2011-05-07
■[政治]浜岡原発の停止要請に見る、民主党の本質
NHK「かぶん」ブログ:NHK | 取材エピソード | 【浜岡原発停止要請・菅総理の記者会見全文紹介】
asahi.com(朝日新聞社):浜岡原発の全原子炉停止へ 首相の要請受け入れ - 政治
浜岡原発:全面停止へ 東海地震備え、安全対策完成まで-毎日jp
ということで、菅総理は、中部電力に対し、浜岡原発の廃止を要請したようです。
後に述べることが本題なのですが、まずこのことへの私の考えを書いておくと、これは、原発推進派にとっても、原発廃止派にとっても意味のある一歩であり、どちらのスタンスを取るにせよ評価されるべき施策だと思われます。廃止派にとっては言わずもがな、全面廃止への意義ある一歩です。推進派にとっても、今、このタイミングで地震とのかかわりで一番危ないとの批判が嵩じている浜岡原発について慎重な対応をとっておくことは、中長期的な推進政策への信頼確保のためにも必要な一手だと思われます。
その意味で、これは菅総理の政治的な妙手であると考えています。どちらからも攻められないけど、有効な一着です。
民主党の本質=「民意こそが民主主義」の党
さて、それはそれとして。私は、この「要請」について象徴的に、民主党の本質を見た思いがしました。
浜岡原発の停止と、その結果視野に入ってきた同原発の廃止は、最大公約数的な民意において*1支持される判断だと思われます。
しかしながら、手法としては支障があります。この要請に当たって政府内の実務者での調整はなされていなかったような報道もありますし(政府内で十分な検討の形跡なし…浜岡原発停止-Yomiuri.Online*2)、そもそも論として、上場企業である中部電力としては、法的拘束力もなければ政府からの費用補填も定かでない段階でこのような要請に応じることは、株主との関係で非常に難しいものです。(中部電力社長「返答は保留させていただきたい」 : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞
)(中部電 異例の要請に苦悩-MSN産経ニュース
)
業績への影響も見過ごせない。全3基を停止すると、燃料費など年間2500億円のコスト増要因となり、今年度に見込む経常利益1050億円が一転、赤字に転落する可能性もある。社内には「株主に説明がつかない。国の要請で業績が悪化するのなら、国はその分を何とかしてくれるのか」との声も出ている。
実は、民主党政権が、このように個別の企業にとって法的に微妙な判断を強いるのは、この浜岡原発の件に限りません。夏期の電力使用量の15%削減にしても、業界内である程度調整して操業抑制など検討したようですが、厳密にはこれは独占禁止法上の問題が生じえます。
でも。民主党政権は、既存の法律上問題があるということであれば、所管の官庁から「問題ない」の一筆を出させてでも、電力の節減であろうと一部原発の停止であろうとやってしまうと思うのです。実際、電力節減に関しては、公正取引委員会から「問題ない」との一筆が出ています(輪番操業で節電、独禁法上の問題なし…公取委 : 経済ニュース : マネー・経済 : YOMIURI ONLINE(読売新聞))。
もちろん、情報公開なんてなんのこと?であります。SPEEDIの情報公開をめぐる一連の経緯などは典型的です。必要と判断すれば、情報を隠すことにもためらいはありません(汚染拡大予測、政府生かせず 2号機破損時、対応後手-asahi.com)。
福島第一原発事故で、放射能汚染が原発から北西方向を中心に広がると、原発2号機が破損した当日の3月15日時点で政府は予測していた。この方向にある福島県飯舘村など5市町村の住民に避難を求めると、政府が発表したのは4月11日で、結果として対応は後手に回った。
文部科学省と原子力安全・保安院が5月3日夜から公開を始めた「緊急時迅速放射能影響予測システム(SPEEDI)」の試算結果からわかった。
(中略)
SPEEDIによる試算約5千件はこれまで未公表だった。その理由について、細野豪志首相補佐官は2日の会見で「国民がパニックになることを懸念した」と説明した。
政治主導、ということですから、責任を負う政治家がそう判断すれば、それが民主的決定というわけです。
民主党は、目的が民意に沿うという決意をした場合には、民主的プロセスの中で法解釈を変え、あるいは情報を隠すことにためらいはない、そういう政党です。
「民意に沿う」ことを、全力で、手段を問わずやる政党、それが「民主」党です。
このへんにもそういう感覚が現れていますね。青山繁晴、圧力をかける副大臣と細野豪志に怒り!スーパーニュースアンカー5月4日(削除動画)(文字おこし)(3):ざまあみやがれい!
