アホのための研究法 前書き
アホな私が一応数学者になれた。そのノウハウを公開する。サラリーマンを七年半やって脱サラして数学者になろうとするようなことは決して人に勧めるものではない。しかし困難な状況でつかんだノウハウは若い数学者を志す人には、大いに役立つであろう。私の経験で言うと、研究ノートをしっかりつけられるようになれば、大体研究は出来るようになるのであるが、研究ノートをつけること、どうつけたらよいか、など客観的で現実的な方法は、学生時代指導は受けなかった。そのかわりめったやたらと受け売りの精神論をたまわった。私の言う方法は初級から上級まで、自分で効果を検証済みのものばかりである。折りに触れて気づいたことをカードに書き込んでカードボックスにほりこんでいたら800枚以上になった。それをもとにまとめたものを少しずつ書き込んでいったものがこれである。
ここで私自身少し気になっていることがある。私は論文を書く時、色んな定理を多用するのであるが、その定理の証明はフォローして正しいかどうかチェックしていないことが多い。結果を見て、成る程そうに違いない、そのはずだ、というものはどしどし使っている。ところが友人にそれは正しいかどうか分からない研究をしていることになりますね、と言われてしまった。言われてみれば確かにそうである。しかし、人の定理の証明など正しいかどうかでフォローするなんて私には全く面白くないし、晩学のため時間も無い。私には色々な定理を使って新事実を提示し、その新しい部分をきっちり証明するのが面白いのである。小平さんは、アティヤ・シンガーの理論にのかった仕事をしているが、どうも証明はフォローしていないようだ。それに対し、広中さんの解析空間の特異点の解消理論の一般な場合は証明をフォローしていないので使わないという人がいるとも聞く。人それぞれのようだ。私は証明をフォローしていない定理を使いまくっていることを以下で明言しているが、その部分については読者の判断で好きなようにやればよいと思っている。まあ証明をフォローしたと言っても、フォローしたつもりである場合もあることはあるが・・・。
アホのための研究法(1) 研究ノートの付け方・・・形式篇
研究ができるか否か、いやアホでもコンスタントに研究成果を上げることが出きるか否かは、研究ノートの付け方いかんにかかっている、と言っても過言ではないと私は思っています。正しい付け方で1日平均2頁、1年で500頁書けるようになれば、2年すれば立派な論文が少なくとも一つは書けます。しかも一発屋で終わることなく、継続的に論文が生み出されるテーマをつかむ準備位はできてきます。もちろん「継続は力なり」で次第に研究効率がよくなり、研究を毎日やれない状況になっても、2・300頁位書きためると論文が一つ位書けるようになります。毎日やらなくても研究がコンスタントに仕上がっていくのは、研究ノートをつけているからすぐ以前の研究の状態に戻れることと、書くという蓄積によってテーマが自然にできあがってくるからです。
ノートは必ず50枚もの(1冊100頁)の同じ種類のものを使うように。細い罫のものと太いものがありますが、どちらでもよいのではないでしょうか。私はずーっと細い罫のものを使っていましたが、最近は太いものを使い、場合によって1行飛ばしにしたり、詰めて書いたりしています。表紙に使い初めの時と使い終わりのときに日付を書きます。書き終わった時、背の上部にインデックスを貼り、何冊目か、何年何月から何月までかを表示します。過去のノートを探す時必要になります。本当のことをいえば、最初のインデックスを書く頁に、書き終えた時に何を研究したか項目を簡単に列挙しておくと、便利です。しかしめんどくさいのと、ものになるような結果は大体論文にしているので、私はやっていません。自分の論文はよく見ます。忘れていることが多いので。私は69冊目を03.1〜5としています。今70冊目を半分位書いているところです。
まず最初に日付を書きます。たとえば03.7.16として四角で囲みます。毎日日付からスタートします。(日付だけで書くことが無いことも時々あります。)まず頭に浮かんでくることを、そのまま書きとめます。そのままというのが案外最初は難しいかもしれません。頭の中で考えをまとめてからとか、いい言葉で書こうとか、はっきりした内容になってから書こうとか、つまらなさそうだから書かんとこう、などとしないで頭に浮かんだ言葉は同時的にそのまま書きます。私は大阪弁ですばやく書くことも多いです。考えが浮かんだらすばやく書きとめないと、余計な邪念が浮かんだり、電話がかかってきたり、頭の中でぐるぐる回りしたりします。書くことによって思考が対象化され、次の思考を進めやすくなります。どんどん書いていくとだんだん対象に集中していきます。最初からそううまくはいきませんが。筆記用具はボールペンに限ります。私は書いて書いて書きまくる数学者ですから、近くの文房具店の2割引セールの時に、替え芯を10本ずつ買います。時々本体がすり減って使えなくなります。これは大事なことですが、つまらないと思ったことでもチョロチョロ書いてはいけません。頭に浮かんだことはしっかり書きましょう。
慣れてくればどんどん書けますが、最初は書いたことを元に考えます。成り立とうが成り立つまいが、頭に浮かんで書いたことを命題の形に書き直します。小さな○でスタートするのがその命題です。そしてそれを証明してみます。証明できたら○を◎にします。間違っていることがわかれば、○の上から×をつけます。これらは一応結果です。しかし普通なかなか結果は得られません。そこで逆、裏、など形式的命題作りですがやってみます。対偶は同値な命題ですが書いてみると何か気が付くことがあります。命題が成り立たねば条件をどんどん付けていく、簡単な状況ではどうか考える、などして色々命題が浮かんできて、その幾つかから結果が出て、それがたまってくるとレポート用紙にまとめ直します。ここでまた気が付くことが出てきたりします。それでは考えることが無くなった場合どうするかですが、文献の関連項目を書き写すという手があります。私は文献を目で追うと目がチラチラして集中できないので、定義、定理など片っ端から写していきます。もちろん書いたらそれをもとに考えます。洋書や論文の場合、翻訳しながら写すのですが、心が落ち着きますねぇ。結果を使う段階では赤ボールペンで線を引いたり書き込みをしたりしながら足早にやりますが、今言っているのは研究の初期段階のことです。
原則として、テーマがはっきりしていない時は、一日のスタートは研究の出発点から出直します。前の日の続きから始めないということです。研究の大事な部分─種─は、出発点あたりにあることが多いのです。現在のパラダイムを打ち破る種は、案外基本的な点の思い込みを再検討することにあります。そういうのを見つけるのは秀才君でないことは確かです。毎日同じことを書くことになってもかまいません。10回、20回と同じことを考え考えしながら書いているうちに、ふと何か見落としていることを見つけたり、新しい連想がわいてきたり・・・そうなればしめたものです。もう考え切ったと思うところは要点だけや、見出しだけにします。すると一日のノートは曲がりなりにも出発点からの一筋道になっています。そのようにやっていくうちに専門家なら知っているようなことから地ならしができていって、段々誰も知らない土地に分け入っていくのです。
