青森県下北半島の端に、「大間マグロ」で有名な小さな町がある。

 津軽海峡に面した港のすぐそばには、最近大きな舗装道路が建設された。道路の海側は、今年5月に着工した大間原発の敷地だ。道沿いには何キロにも渡ってグリーンのネットを張った鉄パイプの柵が設置され、「関係者以外立ち入り禁止」の看板が掲げられている。

 ところが一箇所だけ穴が空いたように、敷地の中へ砂利道が伸びている。入口を少し入るとガードマンが常駐する小屋があり、その先の両側は完全に鉄条網に囲われてしまう。この小道を15分ほど歩き続けると、目の前に蒼い海が広がった。そこに「あさこはうす」は建っていた。

フェンスで囲まれた専用道路の向こうに海が見える

<目の前に原発の炉心が現れるのか>

 大間原発の建設計画が持ち上がったのは32年前。当初は多くの住民が建設に反対したが、札束を積み上げられ年を追う毎に買収に応じていった。しかし最後の最後まで土地を売らなかったのが熊谷あさ子さん。あさ子さんが守り抜いた1万平米余りの土地は、130万平米もの巨大な原発敷地のほぼ真中に位置し、長らく建設計画を阻み続けてきた。

 2004年秋、あさ子さんはその土地にログハウスを建て、住民票を移した。畑を耕し、子どもや孫たちとバーベキューを楽しみながら、大間の豊かな自然の素晴らしさを訴え続けた。しかし2年前、不慮の事故で突然亡くなった。

 「私たち4人の兄妹は、母の遺志を引き継ごうと誓ったんです。10億円の買収を持ちかけていた電源開発は、遺産相続を巡って私たちが対立すると期待していたみたいですが、当てが外れましたね」

 そう話をしてくれたのは、娘の小笠原厚子さん。結婚して北海道函館市に住んでいたが、今は月に20日ほど大間の実家で暮らすようになった。母の想い出が詰まったログハウスを「あさこはうす」と命名し、自転車で畑仕事に通っている。太陽光発電パネルや風力発電設備を設置し、ライフラインがなくても将来移り住めるように整備を進めている。

 ロープが張られた「あさこはうす」の敷地境界から海側を指差す厚子さん。「あの木が生えている小山の辺りが当初計画された原発炉心位置です。母が最後まで土地を売らなかったので、結局電源開発は炉心を200メートルほど移動しました」。

原発と「あさこはうす」の位置

 移動したとは言え、わずか数百メートル。大間原発は、炉心のすぐそばに未買収用地を抱えたまま着工されたのだ。このまま建設が進めば、「あさこはうす」の目と鼻の先に炉心が出現する前代未聞の事態。通常原発の周囲は「放射線管理区域」とされ、何重ものフェンスで一般人が被曝しないよう立ち入りが制限される。しかしここでは、「あさこはうす」の存在は完全に無視されようとしている。

 今年4月23日、国から設置許可を受けた電源開発の中垣喜彦社長は、「法律上のルールからすると、敷地の内側にある民有地は建設、運用上の支障はないと考えている」「地主の方の考え方次第」と語った。買収の目処が立たないまま一方的に建設計画を進めてきた電源開発の責任には何一つ触れず、安全意識、人権意識のかけらも感じられない発言だ。

 しかも大間原発は世界初のフルMOX原発となる予定。その危険性ゆえに未だどの国も取り組んでいないフルMOXの実験が、通常の原発すら運転したことのない電力会社の手に委ねられようとしている。

<海と土地があれば生きていける>

 既に工事は始まり、フェンスの向こうでは大型ダンプがひっきりなしに土砂を運んでいる。しかし「あさこはうす」の周りには畑が広がり、豊かな自然が残されている。

 小奇麗なログハウスの中には、あさ子さんの写真が載ったカレンダーが飾ってある。「自然を大事にして、この海を守っていけば、将来どんなことがあっても生活できるべ。大金なんかいらない」。あさ子さんがいつも口にしていた言葉も記されている。

母・熊谷あさ子さんの写真を前に語る厚子さん

 「母は先祖代々続くまぐろ漁師の家に育ち、この海の素晴らしさと大切さを誰よりも良く知っていました。土と海から命をもらって育った母は、本能的に原発に危機感を持っていたのです。だから周りの人たちがみんな買収され、たった一人になっても原発に反対し続けたのです」

 「本当に辛くて寂しい思いもしたでしょう。執拗な買収工作や様々な嫌がらせを受け、最後は村八分にされました。でも、命を何よりも大切にする女だからこそ、母は最後まで頑張れたと思います」。そう語る厚子さんは、あさ子さんの遺志を引き継いで原発建設を何とか止めたいと考えている。

 6月19日、大間原発の原子炉設置許可処分に対する「異議申立書」が経済産業省原子力安全・保安院原子力安全審査課に提出された。全国から集まった申立人4541名のうち、2154名は函館市民だ。中心となった「大間原発訴訟の会」では、工事中止を求める民事訴訟の準備も進めている。

 函館は大間からわずか18キロ。原発が完成すれば、津軽海峡の対岸に原子炉建屋が見えるようになる。万一事故が起きれば、人口約28万の函館市民は真っ先に被害を受ける。函館市議会も2007年7月、『大間原子力発電所の建設について慎重な対応を求める意見書』を採択している。

 地元大間では孤立している厚子さんだが、函館や全国で脱原発に取り組む様々な人々に支えられている。「一人でも多くの人に『あさこはうす』を訪れてもらいたい。ここで多くの人とキャンプやイベントをすることは、母の夢でもありました」。

 大間原発の建設を許可した国への「異議申立書」。その冒頭に綴られた厚子さんの想いは、母の遺志に守られながら「あさこはうす」で育まれていくだろう。

 「土地から穫れる野菜と海から捕れる海産物で、私たちは生きてゆけます。その豊な海と土地を子や孫に残したいというのが母の切なる希望でした」「大間の海と土地をきれいなまま子や孫の世代に残すために、大間原発に反対します」 

(1273号 2008年8月10日発行)