~原発作業員のための自己造血幹細胞(じこ ぞうけつ かんさいぼう)の採取(さいしゅ)と保存計画について~
2011年5月3日
虎の門病院血液内科(とらのもんびょういん けつえきないか)
谷口修一(たにぐち しゅういち)
谷口プロジェクト事務局一同
Save Fukushima 50
レナート・キュンツィ, swissinfo.ch
マルティン・ヴァルター氏 ( 66歳 ) はソロトゥルン州グレンヒェン ( Grenchen ) の内科開業医だ。1991年に1カ月間ウクライナの病院で働いた経験も持つ。
また1988年から2年間、核戦争防止国際医師会議スイス支部 ( PSR/IPPNW Schweiz ) の支部長を務め、「核を使わない電力 ( SoA ) 」運動や原発建設に猶予期間を求める運動などの委員会で中心的な役割を果たした。この原発建設の猶予期間については、1990年秋の国民投票で認可されて いる。
ヴァルター : それはない。急性被曝は免れている。少なくともこれまでのところ ( 17日現在 )
原子力発電所の敷地外では放射線量がさほど多くなく、急性被曝には至らない。北半球の住人が急性被曝で死亡することはない。しかし、原発内で原子炉の冷却
作業をしている作業員たちを取り巻く環境は別だ。どうか線量計を装着していてほしい。
ただ、情報伝達が不十分だったり危険を軽視したりすると大きな誤りを犯すことになる。吸収線量と人体への影響は正比例の関係にあるからだ。つまり、心配のいらない吸収線量というものはない。わずかな摂取でもがんを引き起こし、乳がんや大腸がんなどから死に至ることもある。
今後日本では確実にがん死亡率が高まるだろう。たとえ完全な炉心溶融に至らなかったとしてもだ。
ヴァルター : 当然だ。先述したがんの増加を恐れてのことだ。例えば、チェルノブイリでも急性被曝で死亡した人は多くなかったが、事故後にがんで多くの人たちが亡くなった。
しかし、がんのリスクの増加以上にもっと深刻な問題は遺伝子への影響だ。それも世代を越えた影響だ。最新の研究では、少量の吸収線量でも継代的な影響がありうることが分かっている。
イ
ギリスにあるセラフィールド ( Sellafield )
の使用済核燃料の再処理工場に勤務する人たちの子どもには白血病のリスクが高い。これは父親の吸収線量と関係があり、子どもたち自身は放射線にさらされて
いない。原発事故だけでなくこうした通常の場合でも、人間ならび動植物の遺伝子に損傷が発生する。こうした事実を知った上で、あえて原子力に頼るかどうか
はむしろ倫理的な問題だ。
ヴァルター : まず、危険度は半減期によって変わってくる。ヨウ素は8日間でほぼゼロになる。つまり、スイスの子どもたちにヨウ素剤を与えても意味がないと言える。さらに大人が服用すると逆効果になりかねない。
セシウムの半減期は30年なのでセシウム汚染は日本からスイスにまで行き渡るが、スイスでの危険度はごくわずかだ。セシウムはカリウムのように体内で代謝されるため、一回限りの摂取なら数カ月後にはなくなる。
ス
トロンチウムは体内に蓄積され、死ぬまで残る。ここでも人体への影響は半減期に左右される。ストロンチウムはカルシウムのように骨に蓄積されるため消える
ことはなく、骨髄は絶えずβ線の影響を受けることになる。子どもの骨髄は脂肪が少ないため、のちのち白血病になるリスクが大人よりも高い。
プルトニウムは一度体内に入ったら決して消えない。ごく微量の摂取でもがんを引き起こす。
ヴァルター : 普通なら子どもが甲状腺がんにかかることはない。事故前のウクライナでは住民5000万人に対し年間3人ほどだった。しかし、事故後1500人の子どもが甲状腺がんを患った。4000人という話もある。
それまでこうしたことはなかった。これはヨウ素131の影響だった。もし事故直後に政府が子どもたちに安定ヨウ素剤を与えていれば避けられただろう。当時の子どもたちに急性被曝があったとは思えない。
セシウムに関しては、ウクライナでは大人も子どもも食品から摂取している。それは今も変わらない。これに対してはりんごペクチン剤が服用されている。りんごペクチンは体内のセシウムの量を減らし、継続的なセシウムの摂取に対しても有効に働く。
ヴァルター : それはないだろう。当時は特別な治療を施すことがまったくできなかった。その上、被曝の影響は異なる。広島と長崎で被曝した父親を持つ子
どもたちとチェルノブイリで被曝した父親を持つ子どもたちをイスラエルの研究者たちが調査した。その結果、父親が原爆で被曝した後に生まれた子どもたちに
は遺伝子の変異がまったく見られなかったことが分かった。
それに対し、チェルノブイリの事故後に解体作業者として入った父親から被曝後に生まれた子どもたちには一定の割合の遺伝子 ( ミニサテライトDNA ) に相当数の変異が見られた。遺伝的な視点で見ると、今回の福島第一原発の事故は深刻なケースだ。
レナート・キュンツィ, swissinfo.ch
( 独語からの翻訳・編集 中村友紀 )
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※対して日本の電気業界新聞にはこんな記事がある。(長野県yさん/12.8「脱原発の日」に文科省に提出した要望書から抜粋)
「プルサーマルって安全ですか?山中先生(大阪大学大学院工学研究科教授・原子力発電燃料の専門家 山中伸介先生)教えてください
Q,人体への影響は、どうですか?