原則としてと言いましたが、研究は収穫期に入るとノートはどんどん書けます。その時は前回の続きから始めます。もうその時は基本的な部分が全体的にすっかり頭の中に居座っているからです。これを念頭化された状態と言います。繰り返し繰り返し考え直すことによりそうなる訳で、また念頭化されるまでにならないと研究はできないといってよいでしょう。電車の中でも散歩していても、研究はできますし、無意識下で研究しているといえる時もあるのでしょう。ふっとアイデアがひらめく時があるからです。これができる種族にアホが含まれます。行き詰まった時は先ず一番最初から丁寧に考え直すことを一度はやってみることです。方向転換はそれからでも遅くありません。
研究ノートには準備のために読んだ論文、関係がある論文の大事な部分、要点をまとめたもの、感想など、自分で新しく考えたことだけでなく、何でも書きましょう。そして一つの項目について、考え切ったと思える時期が来たら、レポート用紙に鉛筆でまとめます。(同じレポート用紙を私はどっさり買っています。)それを私は大体プロのゼミで聞いてもらっています。大体正しい場合もありますが、私の場合、結果はあっているが証明がめちゃくちゃの場合が多く、結果自体が完全に間違っていることも時にはあります。考え直して論文にしたり、いくつかまとめて論文にすることもあります。(証明はノートに何度も書き直しているんですが。やっぱーアホなんでしょう。)露骨に言えば、要は論文が書けりゃあいいわけで、間違いも思わぬ展開になることもあり、簡単に引き下がってはいけません。
とは言ってもなかなかうまく研究ノートが付けられるようにはなりません。私の場合は脱サラ後しばらくして研究ノートをつける重要性を意識してから4年はかかったと思います。ある人にこのやり方を教えて、あとで「半年やったけどあかんかった。」と言われあきれました。仕事とはどういうものか基本的にわかっていないのでしょう。もっと若い人にも推奨したことがあるのですが、ノートを2冊書いてきたので見てみると、緻密さに欠けた書き殴りみたいなものでした。今度会った時にはその辺の細かい書き方の注意をしようと思っていたら、それっきりになりました。私とは信じている神さんが違うみたいです。
研究ができるようになると強い喜びがあり、人生が豊かになります。私のやり方で得られる喜びは瞬間的なインスピレーション型の喜びとは違い、認識が段々深まっていく継続的な情操型の喜びです。それなら正直な人(実感でものを言う人)ならアホでも意志さえ持っていれば得ることが可能であると信じています。形式的なことは大体述べましたが、いいノートをつける方法や技術、そして心構えなどは、人生に対するそれに大いに関係します。それについてはカード800枚以上に書きためましたので、おいおい述べていきます。
アホのための研究法(2) 研究ノートの付け方・・・形式篇(2)
研究ノートを付けることは当たり前のこととして、まず内容はともかくどれくらい書くものか見てみましょう。岡潔によると(「春宵十話」)、1日にノートを3ページ平均書いているので2年間に2千ページとなるが、これを20ページの論文にするのだから、まとめられたものは百分の一である、とあります。私はどうなっているかというと、84/10〜03/5まで69冊、6900ページのノートを書いており、論文はトータル96ページ書いています。(岡潔は生涯221ページ)ノートを書いているページ数は岡潔の7年分でそれを18年半かかって書いているのだから明らかにペースは遅いです。しかしまぁそこがアホのアホたる所以というか・・・、もちろん時代のせいもあるだろうし、しょうがないような気もします。ひどいときには週6日働いたりしてたこともありましたもんね。
ノートは新しいテーマというか問題に取りかかった最初の頃には割合書け、そのうちだんだん書けなくなり、行き詰まるのが普通ですが、それが何かの拍子に手がかりが見つかって収穫期に入り、どんどん書けるようになります。私の場合は平均すれば大体1日に1ページということになっているようです。書いているうちに段々書くことがなくなるのですが、核心ににじり寄っているとでもいうのか、こういう時期は大体必ずあるようです。(こういうとき、私は必ず便秘気味になり、収穫期に入ると下痢気味になります。)テーマが決まらない時も、あんまりというか、ほとんど書けません。私はテーマが見つからず、数学をもうやめようと思って、ノートに普遍神学の構想を書き始めたこともありました。だからたとえ平均1日1ページずつでも、10年20年と書き続けることは、まぁ世に言う「ひとつのこと」なんでしょうね。
それと、院生時代のノートなどは私の場合、計算みたいなものが主で、アイデアなどはほとんど無かったような気がします。1日のノートにアイデアがいくつか入るようになると、大体ノートの付け方は軌道に乗ったと言えるでしょう。そしてぼやーとしていた対象が、少しずつはっきりしてくる、誤った思い込みが段々矯正されていく、作業仮説が真か偽かはっきり証明できてくる・・・となると論文が書けるのも間近でしょう。
人によってはパソコン上にノートを書き、人にも勧めたりします。私は絶対手書き派ですね。決定的なのは、@頭に浮かんだことをそのまんま即座に書くというのに不便、A私はノートに1ページ当たり1,2個の絵を描きますが、今のPCは手間がかかりすぎます、B詩や小説などを書くのは便利かもしれませんが、そしてそれは部分部分のつぎはぎで出来るので便利かもしれませんが、研究ノートの場合はつぎはぎはしてはダメで、まとめるときは一から丁寧に考え直すこと、それを繰り返すことによって論文に仕上げていくべきであって、研究の断片をつぎはぎして論文にするというのは、もう慣れてしまった人は別として、勧められません。私は論文の下書きまでは手書きです。研究ノート→レポート用紙にまとめる→ゼミで発表→学会で発表→論文、の各プロセスを1回1回新たな気持ちで考え直すことは(私は書くことが考えることになっているので)、わずかな手間省きに較べはるかに重要で、楽しくもあるのです。
絵を書くことですが、ノートに面白い絵が描けるようになるといいんですね。特に例で考えた場合、概念図でなく緻密な絵が描けます。簡単で、いい例でものを考え、仮説を立てたり、結果を例の絵でチェックしたりすると分かり方が全然違います。論文になったら一般論になっていますが、楽屋裏では例で考えていることが多いです。ノートに描いた絵を眺めて色々考える、考えることによって何度も絵を描き直していく(絵に騙されることもある)、というのは大事なことです。そもそもいっぺんに一般な場合でやろうとすると、頭がごちゃごちゃになります。そのときは場合を分けたり、簡単な場合の簡単な例についてじっくり観察をするとよいのです。証明も一般な場合を頭に置きながら、簡単な場合で繰り返しやってみて、だんだん付加条件をはずしていけばよいのです。
あまりあせってはいけません。一応の目安として、1日中研究している場合で、ノート2ページが書けて、何か1つ小さなことが分かる程度で良しとしましょう。それを続けることが大事なんです。
アホのための研究法(3) 真性アホになるために(1)
