──
放射線の危険性は、発癌率や死亡率で測れるだろうか? 「そうだ」と考えている人が多いようだ。
特に池田信夫は、発癌率に着目して、
「放射線の発癌率は、煙草の発癌率よりも、はるかに低い」
ということから、
「放射線の危険率は、煙草の危険率よりも、はるかに低い」
と結論しているようだ。発癌率でなく死亡率についても、同様だ。
( ※ 特に twitter で何度も語っている。→ 検索 )
──
しかしながら、放射線の危険性は、「発癌率」や「死亡率」で測れるものではない。
なるほど、煙草ならば、その危険性は「肺癌」にほぼ限られているし、「肺癌による死亡」だけがテーマとなる。
肺癌による生活レベル低下は、ほとんど認められない。肺癌のせいで、手や足がマヒする(歩行できなくなったりする)ことは、ない。また、呼吸が苦しくなることはあるが、悪化すれば、「肺の停止による死亡」である。「足がなくて車イス」というような状況は、ない。一方、放射線では、煙草のように「0か1か」というふうな関係は成立せず、さまざまな途中段階がある。つまり、「放射線を浴びたから一挙に死ぬ」ということは成立せず、「さまざまな健康悪化」という途中段階がある。その途中段階は、比喩的には、「5%死んでいる」とか「10%死んでいる」とかいうふうに語れるものだ。
とすれば、ここでは、「死なないから大丈夫」ということは成立しない。たとえ死ななくても、その生命は部分的に損なわれているのだ。
とすれば、「癌になっていないから大丈夫だ」「死んでいないから大丈夫だ」ということは成立しない。
というわけで、放射線の危険性は、「発癌率」や「死亡率」で測れるものではない。
──
このこと実例で知るには、原爆症というものを知るといい。
(原爆症は) 発症は被爆直後の場合が多いが、10年、20年経った後に発症することも少なくない。60年以上経った現在でも、新たに発症するケースが見られる。このような抽象的な文言もあるが、むしろ、具体的な例の方がわかりやすい。
広島市、長崎市では被爆直後は健康に見えた人の容態が突然悪化し、死亡したケースが数多く確認されている。多くの場合、体にだるさを感じた後、目が見えなくなったり、節々に痛みを感じたりしたのち死亡した。
被曝の数十年後の発癌の確率が高まる。
( → Wikipedia 「原爆症」 )
看護学生だった日出子さんは18歳の時、爆心地から約 1.7キロの広島市中心部で被爆。放射線被害とみられる下痢や脱毛、歯ぐきからも出血しながら、傷病者の看護に当たった。右目は光線で焼かれ、その後白内障を経て失明。左目も白内障を患い、01年に原爆症認定申請を出した。要するに、放射線は、全身の健康全体を少しずつ蝕む。煙草のように、肺という一点を集中的に破壊して殺すのではなく、全身をどこもかも少しずつ蝕む。(患者は生きながら死んでいるようなものだ。)
( → 毎日新聞 2011-04-28 )
後障害の特徴は、被爆の翌年から現れたケロイドに始まり、その後は特に白内障、白血病、諸種のがん=甲状腺(こうじょうせん)がん、乳がん、肺がんなど、胎内(たいない)被爆者の障害(小頭症や発育不全など)などに、高い発生率がみられました。
( → 原爆による人体への影響 )
戦後、多くの被爆者は『だるい、根気がない、つかれやすい』などの 『原爆ブラブラ病』と呼ばれた症状で苦しんだそうです。当時の検査では異常が見つからず、病気ではないと言われますが働くことができず、「なまけ者」と責められたり、病名のつかない症状で長く苦しんだりした人もたくさんいたそうです。
( → 原爆症の恐ろしさ )
原爆放射線の影響は現在でも、まだまだ未解明な部分が多く、その影響のメカニズムは解明し尽くされていませんが、被爆者のDNA等に異常をもたらし、がんや白血病など様々な病気にかかりやすくなり、「原爆ぶらぶら病」と言われる原因不明の強度の倦怠感に悩まされ、苦しみ続けてきました。
( → 原爆症訴訟 弁護士 )
──
では、なぜか? それは、DNA の損傷が起こるからだ。
