不登校の子どもの居場所づくりに長く関わっていると、「がんばれ」という言葉をよく耳にする。
先生や親、周りの大人たちが、自分ではどうすることもできないもどかしさをこめて「がんばれ」と、子どもたちにエールを送るのだ。でも、当の本人たちは戸惑っている。もうとっくに「がんばっている」のだ。何とかしようと必死に生きている子どもたちは、これ以上、何をがんばれというのだと心で叫んでいる。その叫びを、これまでどれほどたくさん聞いてきたか。
かつて経験したことのない大震災に見舞われ、いま毎日いたるところで「がんばれ」の大合唱が聞こえてくる。被災していない自分たちが、そう叫んでもいないとくじけてしまいそうだからというのもあるかもしれない。でもそろそろボリュームを下げたり、心の中で祈ることに切り替えたりしはじめてもいいのではないだろうか。
心に病を抱える人たちをはじめ、この「がんばれ」コールに、きつさを感じている人は少なくはないと思う。
地域の中にフリースペースを開いて満20年。その取り組みはひと言でいえば、人のつながりづくりであった。障害のある人もない人も、異年齢が交ざりあって過ごす混とんとした空間。そこで変わらずに続けてきたのは毎日の昼食づくり。食卓を囲んで温かいご飯を一緒に食べる。「おいしいね」でつながる仲間がいる。ひとりじゃない。ただそれだけで、たくさんの子どもたちが元気になっていった。
なかには人の分まで食べちゃう人がいたり、奇声を発して跳びはねたり、「幻聴」の世界で話をする人もいる。困ることや煩わしいことが起きるのは日常茶飯事。でもこの「めんどくさい」を手放さなければ、なんと豊かなつながりが見えてくることか。このつながりこそが、いざという時にきっと力を発揮するだろう。
震災を経て、「なんということのない日常」はかけがえのないものであり、その暮らしによって人は支えられているということを知った。
あの被害を受けたのは自分だったのかもしれないと考えると、つくづく今生きているだけで奇跡だと思う。
子どもたちは過去でも未来でもなく、今を生きている。将来のためといいながら不安を植え付けるよりも、「きっと、だいじょうぶ」という安心の種をまこう。がんばれの連呼ではなく、泥んこになって群れて遊ぶ子どもの笑顔が、何よりも「復興」への大きなエネルギー源だと実感している。(NPO法人フリースペースたまりば理事長)=このコラムは今回で終わります
毎日新聞 2011年5月8日 東京朝刊
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