青山氏はわかっていません。そういう圧力を民意の名の下にかけるのが、民主党政権の本質です。
自民党とは=「自由こそが民主主義」の党
小泉進次郎議員がいみじくも言っています。「自由があるのが自民党。自由がないのが民主党。」( 小泉進次郎「自由があるのが自民党。自由がないのが民主党。」 | ニュース2ちゃんねる)
結論から。自民党は、民主に先立って自由を重んじる党です*3。自民党は、個々人の自由に介入する権力の行使には、極めて謙仰的でした。そしてその自由こそが民主であると考える党です。
別にこれは、自民党の源流となった人たちがそのような思想を持っていたということを必ずしも意味しません。むしろ、
- 自由を信奉してやまないご主人様&スポンサーであるUSA(合衆国)への配慮
- 自由主義を否定して戦争に向かった戦前への反省
- 常に衆参で過半数を維持し、やる気になれば憲法改正以外なんでもできる強力な権力を保持していたことへの抑制的世論
- 田中角栄という、割と権力を恣意的に使う人が党の実権を長期間掌握したことへの抑制的党内世論
とかとかといった諸事情の結果として50年になんなんとする期間、育成されてきたものだと考えられます。そして、自民党は、関係する利害団体や、それらを背景とする中央官庁や、それと結託する自前の国会議員や、が事前に明示的に反対しない場合に初めて意思決定ができる仕組みがビルトインされた政党になっています。
自民党は、権力を振りかざして何かをすることは稀です。むしろ、飴と鞭なら、飴を多用して「本人の自発的意思」を導き出してから何かをやるというスタイルでやってきました。原発推進だってそうですし、各種の民営化だってそうです。みんな、当事者の自由意志でその道を選んだんだ、とそういうわけです。あらゆる改革は、結局鞭よりも飴が大きい、そういう知恵を出すことが自民党において優秀とされる政治家の条件でした。
そして、自民党が鞭を振るう時、その相手は、多くの場合、「自由」そのものを抑圧する共産党や、自らの主張に反する「自由」を抑圧するために暴力的手段を用いる一部極左集団や宗教団体でした。
比較してみる
このように書くと、自民党が自由を尊重し、民主党が独裁的で怪しからんように見えますが、でも実は、民主党的な手法は、一般の企業経営では当たり前のように見られる話です。会社の中枢の一部幹部と一部部門(企画部とか財務部とか)がコアな情報を独占し、合議体であるはずの取締役会や株主総会は事前に会社の権力者が決めたとおりの結論を追認するのみ。それでも会社が儲かって、社員のボーナスや役員の報酬や株主の配当が増えれば、何の文句があるんだ。日本的土壌における会社経営ってのはそのようなガバナンスで成立していました。だからこそ、京セラの稲森氏や、スズキの鈴木氏や、ソフトバンクの孫氏は、民主党の意思決定を非常に評価するわけです(浜岡原発:停止要請「正しかったのではないか」スズキ会長 )。なんせ、自分たちがやってきた成功体験が、まさにそのようなシンプルな目的ありきの判断なのですから*4。
いちいち関係者全員のコンセンサスを取っていては、抜本的な改革はできない。民主主義における最終目的は国民の幸せであり最終手段は国民の要請なのだから、為政者(経営者)がこれが正しいとおもうことを手段を問わずやって何が悪い。俺たちはそれで企業経営に成功してきた。とそういうわけです。
その意味において、民主党のやり方は必ずしも否定されるべきものではないわけです。むしろ、自民党的な、あらゆるところでコンセンサスをとりに行く方法が限界にぶち当たって、みんなの自由のわがまま放題を許したが故にみんなの幸せを見失って実現できなくなったからこそ民主党が政権に就いたとも言えます。配る飴も乏しくなってたしね。