DNA とは何か? これについては、本サイトで前に詳しく述べた。再掲しよう。
遺伝子とは、個体発生の段階で遺伝形質を決めるためだけに作用するのではなく、誕生から死ぬまでのあらゆる生命活動において、たえず作用している。ここにすべては語られている。
「遺伝子」とは、「遺伝ないし個体発生のための最小要素」ではなくて、「生命活動のための最小要素」なのだ。
「動的平衡」の本当の意義は、「分子がたえず交替されている」という現象それ自体ではない。その現象をもたらす根源だ。つくられたものの方ではなく、つくっているものの方だ。
「分子がたえず交替されている」ということは、「組織(タンパク質)がたえずつくられている」ということだ。では、どうやって、つくられるか? そこではDNAが働いている。DNAが組織をつくっているのだ。
ここでは、つくられるものよりも、つくっているものこそ、重要である。そして、つくっているものは、DNAである。
だから、DNAの役割は、「親の情報を子に伝える」という意味の「遺伝」ではなくて、「生命が生命として活動している」という意味の「生存」なのだ。
DNAの本質は、「遺伝」ではなく、「生存」( or 生命活動の維持)である。
( → 遺伝子の意味(生命子) )
DNAは、生物において、生命を維持するものだ。それが損傷すれば、生命の維持活動が損なわれる。
たとえば、血液を作るにせよ、細胞膜を作るにせよ、何らかの代謝をするにせよ、そこでは常にDNAが働いている。DNAは生命の分子活動全般で作用している。そのDNAが損なわれたら、生命活動がおかしくなるのは当然のことだ。
( ※ 比喩的に言えば、自動車の部品がどれもこれも、急に傷だらけになってしまった状態だ。DNAが損傷したせいで、DNAからつくられる物質もまた不完全になるからだ。)
──
以上で、原理的に説明された。
放射線の危険性は、「死亡率」や「発癌率」では測定されない。放射線を浴びることは、いわば、「砒素や農薬を飲むこと」に近い。砒素や農薬を飲むと、どうなるか? 大量に飲めば死ぬ。だが、少量飲んだだけでは死なない。内臓の機能が損なわれて、だるくなって、健康がそこなわれるだけだ。それはいわば「半分死んだ」というような状況だ。ここにおいて、「死亡率」や「発癌率」を調べて、さして違いがないという結果を得て、「砒素や農薬は煙草よりも危険でない」と述べても、何の意味もない。そんなことを言う奴は、砒素や農薬を飲んで、半分死んで半分生きた状態になりながら、「おれはまだ生きているから大丈夫だ」と言えばいいのだ。
( ※ 半死半生というと、「シュレーディンガーの猫」みたいだが、ここでは関係ありません。 (^^); )
──
池田信夫は、生物学のことをよく知らないようだ。次のような発言がある。
「放射線によって起こる癌は個体変異であり、……」もちろん、これは正しくない。特に、「個体変異」という初歩的な用語を誤解しているのは、ちょっと恥ずかしい。
「DNAの通常の機能は(蛋白質を複製して)細胞分裂をコントロールすることだ」
( → 池田信夫ブログ )
とはいえ、生物学については素人らしいから、その点についてはとやかく言うつもりはない。(「トンデモだ」と騒いで、鬼の首を取ったような気になりたがる人もいるが。)
ま、そういう初歩的な間違いがあるのはともかく、放射線については、もっとちゃんと学んだ方がいいと思う。特に、「原爆症」というものについて学んだ方がいい。その被害は決して死亡率では測れないのだ。
原爆症の人々が、生きていてもどれほど悲惨な目に遭ったか、理解した方がいい。人の苦しみや悲しみについて、もうちょっと共感できるだけの優しさを持った方がいい。孫正義が間違ったことを言っているのを指摘するのは、それはそれで大切だと思う。しかし、他人を攻撃することに熱中して、他人の粗探しをするよりは、もっと真実を探ろうとした方がいい。
──
先に示した原爆症の患者(毎日新聞)では、次の話がある。
