2011年5月4日10時37分
10年1月に入ってもさまざまな移設案の構想が浮上。政権側は現行案での決着に踏み切れずにいた。
同月26日、在東京米大使館の政務担当公使らが、松野頼久官房副長官(当時)と会談した模様を「秘」指定で記した「鳩山側近が普天間、名護市長選について語る」と題した公電は、松野氏の「官邸の意向をほのめかしながら」の公使らとの会話での発言として、こう引用した。
「鳩山首相と、沖縄問題での(日米閣僚級)作業部会は、『形の上だけは』沖縄県内以外の選択肢を検討しなければならないが、唯一現実的な選択肢は、普天間をキャンプ・シュワブかほかの『既存施設』に移すことだ」
公電によると、松野氏は「シュワブ沿岸の埋め立て案(現行案)は『死んだ』」とも表現した。県外移設の公約はほごにせざるを得ないと判断しつつ、なお現行案以外の選択肢として「シュワブ陸上案」など落としどころを探る鳩山氏周辺の意思を反映した発言だった。
だが、結局こうした案は、いずれも実を結ばなかった。鳩山内閣は10年5月、06年合意通りに辺野古崎への移設を決めた。社民党の連立離脱につながり、鳩山首相の故人献金問題とならんで、鳩山氏の首相退陣の一因となった。