クライン孝子の日記

2011年05月05日

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さるさる日記
■2011/05/05 (木) 手前味噌で申し訳ないのですが今日の日本を予言?

拙著『大計なき国家・日本の未来』
ですが
このタイトルでは当時、私自身はかなり抵抗があり、
出版社「祥伝社」とは当時、激しいやりとり?
を致しました。
最終的には、作家曽野綾子氏から、貴重なご助言を頂戴し、、、
そのいきさつを「あとがき」に記述sh増した。

けれども今から当時をふりかえりますと、編集担当田氏の
主張がまさに的中してしまい、、その先見の明に
私は脱帽しております。

ちなみに、曽野綾子氏の近作
老いの才覚 (ベスト新書) [新書]
ですが、今やベストミリオンセラー!

さらに若宮氏の
新刊 「なぜ韓国は、パチンコを全廃できたのか」
=政界、官界、マスコミ・・・。
パチンコ問題に日本の病理がすべて集約されている=
も目下ベストセラーであります。

そこで、若宮 健 氏より                      
 email wakamiyaken@hkg.odn.ne.jp   
 http://www.wakamiyaken.jp  

<<お世話になっております。

僕のHP「若宮健の最新情報」で
『大計なき国家日本の未来』
を紹介させていただきました。
この時代こそ、お読みいただきたいと書かせてもらいました。

実際に、この時代こそ多くの方に読んでいただきたいと
願っております。

==クライン孝子著『大計なき国家 ・日本の未来』(祥伝社)
2011/05/02

今こそ、クライン孝子さんの
『大計なき国家・日本の未来』を読みましょう。

今日の、日本の姿を予言した稀有の書で、
我々日本人がどうあるべきかを書かれた、
クライン孝子さんの、魂の叫びともいえる真心溢れる著作です。

この混沌とした、今の時代こそお読みいただきたい本です。

http://1.bp.blogspot.com/-7cUquPigdjQ/Tbmnfu1C-cI/AAAAAAAAAJQ/e8zefkt8ohc/s1600/%25E3%2582%25AF%25E3%2583%25A9%25E3%2582%25A4%25E3%2583%25B3.jpg

クライン孝子さんのHP http://www.takakoklein.de/ == >>

■2011/05/05 (木) 子供の日に寄せ=おざなり説法は届かず(1)

今日は子供の日です。

随分、昔のことになりますが

産経新聞  2003年5月5日「正論にて)

http://www.takakoklein.de/
クライン孝子の辛口コラム Vol.24
一部転載します。

私達は若者に夢を与えてきたか
−「こどもの日」に思う大人の責務
<<
従来の上意下達、学歴中心、年功序列、終身雇用の尺度では、
到底若者の気持ちを会社組織=就職という枠に取りこむのは
不可能で、根本的な解決の糸口にはならないということになろう。
また若者もそんな陳腐な大人の忠告に耳を傾けようとしない。
それどころか、つい気楽な生活を求めフリーターでもして
その日暮らしに明け暮れるのをよしとする。
有り余る物質的な豊かさの中にどっぷりと漬かって育った今
日の若者のライフスタイルであり生きざまである。

≪おざなり説法は届かず≫

もっとも私は若者たちをこのようにした責任の一端は大人に
あると思っている。
本来なら日本の多くの若者たちに夢を与えるのが大人の責務で
ある。それなのに、なぜか彼らは、従来の価値観を押しつけて
いさえすれば、若者たちは幸せなのだと思いこみ、
その場限りのおざなり説法でごまかし、彼らの真の問いかけに
ホンネで答えようとしてこなかった。
今その“つけ”が返されつつある。>>

そこで
一市民氏より

<<下記記事中の少年の行動には胸にジーンと響くものがあり、
それ以上に教えられるものがあります。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/topics/affairs-15414-t1.htm

私は地方の政令都市に住まう一市民ですが、
青年時代までは地方小都市の農村部で生活していた。
当時の田舎では火事の時には、村民一団となり一人残らず
消防団員に早変わりです。

女性も子供も総出で誰の指図も受けずバケツ・リレーに参加、
自分の役割を考えての火消しに懸命でした。
これが特別のことではなく、至極当たり前のこととして
身についていたのです。

長じて中都市に住み、その後、飲食業を営み、
町内で火事が起きた場合には、誰の指図も受けずに消防団へ
ニギリ飯の差し入れをしていた。
それが当たり前のことと思っていたからだが、
そんな状態で20年が経過した年の晩秋の日曜日の夜の
9時ころ、町内の一角から火の手が上がった。

■2011/05/05 (木) 大人よ、東北被災地の少年の行動を見習おう(2)

景気低迷中の町内の店の多くはシャッターを下ろし、
営業中の飲食店は自店の他は寿司屋3軒のみ、
消防団の懸命の消火作業にも拘らず火勢は増すばかり、
消防団員に差し入れをせねばと商店街連合会の事務所を覗けば、
火事騒ぎをよそ目に見知らぬ数人の者がへぼ将棋に熱中していた。

この有様はなんじゃ、こんなことじゃいかんと、
役員を探すために町内を駆け回り、ようやく役員の一人を
探し出して、“差し入れ”の相談をした。

ところが、驚くことに“自分はもう帰るから”と言う。
役員に“何とかせにゃいかんだろう”と食い下がると、
“ニギリ飯なら〇〇の店に売っているよ”と言う始末、

これが“町内の役員なのか”と心底呆れ返った。
過去に、ニギリ飯の差し入れを欠かしたことのない自分としては、
何としても差し入れをせにゃならんと、私の役目ではなのに、
休んでいた親しい小料理屋のママには大急ぎで一釜炊いてもらい、
寿司屋3軒にも頭を下げて直談判してお願いした。

どの店も気持ちよく二つ返事で応じて下さり、
自分の役目以外の事に奔走し終わってホッとした。
ニギリ飯が出そろったところで、最後に、商店連合会に花を
持たせて、消防団への差し入れを依頼した。
それでも尚、役員の一人は“そんな事をせにゃいかんの”
と言う始末で、不見識も極まれりであった。

更にその翌日、役員たちの“非難の声”が聞こえてきた。
“あの奴が、余計なことをしてくれた”
“有難迷惑じゃ”と言う呆れるばかりの声であった。

場合によっては命を落とす危険を冒して使命を果たしている
消防団に対して、僅かな差し入れさえも嫌悪するとは何という
常識のなさかと二の句も継げなかった。

一昔前まで大企業の城下町として栄えた政令都市の一角を
担った商店街が長引く景気低迷に喘ぎながら、
既に、ゴースト・タウンと化しつつあるのだが、
商店主たちの多くは共同体の社会の一員たる資格を著しく
欠いている。

この現象は、わが政令都市に限ったことではないだろう。
上記新聞記事にある東北被災地の少年の行動を見習ってほしい
ものである。>>

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