〜第四夜・前編〜 断爪・圧界
「ふむ……成程…………」
そう言って神父服の男、絢神は目を細めた。そして身構えるかのように一歩身を引き、数メートル向こうに居るコートの青年を凝視する。
「まんまと罠に嵌められた、と言う事ですかな」
「何を仰る、罠と知りつつわざわざ来たのでしょう? ご苦労なことだ」
そう言ってコートの青年、クロード・
「そちらこそ、私が行かざるを得ないことを知っていたのでしょう。全く意地の悪い……」
そしてそれに相対するように、絢神の背後にもいつの間にかカソックを着た女性が立っていた。
四人は微動だにする事無く、互いを見つめたまま動かない。冬の空気は鋭く肌を刺し、しかしまるで泥のような重さを残していく。やがて沈みかけた上弦の月が雲に消えた時、四つの影は同時に地を蹴っていた。
場所は新都の公園、時刻は日付が変わろうとするころ。最近の物騒な噂に加え、先日の悲鳴騒ぎのせいで公園は全くの無人だった。
そしてそれを良いことに、秘密裏に進行する異端の儀式、聖杯戦争の参加者であるクロードは、ここを戦場の一つとして選んでいた。奇しくも前々回の聖杯戦争において、最終決戦の行われたこの場所を。
「はああっ!」
クロードの従える白衣のサーヴァント、セイバーは青銅の剣を振り上げ、凄まじい覇気を放ちつつ絢神に向かって突進した。対する絢神は全く動じる事無く屹立している。そしてセイバーが己の間合いに絢神を捕らえたとき、しかし振り下ろされた刃は割って入ったカソックのシスターによって遮られていた。
受け止められて勢い余った刃は猛烈な剣圧を放ち、シスターのカソックを吹き飛ばす。その下から現れたのは長い銀髪と黒い拘束具を纏った女性、アサシンのサーヴァントだった。
2mはあろうかという大男の攻撃を、まだ少女とも呼べるような小さな体が受け止めている。それは、聖杯戦争を良く知る者の目から見ても異様な光景だったろう。しかし、
「うるあああぁぁぁ!!」
セイバーは受け止められた剣を無理やり振りぬいた。剣を押さえていたアサシンのナイフが砕けて霧散し、弾き飛ばされたアサシンの体が宙を舞う。
「…………」
しかし、アサシンは体勢を立て直さないまま両手に数本ずつのナイフを限界させると、セイバーに向かって投げ放った。空を裂いて飛ぶナイフはしかし、セイバーの剣によってその全てが叩き折られる。
その間に体勢を立て直したアサシンはヒラリと身を翻したかと思うと、夜の闇に溶けるようにその姿を消していた。
「消えた、だと?」
セイバーは訝しげに目線だけであたりを見渡している。アサシンのサーヴァントが持つ固有スキル『気配遮断』は、鋭敏な感覚を持つサーヴァントにすらその存在を気取られない。
それはセイバーとて例外ではなく、明確な視線や殺気こそ感じるものの、肝心の位置は全く読み取れないでいた。
「…………」
セイバーは己の存在を確立するかのようにしっかりと構えを取り、周囲の空間を凝視した。街灯の無い漆黒の闇の中、夜霧の暗殺者との戦いが始まる。
絢神は内心焦りを感じていた。というのも、このペアと戦うのはこれが初めてではないからである。互いに有る程度手の内が知れている上に、今回は戦場を選んだのもタイミングを計ったのも向こうだ。加えて絢神は、クロードが未だに実力の半分も出していないと考えていた。
(ざっと見積もって二百……いや、三百と言った所でしょうか。やはり、用心するに越したことは有りませんね)
そう思いつつ、絢神は右手を伸ばす。その指先からは鋭いワイヤーが飛び出し、併走しているクロードへと伸びていった。しかし、見えるか見えないかの細い糸をクロードは易々と躱し、袖を振るうように腕を動かす。
すると袖口から掌に向けて、重ねられて棒状になったコインが滑り落ちてきた。クロードはそのコインを握り込むと腕を横に大きく振り、コインを投擲する。コインは一瞬にして水蒸気の壁を越え、絢神に向かって飛翔した。
「……ちっ」
絢神は身を翻してコインをかわし、クロードから距離をとる。この状態ですらこれほどの戦闘力を持つ彼に、真正面から立ち向かうのは無謀だった。
