雁屋哲の美味しんぼ日記


大相撲を守れ

2011年2月5日(土)@ 22:33 | 雁屋哲の美味しんぼ日記

 もういい。充分すぎる。
 お相撲さんを、これ以上いじめるな。
 八百長をした事がはっきりした力士は厳罰に処すことに異議はない。
 しかし、だからといって、その罪を他のお相撲さんに及ぼしたり、名古屋場所を取りやめたりするとは、正気の沙汰ではない。

 どこの世界にも、道を踏み外す人間はいる。
 全体の中の数パーセントの人間の不始末で、相撲全体を潰すなど、狂気の沙汰だ。
 私たち日本人が、この数百年の間、どれだけお相撲さんを愛し、お相撲さんに力づけられてきたことか。
 大関、横綱になるために、どれだけの精進をお相撲さんがしてきたか、みんな良く知っているはずだ。
 八百長なんかで、大関、横綱になれる物ではない。
 それだけの力があるから、大関・横綱になり、我々普通の日本人が憧れ、愛し、誇りに思ってきたのではないか。

 昔から、大相撲の八百長話は、あちこちの週刊誌を賑わせてきた。
 幾つかの週刊誌の八百長暴露話には、かつて幕の内力士だった人間が進んで話しをしたりして、非常に嫌な話になっていた。
 それが、立ち消えになったところに、今度は、携帯メールでのやりとりと言う、否定することが不可能な証拠を警察が握った。
 確たる証拠を掴んだと言うことで、テレビ、新聞、など凄まじい勢いで相撲協会を攻めに攻めまくっている。

 最近の日本は、長引く不況のせいで、集団ヒステリーが起きやすい状況になっている。
 日本人全体に、その正体が明らかにされない、市民団体による働きかけによって、これまた誰が誰なのか分からない不可思議な「検察審査会」が小沢一郎氏を起訴するように決め、その結果を絶対のものとして、新聞、テレビなどの誘導によって、世論調査で小沢一郎氏の議員辞職などを、過半数の人間が求めている。
 小沢一郎氏が何をしたかということより、この訳の分からない「市民団体」による「検察審査会」に対する、再起訴の訴えが認められたこと。
 また、どんな人間によって、どのような審査過程を踏んで小沢一郎氏を「不起訴不当」として、強制的に起訴するように持って行ったのか明らかにされていないこと。
 この二つをもって、私は、日本は「民主主義国家」の看板を、直ちに引き下ろすように要求したい。
 どうしても、小沢一郎氏を政界から葬りたい人間達が、検察が正面から挑んだのでは起訴出来ないのを、「検察審査会」などと言う、全く民主主義の論理から外れた機構を使って、世論を煽り、小沢一郎氏を追い込もうとしているのだ。
 この醜悪さ、この悪辣さ。
 そしてその策に乗り、集団ヒステリーに陥って自分たちが何をしているのかも分からなくなってしまった、日本人の情け無さ。
 私は、本当にこのような不正な手続きで一人の人間を貶めることが可能である日本という国に深い絶望感を抱いている。

 そこに持って来て、大相撲の八百長話騒ぎだ。
 どこの世界にも、不出来な人間はいる。
 大相撲で言えば、絶対に三役に上がれることがないと分かってしまう相撲取りはいる。
 そのような、前途が見えてしまってそれ以上の希望を抱けない人間は、どこの世界にもいて、そう言う人間が、その人間の属する世界を深く傷つけるような不祥事を起こした事例は、今までに枚挙にいとまがない。
 今回の、八百長問題も、小結、関脇、大関、横綱、という出世街道を突っ走ることの出来ない、前途に大きな野望を抱けない相撲取りが起こした問題だ。
 ところが、小沢一郎氏の辞任を要求する集団ヒステリーはここにも及んできて、一部の不届きな相撲取りの不祥事だけを元に、大相撲全体をこのまま消滅させようと言う、馬鹿げた動きも出始めている。

 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな!
 大相撲が、大衆の物になって以来、この二百年、日本人がどれだけ大相撲によって、元気づけられ、力づけられ、楽しませて貰ってきたことか。
 大相撲は、日本の世界に誇る文化の一つである。
 一握りの人間が、八百長に関連したからと言って、どうして、大相撲全体を破壊させようというのか。

 よおい、皆の衆!
 いい加減に正気を取り戻してくれ。
 集団ヒステリーはもう沢山だ。
 大人の知恵を働かせてくれ。
 大相撲がない日本なんか、日本じゃない。
 大相撲を守れ!
 お相撲さんを守れ!