2011-04-26
4年前、想定したものより深刻、強大なのだろうか
自身に対して、世界に対して、周囲の人々に対して、試行錯誤と模索をつづけた結果、同じような人が他にもいることに安堵するそれ以上に、、障害という見方を受け入れてしまう人が多い。
自身の模索を、自身で行うことを、周囲の介在を交えないやり方を、どうして、そこで辞めてしまうのか。
「同じような人がいる、存在している」、これ以上の事実の確定はなく、障害という見方は人の頭の中の考えから現れた浮遊する事物であるのになあ。
2011-04-25
Loxbixn.Hx.
『無x限x振x子 -精x神x科x医xとxなっxたx自x閉x症x者xのx声x無xきx叫xび』
理x解xされxないx自x閉x症x者xのx苦x悩
精x神x科x医xでxありx「x受x動x型xx」のx自x閉x症xのx著x者xが、三x十x代xでx診x断xをx受xけx、本x当xのx「x私x」xとxしてx生xきx直xしx始xめるxまでxのx苦x悩xのx軌x跡x。
協x同x医x書x出x版x社 A5x判x・x160x頁x 18x90x円x(x税x込x)
なぜ、自分で自分のもっとも根幹の部分を他人に任せてしまっているのか、自分で分かっているのだろうか?
定x型x発x達x者xやx健x常x者x、周x囲の人々、これら「一般xのx人々」に振り回される日々から、「x専x門x家x」という職業に就いたx定x型x発x達x者xやx健x常x者xに左右される日々に変わっただけだ。
結局のところ、何も変わってはいない。
この人か、誰かに手紙(メール)、あるいはコメントを出そう。
2011-04-20
ono
そこでもっとも大切なことの一つは、
「自分がそれで本当にいいのか」ということ。
今まで自分が信じていたように、あるいは世間が信じているように、
自分自身のことを不自然な存在と見なしていいのかどうか。
自分が何者なのかを決めるのに、自分自身がすっぽり抜け落ちていいのは、
自分が奴隷になるときだけだ。
2011-04-15
マイクル・クライトンが生きてたらなあ。
『http://anond.hatelabo.jp/20100127233101 「アスペルガー症候群」って、嫌いな人間に対する、科学や医学を装った否定的レッテル貼りだろ。 20世紀前半における優生学や人種理論と同じ。』
ああ、やっと幾らか同じことを考えている記述に逢ったよ。
これは、誰だろう。
誰もいなくても一人でもやってく、そのつもりではあるが、居るにこしたことはない。
健常者・定型発達者・障害者、この三者が三者ともすべて、ある種の至上主義にはまっている。先の二者を至上とする、それらを人間の中心に据える考え方に。
誰もが彼らであろうとする、彼らでないことを辞めようとする。彼らだけが自然で適切、それ以外は不自然で不適切だと。
もっとも、至上主義を、私は自然かつ理性的なもので、否定するより肯定するものだと考えているのだが。 追いついてくれよ、頼むから。
俺はもっと先に行きたいんだよ。
私の考えが、いつか、紙くずとして道端に転がっていることを、願っている。そのときが、私が生きているあいだであればいいのだが。
2011-04-11
合わせているが為の期待 知らないが為の無効果
あわせているが、くらべてたりないところだけを指摘してくる。
しらないために、どれほどあわせているかはんだんできないし、あわせる義理がないことにさえきづかない。
2011-04-09
mmm
ttt