(しかし、今更退く訳にも行きませんしねぇ……)
絢神は苦笑し、再びワイヤーを放った。しかしクロードはまたも軽々とそれを躱し、地面を蹴って絢神に接近すると、突進の慣性をのせた回し蹴りを放ってくる。
「……っ」
絢神は組んだ腕を盾にして蹴りを受け止めるが、衝撃で後ろに大きく飛ばされた。骨が軋みを上げ、腕がピクピクと痙攣する。
何とか転倒せずに姿勢を立て直した絢神は、クロードから距離を取ろうと走り出した。クロードもそれを追おうとするが、何かに足を捕られてつんのめってしまう。
見ると、絢神のワイヤーが足に絡み付いていた。絢神は自分から逃げながらもこんなトラップを張っていたのだ。
「ちっ!」
クロードは何とか拘束を解き、絢神を追撃する。かなりの距離を離されてしまっていたが、クロードは跳ぶ様に地を蹴って瞬く間に絢神に追いついた。
そして瞬時に絢神の真横に回り、手刀を叩き込む。それを絢神は上に跳んで躱した。
「ふん」
掛かったな。とばかりにクロードは手刀の向きを強引に上に向けた。振りぬかれた掌からコインが放たれ、絢神に迫る。宙に浮いている絢神に、それを回避する術は無い。しかし、
「何!?」
「ふふ……」
絢神は何も無い筈の宙を蹴り、さらに上に跳んでコインを躱していた。さらに二度、三度と空を蹴り、どんどん上に登っていく。
「…………っ」
クロードは不思議に思いながらも後を追おうと跳び上がる。しかしその瞬間左肩に痛みが走り、失速したクロードは地面に落下していた。
「っ……何が……?」
肩には刃物で切られたような傷がつき、出血している。クロードは手早く止血をしながら顔を上げると、空中に自分の血でできた線が浮かび上がっていた。
「……この奇術師め、いつの間にこんなものを……」
目を凝らしてみると、公園の空にいくつもの光の線が見える。公園の立ち木の間に、いくつものワイヤーが張られているのだ。
絢神はこれを足場にして跳び、さらにクロードの追撃を防いだのだろう。
「おやおや、もう終わりですかな?」
絢神は一際高いところに張られたワイヤーの上に立ち、クロードを見下ろしている。まるで人が宙に浮かんでいるかのような不思議な光景だった。
「来ないのでしたら、こちらから行かせて頂きますよ」
不安定な足場にも関わらず、絢神は大きく腕を振ってワイヤーを放ってくる。クロードは身を転がしてそれを躱し、放射状にコインを放った。
しかし絢神はワイヤーの間を軽々と飛び回ってそれを避け、再びクロードに狙いを定める。しかし、
「っ!!」
不意にクロードは前に倒れ込むように大きく跳んでいた。そして彼の頭部の僅か数センチ後ろを赤い閃光が通り抜ける。
閃光は立ち木に突き刺さり、直径数十センチはあろうかという幹に大穴を開けた。木はメキメキと幹を軋ませながら倒れていき、固定されていたワイヤーが次々に断線していく。
「お? と、これは……ととっ!」
絢神はバランスを崩しながらも何とかワイヤーを伝って地面に降り、倒壊から離脱する。
「何だ、無事だったか。案外やるもんだな」
不意に聞こえた声に、二人は同時に倒れた木の根元を見た。
「……ほぅ、これは……」
「っ、こんな時に……」
絢神は感嘆の声をあげ、クロードは忌々しげに眉をひそめる。二人の視線の先には、木に残骸に刺さった赤い槍を引き抜く青い鎧の男、ランサーのサーヴァントが居た。
「あれは……っ!」
ランサーの登場に気付いたセイバーは、引き締めていた貌を歪めて怒りの表情をあらわにした。セイバーがランサーと遭遇するのもこれが三度目。以前あの槍に肩を穿たれたセイバーは、ランサーに対して並々ならぬ感情を抱いていた。
セイバーはランサーのほうに向き直り、そちらへ跳ぼうと足に力をこめる。しかしその瞬間、左の肩口に一本のナイフが突き刺さっていた。
「がぁっ!」
鮮血が激しく噴き出し、セイバーが膝をつく。立ち木の上に一瞬アサシンの姿が見え、セイバーは苦々しげに歯を噛み締めた。
