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進化する玄関口:5・4大阪駅全面開業/上 大屋根の下の「まち」

JR大阪駅と南北のビルで構成する「大阪ステーションシティ」。駅の北側(右奥)の再開発も進められている=大阪市北区で、竹内紀臣撮影
JR大阪駅と南北のビルで構成する「大阪ステーションシティ」。駅の北側(右奥)の再開発も進められている=大阪市北区で、竹内紀臣撮影

 ◇歴代駅の粋、凝縮

 国鉄民営化(87年)から間もない90年。JR西日本の新入社員として建設工事部に配属された宮崎博司さん(44)は職場の先輩が持っていたイメージ図に目を奪われた。大阪駅北側に銀色に輝く高層ビルが二つ並んで建ち、下部には「大阪駅構想」の文字。当時、社内でひそかに練られていたツインタワー構想だった。「当時はまだ夢みたいな話だったが、一番お客様の多い大阪駅を早くいいものに、という思いは民営化当初からあった。いつか自分が手がけたいと考えた」と振り返る。

 それから21年後の春。大阪駅開発のプロジェクトリーダーとなった宮崎さんは、ホーム上空をすっぽりと覆う東西180メートル、南北100メートルのガラス張りの巨大ドーム屋根をいとおしそうに仰ぐ。「ツインタワーから姿は変わったが、関西の玄関口にふさわしいランドマークになった」

 大阪駅のリニューアル計画が動き始めたのは京都駅ビル完成(97年)後の01年ごろ。駅北側の総面積約24ヘクタールの土地(北ヤード)の開発に行政や経済界が乗り出したことが契機だった。大阪駅は梅田地区の南北をつなぐ役割を担う。「駅の上空をもっと効果的に使えないか」。議論が起きた。ドイツなどヨーロッパの鉄道先進国ではターミナル駅の象徴として大屋根が設置されている。「屋根をつけることで空間ができ、来た人の印象に残る」

 日本最大級の大屋根工事は09年10月ごろから。工事責任者の前田満さん(39)は「ホーム上の工事で、作業時間や場所は非常に限られ、10分刻みのスケジュールを立てた。今までにない難工事だ」と語る。

 作業は線路が眠る午前1時半~4時。ノースゲートビルディングの屋上に部品工場をつくり、できた部品をクレーンで橋上駅舎上に運び、組み立てる。前田さんは「計画を聞いた時は『ほんまにできるんかいな』と思ったが、課題を一つ一つ解決していった。“工事屋の意地”です」と胸を張る。

 5代目となる大阪駅は、「歴代大阪駅のいいところを結集した」(宮崎さん)という。ドーム屋根直下で南北のビルを結ぶ時空(とき)の広場。両側がガラス張りで、列車の発着を上から眺めることができる。多くの人が集まったという初代大阪駅の駅前広場を参考にした。一方で、照明やドライミストなど将来、自在に使えるような仕組みも整備した。宮崎さんは力を込める。「駅とまちが一つになった『えきまち』を作った。使う人や運用によってどんどん進化していくだろう」【牧野宏美】

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 1日約85万人が乗降する西日本最大のターミナル・大阪駅がリニューアル工事を終え、5月4日に「大阪ステーションシティ」として生まれ変わる。駅の進化と人々への影響を探った。

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 ■ことば

 ◇大阪駅

 初代は木造れんが造りで、1874(明治7)年開業。2代目は1901(明治34)年で石造り、36年に工事が始まった鉄骨造りの3代目は上層階にホテルをつくる予定だったが、太平洋戦争の影響で断念した。4代目は79年に開業し、百貨店やホテルが入った「アクティ大阪」も83年に完工。5代目は北側にJR大阪三越伊勢丹や映画館が入るノースゲートビルディングを新築、アクティ大阪を増築してサウスゲートビルディングとなり、橋上駅舎などと南北のビルをあわせて「大阪ステーションシティ」と呼ぶ。総事業費は約2100億円。

毎日新聞 2011年4月28日 大阪夕刊

 

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