本と映画と政治の批評
by thessalonike5
アクセス数とメール
今日 
昨日 


access countベキコ
since 2004.9.1

ご意見・ご感想
最新のコメント
最新のトラックバック
以前の記事


access countベキコ
since 2004.9.1


















小出裕章『隠される原子力』を読む(2) - 二酸化炭素温暖化説
ネットの中を見ていると、小出裕章に対しては神を崇めるように拝跪しながら、広瀬隆に対しては「トンデモ」の烙印を押しつけ、容赦なく誹謗中傷して袋叩きにしている者が多い。特に左翼系の方面にその傾向が目立ち、広瀬隆を悪罵して吐き捨てることは、蓋し左翼系がネットで群れ合う際の挨拶代わりの常套句の観があり、そのコードとプロトコルが慣習として定着している状況がある。前回、広瀬隆の『二酸化炭素温暖化説の崩壊』を書評したが、今回は、それと対比して、小出裕章が二酸化炭素温暖化説をどう論じているかを見てみよう。結論を先に言えば、基本的に両者の視点と主張は一致している。そして、二酸化炭素温暖化説が原発推進論の槓杆となった点を痛烈に批判している。小出裕章は、二酸化炭素が地球温暖化の原因だとする認識は科学的に正しくないと断じている(P.68、P.94)。温暖化のメカニズムは複雑で、要因は多数あり、二酸化炭素を主因として特定することはできないと言い、多くの人が根拠薄弱な説を鵜呑みにさせられていると説いている(P.98)。広瀬隆と異なるのは、地球温暖化の事実については、それを認めているという一点のみである。この点は、確かに広瀬隆を著しく異端にする問題だが、二酸化炭素温暖化説に限って見れば、広瀬隆と小出裕章の立場と見解は同じと言ってよく、特にその俗説の政治的利用(原発推進正当化)を真っ向から糾弾し警告する点で一致している。


小出裕章は、二酸化炭素が地球温暖化の真犯人だと認めていない。温室効果説に立たない。『隠される原子力』は、昨年12月に出版されたもので、原子力の危険性を指摘することが議論の中心だが、全体の2割(6章-8章)の頁数を二酸化炭素温暖化説の検討に割いている。ここでは、IPCCが温暖化のデータを偽造した「クライメット事件」についても紹介され、二酸化炭素温暖化説の根拠への疑問が投げかけられている。そして、次のように言っている。「一番ひどい主張は、二酸化炭素の放出を減らすためには、化石燃料への依存をやめ、二酸化炭素を出さない原子力に切り替えなければならないという宣伝です。本書はそれがいかにでたらめかを述べるものですが、現在の二酸化炭素悪者説には、それだけでないたくさんの嘘があります」(P.68)。この立論と主張は、広瀬隆と全く同じだ。それから、原発の海への温排水に注目する点も同じである。原発で発熱した熱エネルギーの3分の2が海に放出され、海水を温め、生態系に悪影響を与えている問題を重視して取り上げている。この点は、まさにネットの左翼系が広瀬隆の二酸化炭素温暖化説批判を非難する際に、主たる標的として攻撃していた当の問題である。広瀬隆は、温暖化の原因として、二酸化炭素以上に原発による海水温熱化があると切り込んでいたが、広瀬隆を狂人扱いする左翼系は、この説明に根拠がないと噛みつき、原発の海への放熱など環境に影響を及ぼす程度ではないと強弁していた。

小出裕章が同じ立論を展開している。引用しよう。「私が原子力について勉強を始めたころ、当時、東大の助教授をしていた水戸巌さんが私に、『<原子力発電所>と言う呼び方は正しくない。あれは正しく言うなら<海温め装置>だ』と教えてくれました(略)メインの仕事は海温めです。そういうものを発電所と呼ぶこと自体が間違いです」(P.77)。P.78には、「1秒間に70トンの流量を超える日本の河川」の表があり、100万KWの原発が1秒間に70トンの海水を7度上げる効果について述べている。この議論は、広瀬隆が『二酸化炭素温暖化説の崩壊』のP.152-153で論述している内容と説得の方法が瓜二つだ。広瀬隆は、日本列島に109ある一級河川を書き連ね、日本の全原発が海に排熱している熱量を合計すると、この一級河川に流れる水全体を3.1度上昇させると計算している。広瀬隆の本の中でも強い印象が残る部分である。広瀬隆の本が出たのは昨年7月。小出裕章の本の半年前である。どう考えても、この説明手法の一致は偶然ではなく、小出裕章が広瀬隆を読んで参考にしたか、広瀬隆が小出裕章の講演録を参考にしたか、あるいは、反原発の科学論壇の中でこうした方法の提起と証明が定着し、認識が共有されていたことの結果である。二人の間で視点と方法が共有されている。このことは、小出裕章を神格化し、広瀬隆を法螺吹きと決めつけ、二人を引き裂いて隔絶させようとする左翼系にとって、相当に不都合な真実に違いない。