「く……っそ……ヤロウ、流石暗殺者といったところか。敵の弱いところが本能的に分かって居やがる」
セイバーの左肩、そこは以前ランサーとの戦いで槍を突き刺された所だった。高い自己治癒能力を持つサーヴァントですら容易には治せない傷。クロードによればあの槍は呪いを帯びた魔槍なのだという。
「足止めのつもりか、それとも……」
セイバーは再び剣を構えて辺りに気を張り巡らすが、既にアサシンの気配は闇に溶け込んでしまっていた。ランサーの登場はアサシンにとっても楽観出来る事ではない筈だが、彼女は未だセイバーと戦うつもりでいるらしい。
「……本気で俺を殺しにかかるつもりか。まぁどちらにしろ…………!」
背後へと振りぬいた剣で突き出されたナイフを受け止め、いつの間にか接近していた黒い影を地面へと押し付ける。
アサシンは即座に離脱しようとするが、中途半端な状態で攻撃を止められた無理な体勢のままセイバーの怪力に押さえこまれ、身動きが取れないでいた。
「負けるつもりなど元より無い。今度こそ貴様らを冥土に送ってやるわ! 我が名は
猛々しく名乗りを挙げ、大上段に振り上げた剣を力任せに振り下ろす。かろうじて離脱したアサシンはしかし、瀑布の如き剣圧をもろに受けて吹き飛ばされた。
体勢を整えることも出来ないまま立ち木に激突し、息を詰まらせる。その隙にセイバーは大地に突き刺さった剣を引き抜き、宙に飛んでいた。
「クロード!!」
二閃、三閃と真紅の槍が走る。恐らく本気には程遠いのであろうそれは、しかし並の人間が対応できる速度を遥かに上回っていた。
そしてそれを辛うじて躱していく二つの影。衣服を破かれ、皮膚を裂かれながらも、二人の男は己の命を守りきっていた。
「はっ……人の身でここまでやれるとは、人間の戦闘技術も上がったもんだな。だが……」
ランサーは己の槍を高く振り上げると、勢いよく地面に叩きつけた。土煙と岩片が巻き上がり、視界が塞がれる。
「……っ!」
「む……」
絢神は瞬時に横へと身を転がし、クロードは後方へ大きく跳ぶ。
しかし宙に浮いて無防備になったクロードに、ランサーは一瞬にして肉薄していた。
「っ!!……
クロードはすばやく詠唱し、コインを投げる。
相対距離僅か二メートル足らずという至近距離で音速を超えて放たれたそれは、明らかな直撃コースを取っていたにも関わらず、ランサーが僅かに首を傾けただけで躱されてしまう。そしてランサーはニヤリと笑いながら、構えていた槍を突き出した。
「がっ……!!」
苦悶の声をあげながら吹き飛び、地面を転がって着地するクロード。よろよろと立ち上がった彼の左腕は、肘から先が完全に切断されていた。
「……っ!……ぐ、う……」
「ちっ、とっさに心臓を守ったか。ま、人間としちゃ、よくやった方だな」
切り落とした左腕を横目に見ながら、ランサーは槍を構えなおす。対するクロードは左腕を押さえたまま、激痛に歪む顔の口元だけを笑わせた。
「ふ…………流石、と言った所……ですね。猛犬の、名は……伊達ではない……と」
「ほぅ、テメェ……」
ランサーもまたニヤリと口元を歪め、クロードを凝視する。その表情からは僅かな警戒と、歓喜とが見て取れた。
「三度目ともなりゃ……いや、ひょっとしたら始めて会った時からか? オレの正体に気付いていただろう」
「無論……これ、でも……生まれは、
「…………」
ランサーはどうしたのか、訝しげに目を細めた。
クロードは苦しそうに息を荒げ、心臓は鼓動の音が聞こえるまでに加速している。それがなぜか、ランサーには妙に異質な光景に見えたのだ。
「ふん、この時代まで名が残ってるのは嬉しい限りだが……悪いがテメェには死んでもらうぜ」
ランサーのサーヴァント『クー・フーリン』は、クロードの心臓へと槍を向ける。絢神はどさくさに紛れて離脱してしまったようだが、このマスターを殺せば厄介なセイバーは無力化できるだろう。ランサーは迷う事無く槍を…………突き出そうとして手を止めた。
クロードがゆっくりと姿勢を正し、ランサーに向けて右腕を伸ばしたのだ。右手の指先には金色のコインが握られ、闇の中に一点の輝きを生み出している。