秦朝二世皇帝がパーだったので、腹心の趙高がこれ幸いと秦を意のままに手繰ろうと考えた。ある日、彼は帝に「馬を献上します」と言って鹿を差し出した。「何だ、これは鹿ではないか」と帝は左右を見た。並み居る延臣は、鹿だと本当のことを言う者と、趙高におべっかを使って馬だと言う者の二通りに分かれた。あとで趙高は鹿だと言った者を次々に殺した。遂に趙高の意に反する者はいなくなり、次に「鹿を献上します」と言って馬を差し出した時は馬だと言う者は一人もいなくなった。帝は自分の頭がおかしくなったのかと疑った。趙高はすかさず「陛下はお疲れです。万事私が仕切りますのでお休み下さい」と言って帝を棚上げし、悪行の限りをつくして秦の滅亡を早めたという故事から「馬鹿」という言葉の由来を説明する説がある。(「中国伝来物語」寺尾善雄、河出書房新社、より)別の説もあるらしいのだが、私は上記の説を敷衍して、馬鹿は嘘つき、アホはうすぼんやりと勝手に定義している。嘘つきとは、実感にもとづいてものを言わない、考えない、素朴な本心、感情を大切にせず建前や権威、借り物の理論でものを言う、たとえば昔はやりの進歩的文化人を筆頭にして、身近によくいる人をさしている。馬鹿でも趙高のように頭のいいのがいるから、数学はできることはできる。
アホは頭がうすぼんやりだが、正しい方法をとれば、意志さえあれば研究は必ずできるようになる。草花に水をやる必要があると教えられたら、雨の日でも水をやるような・・・そういう人で、馬鹿というか根性曲がりでない人の方が、結局いい花を咲かすということである。そのうちアホぢからが出てきて、立派な園芸家になってしまうというワケ。
アホと馬鹿の定義はそれくらいにして本論に入りましょう。自分は嘘などつかないと思っている人は、ちょっと自分をチェックしてみて欲しい。本当に分かってないのに分かった、なーんて言ってませんか。美しいものは美しい、誰が何と言っても、たとえ有名な人が作ったものでなくても、いいものはいい、と言っていますか。××理論で世の中の数学が動いているから、なんとなくそれに従っていませんか。世論なんてものをうのみにしていませんか。多数意見が正しいと思っていませんか。次善の策として多数決に従うのはかまいません。しかしその意見が正しいと思うかどうかは別なのです。
数学はいい加減な人を寄せ付けないと言います。そりゃ数学も科学の一種ですから、秀才君なら馬鹿でもかなりのことまでは出来る人もいます。しかし深奥を極めることはどうでしょうか。アホの中のアホに数学の女神は微笑むと思いますね。そこまでいかなくても、世の中で余り評判にならなくても、認める人は認めるというような独自の研究はアホでもできるということです。
頭が悪いというのは、結局はいろんな思い込みを持っていて、頑固に自分のやり方に固執して、頭が自由に働くのを阻害している状態です。少なくとも数学の研究をしようという人においては。アホというか、頭は鋭くなくても、あらゆる思い込みをつぶしていって、自由にものを考え行動すると、アホぢからがあたかもアスファルトの道の下から雑草が生えてくるように出て来るのです。秀才君は呑み込みが早いというか、難しいことでも難しいまま分かってしまうようですね。ちょっと羨ましい気がしますが、これは致命的なんですね。そりゃぁ、難しいことを手繰って難しい論文を書くことはおおはやりで、それでいいと言えばいいんでしょうけど・・・。でも人が分かるということは難しいことを易しくすることなのであって、難しいことを難しくするのは所詮単なる言い換え、操作でしょう。
アホは噛み砕いて噛み砕いて、直感的に明らかな状態になった時点で初めて分かったと思えます。そうすると血肉化がなされ、次のステップに進むことがアホなりにやりやすくなります。一歩一歩確実に進んでいけばよいのです。確かに論文を幾つか読めば、秀才君には論文が書けるでしょう。そうやってどんどん論文を書いて、ポストにありつけるということですね。しかし、私の実感では、本当に分かりたいことは手つかずでいっぱい残っており、それはよく掘り下げて噛み砕いていけば、解決可能なものがいくつか見えてきて、そういうものは芋蔓式に連なっていることが多いです。ただ馬鹿にも三分の理です。馬鹿からも大いに学びましょう。ただそういう人は普通オープンに語ってくれるということは期待できませんが。結果だけ、つまりフルーツはおいしくいただく度量は大事なことで、必要でもあります。
アホのための研究法(4) 真性アホになるために(2)
あるところに偉い坊さんがいて、近在の人々のみならず鳥や獣たちまでが供物を運んだという。あるときその坊さんがもっと偉い人のところで修行して帰って来ると、もう誰も見向きもしなくなったという。学生時代にN先生にその話をすると、「その修業は失敗ですよー」とのたもうたが、度し難い馬鹿もいたものだ。そうなって初めて真人となり、衆生済度のスタート地点に立ったといえるのである。人に尽くされるのではなく、人に尽くすということである。私のいう真性アホもそのような人である。自分のことより他人(ひと)のことを先にしてしまうような、宮沢賢治のいう「自分を勘定に入れない」人である。現代人からみると何とアホな、と思うであろうが、他人(ただし善なる弱者)の為になることは結局自分の為にもなるのである。「情けは人のためならず」と昔の人も言っている。
ところで頭が良いというのが早く分かるということなら、頭は良い必要はないし、むしろ良くない方がいいでしょうね。数学の研究では流行を追いかける秀才君はさておき、独自の闘い?をするアホには競争相手がいないので、いくら時間がかかっても問題ないですからね。問題を念頭化すると、無意識下(河合隼雄に言わせると深層意識と言う方がいいらしい。)で何をしているときでも考えているわけなので、その時間も入れるとおそろしい程の時間になるので、アホでも十分存在価値があるわけです。アホぢからが出てくるとロスタイムが大幅に減り、結構それなりに仕事は早くなりますが。だんだん視野を広げると同時に、細部をクリアーにしていくことを辛抱強くやっていくのは、アホの方が向いてるように思えるので、頭はむしろ良くない方がいいと思うわけです。人間分かってしまえば、それ以上は考えないもんですから。
物事が分かるには、大事なことであればある程度時間がかかります。分かってしまえば、なーんだそういうことか!ってことなんですが。分かるということは、アホにとって噛み砕いて実感として成る程と納得することで、これは悟りにさえ通じます。学問的に悟るということは、宗教的に悟るということと同型(構造が等しい)です。そして宗教的に悟るには学識や頭の良さは関係ないとされています。従って同型定理よりアホでも学問的に悟れます。
アホの別の定義は愚直ということです。愚が大きいだけでは馬鹿で、直がないとだめなんです。数学的には4つの組み合わせがありますね。賢の多い人で直のない人、これはおりこうさんで適当に相手をしながらも、色んな形でその悪知恵を利用させてもらいます。聖書に「蛇の如く聡くあれ」と言っていますからね。賢かつ直、これは天才で私の扱える範囲を超えているので、そういう人は勝手にシンドバットというか、わたしゃ知りましぇん。でも今のような受験体制であほらしなってドロップアウトしているケースが多いのじゃないかと心配しています。私は数学に限らずあらゆる分野の天才について、作品はもとより伝記、評論、自伝、エッセー、奥さんなど身内の人がその人について書いたものなど、徹底的にその秘密を探ってライフスタイルの真似っこ、芸風の窃盗などしています。泥棒の真似をして泥棒と同じことをすれば、そりゃぁ立派な泥棒です。じゃあ天才の真似をすれば・・・?