二人が共通しているのは、東京生まれで、戦後の東京で育った環境というところがある。小出裕章は広瀬隆より6歳下だが、昔の東京の自然の風情を懐かしむ感性が同じで、その郷愁が文章の中に強く現れている。本の冒頭、小出裕章はこう書いている。「私は1949年、東京の下町に生まれました。(略)そのころの東京にはまだ空き地や路地がそこそこにあり、そこで遊びながら育ちました。しかしその後、東京も含め日本中がすごいスピードで変わっていきました」(P.4)。広瀬隆の本の中にも、似たような過去の自然情景への感慨がある。高度成長の60年代、まだ西新宿に副都心がなく淀橋浄水場があった頃、「ALWAYS三丁目の夕日」よりもずっと後の時代だが、新宿の小さな雑木林にはカブトムシもいて、子どもたちが網で蝶を追いかける日常があったと言う。確かに東京の自然破壊は早かったが、60年代の風景は、私が暮らしていた田舎の町とそれほど変わりはないのだ。藤子不二雄のマンガに出てくる、子どもたちが遊ぶ土管のある空き地は、私の少年時代の田舎の町も同じだった。鉄材とか、工事資材が置かれた空き地があり、そこで小学生が放課後に野球をして、草むらにボールが入って見えなくなる日暮れまで遊んでいた。東京も地方も、子どもたちの生活は同じだったのである。前に、ビリーバンバンの「まだ君に恋してる」と自然の問題について考えたことがあるが、昔と今の日本人の人格の違いは、教育環境以上に自然環境の問題が影響していると思わざるを得ない。

さて、前回の記事で戦後日本の核開発を考え、原子力開発の裏側に、エネルギー供給だけでなく核兵器製造の意図が隠されていた疑惑について論及した。5/3の憲法記念日のNHK・NW9に、高村薫が出演して原発問題で奇妙なことを言う場面があり、その発言と論理が気になったので、見逃さずここで触れておきたい。高村薫はこう言っている。「村が二分されて、賛成反対の対立をする不幸な歴史がずっと続いてきたわけですよね。その中で、本当の技術的な問題が誰も理解できないまま、正しい情報が出ないままになってきた。日本の原子力政策が行われてきた半世紀は、55年体制と同時でしたので、原発の問題が常に賛成か反対かに分かれ、それが常にイデオロギーと一緒にされてきたと思う。それが非常に不幸なことで、私たちは消費者あるいは国民として、イデオロギーや政党色を置いて、まさに科学技術として、現実的な評価が行われきたのか、それを知りたいわけですね」。脱イデオロギー、イデオロギー不毛論の原発論であり、一見して、何か妥当で穏当な正論を言っているように聞こえる。しかし、よく考えると、この議論は全く間違っていて、戦後一貫して原発を推進してきたのは、自民党を中心とする保守勢力であり、原発が安全だとして「正しい情報」を出してきたのも彼らである。そして、原発の危険性を訴えて反対してきたのは、社共を中心とする革新勢力である。村が二分されたのは、保守勢力が住民を騙し、買収し、分断してきたからであり、イデオロギー対立は村人に内在的な問題ではない。

高村薫の総括は、原発問題をイデオロギー対立の次元に無前提に還元し、イデオロギーそのものに原発の不幸の原因があるように演出する言説であり、原発を推進してきた政治責任を左右の両勢力に等分に賦課しようとする論理だ。イデオロギー対立という抽象性を主犯化することによって、罪責を左右均等に分割し構図化する巧妙な詐術である。そのことによって、何も責任もない革新側に政治責任の一端があるかのように意味づけられ、逆に、政治責任の全てを負わねばならない保守勢力を免責する観念が導出される。高村薫の議論こそ悪質なイデオロギーであり、問題の本質を隠蔽するプロパガンダである。これは、原発に反対してきた革新勢力の意義を否定し、原発を推進してきた保守勢力の過誤を曖昧にする目的の言説であり、高村薫と同じ立場に立ち、原発批判の世論が保守勢力を指弾するのを阻止しようとする大越健介による画策である。腹黒い世論工作だ。原発問題についての政治的正当性は、一から十まで社共の革新側にあるのは自明であって、この事実は疑う余地もない。自民党など保守勢力は、根拠のない原発の安全神話を弄して国民を騙し、原発に反対する住民をアカ呼ばわりし、不当なレッテルを貼って迫害してきたのである。そして、原発に反対する社共勢力に対して、「何でも反対」の野党だと貶めて排斥してきたのだ。原発の政治責任は彼らにある。もし、原発問題が不幸なイデオロギー対立に拠るものだと言うのなら、原発問題をイデオロギー問題にしたのは保守(右翼)の側に他ならない。