A,極端な例ですがプルトニウムは口から飲み込んでも人体に影響はありません。ただし、空気中から息と一緒に吸い込んで肺に入れば危険です。原子力発電所から空気中にプルトニウムが放出されるわけではないので安全に問題はありません。通常のウラン燃料と同じ理由で、よく知られた多重の防護によって大気に排出されないので安全ということです。」(製作・発行/電気新聞メディア事業局『電気新聞別刷り特別号』より)
空気中から息と一緒に吸い込むと危険だが、多重に防護され排出されないので安全に問題はないとしか書かれておらず、その上口から飲み込んでも人体に影響はないとまで書かれおり、空気中に含まれて吸い込んだ場合の危険性の度合いについて具体的な説明が省かれています。書かれているのは机上の安全性のみであって肝心な、どんな事故でどんな被害が起こったのか等、これまでにもきちんとした公の詳しい国民への説明がほとんどありません。たとえ1回の微量な放射線の被爆が安全であるとしても日常的に晒されて体内に蓄積した時の危険性は高く、排出されることのない放射性物質が実際には原子力施設周辺で動植物の異常・奇形を生んでいることや(現場作業員も含め)起きている健康被害についても全く説明がされていません。
民間の努力によってしか得られない施設の実態の情報。国の、国民への不十分な説明。はっきりと実態の知らされない事故が頻発し、事故の危険度も想像以上のものであるにもかかわらず推し進められる事業に対して不審は募る一方です。ここまで来て、エネルギー政策の転換に向かわない国の方針を信じることはできません。
IPPNW レポート
チェルノブイリ25年後 -45-
5 甲状腺癌とその他の甲状腺疾病
5-1 チェルノブイリ地域
大惨事後2年目の記念日,ソビエトの保険省長官Tschasowは、ソビエト共産党の中央機関紙Pravdaに、“今日チェルノブイリ原子力発電所での事故はその影響を受けた地域の人々の健康に何らの被害も起こしていないと確信する”と伝えた。
L.A. Ilyin 教授は3年間の沈黙の後、チェルノブイリ後の
汚染形態と健康に及ぼしうる影響についての報告書を、1989年にモスクワで提出した。(注135) Ilyinは汚染のひどかった9地域にある39地区で158,000人の子供(0~7歳児)のうち90人が30年以内に甲状腺癌を発症するだろうと予見した。
これらの予見を、これから提示する事実に照らしてみれば、いかに現実からかけ離れているかが顕著になる。今日でさえ、 Ilyinは放射線に関する問題をめぐる決定権を持つ国際機関(ICRP,
UNSCEAR)で、チェルノブイリの被害について知識ある専門家としてロシアを代表している。
1990年1月、ミュンヘンの放射線生物学機関の所長A.M. Kellererは,“赤十字への報告書”を提出した。(注136) その中で彼は “特筆すべき問題は甲状腺機能の損傷についての恐怖感である”と書く … 甲状腺検査がより広範に行われるようになるにつれて、相当な機能障害が発見されてきている。放射性ヨウ素線量が高くても、何らの病理学的変化や機能障害が予測されるわけではないのであるが、これらの(新たに発見されている)機能障害が放射線被曝のためだとされている。しかしこの状況を査定すれば、このような機能障害の増加は次の3点のどれかに寄与することがわかる。
1、生活様式と栄養条件の変化し制限されたこと
2、深刻な不安感
3、頻繁で徹底した医学検証と汚染地域での疾病に関するより充実した報告
チェルノブイリの4年後、D. Arndt, (肩書き説明:GDRの原子力安全と放射線予防事務局、 放射線医学部長・医師長)は,S. Pflugbeil に、次のように書き送った。”チェルノブイル周辺地域での問題は放射線生物学的なものではなく、生活習慣の変化(ビタミン不足、居住区に閉じこもっている生活)によって心身に現れる現象である。”(注137)
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このような情報不足の専門家の取る立場が、時機を得た効果的な医学的介入を妨げてきた。つまり、チェルノブイリ地域の人々は散歩に出かけなかったり十分な野菜をとらなかったりしたから、結局それは当人達の責任だということのように見られる。