アホぢからというキーワードは、中島らもの「なにわのアホぢから」講談社からのパクリです。なにわ(大阪の別称)の、という形容詞がついているのですが、そこのところを原田宗典の「かんがえる人」光文社文庫、の中の「大阪やる気≠フ謎」からつまみ食いしてみましょう。彼が大阪に滞在し、一人で無目的にぶらぶら街をうろついて感じたのは、東京の街とは何かが決定的に違うということなんですね。何が違うのだろうと考えて、ふと気が付いたのは「やる気が違う」ということです。大阪の飲食店の立ち並ぶ軒先を眺めながら歩いていると、どれ一軒とってもやる気に溢れており、東京ではそうはいかないらしいのです。大阪のナンパ男たちも「かのじょー、お茶しなイー」なんて声をかけている東京のナンパ男たちをやる気度五十≠ニするなら、心斎橋の野獣たちはやる気度二千≠ュらいありそうで、とにかく恥も外聞もなく怒濤のがぶり寄りで攻め立てて、女の子をいてこまそうという、まことに正直で分かりやすいのです。そう、この正直で分かりやすい、ついでにいうと愚の大きいことをものともしない、やる気まんまんのエネルギー、これがアホぢからの源泉です。
数学についていえば、分からないことを分かるようにしてこましたろうという、ど迫力です。自分の理想とする数学、やりたい数学をやりたいようにやることに徹するやる気。何年かかろうが、たとえ大学に属さない街の数学者であろうと、そんなこと気にしなぁーい。そういう心意気が持てるようになったら、あなたはあなどれないアホぢからの持ち主です。あとは実が熟してくるのを待つだけでいいのです。
アホのための研究法(5) 灯下探索症候群
あらかじめ断っておくが、以下の話は昔の数セミ(数学セミナーという日本評論社から出ている月刊誌)に三輪哲二氏が書いていたことのパクリ+αである。
宇宙物理学の発達の三段階として、
(1)ティコ・ブラーエ(1546〜1601)は惑星の位置を観測し、膨大な記録を残した。(事実)
(2)ケプラー(1571〜1630)はティコ・ブラーエの晩年の弟子であるが、彼の観測記録の中に規則性を見出し、今日ケプラーの法則という3つの法則にまとめた。その結果、ティコ・ブラーエの観測記録はほとんどいらなくなった。(真実)
(3)ニュートン(1642〜1727)はケプラーの法則の成立する根拠、理由をはっきり示した。(真理)
というのがある。彼らはそれぞれ一段階ずつ宇宙物理学を発展させたのだから、偉いことは偉い。しかしこの三人にも一種のビョーキの傾向が見られるというのである。
まずティコ・ブラーエ症候群。彼は確かに偉い。彼の生きていた時代に、彼以外に誰が惑星の位置の観測などしようと思い、実際に根気よくほとんど一生をかけてするだろうか。惑星はガリレイ(1564〜1642)の地動説でなく天動説に立つと、天球(地球を中心として星が動く同心円)上をしばしば見かけ上逆行するので、惑っている星と名前が付けられていた。ティコ・ブラーエは観測データを集めるのが楽しくて楽しくてしょうがなかったようである。しかしそのデータをどのように役立てるかはデータを集めること自体が大変だったこともあって、結果的にケプラーに委ねざるを得なかった。データを集めることが自己目的化し、思考停止せざるを得ないビョーキをティコ・ブラーエ症候群という。現在ではさしずめコンピュータを使ってアウトプットの山を作って、真実、真理に至らない状況などがそれに相当する。
ケプラー症候群。ティコ・ブラーエの膨大な観測結果の中に美しい秩序を見つけて、うまく三つの法則にまとめ上げたが、それで終わっている。なぜそういう法則が成り立つのか、太陽と惑星の関係だけに成り立つ法則か、といことなどもう一歩先まで行っていない。
ニュートン症候群。ビョーキと言えるかどうか分からないし、ニュートンのような天才にしかかからないから、フツーの人には無縁かもしれないが、神の真理と科学の真理の統一をはかり、生涯に書いた論文の半数以上は神学に関するものと言われている。岡潔はそのデンジャラスなところにおいて、ちょっと通じるものがあるように思う。
これらの偉大な人が偉大な業績をあげながら、一種のビョーキの兆候を示し、限界を持たざるを得なかった(それはどんなに偉いひとでも大なり小なりそうであろうが)のだから、我々アホがビョーキにかかる可能性は大ありだ。その一つが灯下探索症候群といわれるものである。簡単に言えば、暗い夜道で物を落としたとき暗い所は探しにくいからといって、街灯の下ばかりを探すというビョーキである。人間は誰しもそういう傾向は持っている。だからひととおり探して街灯の下にはないことが分かったら、別の所を探せばよいのである。何事においてもこだわってはいけない。ところが街灯の下を離れられない人がいるのは、更に念入りに街灯の下を探せばあるかもしれないという、一種の可能性の存在を否定できないということへのこだわりがあるのであろう。
脚下照顧というように、足下を明るくして(色々その周辺の文献にあたってみるなど)動き回ることが大事なのである。灯下探索症候群は、たとえば誰かが作った理論とか問題、権威によっかかって自分で問題を発掘することをせず、街灯のまわりから離れられない、要するに動き回らないのが特徴である。別の機会に述べるが、犬棒式といって、犬も歩けば棒に当たるという、あっちこっち歩き回ることがいい問題にぶつかる最も効率が悪そうで一番いい方式なのである。
面白い方に目を向けるのではなく、そっちは難しいからと言って、大して面白くもないやさしそうな方に目がいくのも同じビョーキである。財布を落としたのなら通った所だけを探せばよい。研究問題というのは、どこに落ちているか分からないし、落ちているかどうかも分からない財布を探すようなものである。懐中電灯をつけて色々歩き回らないとダメなのは明らかであるのに、街灯の下で勉強もせず、こんなことをやっていたらダメやろなーと何となく自覚しながらもそうやっている人は、研究のできない人に結構多いようだ。そういう自分を変えていくことが、つまり分かるということ、地獄を抜け出すこと、つまり悟りなのであるが。
今扱っている問題がこのまま頑張ってやれば解ける問題であったとする。(それは神様だけが知っているのだが。)そしてなかなかうまくいきそうにない気がしたとする。そういうときは視点を変えて周辺をどんどん歩き回るようにするとよい。その後で元の問題に戻った場合、周りのことがわっかた分だけ早く解けるはずである。もし頑張っても、時代のせいで数学がその問題を解くほどに進歩していないなどで解けない問題であったとする。(それも神様だけが知っているのだが。)そのとき周辺をどんどん歩いたことによって、新たな問題が見つかり、その中には今でも解ける問題が含まれていることがあり得る。結局論文が書けりゃぁいいのだから、論文が書ける確率は確実に上がるということが結論される。
