すい臓がんを患っていた父が4月9日に他界しました。いちばん最後まで気に病んでいたのが、生まれつき障害をもった私の次女のことでした。
わずらわしいことに、4月22日にはシカゴの家庭裁判所から呼び出しです。前夫のSは裁判マニアなところがあり、過去にも何度か家庭裁判所に足を運びました。スポーツと違って、勝っても負けても、いい思い出はあまりありません。
最初は結婚してすぐ、スーパーマーケットに買い物に行った際、ステラという黒人女性が名前を呼んで追いかけてきたため、Sは車に乗ってその場を離れたところ、「ひき殺そうとした」という罪状で訴えを起こされてしまったのです。自宅に警察がきて、拘留され、100ドルの保釈金を払って、シャバに戻ることができました。指定された時間に裁判所に行ったら、20人ぐらいが一度に裁かれる形式で、プライバシーも何もあったものではありません。
そう、アメリカの家庭裁判所は情報を公開しているので、誰でもホームページをとおして経過を追うことができるのです。まったくもって、プライバシーも何もあったものじゃありません。私のケースもネットで見ることができます。
もともと前夫のほうが話し合いもなく、一方的に離婚の裁判をおこし、実家に電話したら母親から「奴隷のように夫を扱うからよ」と言われました。余談ですが、この女性は言葉がきつくて、自分の肉親を自宅で自殺に追い込んでしまったそうです。私にとっては反面教師になり、それからは親への言葉には気をつけるようになりました。私の父は最後は気持ちも安らかだったと思います。
日本の家裁に場所を移して、無事に離婚が成立したのが昨年の11月。その5日後に私は今の夫とはじめて出会い、子供たちと新しい家庭を再構築しはじめるのですが、12月5日にはなぜか前夫からふたたびシカゴで離婚訴訟を起こされてしまったのです。
話が前後してしまうので、先に昔の裁判について書き記しておくと、ステラという女性は当日、自分の夫も同伴していました。軍人でトルコに赴任しているという話でしたから、この裁判のために帰国したのかもしれません。妻が黒人、夫が白人というカップルでした。個人的に弁護士を雇わなくても勝算あり、とアドバイスされていました。「パブリック・ディフェンダー」と呼ばれる国選弁護士が控えていて、その場かぎりだったら無料で相談にのってもらうことができます。
そこでバッタリあったパブリック・ディフェンダーは、今は故人となったサン・シールズというブルース・ギタリストのバンドに所属しているトランぺッターでした。
肝心の裁判のほうは行列をなしていて、並ぶこと約15分。順番がまわってくると、判事はさっと記録に目をとおしなら「dismiss(却下する!」という判定をくだし、5分もたたずに終了。男女のもつれがこじれまくったわりには、まことにあっけなく終了してしまいまったのです。
アメリカで生きていくとしたら、一生のうちで3人以上の弁護士にあうという説があります。失念したのですが、ニューヨーク生活が長かった宮本美智子さんの著作で、そういう一文を目にしたような記憶があります。
ふりかえってみると、当たっている点がなきにしもあらず。グリーンカードを取得するとき1人めの弁護士とあっていますから、このときで2人め。家を買うときも弁護士を雇っていて、契約に立ち会ったもらうルールがありました。ブラックカルチャー関連のブログに目をとおし、黒人男性が他の人種と結婚すると黒人女性が「盗られた」と解釈すると知り、あのときの夫婦を思い出さずにはいられませんでした。
このステラという女性も、車のガラスを叩き割ったり、ストーカー行為がありました。とはいえ、こうした行為が黒人女性特有のものだとは思いません。日本人女性が浮気相手だった時期の嫌がらせも相当なもので、私の場合はスケートをやっている長女と障害をもつ次女がいましたから、このへんのことを繰り返しブログに書き込まれたりしたので閉鎖してしまったことがあります。
さて、ずっと後になってから、グローリアという女性から突如メールをもらいます。Sのマネージャーをやっていた女性なのですが、深い仲になったあげく、暴力行為があったので警察を呼び、彼にたいして訴えをおこしたとのこと。このメールを読んだSは激怒して、ギターを売って裁判費用をつくり、自分のほうからも訴えていました。このへんになると、もう罪状も忘れてしまいました。ともかくごく短い時間で、とくに実りはなく、裁判は終わってしまったのです。
どうもカッとすると裁判を起こしたくなるらしいのですが、気持ちがつづかず、すぐに投げ出してしまいたくなってしまうのです。
今回の裁判もなにがなんだかさっぱりわからないまま、出廷したところ、欠席裁判。訴えた前夫は台湾で長期バケーション中なので出廷せず、判決では私の言い分が全面的に認められました。女性判事の話だと、「あなたの前夫は2月にここで私に、”妻が行方不明になって連絡が取れない”と訴えた。どこにいたの?」私は日本での戸籍謄本をみせて、「離婚が成立して、新しいパートナーと生活をはじめています。携帯電話の番号も昔のままだから、連絡とれないということはないでしょう」「私はあなたを信じます。この件はdismiss(却下)にしましょうね」裁判終了です。
私の場合は米国で入籍したとはいえ、日本国籍だったので、日本人の弁護士や家裁が戸惑ってしまうほどレアケースでしたが、国際結婚組の離婚は法律的な手続きが大変です。今回は身をもって、それを体験しました。離婚専門の弁護士も夫婦である間は盗難にならないから、共有の貯金は早く自分のものにしてしまえ、とアドバイスしたりします。結婚生活が長くて共有の財産があったり、子供がいたりすると、裁判所がパスポートをとりあげられたりすることも珍しくありません。強引に子供を連れて帰国してしまい、再入国のときに「誘拐罪」で逮捕されてしまったり。信じられないことですが、この国ではそちらのほうが常識なので、私も弁護士から最初にこの点を注意されました。
ともかく婚外恋愛にしても、離婚にしても、なかなかトレンディードラマのように優雅に運ばないのが現実です。いろいろ学習させてもらいましたが、いちばん大きな収穫はそれがわかったという点です。
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