「累積被曝量、言えない…」福島第1原発の東電社員に“悲壮感” 

2011.04.07


原発事故処理にあたる東電社員らが詰めている免震重要棟内部。放射性物質への対策は完全ではなく、棟内でもじわじわ放射線を浴びる状態という(東京電力ホームページから)【拡大】

 相次ぐ事故により深刻な状況が続く東京電力福島第1原発で、震災発生から長く敷地内にとどまっている第1原発企画広報グループの村田泰樹さん(44)が6日、共同通信の電話取材に応じ、施設の状況などを語った。しかし、約1カ月にわたって累積された被曝線量については「言えない」と口を閉ざした。

 村田さんは震災が起きた3月11日から、第1原発敷地内にある「免震重要棟」と呼ばれる2階建ての中にいる。数少ない窓は鉛の板でふさがれた。窓から施設内に放射線が入るのを防ぐためだ。

 玄関前には、作業員が防護服を脱ぐためのプレハブ建屋を新設。毎日、夕方にはここで一度に20〜30人が防護服を脱ぎ、肌着姿で免震棟玄関に。顔や体に放射性物質が付着していれば、玄関で除染作業が行われる。

 免震棟付近では一時、毎時約3000マイクロシーベルトの高レベル放射線が検知されたこともあり、線量管理は厳重。しかし村田さん自身に累積された被曝線量については、何度尋ねても「言えません。個人情報でもありますし…」と繰り返した。

 免震棟2階の「緊急時対策室」では吉田昌郎所長ら第1原発幹部が、東電本店と24時間つながっている大型テレビ会議システムを使い、作業の進捗状況などを伝えている。テレビは数台あり、東電関連のニュースがある時だけは音量を上げる。国内外の反応もインターネットで把握している。

 食料は約20キロ離れた事故対応拠点「Jヴィレッジ」からトラックで運び込まれる。村田さんが免震棟の外に出るのは、トラックが到着して荷物を降ろす時だけだ。

 震災からしばらくの間はクラッカーや非常用乾燥米など1日2食だったが、今は菓子パンやバランス栄養食品、ソーセージも届き、1日3食となった。6日の昼食用として免震棟に用意されたのは約700人分。トイレは水を流せるが、上水ではないため手洗いには使えない。

 村田さんは最近、5日連続で働くと1日休みが取れるようになった。妻と小学3年の長男が避難している首都圏の実家まで会いに行き、また免震棟に戻るのだという。

 

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