自民党崩れの民主党議員の一部(特に1年生議員)は、自分たちに政治主導の決定権が回ってこないと文句を言っているようですが、当たり前です。いちいち国民の要請についての見識も定かでない1年生議員の意見など聞いている仕組みには、民主党はなっていないのです。
まとめてみる−その1
両者の違いはあくまで手段の違いです。目的は、マジョリティである国民の希望に沿うこと、そこに違いはないと思われます。
しかし、その手段の違いこそが、民主主義をどう捉えるか、という根源的な問題になります。自由こそが民主主義の基本なのか、民意こそが民主主義の基本なのか。だから、民主党の中に前原氏のようなあからさまな右翼がいても、仙谷氏のようなあからさまな左翼がいても、中井某のようにあからさまなアレな人がいてもよいし、自民党の中に河野太郎氏や谷垣氏やみんなの党ばりのネオリベがいてもおかしくないのです。政治哲学において両者は根本的に異なるので、「前原氏は自民党にいれば」とか「河野太郎氏は民主党にいれば」というのは、恐らく意味がない。経済政策とか外交政策とかにおいて親近性があっても、権力というものをいかに捉えるか、あるいは民主主義というものをいかに捉えるかに根本的な違いがあれば、それは絶対に交わらない水と油です。なぜならば、政治は権力の技術だからであって、経済や外交はその二義的な産物だからです。
まとめてみる−その2
企業経営と国家経営の違いです。企業経営ならば、儲けるという目的にあっていれば、違法でない限り全てが免罪されます。また、事業運営上生じた弊害を外部に押し付けることが可能です。トヨタ式カンバン生産が、道路の渋滞と無駄なCO2を垂れ流していることは周知の事実でしょうが、そんなことトヨタは知ったことではありません。生産性の低い社員を首にしても、外部労働市場の問題です。しかし、国家経営では、発生した弊害を外部に押し付けることは不可能です。国民の首を切るわけにはいきません。全部引き受けなければなりません。そういうときに、合目的的であれば全てが免罪されるという企業経営との比較で全てを語ることには大きな問題があります。合目的をどこまで許容するか、それそのものすらも民主的決定に委ねられています。そして、その民主的決定を遂行するのは「政治主導」であり、すなわち、政権の枢要な立場にある、あの個人やこの個人です*5。
(参照文献)
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*1:上記のとおり、どちらに転んでも「正解」という評価に基づく判断です。
*2:読売新聞が原発に関して十分に中立的ではないという主張は承知しています。下記図書を参照。
*3:典型的左派の人はこのような解釈には猛烈に拒否反応を示すと思いますが
*4:例に挙げたスズキも京セラもソフトバンクも、比較的新興でワンマン色の強い企業であることに留意。流通にも似たような企業が多いです。イオンとかww 伝統的なエスタブリッシュメント企業においては、やはり権力抑制的なメカニズムが機能しており(あるいは自民党的体制に組み込まれており)、会社の中枢の一部関係者だけで物事が決められない仕組みになっています。その究極が東電とかですが。
*5:たとえ、その個人が、ニュースキャスターとの不倫で写真週刊誌に撮られた履歴のある個人だとしても、民意を代表していると仮定されます。この仕組みの中では。←それはどっちの個人なんだ、という突っ込みはあっさり却下
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