春の雨
春の雨は時に激しい。
晴れてさえいえいれば、生命の育まれる優しい季節。
それが、鼠色の空に閉ざされ、何もかもを洗い流すかのような豪雨。
誰もが雨を避け、息を潜めている。
額に落ちてきた水滴を手の甲でぬぐい、早苗は眉を顰めた。
降り出した雨は突然に勢いを増し、瞬く間に早苗の全身を水浸しにしてしまった。
慌てて手近な木の下に走り込んだのだが、ここも安全な場所とは言えない。
一つ溜息をつく。
今朝、家を出る時に母親が傘を持っていくようにと言っていたことを思い出した。
朝練に遅れそうで、そんな言葉は右から左に流してしまった。
帰ったら嫌味の一つや二つは覚悟しなければいけないだろう。
目の前は次々と降り注ぐ雨に晒された剥き出しのグラウンド。
「神様に意地悪されているみたい気分だわ。」
早苗は独り言を呟く。
自分の中に焦る気持ちがあることは自覚している。
目の前の・・・違う。
自分の夢に向かって頑張っている彼。
そして、その彼に叶わぬ恋をしている私。。
何者にも変えれない自分の心を、歯痒く思わないでいることはとても難しい。
もうひとつ。溜息をついた。
彼は、それに近づくために努力してるのに。
それでも、自分の中にどこか期待するものがあったりして、
自分の心の嫌なもの、見たくないものがたくさんあった。
そう思ったときに、心を過ぎる影がある。
金の光に彩られた自分を惑わす影がある。
急激に胸に溢れる掴み所のない想いに早苗は思わず目を瞑った。
視界が閉ざされると途端に囂々と音をたてる雨音が大きくなる。
煩いのは雨音なのか、胸に溢れる想いなのか。
それらを振り切るように軽く左右に頭を振る。
跳ねた髪の向こう、グラウンドの反対側に部室が見える。
( 部室に傘があるかもしれない )
そう気づいて、早苗の顔が少しだけ明るさを取り戻した。
それには再び雨の中に飛び出さなければならないが、この雨は当分やみそうにない。
いずれにせよ、ずっとここにいるわけにもいかないのだ。
木の下を飛び出す前に、もう一度、雨のグラウンドを眺める。
水が溜まり、幾筋もの流れとなって土砂を押し流しているのが見えた。
この雨が自分の気持ちもすっきりと洗い流してくれればいいのに。
「あ」
小さくこぼれた声はどちらのものだったか。
駆け込んできた早苗は全身びしょ濡れ。
部室で帰る準備をしていた翼は少し驚いたような表情で顔を上げた。
早苗は軽く目を見張り、その後ろで部室の扉が音をたてて閉まった。
他に誰もいない部室に、その音がやけに大きく響く。
「傘、あるかなと思って」
早苗はそう言って部室の傘立てに近づこうとした。
翼は、何も言わず黙って早苗を見つめていた。
その視線に、早苗の言葉も凍りつく。
そして、自分の姿に頬を赤らめた。
雨に曝され、全身から水が滴っている。
髪は頬に貼りつき、濡れたセーラー服が身体にまとわりついていた。
身体の線が露わになっているのではないか。
そう思うと、今すぐに彼の前から立ち去りたかった。。
それなのに、もう、一歩も動くことができなかった。
身動き一つ、指の一本すら動かせないほどに、翼の視線に絡め取られる。
ゆっくりと翼が立ち上がり、早苗に近づいた。
触れそうで触れない、そんな距離だけを残して止まる。
至近距離で見つめ合う目と目が。
何を伝えあったのか。
次の瞬間、強い力で手首を引かれ、早苗の身体は翼の腕に収まっていた。
「濡れるよ」
「こんな姿で俺の前に現れる方が悪い」
「風邪ひくよ」
「どっちが?」
低い声で交わす言葉には感情がこもらない。
まるで本当に肝心な事から視線をそらすように続く。
今。
自分たちは何をしようとしているのか。
濡れた身体は冷たい。
凍えるように冷え切っていた早苗の身体だったが、翼の身体は熱かった。
触れあった胸から、腕から、熱が伝わってくる。
それと同時に、身体の芯に新しい熱が熾きる。
自分の内側から崩されそうな気がして、早苗は身震いした。
「帰らなきゃ」
「こないな姿で帰せない」
翼は腕に力を込める。
こんな姿の早苗を、誰にも見せたくはない。
この腕を解くことなど、出来るはずもなかった。
今の自分のように、煽られる男の前になど、出せない。
翼の顔が早苗の肩に伏せられる。
早苗の身体が小さく震えた。
二人きりの部室に、雨の音だけが響いている。
