東京電力の清水正孝社長は18日、参院予算委員会に参考人として出席し、福島第1原発事故への初動対応で、原子炉格納容器の内部圧力を下げる「ベント」作業が遅れ、事故が悪化したとの指摘に対し、「暗闇の中で作業を強いられ、通信機能も喪失して連絡が困難だった」と説明。放射能漏れを謝罪した上で「電源が喪失し、放射線量も高い厳しい状況だった。何より周辺への影響があるので、(住民が)避難(したか)をしっかり確認する時間が必要だった」と釈明した。
清水社長が国会で答弁したのは事故後初めて。津波対策が不十分だったとの指摘には、「14~15メートルの津波は想定できず、そういう意味では甘かった」と認めた。【山本明彦】
毎日新聞 2011年4月18日 19時59分(最終更新 4月18日 23時04分)