ソビエト連邦国外では、1990年の秋にベルリンで、チェルノブイリ後最初の 甲状腺疾患に関する実証情報が提出された。ミンスクの医師、Maria Ankudovich は、“放射線被曝は甲状腺癌をひきおこすだけでなく、甲状腺の腫れ、様々な自己免疫性甲状腺炎や甲状腺機能亢進症を多数引き起こす”と発表した。放射線被曝した甲状腺は、ホルモン分泌に変化を起こすので子供と成長期の青年には機能障害、発達障害の危険性が増す。神経内分泌調節障害のために他の内分泌腺で癌発症の可能性が増す。つまり下垂体癌、副腎皮質癌、膵臓癌、乳癌,卵巣癌などである。 M. Ankudovichの報告書によれば,ベラルーシ南部の子供達の約5%が10 グレイ異常被曝した。統制されなかった地域の子供達の20%は、約1グレイ被曝した。ベラルーシの子供達の間では甲状腺癌の進行が特に顕著である。甲状腺癌は通常年配者によく見られ,子供には非常に稀な疾病である。1986年以前、ベラルーシの子供達に新しく発症した甲状腺癌は1年に0-2件。1989年の新しい発病件数は 7件、1990年の秋までに22件に上った。この時点で多数の発症が進行しつつあるのはあきらかであった。過去の経験に基づいて考察された可能性よりもずっと大きな速い速度の雪崩現象が近づきつつあった。率直に勇気を持ってこの報告をしたこの医師(マリア)は出世昇進できなくなった。
IAEAは1991年春、国際チェルノブイリプロジェクトの結果を発表した。“検査対象となった子供達は一般的に健康であった。… 事故後のデータから、白血病や甲状腺腫瘍などが顕著に増加したとは見られない。” (注139)
ベラルーシの甲状腺癌に関するデータはすべて一ヶ所に集められているので、電話を一本かけるだけで実際の数は把握するには十分であっただろう。
今日わかっていることは:
· チェルノブイリの子供達から収集された組織サンプルは既にこのプロジェクトを率先する科学者(米、F.A. Mettler教授)の机の上に放置されている。彼は事実を知っていながら、報告書ではそれを述べていない。
· ベラルーシ保険省の報告書ではゴメルの重度汚染地区の子供達に甲状腺疾患件数が際立って増加していることが明確に指摘されており、チェルノブイリプロジェクトにたずさわっている科学者はその報告書を所持している。この報告書は無視された。
1995年の11月20日から23日、WHOはスイスのジュネーブでチェルノブイリの惨事とその他の原子炉事故に関する国際会議を開催した。この会議で、特に重度汚染地区に住む子供達の間に甲状腺疾患の急激な増加が見られるという研究結果が発表された。
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WHOの専門家Keith Baverstockの見解によると、原子炉の事故から癌の発症までの時間は“驚くほど短い”。さらに、チェルノブイリの子供達に発症している腫瘍は異常に進行が速く身体の他の部分に広がっている。
甲状腺癌発症の増加が最も厳しいのはチェルノブイリでも、汚染が最もひどかったゴメル地区のこどもたちである。ベラルーシの子供達の甲状腺癌の総発症数の50%近くがこの地区に集中している。成人の甲状腺癌でもこの地区の発症数が一番高くなっている。0才から18才までの甲状腺癌の年間発症数は1998年には事故前13年間の58倍となっている。
甲状腺癌が発症した子供達の大部分は事故の時6才以下で,その半数以上が4才以下であった。ベラルーシの、0-14才までの子供達にみられる発症率は1995年に頂点に達する。速い段階で小児性甲状腺癌は進行が速く他の臓器への転移も速いことが確認された。特に肺では進行が早い。ほとんどの症例は甲状腺乳頭癌と診断された。
チェルノブイリのメルトダウンのために、ウクライナでも甲状腺癌発症件数が増加した。チェルノブイリ事故後、110,000人の子供と40,000人の成人の甲状腺内の放射性ヨウ素線量が測定され、癌登録が設置された。子供の甲状腺癌では1993年までに418件が登録された。その情報を地域別にコード化することで放射性ヨウ素との関係が明確になった。
M. Fuzikは、幅広く、ベラルーシ,ウクライナ、ロシアでの甲状腺癌の調査を行った。この調査はこれら3地域の癌登録者の数値に基づくものである。これら3地域でのデータは原子炉事故のときに幼少であった人々の発症率が最も高くなっていることを示す。チェルノブイリ(1982-1986)以前に生まれた子供たち、あるいは事故当時生まれたばかり又は1~3才であったこどもたちの方が、事故後(1987-1991)に生まれた子供達よりも甲状腺癌を発症する可能性が高い。