01年に原爆症認定申請を出したが却下された。03年大阪地裁に提訴、全国で起きた集団訴訟の判決で初めて勝訴(06年5月)した。06年まで、半世紀以上も、ずっと補償を受けられなかったのだ。
全国のおよそ25万人の被爆者のうち、原爆症と認定されているのはわずか1%。原爆投下後に爆心地近くに入り、「残留放射線」の影響で被爆した「入市被爆者」は、これまでの基準ではほとんど認められなかった。今回の見直しでは、この「入市被爆者」が広く原爆症と認められ、認定数は、これまでの10倍、2万人に増えるとみられている。2008年になってようやく、認定率が 1% から 10% 程度まで向上した。残りの 90%程度は、原爆による重度の放射線被害を受けながら、無視されている。
( → NHK 番組ガイド 2008年 3月18日 )
これが現実だ。
( ※ 上記の「入市被爆者」の放射線量は、100ミリシーベルト。その前に直接被曝した人々は、もっと圧倒的に多い。たいていはすぐに死んでしまった。一部は 200ミリシーベルトぐらいを浴びて、長生きした。……結局、死ぬか、無視されるか、いずれかだ。「半ば死んで半ば生きている」という状況にあった被爆者は、それほどにも過酷な人生に追いやられた。)
──
今の日本では、ほんのわずかな放射線について、「大変だ」と騒ぐ人々が多い。ま、それが悪いとは言わない。少量の放射線でも、危険水準に近いほどであれば、騒いでもやむをえまい。
しかし、そんな小さなことで騒ぐくらいなら、まさしく放射線によって健康に大被害を受けた被爆者をこそ、救うべきだ。
われわれがなすべきことは、「微量の放射線でもすごく怖いぞ」と言って、危険性を過大評価することではない。「放射線を浴びても死なないから大丈夫だぞ」と言って、危険性を過小評価することでもない。「放射線は、人を死に至らしめなくても、人の生命を部分的に損なうことがある」と正確に認識した上で、「まさしく放射線で健康を害した人々がたくさんいる」という現実を直視することだ。
孫正義みたいに、微量の放射線でギャーギャー騒ぐのは、馬鹿げている。それは確かに、池田信夫の言うとおりだ。その点では、池田信夫はまったく正しい。池田信夫の孫正義批判は、妥当である。
しかしながら、池田信夫は、その方向だけに目が偏ってしまっている。そのせいで、「放射線は、死をもたらさなくても有害であることもある」という真実に、目をふさがれている。そのせいで、原爆症の人々のことなど、思いもよらない。
もちろん、こういう難点は、池田信夫に限ったことではない。だから私は、ことさら池田信夫をあげつらうつもりはない。彼以外の人々だって、同様だからだ。むしろ、他の人々が気づいていない点に気づいているという点では、池田信夫は立派なものだ。
ただ、彼の認識は、あまりにも偏りすぎている。真実に近づこうとするのはいいが、片側だけからしか物事を見ないせいで、物事の評価があまりにもいびつになってしまっている。
池田信夫と孫正義の、どちらが真実をつかんでいるかといえば、池田信夫だ。池田信夫の方が、ずっと科学的だし、ずっと真実に近い。しかしながら、最終的な結論は、池田信夫が間違いで、孫正義が正しい。「原発はさして危険ではない」という池田信夫の結論は間違いで、「原発はすごく危険だ」という孫正義の結論が正しい。
池田信夫は、正しい科学的認識から、間違った結論を得ている。孫正義は、間違った科学的認識から、正しい結論を得ている。── その違いは、どこから来るか? たぶん、優しさの有無だろう。池田信夫は、優しさがないがゆえに、正しい科学的認識をしても、最終的には間違った結論に至ってしまう。孫正義は、優しさがあるがゆえに、間違った科学的認識をしても、最終的には正しい結論にたどりつく。
物事をとらえるには、単に科学的な真実を捉えようとしているだけではダメだ、という見本だろうか。非常に頭のよかったフォン・ノイマンが、その素晴らしい知性を駆使して、原爆で日本人を虐殺することに大きな役割を果たしたのに似ている。
( ※ フォン・ノイマンの役割は → 計算 ,京都への投下案 )
──
最後に、私なりに、結論をまとめたい。
