2011年3月18日 19時25分 更新:3月18日 23時58分
東日本大震災の津波で壊滅的な被害を受けた宮城県石巻市小渕浜地区では、住民ら約500人が学校など公的施設の避難所に入れず、狭くて寒い工場やガレージに数十人ずつ肩を寄せ合って暮らしている。漁師町の絆で助け合い耐えしのいでいるが、地区は事実上の孤立状態で支援の手がほとんど届かない。震災から1週間が過ぎたが「原始時代のような生活」が続いている。【大場弘行、比嘉洋】
「子どもの服は汚れたままで、雪が降るほど寒いのに靴下もない」「ズボンのベルトもなく、ビニールひもでしばっている」「子どもが毎晩、寒くて暗い工場の中で『おうちに帰りたい』と泣くんです」
約80人が避難するプレハブの自動車修理工場。2歳から小学1年生の子どもの母親らが口々に訴えた。夜は真っ暗な工場のコンクリートの床の上で、15組の布団を分け合って寝ている。男性はガソリン切れで暖房のない車の中で夜を明かす。
小渕浜はワカメやカキの養殖、アナゴ漁などが盛んだった。人口約580人の小さな港町は、ほぼ全体が津波にのまれた。避難先になるはずの公民館も消失し、隣町にある学校は地元の人たちで埋まっていた。やむを得ず被害を免れた納屋やガレージなど19カ所の建物を持ち主に貸してもらい、住民らは離ればなれに身を寄せた。
市街地につながる海岸沿いの県道の一部が寸断され、地震から6日目に車1台がようやく通れるようになったものの、ガソリンもなく物資の調達も脱出もかなわない。
修理工場に避難しているワカメ養殖業者、木村松雄さん(75)は「顔見知りの漁師仲間だから心強いが家はもちろん船、車、服、お金も流され、電気も水道もない。原始時代のような生活が何日続くのか。子どもにはあまりに過酷だ」と嘆いた。