2011年3月12日 21時35分 更新:3月13日 2時23分
巨大津波で家屋や建造物が根こそぎさらわれた爪痕から、幾筋もの炎や煙が噴き上がる。日本を震撼(しんかん)させた大地震から2日目。夕刻迫る太平洋岸を毎日新聞社機で北上すると、がれきの間でいのちをともすように救助を待ち続ける人々がいた。
午後4時前。晴天の空からはるか眼下に九十九里浜を望みながら浜辺を北に向かうと、避難勧告の出された東京電力福島原発が見えた。人けのうせた住宅地のはるか西方を、2台の車が脱兎(だっと)のごとく走り去る。
次々と押し寄せた大津波は、まるで日本地図を書き換えるように海岸線を突破した。宮城県の仙台空港では、新日本石油コンビナートが炎上。積乱雲のような黒煙が、高度1500メートルほど噴き上がる。付近には消防車も人影も見えない。
砂浜交じりの海岸線は、さらに北上するとリアス式海岸へと表情を一変する。
狭い湾内に流入した津波が、巨大な牙をむいて襲い掛かり、海岸線や河川の流域の家屋は軒並み全壊。コンクリートの土台だけが残ったが、海岸線の沖の海には大量の建築資材や油が浮遊している。
同4時15分、大型船が陸地に乗り上げた石巻港では、ヘリからザイルでぶら下がったレスキュー隊員が、取り残された住民をつり上げている。志津川町ではポツンと残ったビルの上に避難した数人の人影が、たき火で寒さをしのぎ、高台の学校の校庭では空を見上げる数人の被災者の傍らに、白線で書かれた「SOS 毛布1000枚 食料」の文字が見える。
三陸沿岸に近づくとその激しい破壊ぶりは累々と続き、かつて540人の死者を出した日航機事故の墜落現場で目撃したごとき凄惨(せいさん)さだ。しかし、そこでレスキューに当たる隊員や車両は皆無に等しい。
がれきに覆われた宮城県気仙沼市では、そこここで炎がのろしのように立ち上り、岩手県の陸前高田市や大船渡市では、コンクリートの一部のビルを除いて町並みが消失した感がある。その犠牲者は、万単位に上るのではとの思いにかられる。
午後5時。大槌町では家屋を焼いた炎が山の斜面を駆け上がり、町を覆う煙に西日があたり、赤く燃え上がっているようにみえる。その先の冠雪の山に三方を囲まれた宮古もまた……、壊滅的惨状だ。そして、その上空を救助ヘリが1機、飛んでいった。【萩尾信也】