孫正義や池田信夫を批判することが、私の目的ではない。二人とも今の日本では傑出した人物であり、彼らが発言することは、かなり有益なことだと思う。(孫正義の太陽光発電推進は、とんでもないデタラメだし、まったく評価できないが、放射線への論議は、重要だ。)
私の目的は、この二人の論議ではなく、日本全体の論議だ。津波の被災者への補償とか、放射線の避難者への補償とか、そんなことばかりにかまけているのが、日本の現状だ。しかし、そんなことにかまけるよりは、もっと辛い目に遭った原爆の被爆者のことを考えるべきだ。原爆の被爆者は、年間 100ミリシーベルトではなく、1日に 100ミリシーベルトを浴びた。( → 出典 ) そして、それは、まだ少なかった方だ。だから高齢になるまで生き延びた。一方、その量を上回った人々は、ごく短期間のうちに急性障害で死んでいった。
今の日本では、「仮設住宅を寄越せ」と騒ぐ人々が多い。しかし、津波で被害に遭ったのは、誰かのせいではない。彼ら自身のせいだ。彼ら自身が、津波を浴びる地に住み、津波の危険性をあえて無視してきた。当日も津波を軽んじた人々は、財産を失うどころか、自分の生命まで失った。そういうふうに警告を無視したことのすべては、自分自身の責任だ。
また、福島原発の周辺で被害を受けた人々も、そこが危険だと警告されていながら、あえてその危険な地に住んでいた。それもまた自分自身の責任だ。
こういうふうに、自分の責任で被害に遭った人々が、「何百万円かの金を寄越せ」と要求している。
その一方で、何の罪もない原爆被爆者は、国際法違反の犯罪である「原爆投下」によって、健康に大被害を受けけた。そのままずっとほったらかしにされ、あげく、まともな治療も補償も受けられずに、ろくに家も食べ物もない貧しい生活のなかで、次々と死んでいった。
「真実とは何か」を科学的に探るよりは、「公正さとは何か」を人間として考えた方がいい。「自分の健康が大切だ」と思って大騒ぎするよりは、「他人(弱者)の生命が大切だ」と思って原爆被爆者について騒ぐ方がいい。
その点では、孫正義も池田信夫も、全然足りていない。そしてまた、一般の日本人は、この二人と比べても、はるかに足りていない。そういう日本人のいびつな状態を、この二人が理解してくれればいいのだが、彼らには無理だろう。二人とも尊大なので、他人の批判には耳を貸さないからだ。
この二人とも、自分の間違いについては薄々気づいているのだろうが、自分の間違いを認識するだけの、心の強さがない。それがかえすがえすも、残念なことだと思う。
( ※ 私がいくら指摘しても、反論すらせず、馬耳東風だ。ま、間違いを認めるのは、辛いことだろうが。)
( ※ で、結果的に、最も辛い立場にある原爆被災者は、見捨てられて、いまだにひどい状態に置かれている。最小限、国がお詫びをすればいいのだが。それなら、菅直人もお得意だろうに。彼はどうやら、自分の腰痛で精一杯のようだ。)
[ 付記 ]
被爆者に目を向けることは、大切だ。それは現在のわれわれの誤りをも教えてくれる。現在はこうなっている。
政府は三月十五日、同原発で事故対策にあたる作業員に限り、被ばく限度を従来の計一〇〇ミリシーベルトから二五〇ミリシーベルトにする規則の特例を定めた。政府は放射線について年間累積量ばかりに着目している。今回の作業員についても、その限度までなら大丈夫だと思っている。
( → 東京新聞 2011年4月20日 )
東京電力福島第1原子力発電所の事故で、同社は23日、累計の被曝(ひばく)線量が100ミリシーベルトを超えた作業員が1人増えて30人に達したことを明らかにした。緊急時の作業員の年間被曝限度は、今回の事故に限り本来の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに引き上げられている。東電は「200ミリシーベルトに近づいた場合、放射線量が高い作業から外す」としており、最大の198ミリシーベルトを浴びた作業員1人がすでに同原発から離れた。
( → 産経 2011.4.23 )
