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ホーム萬古焼について > 萬古焼の歴史【江戸時代.3】
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萬古焼の歴史 萬古焼の特性 萬古焼の製造工程
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■ 桑名萬古
有節の考案した木型成型の急須は、よく売れた。その秘密にしていた陶法が、桑名の木型師佐藤久米造に漏れると、それを模倣追随した沢山の有節亜流の陶芸家が桑名周辺に現われて、売り出した。中には有節萬古と一味違うたたみ作り、土型成型の精巧なものを作る者がいた。布山[ふざん]、孫三郎[まござぶろう]らである。幕末から明治初年にかけて、最も盛業であった。

■ 射和萬古[いざわばんこ]
古萬古の沼波家の姻戚[いんせき]にあたる南勢射和[なんせいいざわ]の経世家竹川竹斎[けいせいかたけかわちくさい]が、安政三年(一八五六)に射和萬古を開窯した。彼は有節萬古の成功に目を付け、殖産事業にしようと、資力を注ぎ、井田吉六、[いだきちろく]、奥田弥助[おくだやすけ」、近藤勇[こんどうゆう]、服部閑鵞[はっとりかんが]らの名工を雇い入れての陶業であった。だが、製品は優れていたが、格別の特色がないために、目論見通[もくろみどお]りに捌[さば]けず、七年で廃窯となった。

■ 阿漕焼[あこぎやき]
古萬古の陶工良介(浪々瑞牙[ろうろうずいが])が津の藤堂藩に招かれ、安東の地で古萬古の姉妹品に「古安東[こあんどう])を産み出したが、わずかで廃業した。これを惜しんだ津の油屋倉田久八[くらたきゅうはち]が「再興安東」を始めたのは、嘉永六年(一八五三)のことである。射和萬古の職長もした信楽の陶工上島弥兵衛の協力を得た。後に「阿漕焼」と改名し、窯主が度々変わって現在に至る。


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