アホのための研究法(6) 犬棒式研究法
昔、アンドレ・ヴィエイユというフランスの天才的数学者が研究のやり方を尋ねられたとき、所詮犬も歩けば棒に当たる式だと言い、独創性では彼の上を行く岡潔が、結局それしかない、と言ったという話しがある。「犬も歩けば棒に当たる」という諺を広辞林で調べると、@犬も出歩くから棒で打たれることもある意で、しなくてもよい事をするからとんだ目に合うこと、A何かしているうちに偶然うまいことにぶつかること、とある。広辞苑によると@が本来の意味と思われるが、Aの解釈が広く行われるとある。英語圏では、歩き回る犬は棒にあたるだろう、とそのまんま。フランスでは家にじっとしていたら運に決して巡り会わない、と言われる。私もAの意味で使う。
私の狭い経験からいっても、あっちこっちに以前考えた問題があり、そのあたりをあてもなくぐるぐる歩き回っていると、ひょっと突破口が見つかることがある。結果的には一本道をたどったようにも思えるのだが、とにかくあてがまるでなかったこと、無駄足になることなど気にせず歩き回ったことがポイントである。
犬棒式の研究法がどうも本道である。迂遠なように思われても、本道を行くのが正攻法である。そこのところを日本の諺では「急がば回れ」という。急ぐときは危険な近道を通るよりも、遠くても安全な本道を回る方が結局早くなるという意味である。(広辞林)ただ安全主義とはちょっと違う。芭蕉の言葉かなんかに「名人は危所に遊ぶ」という言葉がある。愚であってもあくまでもポテンシャルは高くなければならない。(ただしこれは上級篇。)研究のやり方といっても、問題を見つけること(特に解けそうな気がする)、問題を解く糸口を見つけることなどは、特に犬棒式にならざるを得ない。論理的にやれるものなら既に人がやっている。歩き回る愚の大きい、代償をあてにしない直な犬にしかできないことがちゃんとあるのである。
問題を解くときに、ロッククライミングみたいに目的まっしぐらに踏破する人もいるであろう。そういう問題はあっちゃに置いといて、アホはアホなりの方法で独自の問題にとっかかるのである。学会の帰りに親友のM君と新幹線の車中で、壁にぶつかった時どうするかという話になったことがある。私はロッククライミングみたいな怖いことはようせん、壁の所に少しずつ土を運んでなだらかな坂にして登るんや、と言ったところM君はしばらく黙っていたが、「壁は無くなる!!」と大きな声で断言したので、びっくりしたことがある。近頃、犬棒式に研究をやってきて、成る程と思い当たる。壁の所に少しずつ土を運んでいるうちに、いつのまにか壁が無くなるようである。
犬棒式では無駄というものは避けられない。たとえば私は貧乏なので、色んな情報をもとに、相当慎重にCDを買うが、それでも本当にいいものは3枚に1枚位で、結局無駄になった2枚は授業料と考えている。古書でもやっぱりそれぐらいの無駄がある。もっと情報の少ない所で歩き回る犬棒式は無駄はずっと多いような気がしないでもない。しかし、その無駄をいやがって歩き回らなければ、何も得られないのがフツーである。岡潔の好きな言葉に「今(こん)の一当(いっとう)は昨(さく)の百不当(ひゃくふとう)の力なり」というのがある。出典は何か知らないが、味わい深い言葉だ。岡潔の世界の数学者を驚かした独創が昨の百不当の力によるものということは、安易に彼を別格大本山に祭り上げて、自分の百不当の力を信じない愚を犯してはならないことを教えている。岡潔が百不当ならこっちは千不当、万不当の力を信じて研究をやるのが愚直ということである。
先ほど犬棒式は無駄が多いようなことを言ったが、世の中に一生懸命やったことで無駄ということがあるのであろうか。寄り道、道草と思えることによっても、認識の深まりやポテンシャルの向上に役立ち、結局壁が無くなることに作用するのではないだろうか。
ところで今とっかかっている問題を一旦退却する基準であるが、いくら考えても手がかりが無いと感じられる時は退却した方が良いように思われる。そこまで考え尽くす必要はあるのであるが。周辺の地ならしをして再挑戦しても決して遅くはない。それも囲碁で石をひっつけて打つのを嫌うように、思い切って少し離れた所に着手するのがよい場合が多い。そうすることによって、自分のGrund(基盤)が広がり、大幅に研究がやりやすくなるのである。
アホのための研究法(7) 「情操型/インスピレーション型」
数学の研究に発見は付き物である。早い話、発見がなければ論文にならない。フランスの大数学者にして物理学者のポアンカレ(1854〜1912)は、自分自身の数学上の発見を@突然天啓が下ったように考えが開けてくる、Aそれに先立って長い間、無意識的な活動が行われている、B絶対的確実(間違っていないという)の感が伴う、としている。岡潔はそれに付け加えて、数学上の発見には必ず鋭い喜びが伴う、それはちょうど蝶の採集に行って見事なものを見付けた時の気持ちと同じだ、と言っている。
Aについてだが、ワクチン接種で伝染病予防の道を拓いたフランスのパスツール(1822〜95)は「幸運は用意された心に宿る」と言っている。もう一つ、ニュートン(1642〜1727)がリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したことになっているのもそうである。彼がケンブリッジ大学で学んでいた頃、ペストが流行したため実家に帰っていた。実家はリンゴ園で、お母さんがせっせと働いているのに手伝いもせず、揺り椅子に坐って色々考えていたらしく、その当時の大学ノートが残っていて、後の研究の種はすべてその大学ノートに書かれているそうである。で、その万有引力の発見であるが、彼は宇宙の運動、地球上の運動などについて色々考えていた。そしてリンゴは落ちるのに何故月は落ちないか、というところに疑問を抱いたのである。リンゴを月の高さまで持ち上げたらリンゴは落ちるだろうか・・・というようなことに思いを巡らし、ケプラーによって大体分かっていた太陽系の運動と、ガリレイが実験していた地上の運動を包括する形で、万有引力を想起したということらしい。つまりAは発見の必要条件である。
