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きょうの社説 2011年5月5日
◎親鸞750回忌 宗教土壌を見つめ直す年に
今年は浄土真宗の祖、親鸞の750回忌である。京都の東西本願寺では4月から法要が
始まり、「真宗王国」と呼ばれる北陸からも多くの人が参拝している。真宗教団の50年に1度の節目とはいえ、北陸に根付いた真宗は一教団の枠に収まりき らない精神文化の裾野の広がりがある。東日本大震災で社会における宗教の在りようも問い直されるなか、真宗関係者に限らず、地域の宗教土壌を見つめる年にしたい。 大震災では津波などで多くの命が一瞬にして奪われた。生死が隣り合わせにあるという 人間の本質に迫る現実に直面し、仏教の無常観に通じる深い思いにとらわれている人たちがいる。 歴史を振り返れば、日本人は天災や飢饉、疫病による大量死を何度も経験し、そのたび に人間の非力さを思い知らされ、無常観や死生観が養われてきた。それは宗教性と意識されないほど心の奥底にしみこんだ情感といえるかもしれない。大震災の極限の状況のなかで表れる人々の態度や心の持ちようも日本の宗教性と深いところでつながっているようにみえる。 評論家の山本七平氏は仏教や儒教、神道などが溶け合う日本人の多様な宗教観を「日本 教」と称した。同じ「日本教」でも地域によって色彩は異なり、北陸には真宗色の強い「北陸教」がある。 室町期に本願寺8世の蓮如が越前吉崎を拠点に精力的に布教し、真宗王国の礎を築いた 。東西本願寺合同調査団による北陸調査では、蓮如以前の本願寺歴代宗主(しゅうしゅ)の真宗布教の足跡も浮かび上がってきた。 お寺の多さだけでなく、民俗、食、方言など、あらゆる分野に真宗の文化が息づいてい るのも歴史の深さゆえである。そうした精神文化は人々が危機に直面したときには心の拠り所となり、共同体のきずなを強める力にもなる。宗教は地域にとって、かけがえのない文化であることを認識したい。 親鸞750回忌に大震災が重なり、北陸でも生死の意味を考える人たちが増えている。 そうした根源的な問いにこたえるのは宗教者の務めである。宗教者が力を発揮してこそ地域の宗教土壌も耕されてゆくだろう。
◎震災孤児 里親制度を拡充できないか
「こどもの日」を迎えて思いが至るのは、東日本大震災で被災した子どもたちのことで
ある。この日に成長を祝ってくれるはずだった親を失い、現実を受け止められない子もいるだろう。心の痛手は計り知れず、時間とともに喪失感を深めるかもしれない。社会全体で手を差し伸べ、息長く支援していく必要がある。厚生労働省によると、震災で両親を失ったか行方不明になった孤児は、岩手、宮城、福 島3県で132人に上る。阪神大震災の68人を大きく上回り、調査が進めば今後さらに増えるとみられる。 厚労省のガイドラインでは、社会的養護が必要になった子は里親委託を優先することが 明記され、施設養護から里親への流れができている。全国から里親の申し出が相次ぐなか、真っ先に考えたいのは孤児にとって最も望ましい環境で生活を続けることである。 2002年に児童福祉法の仕組みが変わり、3親等以内の親族が子どもを養育できる「 親族里親」が制度化された。祖父母など直系血族や同居の親族は民法上の扶養義務を負い、里親制度の適用外だった。「親族里親」になれば里親手当(月7万2千円)は支給されないが、孤児の生活費や教育費は受けられることになった。 東北は濃密な親類関係が地域のなかにある。実際、孤児の大半は親類の元に預けられて いる。身近な存在であれば子どもたちの安心感も高まるだろう。「親族里親」制度は十分に活用されていないが、地方特有の血縁ネットワークを生かす視点は大事である。一般の里親に支給される里親手当の適用など拡充策も検討したい。 大震災で3親等以内の親族も被災し、経済的、健康上の理由などで養育できないケース もあろう。であれば、親族の範囲を広げて里親になれる優先策が考えられないだろうか。心のケアが必要な子どもたちであり、環境の変化はできる限り少なくしたい。 社会的擁護を必要とする子の里親委託率は1割程度で、諸外国と比べて極めて低い。制 度への関心の高まりを生かし、社会の理解を促す活動も強化する必要がある。
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