地震:1030施設に帰宅困難者9万人受け入れ 都まとめ

2011年3月12日 10時29分 更新:3月12日 12時59分

都庁第1庁舎1階で寒さをしのぐ人たち=東京都新宿区で2011年3月11日午後10時48分、真野森作撮影
都庁第1庁舎1階で寒さをしのぐ人たち=東京都新宿区で2011年3月11日午後10時48分、真野森作撮影

 東京都災害即応対策本部のまとめによると帰宅困難者対策として12日午前4時時点で都内1030施設(民間を含む)で約9万4000人を一時受け入れした。都は11日夜、庁舎1、2階を開放し、ピーク時には約5000人が集まった。広いホールの至る所で人々は寒さ対策に配られたダンボールに座り、12日午前8時になっても100人近くが交通機関の再開を待った。

 仙台市建築指導課の大友篤さん(53)は11日、日帰り出張して帰れなくなった。1級建築士の資格を持ち、地震で崩壊した建物の危険度を判定する仕事。自宅は津波の被害が大きい同市若林区にあり「子どもたちや妻、両親と全然連絡が取れない。心配でたまらず、夜中の間ずっとニュースを見ていたが、どうしようもない。信じられない被害だ。信じたくない」とうっすらと涙を浮かべた。

 長野県上田市の三浦有紀子さん(20)は友人と原宿に買い物に来て地震と遭遇。12日午前3時に歩いて都庁にたどり着き、眠りかけた時に地元でも大地震があったと母親から電話を受けた。「余震もあり寒くてあまり眠れなかった。また地震が起きるかと思うと怖い」と表情を曇らせた。

 都教育庁の12日午前1時半現在のまとめでは、高校や特別支援学校など都立学校256校の児童・生徒8414人が帰宅できずに校内で待機。ほとんどがそのまま一夜を明かした。学校などは「帰宅支援ステーション」として約6000人を受け入れたため、都立高校42校は12日に予定されていた卒業式の延期を決めた。

 一方、東京都と埼玉県を結ぶ国道17号では12日未明まで徒歩で帰宅する人々が列をつくった。職場のある千代田区から都県境の荒川にかかる戸田橋まで3時間歩いた団体職員の男性(33)は「池袋でカプセルホテルに泊まろうとしたがどこも満杯だった」。自宅のある埼玉県鴻巣市まで30キロ以上をさらに歩くという。最寄りのコンビニ店オーナーの男性(62)は「普段の3倍の客がきた」と話した。

 千葉県浦安市舞浜の東京ディズニーリゾートを訪れていた帰宅困難者たちも関連施設や近隣ホテルのロビーで一夜を過ごし、12日朝も約2万3000人が周辺に滞在している。

 横浜市のパート、山崎帆美(ほみ)さん(40)は長女万夕香(まゆか)ちゃん(5)と施設で一夜を明かした。窮屈で寝られなかったが、暖房は利いており「寒さをしのげただけで良かった」と話す。万夕香ちゃんはパンフレットに「じしんのばか、じしんきらい」と書き記したという。

 さいたま市中央区のイベントホール「さいたまスーパーアリーナ」でも約5300人が一夜を過ごした。【石川隆宣、松谷譲二、山本愛、荻野公一】

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