本と映画と政治の批評
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小出裕章『隠される原子力』を読む(1) - 戦後日本の核開発
小出裕章の『隠される原子力-核の真実』(創史社)を読んだ。昨年12月に出版されたもので、全体で157ページとコンパクト。文字が大きく、記述も平易で、すぐに最後まで読み通せる。ブックレットの感覚だ。小出裕章の人格が滲み出たような、独特の分かりやすさがあり、読みながら講演する声音が聞こえ、演壇の表情が浮かび上がってくる気分がする。何かしら、忘れていた、昔の「科学者」のイメージを思い出す。人にやさしく、社会正義に燃えて、知恵と知識と教養のある白衣を着た哲人技術者。60年代から70年代の頃は、少年漫画などに登場するキャラクターを含めて、そういう類型と表象が一般に定着していた。そして、実際にアカデミーの現場にも、そういう哲人が多くいて、弟子や学生たちを情熱的に教育していた。例えば、益川敏英が過去を懐かしく回想する談話を聞くと、そういう哲人科学者たちの時代が彷彿とさせられる。白川靜の自然科学版の先生が何人もいて、岩波新書の青版というのは、そういう哲人学者たちが謹直に講義する世界だった。現在の日本には絶えて無い。(一部の例外は別に)新書の赤版はアカデミー官僚の勲章になり果て、岩波書店の貪婪な利殖の道具になっている。本当は、この小出裕章の本こそが岩波新書となり、将来にわたって国民を教育する原子力入門の古典にならなくてはいけないのである。本の内容は、原子力に関する基礎知識が纏められ、小出裕章の世界がパッケージになって提供されている。


「核燃料サイクル」とか、「プルサーマル」とか、日常の報道で頻繁に接しながら、自分の中で意味を具体的に把握しないまま、曖昧に聞き流してきた言葉が原子力の世界には数多くある。そうした言葉が、解説なく情報の中に重なるため、原子力の問題について深く関心を突っ込めず、他人事のように距離を置く態度に私はなっていた。反省しなければならないが、この本を読むと、こうした言葉の意味を探り、自分の中で概念を埋めて納得してゆくことができる。そういう、プリミティブではあるけれど確かな知識を手に入れ、無知から有知へと少し近づく試みは、ネットの情報検索の作業では絶対に不可能なもので、達成できない営みである。読書をしなければならない。対話で得なければいけない。本は、最初に原子力の開発史について触れ、19世紀末の放射線の発見から兵器応用された20世紀前半を概説する。そして、その本質についてこう結論づける。「日本では、『核』と『原子力』は違うものであるかのように宣伝され、核分裂反応がはじめに原爆として利用されたことを不幸なことであったと言う人々がいます。しかし、核分裂反応はその本性からして爆弾向けなのであり、『核』の『平和利用』ならいいというのは間違った考えです」(P23)。重要だ。言葉を「核」と「原子力」とに分けたために、一方は悪で他方は善になった。日本人らしい自己欺瞞の言葉の使い分けである。しかし、この小出裕章の本質論は、戦後史と重ねたとき、実に容易ならぬものを含んでいることに思い至る。

実は、日本の戦後の原子力開発というのは、そもそも最初の段階から、それを軍事転用して核兵器を開発することが念頭にあり、目的に措いていたのではないか。本の冒頭、「はじめに」の中で、1954年の第五福竜丸事件のとき、当時改進党の代議士だった中曽根康弘が原子力予算を国会に提出し、法律が成立した経緯が述べられている。中曽根康弘の名前がいきなり出る。当時、日本は冷戦の中にあった。本の前半、小出裕章が語る日本の原子力開発の歴史を読みながら、私が思い出したのは、昨年10月、NHKが放送した「“核”を求めた日本」である。この番組は衝撃的だったが、小出裕章の議論を読んで考えると、さらに恐ろしい歴史的事実として立ち上がってくる。このドキュメントは、一般よりも政府に与えた影響の方が大きかったらしく、外務省が大騒動になり、前原誠司(外相)の肝煎りで、放送された事実を否定する揉み消しのプロジェクトを動かしている。NHKとスタッフに対して、相当に厳しい仕置きが政府から下された事情が窺われる。この外務省の慌遽混乱ぶりからも、放送された事実の信憑性が政治的に検証されたと言えるが、要するに、当時の国家の中枢にいた官僚たちは、中国に対抗して即座に原爆を保有しようと急いでいたのであり、再軍備(自衛隊創設)から核武装までは一直線の国家計画の路線だったのである。この番組の動画は今は再生できないが、放送前にスクープをニュースで報じた3分半の映像は残っていて、土日担当の野村正育が原稿を読んでいる。