晴れてさえいえいれば、生命の育まれる優しい季節。
それが、鼠色の空に閉ざされ、何もかもを洗い流すかのような豪雨。
誰もが雨を避け、息を潜めている。
額に落ちてきた水滴を手の甲でぬぐい、早苗は眉を顰めた。
降り出した雨は突然に勢いを増し、瞬く間に早苗の全身を水浸しにしてしまった。
慌てて手近な木の下に走り込んだのだが、ここも安全な場所とは言えない。
一つ溜息をつく。
今朝、家を出る時に母親が傘を持っていくようにと言っていたことを思い出した。
朝練に遅れそうで、そんな言葉は右から左に流してしまった。
帰ったら嫌味の一つや二つは覚悟しなければいけないだろう。
目の前は次々と降り注ぐ雨に晒された剥き出しのグラウンド。
「神様に意地悪されているみたい気分だわ。」
早苗は独り言を呟く。
自分の中に焦る気持ちがあることは自覚している。
目の前の・・・違う。
自分の夢に向かって頑張っている彼。
そして、その彼に叶わぬ恋をしている私。。
何者にも変えれない自分の心を、歯痒く思わないでいることはとても難しい。
もうひとつ。溜息をついた。
彼は、それに近づくために努力してるのに。
それでも、自分の中にどこか期待するものがあったりして、
自分の心の嫌なもの、見たくないものがたくさんあった。
そう思ったときに、心を過ぎる影がある。
金の光に彩られた自分を惑わす影がある。
急激に胸に溢れる掴み所のない想いに早苗は思わず目を瞑った。
視界が閉ざされると途端に囂々と音をたてる雨音が大きくなる。
煩いのは雨音なのか、胸に溢れる想いなのか。
それらを振り切るように軽く左右に頭を振る。
跳ねた髪の向こう、グラウンドの反対側に部室が見える。
( 部室に傘があるかもしれない )
そう気づいて、早苗の顔が少しだけ明るさを取り戻した。
それには再び雨の中に飛び出さなければならないが、この雨は当分やみそうにない。
いずれにせよ、ずっとここにいるわけにもいかないのだ。
木の下を飛び出す前に、もう一度、雨のグラウンドを眺める。
水が溜まり、幾筋もの流れとなって土砂を押し流しているのが見えた。
この雨が自分の気持ちもすっきりと洗い流してくれればいいのに。
「あ」
小さくこぼれた声はどちらのものだったか。
駆け込んできた早苗は全身びしょ濡れ。
部室で帰る準備をしていた翼は少し驚いたような表情で顔を上げた。
早苗は軽く目を見張り、その後ろで部室の扉が音をたてて閉まった。
他に誰もいない部室に、その音がやけに大きく響く。
「傘、あるかなと思って」
早苗はそう言って部室の傘立てに近づこうとした。
翼は、何も言わず黙って早苗を見つめていた。
その視線に、早苗の言葉も凍りつく。
そして、自分の姿に頬を赤らめた。
雨に曝され、全身から水が滴っている。
髪は頬に貼りつき、濡れたセーラー服が身体にまとわりついていた。
身体の線が露わになっているのではないか。
そう思うと、今すぐに彼の前から立ち去りたかった。。
それなのに、もう、一歩も動くことができなかった。
身動き一つ、指の一本すら動かせないほどに、翼の視線に絡め取られる。
ゆっくりと翼が立ち上がり、早苗に近づいた。
触れそうで触れない、そんな距離だけを残して止まる。
至近距離で見つめ合う目と目が。
何を伝えあったのか。
次の瞬間、強い力で手首を引かれ、早苗の身体は翼の腕に収まっていた。
「濡れるよ」
「こんな姿で俺の前に現れる方が悪い」
「風邪ひくよ」
「どっちが?」
低い声で交わす言葉には感情がこもらない。
まるで本当に肝心な事から視線をそらすように続く。
今。
自分たちは何をしようとしているのか。
濡れた身体は冷たい。
凍えるように冷え切っていた早苗の身体だったが、翼の身体は熱かった。
触れあった胸から、腕から、熱が伝わってくる。
それと同時に、身体の芯に新しい熱が熾きる。
自分の内側から崩されそうな気がして、早苗は身震いした。
「帰らなきゃ」
「こないな姿で帰せない」
翼は腕に力を込める。
こんな姿の早苗を、誰にも見せたくはない。
この腕を解くことなど、出来るはずもなかった。
今の自分のように、煽られる男の前になど、出せない。
翼の顔が早苗の肩に伏せられる。
早苗の身体が小さく震えた。
二人きりの部室に、雨の音だけが響いている。