2011年5月4日10時37分
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設問題で、2009年末から昨年初めにかけて、当時の鳩山政権幹部らが、06年の米軍再編合意で決まった県内の名護市・辺野古崎へ移設するという現行案以外の代替案を模索するが、受け入れられない限り、現行案通りに進めると米国側にひそかに伝えていた。「県外移設の検討は形だけ」と口にしたり、連立解消も辞さない姿勢を見せたりしていた。
普天間移設問題で、「最低でも県外」と主張した鳩山由紀夫前首相は、09年秋の政権交代直後から、沖縄の民意をくむ姿勢を強調していた。日米両政府は同年11月、普天間問題で閣僚級の作業部会を設置し、年内決着を視野に入れて解決策を探り始めた。
連立政権の一員だった社民党は同年12月、「重大な決意」(福島瑞穂党首)という表現で、現行案や県内移設なら連立を離脱すると揺さぶりをかけた。民主党側は、予算案の通過に連立維持と社民の協力は不可欠だと判断して、ひとまず年内決着は断念。「県外も含むほかの選択肢」をなお探る方針だった。
だが、この時期の複数の公電から、米側が早い段階で、結局は現行案に戻ると受け止めていた構図が浮かび上がってくる。
09年12月9日、東京の米大使公邸でルース大使と前原誠司・国土交通相(沖縄北方担当相兼務=当時)が会談した。翌日に在東京の米大使館が発信した極秘指定・外国人閲覧不可の公電がその内容を伝えている。
「民主党の5閣僚――鳩山由紀夫首相、平野博文官房長官、岡田克也外相(いずれも当時)、北沢俊美防衛相と前原氏――は12月8日夕に会談し、普天間代替施設で前進を得られなかったのは連立相手の社民党のせいだと一致した」