名古屋の東照宮祭、若宮祭に出された二層式山車の形式を「名古屋型」といいます。上の段には四本柱の屋形と前面に一段下がった前棚があり、それぞれにからくり人形が乗っています。下の段は幕で覆われ、中に囃子方や人形を操る人たちが乗り込みます。また、屋形がなく大きなからくり人形を乗せるものもあり、これは名古屋型の古い形式を受け継いだものと考えられています。
愛知県、岐阜県には名古屋型やこれとよく似た山車が多く、三重県にも四日市市や津市に、この形式のものが第二次世界大戦前までは、数多くありました。現在では、四日市で四輌だけ見られます。 四日市の諏訪神社の祭礼は、東海の三大祭と称されたこともあった非常に豪華できらびやかな祭でした。二十六の氏子町からそれぞれの出し物が登場し、中でもからくり人形山車が評判だったといいます。現在伝わる四日市のからくり人形山車は、諏訪神社祭礼の山車のうち、空襲の難を逃れたものや、戦後に復興したものです。 新丁に伝わる「菅公」、四日市商店連合会が復興した「甕破り」と呼ばれるからくり山車は、名古屋型の形式を伝えています。「菅公」は、筆を持った子どもが、額に文字をしたため、それを学問の神様とされる菅原道真公に見せると、道真が誉めます。すると、子どもたちは喜び踊りまわるという所作を表したもの。 また、「大入道」と「岩戸山」は名古屋型の露天人形山車の系統で、首が伸びて折れ曲がり舌を出す四日市名物「大入道」は、人気の的。中には、怖がって泣き出す子どももいます。 |
筆を持った子どもが、額に文字をしたためるからくり 大入道 |
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