東京電力福島第1原発の事故発生以降、周辺地域で高い放射線量が測定されたり、食品や水から放射性物質が検出されている。枝野幸男官房長官は「直ちに健康に影響はない」とよく口にしてきたが、一方で野菜の出荷制限などもあり、「本当に大丈夫?」と疑問を持つ人は少なくない。放射線や放射性物質とはどんなものか。放射線の健康への影響は今、どこまで分かっているのか。事態の長期化が不可避となった今、放射線に関する情報を理解するための、科学的知見や専門家の見解を紹介する。【下桐実雅子、須田桃子、大場あい】
●今出ている線量はどの程度か
東京都の浄水場から0歳児の飲用基準を超える放射性のヨウ素131が検出されたのは3月22日。福島第1原発から飛散した放射性物質が原因だ。都は、備蓄していたペットボトル入り飲料水を乳児のいる家庭に配るなど、対応に追われた。
放射性物質を含む水を飲めば体内に取り込まれる。これを「内部被ばく」と呼び、食べ物や呼吸でも体内に入る。ヨウ素131は甲状腺に集まりやすく、放射性のセシウム137は全身に分布する。ヨウ素131は8日で量が半分に、セシウム137は30年で半分になる。半分になる時間を「半減期」と呼ぶ。ただし、内部被ばくの場合「時間とともに体外に排出される」(稲葉次郎・元放射線医学総合研究所研究総務官)ので、実質的な半減期は異なってくる。ヨウ素131は成人で約7日、セシウム137で約90日という。
福島第1原発から飛散した放射性物質は、大気中や土壌からも見つかっている。体の外から放射線を浴びることを「外部被ばく」と呼ぶ。被ばく量は、内部と外部の両方を考慮する必要がある。
放射線医学総合研究所は、東京に住む人が1カ月間に受けた累積放射線量(3月14日~4月11日)を観測結果をもとに推計した。外部被ばく量は0・016ミリシーベルト、内部被ばく量は0・1ミリシーベルトで、計約0・116ミリシーベルトだった。東京とニューヨーク間を航空機で往復したときに浴びる自然放射線量より少なく、健康に影響を与えるレベルではない。
受ける放射線量は、放射性物質ごとに決められた換算係数を用いれば計算できる。例えば、水道水1リットル(1キログラム)当たりヨウ素131が8・59ベクレル含まれる場合(都が3月18日~4月11日に発表した数値の平均値)、成人の体への影響を考慮したヨウ素131の係数(ミリシーベルトの場合は0・000022)を掛けて、さらに飲んだ量を掛け算する。(右表参照)
普段、私たちは自然界から絶えず放射線を受けている。「自然放射線」だ。大地の岩石から気体状の「ラドン」が放出され、宇宙からも降り注ぐ。航空機の乗務員の被ばく量が高いのはこのためだ。野菜などの食品にも、放射性のカリウム40が含まれる。日本人は1人当たり年間約1・5ミリシーベルトの自然放射線量を浴びている。
世界には大地からの放射線量が高い地域があり、イラン・ラムサールやブラジル・ガラパリでは年平均10ミリシーベルトで、日本(同0・43ミリシーベルト)の20倍高い。このほか、60年代の大気圏核実験でまき散らされたセシウムなどの放射線も浴びているが、ピーク時の0・11ミリシーベルトの20分の1に減っている。(左グラフ参照)
エックス線検査などによる医療被ばくは、日本人1人当たり年間2・3ミリシーベルトで、自然放射線量より多い。放射線治療では部分的に数万ミリシーベルトの放射線を浴びるが、佐々木康人・日本アイソトープ協会常務理事は「少しずつがんのある場所にだけ照射する。全身に受けるのとは影響の大きさが違う」と説明する。
●「直ちに影響ない」の意味
福島第1原発の事故の影響で、福島県をはじめとする複数の自治体で、現在も大気中の放射線量が通常より高い状態が続く。野菜や水からも放射性物質が検出された。政府は「直ちに健康に影響はない」と繰り返し、多くの専門家も「累積で100ミリシーベルトまでなら問題ない」と説明する。専門家が「低線量被ばく」と呼ぶ100ミリシーベルト未満の被ばくの影響は、どこまで解明されているのだろうか。
