まず、結論からいえば、私は、このタイミングで大学が授業を再開することには絶対に反対である。理由は簡単で、現状が「危険」だと思っているからだ。だから、震災後2回行われた教授会では、強く反対を主張し続けたし、キャンパスを暫定的に別の場所に移す提案もした。しかし、これは徒労に終わった。教授会では、「3月29日(つまり、震災後初の教授会が実施される前である)に、授業の再開は決まっている」という「報告」だけがあった。大学の執行部はそれに関する意見について聞く耳をもたないらしい。つまり、学内の意向を正式に聞く機会を一度も待たずに、大学は授業再開を決めてしまったということである。原子力安全委員会の、児童の線量限度「年間20ミリ・シーベルト」も正式な委員会も開かず、議事録もなしで決めたそうだから、大差ないかもしれない。どちらも、危機に乗じて「何でもあり」である。
「大学が授業再開を決めたのだから、それに従うのが当然」というのが「大人の対応」なの…だろう。実際、教授会でそう発言する人も複数いた。また、「家を建ててしまったから、会津とか山形とかで授業と言われても、私は行けない」という、驚くべき発言をした人もいた。判断の際に、何を優先順位においているのだろうか、と思う。
大学の対応は、HP(末尾で紹介)を見ていただけばわかるように、3月25日には、根拠も示さず「開校までにはさらに1/30 程度に減衰し,全く問題なく,安全に皆さまを迎えることができるものと考えております」とアピールし、同29日には前記の決定をしたのである。この見込みは、結果からすれば外れているのであるが、そのことには言及せずに、誤った見込みによって立てられたスケジュールを既成事実として強行しようとしている。それが正当であるという根拠は「4月19日に文部科学省が屋外活動の制限基準と定めた3.8μSv/時より低い値」であることのみである。この数値が、科学的に妥当であるかどうかの判断はしていない。「学問の府」だの「科学の砦」だのを連呼する者の立場とは思えないが、他山の石にしたい。国会での文部科学大臣の答弁を聞いていると、これが大学の中だけの問題ではなさそうだということもわかる。人の命と自分たちのメンツと、どちらが大切なのだろうか。そういえば、文部科学省への質問(年間20ミリ・シーベルトに関して)も、2週間以上になるが、返事がない。
私は、原発に就職したわけではない。放射線の中、働かされる筋合いもない。根拠もなく「安全だ」という人たちだから、そもそも、大学として放射線量を減らす努力も何一つしていないのではないか。しかも、学生サービス重視の大学が教職員の命や健康を守ってくれるとも思えない。とはいえ、私は40歳を過ぎたオッサンである。放射線への感受性も落ち続けていくだろう。
しかし、学生は違う。「あなたは、あの時期に福島大学の学生だったんですよね…」ということが、彼らの人生にとってマイナス要因になるようなことがあってはならないと、私は思っている。恐ろしいことだが、就職に際して、結婚・出産に際して、このことは問われ続けるように思う。「風評」ですむかもしれないし、現実に何かしらの異変が起こるかもしれない。肉体的にであれ社会的にであれ、影響の出る人もあれば、出ない人もある。運の善し悪しもあろう。ただ、どちらにしても、これは「避けることが可能な問題」であり、多くの人にとって「避けた方がよい問題」であろう。だから学生には、この時期に、自分自身の判断で自分を守るように努力してほしいと思うし、教員としては、それをサポートできるような(危険回避の自主的な行動が本人の不利益にならない)体制作りをしていかなければならないと考えている。
命をかけるほど、人生をかけるほど大切なことは、そうそうあるものでもない。現在、福島に戻ってくることがそれに値するかどうか考えてほしい。私は、いま逆に正念場を迎えている。職を失うのは、正直言って怖い。仲間失うのも怖い。しかし、ここで授業再開に手を貸すことは、歴史的な評価に耐えられないと考えている。だから、授業再開を撤回させられなければ、やはり自分としては××××××××(8字伏字)するしかない。
無責任だという批判は甘んじて受ける。しかし、学生を危険にさらすことが、本当に責任ある行動かどうかは再考されてよいように思う。現状で、人さまの子の命や健康をあずかるなど、私にはとてもできない。
…と、ここで終えたいところであったが、学生のためにはもう少し書き加えておく必要がある。
