東日本大震災で被災した東京電力福島第1原発の1号機で、原子炉圧力容器内の水位が被災直後の3月11日夜の時点で燃料棒が露出する寸前まで減っていたことが8日分かった。1号機では翌12日午後、炉心溶融による水素爆発が発生。東電は爆発の18時間前には炉心溶融の兆候をつかんでいたと見られるが、結果として対応が遅れ、爆発による放射性物質の放出という最悪の事態を招いた。
東電が8日午前、初めて公表した水位データで判明した。データは地震直後の3月11日午後7時半から13日午前7時半までの、1~3号機の圧力容器内の水位や圧力の数値。
圧力容器内の燃料棒(長さ4メートル)は通常、完全に水没しており、水位は燃料棒の頭頂部から4メートル以上ある。ところが公表されたデータによると、11日午後9時半の時点で1号機の水位は燃料棒の頭頂部からわずか45センチまで減少していた。2号機は午後10時現在で3・4メートル、3号機は約4・5メートルだった。
1号機の水位はその後1・3メートルまで回復したが、再び急低下。12日午前8時36分には水位が燃料棒の先端と同じ高さまで下がり、燃料棒の露出が始まった。水素爆発が起きる直前の同日午後3時28分の水位はマイナス1・7メートルで、燃料棒の半分近くが水面上に露出している状態だった。東電によると、1号機の燃料棒は現在、最大70%が損傷しているとみられる。東電が1号機の圧力容器内に冷却のための海水を注入し始めたのは12日午後8時20分だった。
東電は「国には随時報告しており、隠す意図はなかった」と説明している。【江口一】
毎日新聞 2011年4月8日 東京夕刊