2011年3月11日 11時44分 更新:3月11日 12時49分
【ナルート(リビア北西部)藤原章生】最高指導者カダフィ大佐の支配が堅固と言われるリビア北西部。日没後、砂利交じりの砂漠に立つと、地平線の向こうから約束通り旧式の四輪駆動車がやってきた。乗っていたのは、すそまである民族衣装を着たアラブ系とアフリカ系の40代後半の男2人だ。荷台に乗り込むと、男たちは「ヤッラ(行こう)」と声を上げ、カダフィ政府軍の陣地をうまく避けながら、闇の中、砂のわだちをたどっていった。
リビアの反政府勢力に招かれた私(記者)は10日夜、チュニジア南部の国境の町デヒバから、リビア西部のナフサ山岳地帯の拠点ナルートを訪ねた。
わずか数十キロの道のり。国境とそこから10キロほどの舗装道は政府軍兵士が押さえているため、反政府勢力は低木や草地の悪路をたどる。運転席と助手席の2人を見ると、さほど緊張はしていない。政府軍に包囲され「兵糧攻め」状態の拠点ナルートからチュニジアに食料補給のため毎日通っているため慣れているという。
平和でにぎやかなチュニジアから来たせいか、リビア男の面構えが純朴、精悍(せいかん)に見える。いくつかの欧州言語で語りかけたがうまく通じない。アフリカ系のアリさんがカタコトの英語で「カダフィ政権がおれたちに教えたのはアラビア語だけ。だからダメなんだ」と太い声を上げた。
砂の中を30分ほど走ると舗装道に入った。そこから一気に北東に走る。時折、家や自動小銃で武装した反政府勢力の検問所のテントに立ち寄り、彼らは仕入れたフランスパンを5本ずつ渡していく。たき火に当たっていたファラドという43歳の男はイタリア語で「2年前までナポリで壁塗り職人をしていた」と話した。今は?と問うと、「今はムジャヒディン(イスラム戦士)だよ」と言い照れ笑いをした。
ナルートはテーブル状の堆積(たいせき)岩の上にあり、台地に1万8000人が暮らす。町の玄関口の警察署が空爆されたように大破している。2月25~26日、反乱した住民らが火炎瓶やハンマーで壊したものという。まともな武器を持たない人間だけのすさまじい破壊力だ。
町に通じるつづら折りの坂道では、カダフィ大佐の革命書「緑の書」の抜粋が書かれた看板、高さ1メートルはある「緑の書」の模型がすべてむしり取られ、「我々はいつも君たちと共にある」という看板だけが残っていた。代わりに「キフェイア(もうたくさんだ)」「自由の土地」というスプレーの走り書きがあった。
夜、町の中心広場ではカダフィ氏とその息子の肖像が掲げられていた壁の鉄枠を住民たちが重機を使って取り外していた。11日以降、ここに反政府を象徴する王政時代の三色旗が下げられる。
町の外の検問所と24時間態勢で定時連絡をする「中央監視塔」のビルに私は案内された。汚れ一つない白壁と蛍光灯で照らされた新築3階建ての事務室には大画面のモニターテレビやパソコンが並んでいる。「未来の青年を育てるため」、カダフィ氏の次男、セイフ・アルイスラム氏の命で築かれた「明日の場所」と名づけた施設だという。
ナルートから東部方面へ延びる幹線道、北のトリポリへと向かう道の一部が今月5日以降、政府軍に一部奪還されたものの、ここ数日は大きな戦闘は起きていない。そのせいなのかビルのパソコンで若者たちがサッカーゲームを楽しんでいた。