「終わりにはまだ早いですよランサー。私はまだ一撃すら入れていないというのに」
「ケッ、そんなボロボロの身体で何言ってやがる。オレのことを知ってるんなら、
ランサーはクロードの表情を見つめたまま話す。本来ならこんな言葉を交わすことも無く槍を突き出していただろう。しかし、彼の戦士としての本能はクロードの行動に対して激しく警鐘を鳴らしていた。
(何だ? この違和感……さっきまで息も絶え絶えだったってのに……)
クロードの攻撃は近〜中距離からのコインの投擲だが、人間に対しては必殺の魔弾となるそれもランサーには通じない。ランサーの持つ『流れ矢の加護』は敵の射撃攻撃を悉く無効化してしまうのだ。
さらにランサーの槍『ゲイ・ボルク』によって付けられた傷は、まっとうな方法で治すことは不可能。クロードは既に戦力として見る事も難しい状態だった。
だがそのクロードに対し、ランサーはうかつに踏み込めずに居た。
「―――
「っ……」
不意にクロードが何事か呟き始めた。
それは聖書の一説、キリスト逮捕の計画を練る祭司達を尋ねてきた一人の男。人によっては聞き慣れた昔話。しかしクロードにとっては、聞くも忌々しい駄文。
「
それは呪文の詠唱だった。彼の周りを魔力の渦が取り巻き、旋風が巻き起こる。
「
魔力の渦は次第に激しさを増し、彼の周りで黒い光が煌きはじめる。ランサーは警戒しつつも、その光景に半ば目を奪われていた。
やがて黒い光が竜巻のように彼を包み込んだ時、クロードは右手のコインをトスして上に放り投げる。そして水色の双眸を閉じ、落ちてきたコインをキャッチしつつ右腕を勢い良く振りぬきそして、
「―――
自らの枷を、解き放った。
「やりましたか……」
戦場から少し離れた所にある立ち木、その陰に紛れるようにして絢神が立っていた。クロードを取り巻く魔力の渦は、この位置からでも見えるほど凄まじい。
「予想の軽く数倍という所でしょうか……まったく、あのような規格外を呼び寄せるとは、聖杯もタチが悪い……」
絢神は呆れたように苦笑すると、身を翻して闇の中へと消えていった。この舞台に立つもう一人……いや、もう二人の役者を探して。
「っ!! テメェまさか……」
驚愕するランサーをよそに、魔力の渦は次第に強くなっていった。クロードの気迫が、魔力が、周囲を威圧する存在感が一気に膨れ上がる。
やがて彼を取り巻いていた魔力の渦が弾け、全身を黒い光が駆け巡った。全身の傷は一瞬のうちに塞がり、千切れた左腕からは新たな骨と肉が生え出して再生する。
さらに右手に握られたコインからは青い光が流れ出し、彼の体を覆うように取り巻いた。
「なるほど、この辺り妙に血の匂いがキツイと思ってたが……アサシンのせいだけじゃ無かったみてぇだな…………」
やがて全ての光が消えた時、そこには貴族風の礼服と藍色のマントを纏ったクロードが立っていた。五指の爪は長く伸び、薄く開かれた唇の間からは鋭い犬歯が見て取れる。
「ランサー、クー・フーリン……」
クロードはゆっくりとランサーに歩み寄った。ランサーは一歩身を引くと、鋭い視線でクロードを睨みつける。クロードは僅かに微笑すると、閉じていた両の目をカッと見開いた。
「私を愚弄した罪は、重いと思えよ」
開かれた目は真紅。クロード・N・ストーナーは、ここに本来の姿を取り戻した。
「吸血鬼……死徒か。成程、あのエセ神父がのこのこやって来たのも、テメェの気配におびき出されたって事か。ついでに死徒の復元呪詛なら、
死徒、他の吸血鬼に襲われることで成る後天性の吸血鬼は、人並み外れた魔力と身体能力を持つ。
特に自己治癒能力は凄まじく、サーヴァントのそれをも上回る。世界そのものからの干渉で時間逆行を引き起こすその修復力は、ゲイ・ボルクの呪いすら無力化してクロードの腕を再生させた。
「死徒としての側面を魔術で封印することによる吸血衝動の抑制…………私が世の中を渡っていく為に身につけた術の一つだ。この気配を街中でチラつかせれば、あの神父も出て来ざるを得なかった。まぁ、余計な物まで来てしまった様ですが……」
