岩手から宮城へ
テーマ:ブログ昨日の報告です
仙台を朝8時に出発し、岩手県から宮城県へ大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸と南下しながら被災地を視察する。
これまでに視察してきた相馬市、亘理町、大槌町と同様に津波による被害が激しく、
あまりにも凄惨、悲惨すぎる光景に言葉を失い、溜息しか出てこない。
被災から40日以上が経過しているにもかかわらず、
瓦礫などはほとんどそのままになっており、片付ける重機の数も少ない。
非被災地の全国の建設業者に協力してもらい、ご遺体の捜索も兼ねて短期間で一気に片付けられないものだろうか。
政府から号令をかければ、すぐにでも撤去が出来るはずなのだが・・・。
そんな中、被災地に初めて行った同行している一人が急に体調の悪化を訴えた。
想像を絶する光景を目の当たりにしてショックが大きすぎたようだ。
被災地に広がっているあまりにも沢山の悲しみや苦しみを正面から受け止めるのは、
誰であっても耐え難く、たとえ短時間の滞在であっても精神的な負担は大きい。
そんな時、ふとPTSDが頭をよぎる。
被災地で活動を続けている自衛隊の隊員にもPTSDの症状が出始めている。
徳洲会のTMATの第一陣で被災地に入った現役の看護師にPTSDの症状が出ているとも聞いた。
実際に震災を経験した被災地の方々、特に子供たちは更に深刻だ。
震災を経験した方々の心のケアは今後の大きな課題である。
先日に引き続き、TMATが活動を続けている宮城県気仙沼市の本吉病院に立ち寄った。
震災があってから事情により医師がいなくなり、現在はTMATの医療スタッフだけで診療を行っている。
今日もTMATから医師4名、看護師2名、薬剤師1名、事務系2名が応援に入っており、
午前中だけでも92名の外来診察を行ったと報告を受けた。
本吉病院は津波を受け一階部分が完全に浸水したが、
その後、この小さな病院を守るためにと地域住民の方々が綺麗に掃除をされ、現在は一階部分も使用可能となっている。
本吉病院の看護師長さんとお会いしご挨拶をすると、
「徳洲会の皆さんには本当に助けて頂きました。ありがとうございました」と御礼を言われるなり、涙を流されました。
他のスタッフの話では、看護師長さん自身、家も家族も被災しているにもかかわらず、病院で医療を続けてこられたという。
震災以降、地獄のような状況で一生懸命耐えながら頑張ってこられたんだと思うと私も涙が出てきました。
気仙沼市の病院から医師が来られるということで、
TMATは5月2日に撤退すると聞いていますが、
これからも引き続き出来るだけの応援を続けていきたいと思います。
それから南三陸のコミュニティーセンターを再び訪問し、活動を続けているTMATのメンバーに声をかける。
全国の病院から自ら志願して、
震災直後から避難所にて医療支援を行ってきた彼らをはじめ、
被災地でボランティアを行っている全ての方々に心から敬意と感謝を表したい。
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