NHKは西独の秘密外交資料を入手、元外務次官の村田良平の証言を取り、1969年2月の箱根での日独秘密外交協議を突き止め、1970年にNPTが発効するのを前に、日本が西独と組んで核保有する謀略に奔走していた事実を暴露した。西独と組もうとした首謀者は、おそらく村田良平自身と思われる。番組の中で、村田良平は堪能なドイツ語を得意気に披露していた。村田良平は、ドイツ語のパフォーマンスをNHKに撮らせ、言わば語学のカリスマ証明をして自己満足し、自身が関与し策動した謀略ネタをNHKに与え、死後(昨年3月死亡)に公開するようNHKに託していたのである。満州事変の石原莞爾やノモンハン事件の辻政信と同じであり、戦前の参謀たちと同じ論理と手法の再現。憲法も国会も内閣も飛ばした超法規的な独断専行において、陰謀好きの右翼官僚が国を恐るべき方向に動かしていた。現在もそのパターンは引き継がれている。秘密文書の中で日本側は、日本の技術は核弾頭の製造に十分の水準だと言っていて、準備万端の旨を西独側にコミットしている。1957年に日本初の研究用原子炉が動き始めて12年後、1966年に東海村の原発が稼働して3年後の時点。世間は全共闘による大学紛争で騒然としていた頃だが、このとき、1960年代後半、日本は国民に秘密で核保有国になろうと官民が動いていた。傍証と言うか、符合する不審な事実がもう一つある。それは1967年の第3回長計(原子力開発長期計画)だ。ここで初めて高速増殖炉の開発と実用化が言及される(P.41)。

他国が撤退したところの、技術的に困難な高速増殖炉になぜ日本が執着し続けるのか。表向きの理由は、それが軽水炉と比べてウラン資源の利用効率が高く、使った燃料よりも多くの燃料を取り出せる「夢の原子炉」だからである。エネルギーの論理と動機である。だが、どうやら本当の狙いはそこではなく、あるいは二つが並行であり、核兵器に軍事転用するプルトニウムの生産こそが裏の目的だったに違いない。結局、1980年代前半に実用化すると言っていた高速増殖炉は先延ばしされ、1994年に動かしたもんじゅは翌95年に事故で冷却系が破損、冷却剤のナトリウムが漏洩して火災となり、15年間ずっと停止状態が続き、核燃料サイクル計画と高速増殖炉は頓挫状態になる(P.43)。しかし、この間、日本は列島全土に原発を建造し、膨大な使用済み核燃料を作り出し、英仏に再処理させてプルトニウムを逆輸入してきた。六ヶ所村の再処理施設は、実は未だ設備を完成させてもいないし、再処理を始めてもいない。使用済み核燃料を全国から集めて貯蔵保管しているだけである。再処理の技術を確立させていないのであり、もっと言えば、すでに「再処理」という概念自体が、財政的にも技術的にも破綻に瀕しているのである。私はその事実をよく知らなかった。この六ヶ所村の再処理工場だが、事業申請されたのは1989年のことである。このときは竹下政権だが、計画は中曽根政権(1982-1987年)の時代に策定されたに違いない。再処理の技術も未確立なのに、日本国内でプルトニウムを抽出しようとしたのだ。

1兆円をドブに捨てつつ、40年後の2050年に稼働を目指すもんじゅ(P.43)。それと同様、六ヶ所村の再処理施設も、1997年操業の予定がトラブルによって20回も操業開始が延期され、7600億円だった建設費も、これまでで2兆2000億円が注ぎ込まれ、さらに解体まで含めて総額で12兆円かかるとされている(P.130)。六ヶ所村の再処理施設とは一体何なのだろう。これはまさに日本の恥部である。小出裕章の説明によれば、自前の技術で再処理すると言いながら、日本(原燃)は技術がなく、六ヶ所村の再処理設備すらフランスに作ってもらっていたのである(P.133)。そして、この設備さえも事故で操業延期が常態になり、全く事業の目途が立っていないのに、今度はプルサーマルで発生する別種の厄介な使用済み燃料の処理に迫られ、また新しく第二再処理施設を作る計画なのだと言う(P.53)。高速増殖炉、核燃料サイクル、再処理工場、プルサーマル。日本の原子力開発の中身はどれも信じられないほど滅茶苦茶で、杜撰で、計画は完全に行き詰まっている。そして、その展望のない破綻した事業に、何十兆円という国費が注ぎ込まれ、監察も検証も何もされていない。事業仕分けをするのなら、まさに原発こそ第一に手を着けるべき無駄だ。これまで、原発が日本で作られてきたのは、「資源のない日本」という強迫観念があり、枯渇する化石燃料に代わるエネルギー開発を求める衝動が国民の中に強くあり、原子力技術が魔法の杖のように信仰されていたからである。手塚治虫の作品の影響も大きく、国民の姿勢を後押しするのに貢献したかもしれない。アトムは核で動くロボットで、体内に小型原子炉を持っている。妹の名前はウラン。

そして、原発の事業と計画の破綻が見え始めた頃、窮地を救う救世主として現れたのが二酸化炭素地球温暖化説で、これによって原発は息を吹き返したのである。15年間停止していたもんじゅが、廃炉を免れて2010年に再稼働に至るのは、CO2温暖化説の神風のおかげだ。



by thessalonike5 | 2011-05-04 23:30 | 東日本大震災 | Trackback | Comments(0)
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