---子供の頃はどのような性格だったんですか?
わがまま放題でしたねぇ。兄弟とは年が離れてたし、年寄りっ子だったので、僕だけ家族の中で子供だったんです。だから甘やかされて育てられて、兄に向かって命令口調でした(笑)。
---意外にも悪ガキだったんですね。
そんなんで小学校に行ったら、担任の先生が大正生まれの厳しいかたで、給食を残していいですかっていうと"何をいってるの、食べなさい!!"って怒られてた。そうやって小学5年生まで、ずっと放課後に残されてましたね。
---高学年まで引きずるとは根性ありますね。友達とはどんな遊びをしていたんですか。
兄貴を交えて忍者の訓練をしてました(笑)。階段の上下や高いところから飛び降りたり。ですから僕は障害物競走で負けたことがない。速く走らなくても工夫さえすれば勝てるんです。
---子供の頃から工夫をすることが好きだった。
だから図工も好きでしたね。でも理論ばかりいう先生が担任になってから、成績は下がりました。自由にやることが好きだったんです。中学になっても人と違うことばかりやって、2年生でモノマネを始めました。
お袋も僕も西郷輝彦さんが好きだったんです…彼の遺伝子は辺見えみりという形で受け継がれるわけですけど(笑)、星のフラメンコはいい曲だなって思ってました。ある日、音楽の授業中にカスタネットを使ってマネしたら友達に大ウケで、それを見て脳から快感物質がカーッっと出まして。
---それが忘れられなくてコメディアンになった。
そういうことになるんでしょうね。でも僕はお笑いが好きだっただけで、強い意志でなろうとは思ってなかったんです。大学3年のときに友達と組んでた素人お笑いグループを解散して、僕のお笑い活動も終わりだな、あと一年大学行ったら消防署員になるんだなって思ってました。
ある日ボーッとテレビを見てたら、ぎんざNOWって番組の素人コメディアン道場というコーナーが放送されてたんです。それ見てすぐハガキを送って、オーディションを受けました。そこで今まで培ったモノマネのレパートリーを全部やったんです。プロレス中継のネタはリングアナから選手の登場シーンまで、一人で50分くらい。当時は今週のチャンピオンだけを決めてたんですけど、プロデューサーが僕のネタを見て、これからは勝ち抜き戦にしようって。
---勝ち抜きシステムを作った当人なんですね。
僕があまりにしつこくやったから(笑)。こいつだったら勝ち抜くかもって思ったのかもしれません。そうして本当に5週勝ち抜いたとき、今の社長と専務に呼び出されて、コメディアンをやってみないかと。一度は辞退したんですよ、オーディションを受けたのも自分の実力を試して、自己満足に浸りたかっただけだったから。まあ、都市対抗野球みたいなもので(笑)。
---それがなぜがプロの道に進んでしまった。
社長が"私はコント55号を育てた男だ"っていうんです。コント55号なんて僕の好きなお笑い四天王のうちの一人ですよ。神様なんです。神様を育てた男、キング・オブ・ゴッドが君には才能があると。たかが21歳の若者でしょう、そんなことをいわれたらその気になるわけです。そのとき大学3年生だったので、1年くらいやってみようと思いました。
---当時はモノマネで勝負したんですか?
それがプロの壁は厳しくて、今までの笑いがまったく通用しなかった。いわば町のケンカ屋がプロのリングに上がったようなものです。
---辞めようと思った時期もあったんですか?
卒業間近に一瞬思いました。でも後悔するんじゃないかと思い止まったんです。ある程度の年齢になったら、俺もここまでなれたのかもとか、辞めないで続けてたらどうなってたんだろうとか、絶対思うんじゃないかと。だったらやるだけやってみよう。通用しなかったっていうギブアップは自分で決めたかったんです。
---男気のある生き方を貫いてるんですね。
素人のときにウケてたのが自信になってたんでしょうね。でもプロは行く現場すべて新しいところで、周りはみんな年上。だから最初は萎縮してたんですよ。
素人のときみたいにのびのびとできる場があれば、また活躍できるんじゃないかと思って、とりあえずこの場に馴染もうと。あとは共演者やプロデューサーが同じ年齢になったら萎縮しないでできるかもしれないと思って、30歳まではやろうと決めたんです。
---実際にその歳は何をやってたんですか?
