向かうボランティアの人々は物凄い人数らしい。今朝のニュースで、漁港から津波で内陸に流れて腐敗して異臭を放つ魚の処理をするボランティアの姿を紹介していたが、頭が下がる。私は連休中の予定は殆どなにもない。明日、友人の知り合いが自宅でピアノコンサートを開くが、一応会費がありそれは震災の義捐金にするとのことだ。妻と行くつもりだ。あとは、地震の後、整理が中途で取りあえず積み上げておいた本を点検しながらあれこれ買ったままで忘れている本でも読んで過ごすことになるだろう。




トップページに戻る