爆発して1カ月以上たっても最大で毎時70ミリシーベルトの場所があった。
現時点で3号機の北西で計測されている最大の70ミリシーベルトでも、4時間そこにいると、今回の緊急作業のための被曝線量の上限(計250ミリシーベルト)を超えてしまう。
( → 朝日新聞 2011-04-24 )
厚生労働省は28日、東京電力福島第一原子力発電所の緊急作業で累積被曝(ひばく)線量が 100ミリ・シーベルトを超えた作業員は、同原発での作業期間を含む5年間、他の原発などでの放射線業務に従事させないよう、全国の労働局に通達した。
( → 読売新聞 2011-04-29 )
違う。なるほど、1年間という時間をかけて 100ミリシーベルトなら、かろうじて安全圏に入る。しかし、同じ 100ミリシーベルトを、たった数時間のうちに浴びれば、それは重篤な影響もたらすのだ。そのことは原爆症の人々から判明している。
しかも、今回の作業員は、100 どころか、200 とか 250 とかの値になったこともある。今は大丈夫でも、将来的に原爆症になる可能性は非常に高い。それを反省したかと思えば、今度は 100 だ。
こんな状況を続けている政府は、まったく間違っている。また、それを放置している日本の医学界も、無知がひどすぎる。
さらに、20代の若手が参加していることも、非常に問題だ。彼らは原爆症になる可能性が高いだけでなく、不妊になる可能性がとても高い。まだ子供を生んでいない若者をこんなところに投入するなんて、倫理的に狂っている。ナチスと同じぐらい非倫理的なことだ。
作業員を投入するなら、次の条件にするべきだ。 ( 対策案 )
・ 1日に 10〜20ミリシーベルトが上限。再参加は不可。
・ 年齢は 50歳以上。なるべく 60歳以上。
・ 少数でなく多数の人数を投入するる。(一人あたりの被曝量を減らす。)
以上のことは、当然だ。国際的な機関も、似たようなことを勧告していた。(出典は失念したが。)
現状は、そうしていない。アルバイトの職員を安値で雇用しているだけだ。そして、それに食いついた貧乏人ばかりが、大量の放射線を被曝する。人為的に原爆症を起こしているようなものだ。
すぐ上で示した対策案を実行するには、高給で多数を雇う必要があるので、金がかかる。そして、その金を惜しんで、安上がりにするために、東電は21世紀の原爆症患者をどんどん生み出しているのだ。
人でなし。
[ 参考 ]
(1)
被爆者への賠償責任は、日本政府にある、と考えていい。日本政府はサンフランシスコ条約で、米国への賠償請求権を一切放棄した。これにともなって、被爆者が米国に補償を請求する権利は失われたので、その分を、日本政府が補償する必要がある。
道理からして当然だろう。
(2)
しかしながら、政府がやっていることは、その逆だ。判例に反して、どんどん補償範囲を狭めている。
→ 原爆症認定率急落 なぜ ( 2010-10-19 )
ひどいね。
【 関連サイト 】
→ 原爆の写真 (被爆者の悲惨な状況)
※ あまりにも悲惨な写真で、目をそむけたくなるほどです。
見るのをお勧めはしません。気の弱い人は失神する恐れあり。
──
● 小佐古参与「官邸の対応場当たり的」と辞職届
「今回の原子力災害で、官邸の対応はその場限りで場当たり的だ。提言の多くが受け入れられなかった」と語った。具体的には、政府が示した年間20ミリ・シーベルトという小学校の校庭の利用基準などを挙げ、「この数値を小学生などに求めることは許し難い」と指摘した。
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20110429-OYT1T00571.htm?from=y24h
● 年20ミリシーベルト 健康に影響出ることはない
文部科学省は福島県内の学校などの施設、校庭の利用について校庭、園庭での1時間あたり放射線量が3.8マイクロシーベルトを超えるところでは屋外活動は1日1時間程度とし、屋内、園内での活動を軸にするように措置を講じたが、この基準について放射線影響学が専門の久住静代原子力安全委員会委員は20日開かれた衆議院青少年問題特別委員会で「(基準の妥当性について)社会的、学校教育等々、総合判断の下で可能と判断したもので、年間20ミリシーベルトで健康に影響が出るということはない」とした。
