【8・27オールスター戦「ALL TOGETHER」連載:1】新日本プロレス、全日本プロレス、プロレスリング・ノアが一堂に会する夢のオールスター戦、震災復興支援チャリティープロレス「ALL TOGETHER」(東京・日本武道館)が8月27日、東京スポーツ新聞社主催で行われる。メジャー3団体の集結は1979年8月26日、本社創立 20周年イベントとして同じ武道館で実現したあの伝説のオールスター戦、BI砲復活以来だ。8・26から32年の時を超え8・27へ——。復興への「明日」を見据えてスタートする新連載、まずはプロレス評論家の門馬忠雄氏(顔写真)が「32年前の真実」を3回にわたり明かす。
1万6000人の大観衆で埋め尽くされた日本武道館。あれから32年だ。あの喧騒と興奮を思い起こすたびに身震いする。当時、筆者は東スポの国際プロレス担当。団体との交渉役、番記者として大会に参加できたことはまさしく記者冥利に尽きる。
1970年代のマット界は新日本、全日本、国際の3団体が興行戦争を繰り広げていた。馬場と猪木の確執から、新日本対全日本が潰し合いの険悪ムード。それに振り回される弱小の吉原功代表の国際…。
これより2年前「夢のオールスター戦」開催の話が持ち上がった時、誰もが「無理だ」と疑問視した。それでも猪木のセリフではないが「実現不可能を可能」にしたのが東スポ上層部の熱意と、業界の「やってみようじゃないか」というギャンブルにも似た若いエネルギーだった。
馬場と猪木が歩み寄ったのは79年1月4日のプロレス大賞授賞式前後とされる。会場で2人だけの密談が交わされ、8年ぶりのタッグ結成合意に至った。ようやく夢の大会が開催に向けて大きく動き出した。
開催に当たってもっとも苦労したのが新日本と全日本の現場責任者、故山本小鉄さんとグレート小鹿だ。選手間の対抗意識が強く、控え室は一触即発のムードが漂う。喧嘩、殴り込みを極力押さえたのがこの2人だった。2人は力道山最後の弟子で、日プロ時代は合宿所で同部屋だった。国際の面々にも顔が利いた。
小鹿は今でも「よく話し合ったよ。若い選手を束ねてくれって」と語る。馬場、猪木ばかりが浮き彫りにされるが、大会成功の舞台裏には2人の〝鬼軍曹〟がいたことを忘れてはならない。
(紙面では毎週金曜掲載)
1万6000人の大観衆で埋め尽くされた日本武道館。あれから32年だ。あの喧騒と興奮を思い起こすたびに身震いする。当時、筆者は東スポの国際プロレス担当。団体との交渉役、番記者として大会に参加できたことはまさしく記者冥利に尽きる。
1970年代のマット界は新日本、全日本、国際の3団体が興行戦争を繰り広げていた。馬場と猪木の確執から、新日本対全日本が潰し合いの険悪ムード。それに振り回される弱小の吉原功代表の国際…。
これより2年前「夢のオールスター戦」開催の話が持ち上がった時、誰もが「無理だ」と疑問視した。それでも猪木のセリフではないが「実現不可能を可能」にしたのが東スポ上層部の熱意と、業界の「やってみようじゃないか」というギャンブルにも似た若いエネルギーだった。
馬場と猪木が歩み寄ったのは79年1月4日のプロレス大賞授賞式前後とされる。会場で2人だけの密談が交わされ、8年ぶりのタッグ結成合意に至った。ようやく夢の大会が開催に向けて大きく動き出した。
開催に当たってもっとも苦労したのが新日本と全日本の現場責任者、故山本小鉄さんとグレート小鹿だ。選手間の対抗意識が強く、控え室は一触即発のムードが漂う。喧嘩、殴り込みを極力押さえたのがこの2人だった。2人は力道山最後の弟子で、日プロ時代は合宿所で同部屋だった。国際の面々にも顔が利いた。
小鹿は今でも「よく話し合ったよ。若い選手を束ねてくれって」と語る。馬場、猪木ばかりが浮き彫りにされるが、大会成功の舞台裏には2人の〝鬼軍曹〟がいたことを忘れてはならない。
(紙面では毎週金曜掲載)
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