クロードはマントを翼のようにはためかせ、ゆっくりとランサーに近づいた。
「いかに死徒とはいえ、そう節操なく吸っていては衝動が強くなり、じきに理性が食い尽くされる。私の願いはこの渇きを無くす事。己の滅びを気にせずに好きなだけ血を吸う事が出来れば、それはどんなに素晴らしい事か……」
クロードは表情を隠すように額に手を当てるとマントを翻し、さらにランサーに歩み寄る。その目に先程までの冷静さは無く、手の下から見える口元はどうしようもなく歪んでいた。
「私は聖杯を手に入れる。その為にはこんな所で立ち止まる訳にはいかない。この戦い、勝たせてもらうぞ!」
「ほざけ! たかだか二、三百年程度の薮蚊如きが!!」
クロードとランサーは同時に相手に向かって跳ぶ。そして交差の瞬間に何閃もの剣戟を散らし、互いに地面を削りつつ着地した。
ふとランサーがクロードの爪に視線を移すと、長く伸びた爪のさらに先の方が長さ三十センチほどにわたって向こう側の景色が屈折して見えている。それは、まるでガラスの爪をつけているようにも見えた。
そしてその景色の向こう、さっきまで自分が立っていた所にほど近い地面が、丸く抉られている。そこは丁度、さっき躱したコインが落ちた辺りだった。
「……なるほど、流石人外と言った所か……その魔術、この時代のもんじゃねぇな」
「いかにも、私が師から教えを受けたのは未だ人々が夜を恐れていた時代だ。現代の魔術とは比べるべくも無い」
クロードは目の前に手をかざし、ガラスの爪越しにランサーを見やる。その視線には、隠そうともしない歓喜と高揚が現れていた。
「この爪、空間断裂の刃ならば貴方にも充分なダメージになり得る。勝負はまだまだこれから……と言っても」
クロードは不意に身を翻し、ランサーに背を向ける。両手の爪も消滅し、無防備な姿を晒していた。
「無理に貴方ほどの強豪と戦う必要も無い。貴方の相手はセイバーに任せよう。丁度向こうもその気のようだ……」
クロードの視線の先には、剣を構えて気を張るセイバーの姿があった。アサシンの姿は見えず、殺気だけが感じ取れる。
「では、この辺りで交替させて……」
「やるとでも思ったか!」
ランサーが槍を構え、クロードの背中に向かって跳ぶ。それに対して背中越しに振り向いたクロードはニヤリと笑い……
「―――
「っ!」
瞬間、ランサーは槍を後方へと振りぬいていた。槍の穂先は背後より飛来した何かを弾き飛ばし、ランサーは勢いのままに回転してクロードのほうに向き直る。
一瞬確認した背後には、しかし狙撃手らしき人物は見当たらない。
「テメェ、何を……」
「ふ……貴方の『流れ矢の加護』は、『視界に捕らえた相手からの射撃攻撃を無力化する』ものでしょう? では―――
ランサーはとっさに上に跳び上がった。その足先を、三方向からの弾丸が掠めていく。
「!!」
「明らかに目標とは違う複数の方向から、同時かつ多重的に攻撃を受ければ―――
宙に浮いたランサーを、四方八方からの弾丸が襲う。ランサーは身をひねり、槍を振るい、何とか攻撃を捌いていくものの、その全てに対応出来る訳ではない。
「くそ…………っ!!」
僅かに右肘を掠めた一発。それが決め手となった。右肘はまるでその場に縫い付けられたかのように動かなくなり、ランサーの体が宙吊りになる。
驚愕と共に視線を向けた右肘には、小さな魔法陣が刻まれたコインが張り付いていた。
「空間、固定!? クッ!!」
ランサーが力を込めるとコインが破砕し、腕が解放される。しかしその一瞬の隙が、致命的なタイムロスとなった。
「
クロードの詠唱が完了すると共に、ランサーに無数の光弾が襲いかかった。
地面の中から、立ち木の梢から、ベンチの下から、公園のあちこちから一斉に飛び出したコインがランサーに向けて殺到し、刻まれた魔方陣を輝かせる。
「あの神父との戦いの為に用意しておいたトラップだ。私が何の勝機も無しに、サーヴァントと戦うとでも思ったか?」