こどもは放射線の感受性が成人に比べ3倍から10倍あり、放射線の影響を受けやすいという専門家もいる……
http://jp.ibtimes.com/articles/17878/20110420/1303300800.htm
──
文部省の計算は妥当でない。1時間あたり放射線量が3.8マイクロシーベルトで年間20ミリシーベルトというのは、現時点での放射線量が継続した場合の数値だ。一方、3月15日には大量の放射性物質が飛散したし、4月上旬には現在の100倍の放射線量があった。落ち着いてからの分だけで 年間20ミリシーベルトだとしたら、落ち着く前の爆発的な時期には別途大量の放射性物質があったはずだ。その積算値は数十ミリシーベルトはあったはずだ。はっきりとしないが、概算値で 20〜40ミリシーベルトだとしたら、その分が、落ち着いたあとの年間量に加算される。合計して、40〜60ミリシーベルトとなる。子供だと3倍になるという説なら、120〜180ミリシーベルトに相当する。ずいぶん危険な値だ。
ただちに生死に結びつくわけではないが、健康がそこなわれるという影響は十分に考えられる。「疲れやすい」「病気になりやすい」「免疫力が弱くて風邪を引きやすい」というような影響が少しぐらいは出ても当然だろうし、数十年後には癌による死者が少しだけ増えることもあるだろう。こんなところで子供を育てるべきではない、というのは事実だ。
危険性を過小評価している人が多すぎる。
cf.
下記に実測値(積算値)の情報がある。上記の推測とだいたい合致する。
http://www.toyokeizai.net/business/society/detail/AC/77b1f6c632e436b9bd3d14d5796877ee/
まず、引用。
──
福島第一原発の冷却作業は落ち着き、東電も工程表を発表したが、「放射能の恐怖」をあおる言説が跡を絶たない。これは日本社会の病である過剰コンプライアンスの一種で、行動経済学的なバイアスとして説明できるが、合理的行動として説明することも可能だ。
ブログでも書いたように、マイクロシーベルトのレベルの放射線は人体に無害だが、政府は微量の放射線も人体に影響するという前提で避難勧告などを出している。
→ http://agora-web.jp/archives/1316079.html
──
これはまったくの間違いだ。「マイクロシーベルトのレベルの放射線は人体に無害だ」ということはない。それが1日だけならば無害だが、1年間ずっと過ごしていれば、ミリシーベルトのレベルになる。
政府が「計画的避難区域」に設定した領域は、年間20ミリシーベルト以上。
→ http://www.asahi.com/national/update/0429/TKY201104290318.html
しかるに、20キロ圏(警戒区域)の外側には、150ミリシーベルト以上の領域がある。50ミリシーベルト以上の領域も結構ある。馬場温泉のあたりは危険度が高そうだし、飯舘村の中心部でさえ30ミリシーベルト以上だ。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4525322.html
とてもマイクロシーベルトなんてものじゃない。「微量の放射線」なんかじゃない。池田信夫は基本的な事実認識で、最初から根本的に間違っている。
彼の述べる理屈がどんなに正しくても、その前に、まずは事実認識が根本的に狂っている。理屈だけを述べてもダメなのだ。事実を知らなくては。
そもそも、「放射能は浴びれば浴びるほど危険」という理論は「瞬間的」「大量」な領域については原爆やショウジョウバエの精子を使った実験からも明らかですが、「継続的」「少量」であれば、むしろ自然の放射能より100倍まではかえって健康にいいという学説(放射線ホルミシス効果)もあります。