欽ちゃんのどこまでやるの!のクロ子です。その頃にやっと自由にできるようになって、ここからがスタートだと思いました。結婚して後には引けないし、もっと先に行かなきゃと。
--- 萩本欽一さんに師事してたときですね。
萩本さんには笑いのノウハウを1から教えてもらいました。芸に関しては厳しかったですね。ただ、ほっておかれたんですよ。お前は注意すると萎縮するタイプだからっていわれて。
---ご自身でもそう思っていたんですよね。
僕はダメなんです。疑われたり怒られると萎縮しちゃいます。末っ子でのびのび育ったから、細かく指示されるのも苦手ですね。例えば番組に呼ばれてすごい綿密な打ち合わせをする。それは信用されてない気がしてイヤなんですよ。"台本ありますけど、適当に盛り上げてください"っていわれたほうがいいんです。プレッシャーはありますけど、自由にやれていい。
---カックラキン大放送では、ご自身のキャラクターを思いっきり出したんでしょうか。
この企画のレギュラーになったとき、周りは全部先輩ですよ。坂上二郎さんから堺正章さん、ばりばりのチャンピオンクラスばかり。レギュラーといっても1年間はオープニングとエンディングしか出てなくて、何やってもウケない。
現状を打破するのはどうしたらいいかずっと模索してたんですが、あるとき気分転換に県警対組織暴力っていう映画を見に行ったんです。川谷拓三さんが犯人役で取り調べられるんですけど、最初はものすごい威張ってるんです。それなのに菅原文太さんが演じる警官に殴られて裸にされたとき、許してくださいってヒーヒー泣くんですよ。そのギャップがすごい。南極とアフリカ大陸みたいなもんで(笑)。
これが面白くて、どっかで使えるなと。
---映画をヒントにネタを作って。
これに空手バカ一代っていうアニメのカマキリ拳法を合わせて使おうと。でも番組はコントだから時間がないし、勝手なことをやるなって怒られる。それに僕がやると面白くないってイメージで見られるから、本番だけに賭けたんです。で、アドリブでやったらウケちゃって。最初はカマキリ拳法の使い手だったのに、緑のタイツはいて、メガネかけてカマキリの役になっちゃった(笑)。だから僕が迷い道を切り開いたのは、川谷さんのおかげなんですよね。
---そんなルーツがあったとは意外でした。
それから役を少しずつもらえるようになったんですけど、カックラキン以外のオファーがこない。やっぱり気持ち悪かったんでしょう(笑)。ドラマでだるま二郎さんっていう俳優と共演したとき"関根さんが普通の人でよかった。メチャクチャにされると思って怖かったんだ"といわれたこともあって、ちょっとショックでしたね。でも大のオトナを気持ち悪いって思わせるのも、ある意味スゴいのかな(笑)。
---気味が悪いというイメージばかりで見られるのも困りますね。
それからかなえちゃんの彼氏役で欽どこに出始めたんですけど、萩本さんにお前の年齢じゃ彼氏役はやらせられない、クロ子だよ、クロ子って。次の週からクロ子ですよ(笑)。その頃、小堺(一機)くんがグレ子に昇格してたのでクロ子が余ってたんです。カマキリに比べて地味で、周りのかたがかわいかったので、僕の気持ちの悪いイメージを緩和してくれました。
---その頃からだんだん現在のキャラクターに変わっていったんですね。今は優しくて言葉選びが個性的というイメージがありますが、言葉に関しては何か研究をされたんですか?
勉強した記憶はないんですけどね。でもラジオが大きいかな。リスナーも脳のフィルターを通していろんなネタを書いてくる、これが面白くて。ラジオのバックボーンは非常に大きい。
---ラジオでもテレビでも、的を射たいい回しは右に出る者がいない。天才的だと思います。
ラジオもそうですし、本を読むのが好きなんです。言葉が好きなんですよ。言葉の持つ力、魔力。一つの意味でもウケるウケないがありますし、面白おかしく例えたときに、傷つく人もいるわけです。笑いも取りたいし傷つけたくない。人によって傷つく臨界点が違うし、板東英二さんみたいに、親指みたいな顔だっていわれても、笑って済ませられる人もいる(笑)。
あるとき山口百恵さんに似てる素人のかたがいたんですが、ちょっと体格がよかったんです。そこで僕は"百恵ちゃんが陸上競技を3年やったみたいなかたですね"って(笑)。笑いも取れたし彼女も傷つかなかったんじゃないかと。
---そこから今のようないい回しが生まれた。
僕は気が弱いんです。傷つきたくないので人も傷つけたくない。それに僕たちの職業は言葉を使って生きているので、すごく敏感になりますね。例えば半疑問系。聞いててすごく疲れちゃう。"○○じゃないですか"といういい方も困りますね。"僕ってよく寝坊するじゃないですか"っていわれても、知らないって(笑)。人がどう思うかをまったく気づかずに使うから、おかしないい方になるんでしょうね。要するに責任感がないんですよ。言葉を使って生きてないし、一つ一つを吟味してないんです。
---言葉の面白さを信じて、大切にしてきたからこそ、ラジオを23年間続けられたんですね。共演されている小堺さんはどういう存在ですか。
ライバルでもパートナーでもある。公私共々仲良くさせてもらってて、一緒にバカなことをやり続けてます。僕も彼もプライベートでも人を笑わせるのが好きなんです。癖というかね。
---ご自身のセンスが余すことなく出てるのが、毎年行われているカンコンキンシアターですね。
この舞台も今年で19回目です。僕が座長なんですが、ネタはみんなと会議で決め、最後に僕がまとめて、作家と打ち合わせるんです。
---ルー大柴さんやラッキィ池田さんなど、個性的なかたばかりですが、団員のまとめ方は?