現在でも、それは続いている。原発問題は依然としてイデオロギー問題でもある。この期に及んでも、原発によるエネルギー供給を正当づけ、原発必要論を声高に咆哮し、原発廃止を求める市民を口汚く罵っているのは誰だ。石原慎太郎ではないか。東電本社前に向かう反原発のデモ隊に対して、銀座の外堀通りで待ち構え、戦闘服姿で威圧し、「原発が嫌なら電気を使うな」とか、「反対なら日本から出て行け」などと、脅迫めいた怒声を飛ばして妨害しているのは誰だ。東電から流れたカネで仕事している職業右翼ではないか。それが日本の政治の現実ではないか。高村薫と大越健介に聴きたいが、原発について、それを推進する保守側が、国民に「正しい情報」を提供するなどという事態があるのか。そうした想定がそもそも成り立つのか。保守側の原発安全神話は、常に「正しい情報」だったのであり、それに反対する側の主張が、「イデオロギー的に偏った不正確な情報」だと決めつけられたのである。保守側・政府側の安全神話こそが常に「正しい情報」であり、現在でも、御用学者である岡本孝司や山口彰の解説が、NHKが国民に提供する「正しい情報」ではないか。そして、それは正しくないと暴露し告発してきたのが、市民側・革新側に立つ、冷や飯組の良心的科学者だった。現在、あの事故によって初めて、暴露し告発した側の正当性が一般に認められるようになったのである。原発問題をイデオロギー対立から脱却させるとは、国民の多数が革新側の正当性を認めることである。原発に反対してきた勢力の意義を肯定することである。政治責任を左右均等に配賦することではない。

反対住民は、消費者として、国民として原発に反対してきたのであって、断じて、政治やイデオロギーが動機ではなかった。前回、戦後の核開発の歴史を見ながら、直感したことは、原発は永久に左右の政治対立と無縁ではないだろうということと、この国の右翼勢力が推進する政策(核武装・核発電)なるものは、基本的に民主主義と対立するもので、嘘と騙しと隠しがあり、国民に不幸と厄災をもたらすということだ。保守(右翼)勢力は原発を担ぎ続ける。



by thessalonike5 | 2011-05-05 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(1)
トラックバックURL : http://critic5.exblog.jp/tb/15447190
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by 玄明 at 2011-05-06 00:56 x
地球温暖化について、赤外(IR)吸収のことが言われる一方、水(H2O)についての言及はほとんど見られない。水がIRでの吸収が大きいのは、分析経験者には常識。所謂温室効果を、他人へ説明できるまでなっていないが、IRでの吸収のあるガスが原因であるなら、CO2もH2Oも同じはず。仮にCO2が削減できたとしても、海がある以上、大気中の水蒸気分は。
名前 :
URL :
※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。
削除用パスワード 
< 前のページ 昔のIndexに戻る 次のページ >

世に倦む日日
Google検索ランキング


下記のキーワード検索で
ブログの記事が上位に 出ます

NHKスペシャル 激論2009
竜馬がゆく
花神
世に棲む日日
翔ぶが如く
燃えよ剣
王城の護衛者
この国のかたち
源氏物語黄金絵巻
セーフティネット・クライシス
本田由紀
竹中平蔵
皇太子
江川紹子
G20サミット
新ブレトンウッズ
スティグリッツ
田中宇
金子勝
吉川洋
岩井克人
神野直彦
吉川元忠
三部会
テニスコートの誓い
影の銀行システム
マネー敗戦
八重洲書房
湯浅誠
加藤智大
八王子通り魔事件
ワーキングプアⅢ
反貧困フェスタ2008
サーカシビリ
衛藤征士郎
青山繁晴
張景子
朱建栄
田中優子
三田村雅子
小熊英二
小尻記者
本村洋
安田好弘
足立修一
人権派弁護士
道義的責任
古館伊知郎
国谷裕子
田勢康弘
田岡俊次
佐古忠彦
末延吉正
村上世彰
カーボンチャンス
舩渡健
秋山直紀
宮崎元伸
守屋武昌
苅田港毒ガス弾
浜四津代表代行
ガソリン国会
大田弘子
山本有二
永岡洋治
平沢勝栄
偽メール事件
玄葉光一郎
野田佳彦
馬渕澄夫
江田五月
宮内義彦
蓮池薫
横田滋
横田早紀江
関岡英之
山口二郎
村田昭治
梅原猛
秦郁彦
水野祐
ジョン・ダワー
ハーバート・ノーマン
アテネ民主政治
可能性の芸術
理念型
ボナパルティズム
オポチュニズム
エバンジェリズム
鎮護国家
B層
安晋会
護憲派
創共協定
二段階革命論
小泉劇場
政治改革
二大政党制
大連立協議
全野党共闘
民主党の憲法提言
小泉靖国参拝
敵基地攻撃論
六カ国協議
日米構造協議
国際司法裁判所
ユネスコ憲章
平和に対する罪
昭和天皇の戦争責任
広田弘毅
レイテ決戦
日中共同声明
中曽根書簡
鄧小平
国民の歴史
網野史学
女系天皇
呪術の園
執拗低音
政事の構造
悔恨共同体
政治思想史
日本政治思想史研究
民主主義の永久革命
ダニエル・デフォー
ケネー経済表
価値形態
ヴェラ・ザスーリッチ
李朝文化
阿修羅像
松林図屏風
奈良紀行
菜の花忌
アフターダーク
イエリネク
グッバイ、レーニン
ブラザーフッド
岡崎栄
悲しみのアンジー
愛は傷つきやすく
トルシエ
仰木彬
滝鼻卓雄
山口母子殺害事件
ネット市民社会