4月11日から行政政策学類では、学生に授業再開の是非を問う調査を実施している。約半数が「早期の授業再開を望む」という回答であったと聞く。この結果には、正直言ってひどく落胆した。私たちは学生に何を教えてきたのか、と涙が出た。反省することしきりである。私たちが学生のころとは違って、少し調べる気になれば、情報はいくらでも手に入る。もちろん玉石混淆、ガセネタも多い。しかし、注意深く見ていけば、そして思考停止さえしなければ、どの情報が自分にとって有用かは見えてくるはずだ。
通常、情報発信には「目的」がある。目的がある以上、そうした情報はそれ自体「政治的」なものである。そして、その文脈を読み込んでいけば、発信情報の意図は見えてくる。「誰(どんな人)が発信している情報か」「それが誰(どんな人)にとって意味のある情報か」「何を目的とした情報か」などなど、判断のモノサシは多いが、一つひとつそれらを読み解いていけば、自分にとって有用な情報は絞られてくるはずである。情報が多いことは、泣いて喜ばなくてはいけない…。
とくに、今回の原発事故に直接利害関係をもたない海外メディアの意見は、個人のそれも含め非常に参考になる。自分を守るためなら英語でもドイツ語でも真剣に見聞きするだろう。これに勝る勉強はない。
これも、お節介ながら書いておくと、放射線をめぐる学説は、数多くある。とりわけ、低レベルで長期的な被曝については、事例が多くないためもあって、研究途上であり、統一見解がないように見受けられる。さらには、それ以上に、政治的なバイアスが影響しているように思う。真っ白な立場で研究することの困難さを思う。
放射線の身体への影響をめぐる立場ごとに、下のHPでは、便宜的に「楽観」「標準」「慎重」と整理している。これらを比較しながら、各自の頭で判断してみてほしい。
http://fukugenken.e-contents.biz/index
被曝と健康に関するリンク集 @ 〜楽観〜
被曝と健康に関するリンク集 A 〜標準〜
被曝と健康に関するリンク集 B 〜慎重〜
を参照のこと。なお、ICRP(政府が児童の線量限度・年間20ミリ・シーベルトの根拠として利用している)は、「各国の原発推進派専門家の寄せ集め」という意見もあるので、「標準」に入れていいのかは悩ましいが。
http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-7.html
私は、リスクは大きく評価した方が、小さく評価するよりも被害が小さいと思っているので、周りからは「心配しすぎ」だと言われようと、それを変えるつもりはない。いざというときには、誰も守ってくれないし。責任もとらないだろうから。
【紹介】 私が現状について、危機的であると考える根拠となった情報いくつか
http://www.youtube.com/watch?v=_1DjDc6FnhM&feature
いうまでもなく、3号機はプルサーマル稼働基である。
→ガンダーセン氏のHP: http://www.fairewinds.com/updates
http://www.youtube.com/watch?v=x-3Kf4JakWI&feature
→日本語解説:http://onihutari.blog60.fc2.com/blog-entry-45.html
http://www.nytimes.com/2011/05/01/opinion/01caldicott.html
これは、おまけ
http://www.dwd.de/wundk/spezial/Sonderbericht_loop.gif
→日本語解説: http://www.witheyesclosed.net/post/4169481471/dwd0329#
平時の原発で
http://www.chugoku-np.co.jp/abom/00abom/ningen/
第3部 「ある原発作業員の死」参照
→年20ミリ・シーベルトは安全か?
チェルノブイリについてもルポをいくつか
(旧ソ連政府は死者33人!!と発表している)
http://www.youtube.com/watch?v=WCfzjHaVu5s&feature=BFa&list=PL2DB92BBB96B36EA4&index=1
http://www.youtube.com/watch?v=bhvDSqNJ31M 2につづく
cf.福島大学(学長)の公式見解
http://www.fukushima-u.ac.jp/kinkyu/gakutyou-message_past.html
あまりの落差に卒倒しそうになる。
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