子供達が相当被害を受けたという事実は、乳幼児、幼い子供達の甲状腺が放射性ヨウ素の発がん性に対する感受性が高いことを示唆していると考えられる。ベラルーシの子供達の甲状腺癌が早期に転移を起こしていることで、その進行の速さがわかる。
(この部分医学関係者にお尋ねください) In
the primary tumor stage pT1 of the TNM classification – only tumor nodule of 10
mm maximum diameter unilaterally in one thyroid lobe – 43% の症例はリンパ腺に見られ、3%の症例では他の臓器に転移進行している。
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Fusikの調査によればチェルノブイリ事故で最も被害を受けたこれらのベラルーシ、ロシア、ウクライナ3領域内で調査された12区域のすべてでは、事故後4-5年の潜伏期をもって0-14才の子供に甲状腺癌が著しく増加した。これらの被害地域は、Vinnitsa,
Zhytomir, Cherkassy, Chernigov, Load, Kiev and Kiev City, the Belarussian
regions of Gomel and Mogilev, as well as the Russian regions of Bryansk, Kursk,
Orjol and Tula. 発症増加数が最も多かったのはゴメル、続いて、Bryansk, Orjol, Kiev city, Kiev, Chernigov, Mogilev, そして Zhytomir と続く。
ミンスク保険省のVassili Kazakovによれば、1992年のベラルーシのこどもの甲状腺癌症例数は世界平均の80倍に増加したという。
Lengfelderによると、ベラルーシだけで既に、2001年終わりまでにこどもと若い大人の甲状腺癌は1000件を越えた。
2004年の報告書で、Okeanovはベラルーシのこどもの甲状腺癌発症率は100倍に増加したと述べている。
Okeanovは 甲状腺癌は成人の間でも増加したと指摘した。チェルノブイリ事故以前、ベラルーシの成人の間で甲状腺癌は稀であった。事故後4年経った1990年、甲状腺癌は大きな増加を見せ、世界がこれまでに経験したことのないレベルに達した。1980年、30才以上の成人の甲状腺癌発症率は100,000人に1.24、この指数は、1990年に1.96、そして2000年に5.67に達した。
Pavel Bespalchukは2007年に、ベラルーシだけで事故後12,000人が甲状腺癌を発症したと、累計した。
Lengfelderは、事故後から時間のたった現在、1986年にヨウ素で被曝した子供達がこれまでにないほどの数、青年期に達し、そして成人になるだろうと指摘している。彼らは癌を発症するリスクを負っている:そして彼らは一生このリスクから免れることができずに、成人そして高齢者のグループへ成長して行く。
http://takedanet.com/2011/05/post_4df6.html
中大武田邦彦教授のブログより抜粋 (是非全文ご覧下さい) こんな当たり前のこと(法律がある場合は、それに触れずに個人的な判断だけを言うのはルール違反)が、福島原発事故では無視されています.
1.
法律で決まっている「クリアランス・レベル」
原発や放射性廃棄物などで汚れたものは、クリアランス・レベルを下回らないと移動できない。違反すると1年以下の懲役。
線量は1年に20マイクロシーベルトで、1年1ミリの限度の50分の1。文科省所管の法律。
川崎市、愛知県の瓦礫の引き取りは法律違反で市長と知事は懲役1年未満になる可能性がある。
2. 原発など放射線を発する施設の境界は1年50マイクロシーベルトまで(自主規制)、
3. 言わずと知れた「一般人1年に1ミリが限度」の法律(数が多い)・・・道路の制限速度のようなもの、
4. 職業人の「1年に20ミリ」の法律(数が多い)・・・成人男子、職業として、健康診断ありなどの制限のもとで許される。