「きっ、貴様ぁぁぁぁっ!!」
「………………ふっ」
コインから複雑な術式が展開し、周囲の景色を球形に歪ませる。
一つ一つは小さなそれはしかし、互いに相乗効果を及ぼして大規模な空間圧縮現象を引き起こした。
「――――――ッ!!」
声にならない絶叫を上げるランサーを尻目に、クロードは走り出していた。
「セイバー!!」
互いの名を呼び合い、交錯した純白と漆黒二つの影。二人は互いの背中を守るように立ち、それぞれ視線の先に己の敵を見据えていた。
クロードの瞳にはマスクを抑えて咳き込むアサシンが、セイバーの眼にはよろめきつつ着地したランサーが写る。
俊敏型と剛力型、二人は一瞬にして、それぞれが担当する敵手と相対するよう立ち位置を入れ替えたのだ。
「さあて……」
「第二幕と行きましょうか」
月は沈み、星は隠れ、街灯すらも消え果てた闇の中、少々不均衡な三つ巴は、再び刃を閃かせる。
四人の人外達が二組の剣戟を散らし、火花を飛ばす。その光景は闇夜に煌く星の様でもあった。
「ランサーさん、大丈夫かな?」
(まぁ、だいじょぶなんじゃない? セイバーは前にも戦ったこと有るし、あの時も優勢だったっしょ?)
その光景を離れた所から眺めている小さな影があった。年のころは十代半ば、どちらかと言うと線の細いイメージのある少女だった。
ランサーに促されてこの公園まで来たものの、マスターとしての戦闘力を持たない彼女はこうして遠くから見守るしか出来なかった。
「でも、あの外人さんだってとんでもない人みたいだよ?」
(あの格好……いかにも吸血鬼って感じじゃん。ホントに居るんだねぇ、ああいうの)
ところで、先程から彼女は周囲には自分一人しか居ないと言うのに、まるで会話をしているかのような口ぶりで喋っている。重ねて言うが、彼女にはさして特殊な能力が有る訳ではない。霊魂を知覚出来る訳でもなく、遠く離れた人と会話する術もない。
「まぁ……伝説の英雄や勇者さんが居るくらい……(待って!)どうしたの?」
彼女の表情が怪訝そうな、深刻そうな、複雑なものに変わる。次の瞬間、彼女は木の陰から離れ、近くの茂みの中へと飛び込んでいた。
(声を立てないで。さっきの木の向こう、視界の隅の方、見える?)
「え? えと…………あ!(声出すなっての!)っ!!……」
彼女ははっとして自分の口を塞ぐ。彼女がさっきまで隠れていた木の向こう、剣戟の響く戦場から離れるようにして、神父服の男が歩いていた。
「神父……さん?」
出来る限り抑えた声で、彼女は心配そうに言った。
(あのアサシンのマスターだよ。多分私たちを探してるんだ)
「う、ど、どうしよう、見つかったら……」
(落ち着けって。とりあえず、見つからないように移動しよう。このまま茂みに隠れて公園の外の方に。行ける?)
「う、うん、やってみる」
彼女は茂みの中を這うようにして移動し始めた。何も出来ない自分が悔しいとも思ったが、今の彼女が他のマスターと遭遇するのは危険過ぎる。
(くそ……なんとか私に代われたらな……)
「さて、と。何処に行ったのでしょうね……」
一方、絢神は咲耶を探して公園の遊歩道を歩いていた。戦いに慣れていない人間の思考とは単純な物で、とにかく道を外れて行こうとする。
それが逃走の妨げになっているとも知らず、ひたすら遠回りをしているのだ。
それなら追う方は逆に、最短で辺りを見て回れるルート、つまり作られた道を通れば良い。向こうからこちらは丸見えだろうが、戦闘力の無い彼女が自ら攻撃に転じることも無いだろう。
(彼女はこれといって戦う術を持っていない筈、見つけてしまえばこちらの物ですが……)
絢神にはもう一つ気掛かりが有った。魔術師ではない彼女がマスターになれた理由、僅かながら彼女が魔力を持つに至った要因、二分の一を二つ持っているが故の歪みを。
(しかしそれとて直接の不安要素になり得る物では無い筈。私の優位を揺るがす程の物では無いとは思いますが……)
絢神は立ち止まり、後ろを振り返る。そして僅かに袖口を揺らしたかと思うと、遊歩道を走り始めた。