ところで@であるが、こういうのをインスピレーションというのであろう。インスピレーション型の発見の代表例は臨済禅の公案が解けるプロセスである。私もそういう経験はしているし、数学上においても論文[7]の種になる発見(大学院2年の時)はそのようなものであったように思う。情報が少なくて精根尽き果てた時、あるいはにっちもさっちもいかなくなって情報を捨ててしまった時、頭の中にできた隙間に突然光が射し込むような感じである。
岡潔の三大発見(上空移行の原理、二つの関数を積分方程式を解くことによって融合させる方法、不定域イデアルの理論)のうち、前の2つはインスピレーション型の発見である。第一の発見が特にそうである。第三の発見は、論文で言うと七、八番目の論文である。読んだ人には分かるだろうが、レベルがワンランク上がったような印象を受ける。岡潔著「春宵十話」毎日新聞社、からそのあたりを引用しよう。
「七、八番目の論文は戦争中考えていたが、どうしてもひとところうまくゆかなかった。ところが終戦の翌年宗教に入り、なむあみだぶつととなえて木魚をたたく生活をしばらく続けた。こうしたある日、おつとめのあとで考えがある方向へ向いて、わかってしまった。このときのわかり方は以前のものと大きくちがっており、牛乳に酸を入れたときのように、いちめんにあったものが固まりになって分かれてしまったといったふうだった。それは宗教によって境地が進んだ結果、物が非常に見やすくなったという感じだった。」
これが岡潔自身が言う情操型の発見である。発見に伴う喜びも、インスピレーション型は鋭い喜びであるが、情操型の発見の場合は春を迎えるような喜びである。情操型の発見は認識の深化によるものである。道元の「自己をはこびて万法を修証するを迷いとす、万法すすみて自己を修証するはさとりなり」というように、無私(アホ)であること、問題を解こう解こうとしないで、ひたすら問題の周りを掘り起こし、分かることをしらみつぶしに調べていく犬棒式で研究していると、自然(じねん)に分からされるのである。
ところで情操(高い精神活動に伴って起こる感情というか情緒)の深まりは、一朝一夕にはゆかない。そして情操型一本でいくのに岡潔は15〜20年かかっている。道元も只管打座(しかんたざ、ただひたすら座禅せよ)一本でいくのにそれなりの年月がかかっているであろう。だが我々は、先人の苦労を再経験する必要はなく、先人の到達した地点から出発すべきである。(大乗仏教がそういう考え方を取っている。)つまり最初から、情操型の発見をやれるように情操を深めていく研究法をとるべきである。
では認識の深まり、つまり人間としての力量はどうしてついていくのだろうか。それはこの道を信じてひたすら努力する、それも数学に限らず人間としてやらなければならないことを多くの先達から広く学び(声聞と言って釈迦から直接法話を聞いた人、たとえば岡潔の愛弟子などと言われる人達をあんまりありがたがるのは禁物である。普通声聞は救われないとされる。)一歩一歩進んでいく(千里の道も一歩から)、数学でいえば、研究対象を広く捉え、その数学的自然に対する認識を犬棒式に少しずつ深めていけばよいのである。その時、考える喜び、学ぶ喜び、分かってくる喜び、感動が伴えばまず正道を行っていると考えられる。決定的なのは何らかの結果が出る(発見ができる)とOK牧場である。
ちょっと蛇足を付け加えておこう。今はやりの研究に遅れまじ!と人の後を追いかけて行く人が多いように思うが、次の句(誰の句か知らない)は御存知か。
人のゆく 裏に道あり 花の山
アホのための研究法(8) 数学は何のためにするのか
学生時代にN先生から「数学は何のためにするのか」と問われたことがある。その私なりの答えが見つかったのは1年か1年半位してからだと思う。私が学部を卒業する時、今の人は知らないだろうが、京大でも時計台の攻防があった。要するにアメリカ帝国主義が北ベトナムにお節介にも戦争を仕掛けて、学生はワイワイやっていたが、フランスで大学批判ののろしが上がって、学生の矛先は旧態然とした大学の教授連に向けられたのである。数学科でも代数のN先生が、何かのきっかけでつるし上げられて、お決まりの教授達と学生の対決になった。私は早く最先端に連れていこうとして、詰め込み主義になっている講義に対して、講義の数を減らして代数、幾何、解析、応用数学くらいの四本立てにして、数学の歴史、地理をゆったりとしたペースで、経験を積んだ人しかできないような講義をリレー式でもいいからやって欲しい、と思っていたので発言したのだが、いきなり「講義の数を減らせ!」と言って失笑を買ってしまった。あの時代の学生は、研究者になろうとするような者は専門的な勉強は自分でやったし、やれるから、その背景となるような曰く言い難いところを教えて欲しかったのである。それが段々エスカレートして、あんたらみたいなことやってたらダメや、位のことは言ったと思う。そこまで言った以上、いい研究を何とかしてやらなければならない。それと、数学教室を自分が滅茶苦茶にしてしまったように思って、責任を感じて院生になってからはほとんど大学には行かなくなった。今で言う閉じこもりである。
家の近くの静かな河原で座禅をやったり、山を歩きまわった。平日の昼間からぶらぶらしているのでよく職務質問をされたものだ。そうこうしているうちに機が熟したのか初禅を得た。(禅では初禅〜四禅まで大体4ランクに分けている。)そのとき、何のために数学をやるのか自分なりの答えを得た。数学は知恵という面で可能性に挑戦する営みである。その知恵を数学を研究することによって伸ばす。では何のために伸ばすかというと、世のため人のためである。・・・という風な答えである。しかし結局病気になって修士を1年の休学をはさんで5年やり、会社に入ってコンピュータ関係の仕事をすることになった。
ここで菅原克己(1911〜88)の「詩の鉛筆手帳」土曜美術社、から関係あるところを抜き書きしよう。
ぼくらは詩を書くために生活しているのではなく、生活そのものの中で詩にぶつかっているのである。
生活そのものの中で詩にぶつかること、それが生活のよろこびなのである。
ある人がピカソにこう聞いた。「あなたは何であのような絵を描くのか?」。するとピカソは答えたそうだ。「小鳥に、お前はなぜそんなふうに歌うのかと、聞いた人があるだろうか?」
詩人はつねにその作品の中で自分の「詩とは何か」を語っているのだ。
詩は何のために役立つか?
