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最終更新:2011年5月4日(水) 22時7分

ミャンマー難民、被災地で「日本へ恩返し」

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 日本に恩返しをしたい・・・そんな思いを胸に、日本に住むミャンマー難民が被災地に向かいました。

 先週日曜日。宮城県石巻市の半壊した焼肉店の駐車場で、炊き出しを待つ行列ができていました。振舞われたのはミャンマー料理です。

 「うれしいです。みんなうれしそうに食べているからすごく気持ちがいいです」(ミャンマー人のボランティア)

 まだ水道やガスが使えない住宅街。この日、炊き出しを行ったのは日本に住むミャンマー人でした。軍事政権による迫害から逃れてきた難民100人が、日本に「恩返ししたい」と被災地に駆けつけたのです。

 「おいしいです」
 「こうやって食べさせてくれてありがたい。遠くから来てもらってね」(被災者)

 用意された500人分以上の炊き出しは、わずか2時間でなくなりました。

 炊き出しの前日。

 「すぐできるように全部用意しないと大変なことになっちゃう」

 炊き出しの責任者のマオさん(46)。23年前、民主化運動にかかわったことを理由に祖国を追われ、現在は都内のそば店で料理長を務めています。今回、特別な思いを胸に炊き出しを企画したといいます。

 「人生の半分くらい日本に住んでいる。今、日本人が困っている時。一つになる気持ちで何かやらなきゃと」(マオさん)

 マオさんは今回の震災を、3年前、祖国ミャンマーで起きたある災害と重ね合わせていたのです。ミャンマーを襲った大型サイクロン。死者・行方不明者およそ14万人という甚大な被害をもたらしました。

 「サイクロンの時、僕らもミャンマー人として何とかしたかったが、(ミャンマーに)入れなかった。何にもできなかった」(マオさん)

 無念さが募る一方で、マオさんは、日本がいち早く支援に入ってくれたことが忘れられないといいます。

 「(日本が)助けてくれたのがありがたい。私たちができないことをしてくれたから」(マオさん)

 泥まみれになりながら黙々と続けられる作業。今回参加したミャンマー人の難民は、皆、マオさんと同じ思いでした。

 「(サイクロンの時)ミャンマー(ビルマ)に行けなかった分、こっちで頑張ります」(ミャンマー難民)

 5時間近くかけて除去した土のうは8トンにものぼりました。炊き出しを終えたマオさんは、「被災地の人たちが笑顔で受け取ってくれた」と喜びの言葉を口にしました。

 「自分の手で料理を作れたから言葉にできないくらいうれしい。みんなが行くなら絶対に行きます。どこでも」(マオさん)

 マオさんたちは今後も被災地で「日本への恩返し」を続けていきたいといいます。(04日17:50)

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