放射線は、細胞や核の中のDNAを傷つける。1000ミリシーベルト以上の高い線量の放射線を浴びると、脱毛や不妊などの急性障害が出る。最悪の場合は死亡する。それより少ない線量では、急性障害は起こらないが、被ばく後、数年から数十年たって発症するがんや、子や孫の代に生じる先天性異常などが心配される。
広島・長崎の原爆被爆者約9万3000人の半世紀以上にわたる追跡調査から、100ミリシーベルト以上では、被ばく線量が高いほど、がん発症率が直線的に増えることが分かっている。つまり、線量が2倍になれば、がんになる確率も2倍になる。放射線医学総合研究所によると、仮に1000人が100ミリシーベルト被ばくしたとすると、後にがんで死亡する人は、元々の300人から305人に増える。
100ミリシーベルト未満の低線量では、同様にがん発症率が高まるかどうかは、明らかな証拠がない。がん発症には、食生活や喫煙など被ばく以外の要因もかかわり、放射線の影響かどうかを特定できないからだ。約10ミリシーベルトの影響を調べるには、1000万人の被ばく者が必要と試算されている。科学者の間では「○ミリシーベルト未満ならば健康影響がないという『しきい値』がある」「低線量でも直線的にがん発症率が増え、しきい値がない(LNT仮説)」などと見解が分かれている。
各国の放射線防護策に影響を与えている国際放射線防護委員会(ICRP)は「リスクを過小評価せずに予防できる」として、LNT仮説を採用して、基準値を設定している。
ICRP主委員会委員の丹羽太貫(おおつら)・京都大名誉教授(放射線生物学)は「低線量被ばくをどこまで防ぐかは、費用や社会的影響を考慮して考えなければならない」と話す。
●新たな避難指示の根拠
「福島県内の5市町村を計画的避難区域(一部地域の場合を含む)に指定します」。4月11日、政府が新たな指示を出し、計画的避難区域では住民が1カ月程度で避難することになった。対象市町村をどこにするかで目安となった累積放射線量が年間20ミリシーベルトだ。
健康影響を減らすための目安は、国際放射線防護委員会(ICRP)や国際原子力機関(IAEA)が提示している。
例えば、ICRPの90年勧告では、対策を取らないと2日間で5~50ミリシーベルト浴びるような地域では屋内退避を求めた。また、1週間で50~500ミリシーベルトの地域で一時的に避難するとしている。一方、IAEAは「屋内退避10ミリシーベルト(2日間)、避難50ミリシーベルト(1週間)」と提言した。こうした指摘を受け、日本の防災指針は「予測される累積の放射線量が10~50ミリシーベルトで屋内退避、50ミリシーベルト以上で避難」としている。
07年にICRPが公表した勧告では、原子力施設が正常か異常かで、住民や作業員の被ばく線量を3分類している。住民の場合、(1)平常時である「計画被ばく状況」で年間1ミリシーベルト(2)事故などで放射線管理ができない「緊急時被ばく状況」では年間20~100ミリシーベルト(3)放射線の影響が残る復旧期「現存被ばく状況」で年間1~20ミリシーベルト--としている。
平常時には放射線を扱う施設を厳格に管理し、がんの発症リスクを少しでも減らす。だが、原発事故が起こりすぐに放射線量を下げられなくなった場合は、目前に迫った急性障害を優先的に回避することを目指す、という考え方だ。緊急時の年間20ミリシーベルトという値は、原発や医療現場で働いている人の平常時の上限を参考にした。安全か危険かの境界線ではなく、50年間働く場合に、自然災害など他のリスクと比べてぎりぎり受け入れられる上限として設定された。
また、政府は計画的避難で実際の避難までに1カ月の猶予を持たせた。これは、がん発生のリスクが高くなるという明確な証拠があるのは100ミリシーベルト以上で、「生活への影響も考慮すると、一刻を争って避難する状況ではない」というのが理由だ。
ICRP専門委員の甲斐倫明・大分県立看護科学大教授は「最も優先されるのが、(胎児への影響など)重い急性障害が確実に出る高い被ばくを絶対に避けることだ。その上で、住民の場合は、100ミリシーベルト未満の幅を持った値の中で対策を検討し、生活を変える負担も考慮しながら被ばく量を減らす努力をすることが重要だ」と指摘する。
Q 放射線って何?