ぼくの人生のために役立っている。
ぼくのために役立った詩が、結果としてもっとひろい人々に役立つものであったらすばらしいと思います。
ところで私は会社に入って、大学に迷惑をかけた分、ここで借りを返すのだ、とコマネズミのように働いて働いて、働きまくった。そしてまた病気になって入院中にすっかり忘れていた数学のことを思い出してしまった。今までやってきた会社の仕事はすっかり興味を失い、日曜数学者をやり始めたのである。やがて決心して脱サラをすることになった。会社で傲慢さがすりつぶされ、これなら数学の研究ができるな、と確信できたからである。岡潔は人ができないと本当の数学はできないと言っている。私見を付け加えると、数学の研究ができるようになって研究をやっていると、更に人ができてくる。(ただし世間で言ういい人とは違う。)それにつれて世のため人のために尽くすことが少しずつできるようになってくる。岡潔は多変数関数論をやる前にフランスに留学しているが、私は会社に留学したと思っている。
アホのための研究法(9) 神仏と数学
@自分の力を試してはならない。
自分に発見は可能か?等と自分の力を疑い試すようなことは、アホはしてはならない。一見それは謙虚なように思えるが、自分の中にいる神を疑い試すことになる。まぁ自分の中にそういうものがいない人は論外であるが。
数学をインスピレーション型でやる場合は、上のような発想に陥りやすい。結局自分の能力が気になるのであろうが、自分を追い込むようなことをしてはならない。情操型であれば、自分の心を磨き神が十分働いてもらえるようにし、神と二人三脚で数学をやるのであるから、最後は神まかせである。そして数学の研究をやるのに一定基準などあるわけではなく、だんだんよくなる法華の太鼓(石の上にも三年)というように、神を信じてひたすら精進していると、だんだん研究ができるようになってくるのである。天は自ら助くる者を助くという。多分アホがアホなりに精進しているのを黙って見ておれないのであろう。
A衆生済度を願にもつ。
数学の研究は、私の言う「個的原罪」を克服することにつながる仕事である。(もちろん大概のまっとうな仕事はそうなのであるが。)それが克服できたら、社会的原罪を克服することに目を向けていこう。それが神に対するお返しになり、更に自分自身が大きく成長することにつながっていくのである。
B他仏に頼るな。仏に会はば仏を殺せ。
諸仏を尊敬するのは別にかまわない。私であれば、複素解析関係では、リーマン、岡潔、小平邦彦、アンリ・カルタン、ジーゲル、グラウエルト、ベアス等の論文集を揃えて、時々眺めたり、必要に応じて見たりしている。頼るといった感じはない。岡潔が死んでもう25年になるが、いまだに彼にしがみついている一種の憑依霊みたいな人が時たまいるが、いかがなものか。私は岡潔の論文集の1〜4,7〜9番目の論文を丁寧に証明をフォローしながら3回ずつ読み、随筆集も何回も目を通し、もうしゃぶり尽くした、蹴っ飛ばせ!あとは自分の数学をやるだけだ!!という感じである。最近はグラウエルトの論文集を割合よく見ているが、結果を利用させてもらうだけのことである。
C大疑は大悟につながる。
岡潔が1934年に出版されたベーンケ・ツルレンの教科書を自分で証明を補ったり、引用文献を見たりして読み、3つの大きな問題(クーザン問題、近似の問題、レビィの問題)を見出し(その教科書にそれらの問題がすべて明記されているわけではない。)、それらが一つの連峰を成していると観じたのが大疑と言えるだろう。その後20年かかって大体解いた、それが大悟である。私は解析空間上の諸問題に院生時代から目を付けていて、いつか踏破したいと思っている。
D自己をはこびて万法を修証するを迷とす。万法すすみて自己を修証するはさとりなり。
数学もじたばたして何かをひねり出そうとしても、まぁ何も出てこない。博士号をとりたいとか、教授になりたいとか、有名になりたいとかいうことをからめてやっていると、神の助けは得られないであろう。自分というものを忘れ、何かに夢中になり、解こう解こうという執念をなくしたとき、天啓の如く結果が出る。それは予期したものとは必ずしも一致しないのであるが。
E修行は衆力をもってなす。
昔叡山の千日回峰行を達成した葉上大阿闍梨の本で読んだのだが(今手元にない)、回峰行も最後の方になると、1日80キロメートル以上を歩き回るそうである。それ程若くもない葉上さんは、崖みたいなところでなかなか登れず必死になっていた。(途中で修行を断念することは死を意味し、懐剣を所持するのが習わしである。)するとお付きの小坊主さんが、葉上さんのお尻に自分の頭をあてがって、ウンウンと言って押し上げていたそうである。下積みの人に目を向けて広く学ぶ、そしてお返しをするということはとても大切なことだと思う。思わぬ文献がヒントになって研究が進むこともある。自信を持ってかまわないが、謙虚な自信を持て、と私の中学の時の数学の先生に言われたことがある。今頃になってそのとおりだなと思う。いろんな友達を持つこと、誰からも教えを受ける気持ちを持つことは大事である。誰それの話は聞かん、などと言わず、法を聞いて人を見ずということなのである。
F博く聞いて道を愛すれば、道必ず会し難し。(仏説四十二章経)
これはNさんの「多変数函数論」東京大学出版会、という教科書のまえがきに書いてある言葉である。私はこの教科書を買ったとき、あちこち赤ボールペンで書き込みをしたが、この言葉に対しては、続きとして、道会した後は博く聞いて道を愛すべし、ただ淫するべからず、と書き込んでいる。この本が英訳されるとき、むこうの人がそりゃ反対じゃぁないか、と言ったそうだが、それはもっともである。道を極めた人には全く反対のことがいえるのである。
私はお経にそんな変なことが書いてある筈はないと思い、岩波版は品切れと言うことで、神田の東陽堂にFAXを入れて別の「因果経四十二章経講義」という古い本を手に入れた。そうすると、標記の言葉が何処を探しても見当たらない。そのことをNさんに言うと、「42章しかないのに(ようさがさんのか)」と人を小馬鹿にしたようなことを言った。ところが、仏説四十二章経というのは偽経とも言われ、更に異本が色々ある。私の本のそれらしいところを読むと、全く違う話になっている。ふとインターネットで探せばよいと気付いて検索すると、岩波版が1冊あった!!