自由にやらせてるだけです。楽しくやれればいいし、後輩に対しても叱ったりしない。
--- あの熱い舞台を続けていく秘訣は。
ここが自分たちの本音の部分なので、自己鍛錬、やりたいことの確認の場なんです。テレビに出てるときは自分の意向だけじゃなく、プロデューサー、スポンサー、共演者のやりたいことをすべて合わせなきゃいけない。
カレーでいうと一般の人が食べられるような辛さで提供する。でも舞台はみなさんが自分の意志でチケットを買って来るから、スパイスの効いたものを出さないと来てくれなくなっちゃう。
---番組の放送時間や視聴者、舞台のお客さんに会わせた笑いを提供するんですね。
お客さんが求めてるものを提供してあげるのがプロなんです。僕は視聴者やリスナーが心地よいのが一番いいと思ってますから、そのニーズに合わせるように心がけてます。
--- その言葉は一般社会でも通じることですね。
お客さまの心の声に耳を傾けようというキャッチフレーズです(笑)。
---それでは最後に、これから社会に出て頑張ろう若者たちに一言アドバイスをお願いします。
仕事を探すときは、自分のやりたいことをやったほうがいいです。イヤな仕事も長くやったら好きになるかもしれないので、我慢が必要なこともある。浮上するのを待つべきだと思います。
でも続ける、辞めるの時期を見極めることは大事ですよね。
60歳になっても食えてなきゃ仕方がないので、線引きは必要だと思います。あとは情熱を持ちながら、第三者の目線、俯瞰の精神を忘れないことです。
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INFORMATION
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■欽どこ「クロ子とグレ子のどこまでやるの?」
DVD 発売中
1976年10月〜1986年9月の長きにわたりテレビ朝日系列で放送された超人気バラエティ番組「欽どこ」の人気コーナーがついにDVDとしてリリース。関根勤のクロ子と小堺一機のグレ子が演ずる懐かしのショート・コントを見れば、抱腹絶倒、家族円満、間違いなし!
○ 収録内容
・ショート・コント23篇(クロ子とグレ子ネタは19篇)
(萩本家の家族<萩本欽一、真屋順子、見栄晴、わらべの3姉妹>、「村の時間」でお馴染みの斉藤静六も登場)
・関根&小堺による新撮映像、音声解説
発売元/テレビ朝日
販売元/ポニーキャニオン
セル商品¥3,990(税込)
■現在の出演番組
■テレビ
ダウンタウンDX(隔週木曜日22時〜・YTV)
たりらりラ〜ン(水曜日23時40分〜・YTV)
王様のブランチ(隔週土曜日9時30分〜・TBS)
さんまのスーパーからくりTV(日曜日19時〜・TBS)
爆笑問題のバク天!(土曜日19時〜・TBS)
笑っていいとも!(金曜日12時〜・CX)
奇跡体験!アンビリバボー(木曜日20時〜・CX)
もしもツアーズ(土曜日18時30分〜・CX)
■ラジオ
コサキンDEワァオ!(土曜日24時〜・TBS)
PROFILE
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関根勤(せきね・つとむ)
1953年8月21日生まれ。東京都出身。
日本大学在学中、「ぎんざNOW」の素人オーディションで5週勝ち抜き、74年デビュー。
「カックラキン大放送」のカマキリ男や「欽ちゃんのどこまでやるの!」のクロ子など、強烈なキャラクターからお茶の間を和ませる役まで、多彩な顔を持つ。
毎年行われる舞台・カンコンキンシアター「クドい!」では座長も務める。また、盟友・小堺一機とのラジオは今年で24年目に突入と、長寿番組となった。
所属事務所「浅井企画」
HP: http://www.asaikikaku.co.jp/
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