第一章-4 来山南館のスタッフの一人としてデビュー
2004年12月よりこの仕事を始める。私が働く事に成ったこのホテル、実は問題が山積みであった。マネージャーを半分クビの様な形で出て行ってもらい欠けた人員の補強で入ったのだが。このホテル全くというほど中身が無茶苦茶であった。予約が整理されていないわ、1つの予約に対して別々の人間が返事しているわ。英語の返事も無茶苦茶。翻訳ソフトを使って変換した英語をそのまま送信。翻訳ソフトを使うと完璧な英語に変換してくれると信じていたらしい。まぁ、よくこんなんで、お客さんが来ていたねという様な感じだった。
まずは何から初めていいのか。設備の変更などは後回しで、とりあえず接客。それも、英語での接客を出来るように。英語がわからない人にいきなり英語で接客しろと言っても無理な話である。かと言って、自分で全てをする訳にもいかない。フロントで、とりあえず渡せば一応は理解してもらえるであろう英語の案内文、そしてメールを返信する為のひな形を作成した。来た予約に対して、名前や日数だけを入力すれば返信できるようにした。また、ツインの部屋を希望だが、あいにく満室でシングル2つなら大丈夫ですよと言った文章など。「関空よりどの様にしてくれば良いか」など、今迄に有った質問や返答を全て英語で作成した。英語がそんなに分からない人でも、メールの返事が有る程度やって行ける様な物を作った。これでも対応できない物は置いておいてもらった。
徐々にではあるが、内部の体制も整い正常な状態に戻って来た。
次にやりたかった事は、旅人達がコミュニケーションをとる事が出来るスペースを作りたかった。旅の楽しさはここの活用し方次第で大きく変わってゆくだろう。使う、使わないは人それぞれだが、旅人の集まるヤドとしては提供しなければならない設備の一つであろう。しかし作りたいが場所が無い。
元々は日雇い労働者が泊まる為に作られた施設。数年前迄は男性のみで女性は宿泊できなかった。もちろんロビーなんて必要なかった。必要な設備はフロント、客室、共同の洗面、トイレ、大浴場。これだけで十分。女性用のトイレを作る為だけでも、大変だった。結果的には廊下沿いの壁をぶち破って、倉庫を無くし、さらに事務所を小さくしてなど。その結果念願のロビーが出来た。
旅人にとって他の旅行者と仲良くなり、情報交換そして共に旅を楽しむ事は多くの者の醍醐味。それを、出来るだけ手助けしたかった。
集客に関してもいろいろ試してみた。たくさん試して、実際に効果が出たのは、わずかではあったが集客に結びついた。例えば、国内の楽天トラベルの様な、宿のポータルサイトへの出し方も研究した。いかに自分たちの宿を選んでもらえるか。お客さんは、インターネット上で宿を選ぶ。実物は見ない。インターネットに有る情報だけで宿を捜す。インターネットで見つけてもらった時にいかに予約のボタン迄押してもらえるようにするか。いろいろ研究した。結果的に大阪府で100位以下だったものが最高4位迄上り詰めた。ここで、全て
を書く事は出来ないが、「興味を持ってもらえるように」。ここを最重要項目として、いろんな表現を織り交ぜ文章を書いてみた。
やり方次第で状況は変わる。やり方一つで数字も変わってくる事が実感できた。しかしこれだけではない。宿経営に於いて一番大切なのはやはり接客だ。地道な一人一人への対応。それが、口コミで伝わりまたお客さんが来てくれる。口コミについては、またゆっくりと書いて行く。
来山南館の新しいマネージャーがしっかりしていただけに、軌道に乗り出すのにそう時間はかからなかった。しかしこの時点では私もまだ手探り状態であり、3年後の今から考えるとまだまだスタートラインに立ち出した、何もがまだまだ不十分な頃であった。 |