早速その本で探すと、第九章に「佛言く、博く聞いて道を愛すれば、道必ず会し難し。志を守って道を奉ずれば、其の道甚だ大なり。」とある。前に読んだ人が、鉛筆で薄く「中国思想の影」と書き込んでいる。私見では中国禅の影響である。その禅でも悟後は私の付け加えたのが正しいと思う。後半の「志を守って道を奉ずれば、其の道甚だ大なり」というのも意味深長である。
いずれにしても一方を証するときは一方は暗しという。真理?の一面だけを強調するのはいかがなものか。仏典の言葉は金言格言とは違う。また仏道は単なる修身の道とは違う。仏道を会得していない者が訳知り顔に仏典の一部だけを引用するなどもってのほかである。仏罰を覚悟しなければならないだろう。
アホのための研究法(10) 理想、構想をもつ。
アホだからといって、ちまちました理想、目標を持つようなことではダメです。アホだからこそ、フツーの人が考えられないような、これ以上高い理想はないという理想を持ちたいものです。少なくともアホぢからが出るには、高い理想を持つことは必須です。理想と言っても、外物のたとえば賞を取ることや、業績を上げて教授になること、博士号をとるというようなことではなしに、最高の数学をするということです。
最高の数学とは、私の場合、岡潔の7,8番目の論文のような迫力が出たらいいな、ということです。テーマ的には、リーマンの処女論文「一複素変数の関数の一般論の基礎」(1851) に対比して「多変数複素解析学の基礎」といったものをやりたいのです。岡潔は多変数関数論の基本的な問題を解決しましたが、多変数解析学では研究対象は多変数写像になるので、多変数解析学の準備をしたのだと考えています。
ここまではっきりした構想を抱いたのは5,6年前のような気がしますが、とにかく習作的に小林双曲幾何をやって一通りやれそうなことはやって、もうすることは無くなった、もう数学はやめようか・・・と思った後です。もうやることはないと半年くらいは思っていたと思います。そんなある時ふと、自分は何のために脱サラしてまで数学をやりだしたのか思い出したのです。要するに解析空間上の複素解析がやりたかったんだ、ということです。解析空間が特異点(一意化できない点)を持つと事情が俄然複雑になります。解析空間が特異点を持たないとき解析多様体と言いますが、このときはスタイン多様体で考えれば大体いいのですが、それに対応するスタイン空間というものが解析空間にもあるのですが、これは面白いことも何ともない代物です。最近2次元のスタイン多様体の分類論をやったことからすると、スタイン空間にも分類論はあり得ます。しかし、一般な解析空間の分類がまず必要でしょう。それらをひっくるめて2次元でやること、これが私のあと十数年位のテーマです。年齢的に言ってそれくらいでしょう。
だからといって今までいきなり取り組んだ訳ではありません。確かに脱サラしたすぐ後は、それに関係する問題をやったのですが、今から思えば児戯に等しいですね。その時、自分で実力不足を痛感しました。それで習作として小林双曲幾何をやりました。そして5つの論文を書いて、種が尽きたのです。10年近くも習作をやっているうちに、初心をすっかり忘れていて、次に何をするか?何もない!となって数学者をやめようと思いました。ところがある時ふと、本当にやりたかったことを思い出し、習作をやったのもそのことをやるために実力をつけるためだったことを思い出したのです。なんと私はアホなんでしょう。
自分のことをくどくど言ってすいません。私は確かに今そういう構想を持っています。この夏休み(03.8) からぼつぼつ具体的に考え始めています。うまくいくかどうかなんてまるでわかりません。しかし、夢はどこまでも大きく、目標は中位に、目標を解くための計画は小さくていいということです。目標は中位ということですが、自分が10できると思ったら11位のことをやるということです。10できると思うとき、11位のこととはできるかできないかわからない、しかしやってみたらひょっとしたらできるかもしれない、という位のことです。10できると思うとき、10位のことをやるのとも、20位のことをやろうとするのとも違います。あくまでも11なのです。目標に迫る計画は小さくてよい、というかできそうなことからやります。目標を忘れない限り、そういうものの積み上げで、いつのまにか11のことができてしまうのです。
夢とか理想はラストシーンです。追い追いにラストシーンをはっきりさせていくことは重要で、未来を現在に引き寄せるというか、今やっていることがラストシーンとどう関わるか考えることです。深い処にくると、ヒント、ヒントの網の目が張りめぐらされています。現在の多変数関数論、一変数関数論は私の言う多変数複素解析をやるには考え尽くされて、充分な情報を持っていると考えられます。あとは真面目に腰を落ち着けて考えるだけだ、という気がしています。
本を書くことを例にとると、
@ まず本の題名(テーマ)を考える。
A 大まかな項目に細分する。
B 折に触れて思いついたこと、何か本を読んで(上の項目に沿って読んでいく)これを書こうということをカード化して、項目別にカードケースにほりこんでいく。
C カードが適当にたまった時点で全体をまとめる。
本を書くことは数学の理想を実現するのに較べて、まあ易しいでしょう。でも何か本を書きたいと漠然と考えているだけでは、なかなか本は書けません。数学でも同じなのです。