A すべての物質は原子でできています。多くの原子は安定していますが、中には不安定でエネルギーを放出して別の原子に変わるものがあります。そのときに出る強いエネルギーが放射線です。アルファ線、ベータ線、エックス線などがあります。アルファ線は紙1枚で遮蔽(しゃへい)できます。エックス線は人体の表面を通過するので、その性質を利用して医療に利用されています。放射線を出す物質を「放射性物質」といいます。放射線を出す能力が「放射能」です。
Q ベクレル、シーベルトという言葉を耳にします。
A ベクレルは放射線を出す物質の側から見た、放射能の強さを表す単位です。放射線を出すのに1秒間に何個の原子核が変化したかを意味します。「野菜から○ベクレル検出」というのは、「その野菜から○ベクレルの能力を持った放射性物質が見つかった」ということです。シーベルトは放射線を受ける側を主役にした単位で、「放射線のエネルギーをどれくらい吸収した(する)か」を表します。体への影響を考えるときにはシーベルトを参考にします。なお、ベクレルはウランから放射線が出るのを発見したフランスの学者、シーベルトは放射線が人体に与える影響を研究したスウェーデンの学者の名前です。
Q 放射線は人間の体に影響を与えるの?
A 私たちは普段の生活の中でも宇宙や大地などから放射線を受けていて、傷つけられたDNAを修復したり、異常が生じた細胞を排除して健康に影響が出ないようにしています。ただし、一度にたくさんの放射線を受けると修復が追いつかなくなります。
Q 具体的にどんな異常が起こるの?
A 一度に1000ミリシーベルト以上の放射線を受けると、その量に応じてリンパ球減少や脱毛などの深刻な影響(急性障害)が出ると言われています。急性障害が出ないような、比較的少ない被ばく量でも将来がんが発症するリスクはありますが、「何ミリシーベルト以上で全員ががん発症」とか、「何ミリシーベルト以下であれば絶対安全」という明確な境界線はありません。
Q 放射線ってインフルエンザみたいに人から人に感染するの?
A 放射線は被ばくした人や物から感染するものではなく、体の中で増殖することもありません。ただし放射性物質が付着した塵(ちり)が風で飛んだりして、発生源から離れた場所にいる人も被ばくの可能性があります。被ばくを最小限に抑えるのは、外で着た服を着替えたり、体を洗ったりすることでできます。この行為を除染と呼んでいます。
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◆もっと知りたい人は
http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/costep/news/article/121/
http://www.atomin.go.jp/
http://www.jrias.or.jp/index.cfm/1,14676,3,html
http://www.nirs.go.jp/index.shtml
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■ベクレルとシーベルトの換算式
受ける放射線量(ミリシーベルト)
=換算係数×放射能の強さ(ベクレル/キログラム)×飲食量(キログラム)
例)都内の水道水から検出されたヨウ素131(8.59ベクレル/キログラム)、セシウム137(0.45ベクレル/キログラム)を含む水を、成人が1日あたり1.65リットル(キログラム)、29日間飲んだ場合
ヨウ素131 0.000022(換算係数)×8.59(ベクレル/キログラム)×1.65(キログラム/日)×29(日)=0.009ミリシーベルト
セシウム137 0.000013(換算係数)×0.45(ベクレル/キログラム)×1.65(キログラム/日)×29(日)=0.00028ミリシーベルト
合計 0.00928ミリシーベルト
※放射線医学総合研究所の資料をもとに作成
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■ことば
専門家の立場から放射線防護について勧告を行う国際組織。前身は1928年に作られ50年に現在の名称になった。主委員会と五つの専門委員会で構成される。勧告は国際原子力機関(IAEA)の安全基準や各国の放射線障害防止に関する法令の基礎にされている。
毎日新聞 2011年5月4日 東京朝刊