三重を賑わす山車

太鼓と鉦が勇ましい 石取り祭車
山型に吊るされた提灯と、太鼓と鉦の強烈なリズム。北勢地方の夏は、そこかしこで「石取祭」が行われます。祭に引き回される祭車は、この地方独特のもので、桑名を中心にいなべから鈴鹿まで、その数は百五十輌にも及び、愛知県西部にも伝わっています。

 日本一やかましい祭、桑名の「石取祭」は、桑名市の春日神社(桑名宗社)で8月の第一日曜日に本楽、前日に試楽が盛大に執り行われます。石取祭に代表される「石取り祭車」は、この地方で独自の発達をしてきた山車です。
 代表的な形式は、車輪が三輪の御所車。そして高欄の付いた台があり、中心に横木が三段ある柱が立てられています。横木には上から二・四・六とあわせて十二個の提灯が吊り下げられ、てっぺんには角行灯、その上に三本の御幣が立てられます。
 山車のうしろに大太鼓を据え、その両側に吊るされた大きな鉦とともに、にぎやかに打ち鳴らして練り歩きます。春日神社の石取祭に登場する山車の数は約四十輌。それが一斉に打ち鳴らされるのですから「日本一やかましい」と言われるのも当然のことでしょう。
 初期の祭車は簡単な構造のものだったようですが、文化年間(1804〜18)頃から本格的な四輪の山車となり、文政から天保(1818〜44)頃に三輪構造に変わったといわれています。現在、四輪構造のものは桑名の西隣のいなべ市や東員町に多く見られ、提灯ではなく屋形が取り付けられており、桜の造花を飾り付けるのが特徴です。
 石取祭は、その名が示すとおり、神社へ奉納する石を運んだことに由来しています。その石を乗せたのが石取り祭車の起源で、後に豪華なものへと発展していきました。桑名の各町が競い合って作り上げた、それぞれの祭車に施された彫刻、金具、漆、天幕などは、どれも美術工芸として一見の価値があるものばかりです。
 桑名で発達してきた石取り祭車は、その周辺地域に伝わり、四日市市北部や鈴鹿市など、古いものから新しいものまで、その数は約百五十輌にも及んでいます。
桑名市の石取祭
桑名市の石取祭

桜の造花が飾り付けられた四輪の山車
桜の造花が飾り付けられた四輪の山車

三輪の御所車
三輪の御所車

祭車に施された彫刻
祭車に施された彫刻

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人形の動きにびっくり からくり人形山車
見上げる山車の上に乗ったからくり人形の動きに、息を呑んだり拍手を送ったり。江戸時代から受け継がれる機械技術の粋を集めたからくり人形は、祭の花形。どんな仕掛けになっているのか興味は尽きません。

 名古屋の東照宮祭、若宮祭に出された二層式山車の形式を「名古屋型」といいます。上の段には四本柱の屋形と前面に一段下がった前棚があり、それぞれにからくり人形が乗っています。下の段は幕で覆われ、中に囃子方や人形を操る人たちが乗り込みます。また、屋形がなく大きなからくり人形を乗せるものもあり、これは名古屋型の古い形式を受け継いだものと考えられています。
 愛知県、岐阜県には名古屋型やこれとよく似た山車が多く、三重県にも四日市市や津市に、この形式のものが第二次世界大戦前までは、数多くありました。現在では、四日市で四輌だけ見られます。
 四日市の諏訪神社の祭礼は、東海の三大祭と称されたこともあった非常に豪華できらびやかな祭でした。二十六の氏子町からそれぞれの出し物が登場し、中でもからくり人形山車が評判だったといいます。現在伝わる四日市のからくり人形山車は、諏訪神社祭礼の山車のうち、空襲の難を逃れたものや、戦後に復興したものです。
 新丁に伝わる「菅公」、四日市商店連合会が復興した「甕破り」と呼ばれるからくり山車は、名古屋型の形式を伝えています。「菅公」は、筆を持った子どもが、額に文字をしたため、それを学問の神様とされる菅原道真公に見せると、道真が誉めます。すると、子どもたちは喜び踊りまわるという所作を表したもの。
 また、「大入道」と「岩戸山」は名古屋型の露天人形山車の系統で、首が伸びて折れ曲がり舌を出す四日市名物「大入道」は、人気の的。中には、怖がって泣き出す子どももいます。
2002ITUトライアスロン・ワールドカップ蒲郡大会にて、一列の集団で50km/h近いスピードで自転車をこぐトップ選手たち

筆を持った子どもが、額に文字をしたためるからくり
筆を持った子どもが、額に文字をしたためるからくり

大入道
大入道
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