ホルミシス臨床研究会
http://thar.jp/
では、寝たきりで放射線を24時間体制で浴び続ける治療を行う場合は100ミリシーベルト/年(=11.4マイクロシーベルト/時)、短時間の治療であれば10〜100マイクロシーベルト/時が適切と考えているそうです。
ただ、放射線治療とは異なり、避難区域に住むとなると内部被曝の影響を考えなければならないので、「避難するな」ということにはなりませんが。
換算すれば、 「年間20ミリシーベルト = 1時間当たり3.8マイクロシーベルト」です。
年間 100ミリシーベルトが危険水準なので、池田信夫が述べている量は、すでに危険水準に達しています。彼はどうも、1時間当たり3.8マイクロシーベルトを、1年間3.8マイクロシーベルトだと勘違いしているフシがある。そう受け取らないと、文意が通らない。
> 「継続的」「少量」であれば、むしろ自然の放射能より100倍まではかえって健康にいいという学説
かなり疑わしい。健康にいいというよりは、ショジョウバエの場合には、放射線で雑菌を殺しただけ、というふうに考えられそうだ。そのまま人間には適用できない。論理の飛躍がありすぎる。
> ホルミシス効果
普通は、「あった方がいい」というのはごく微量であり、自然放射能の倍ぐらいのレベルに過ぎません。そもそも微量過ぎて、統計的な有意差は判然としていません。(「ホルミシス効果 トンデモ」で検索してみてください。)
なお、全身放射で治療効果があるというのは、癌患者の場合です。なるほど、癌患者ならば、全身に転移する恐れがあるので、全身への放射線治療は有効だと言っても間違いではないでしょう。放射線のおかげで長生きできそうです。2年から3年へ、と余命が延びる。
しかし癌でもない人に放射線を浴びせても、余命が50年から51年に延びるわけではありません。誤解しないように。
──
ホルミシスというのは、どうも、東電から研究費をたっぷりもらって贅沢している学者の、詭弁論理クラブという感じがする。豪遊しているんじゃないでしょうか。証拠はないけど。
なお、代表理事の 川嶋朗 という人は、ホルミシスだけでなくホメオパシーもやっています。トンデモ系ですね。
→ http://kenshijun.exblog.jp/tags/%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88/
(1)
> では、自分が受けた心臓カテーテル治療の被曝はどうか。2000ミリシーベルトともいうが、これは照射されている量だろう。 何とまあ、俺たちゃ被爆者じゃないか。
部分的に放射された場合は、その箇所だけに影響する。全身の機能には影響しない。典型的に言えば、癌細胞だけに照射すれば、治療効果だけがあり、悪影響はない。被曝の量が問題なのではなく、どこに被爆したかが問題。
(2)
> 著者は原爆による惨状の中、広島にいて医療活動を行なっていた。しかし,彼は80歳を超えて健在である。これは一体何なんだろうという気もする。
被爆の影響は、癌になることや死ぬこととは限らない。低い量の被曝の場合には、癌にもならず、死ぬこともない。
ただし全身のDNAが損傷するから、全身の生命機能が少しダウンする。いわゆる「原爆ブラブラ病」である。致死量未満の砒素を飲んだようなものだ。この件は、上記の本文中に述べたとおり。
比喩的に言えば、被爆の影響は、片目をつぶしたり、指をちょん切ったり、皮膚を剥がれたようなものだ。別に、死にはしないし、癌にもならない。しかし生命のレベル(健康性)は確実に損なわれている。死ななりゃいい、というものではない。
そもそも政府はすでに「年20ミリシーベル以上はは計画的避難区域」と指定して、5月中に区域から出るように、という方針を決めている。政府が「ここは危険だからここから出ていけ」と決めた領域について、文科省が「ここは大丈夫」と決めるのはおかしい。
ただし、続報がある。以下、引用。
──
枝野幸男官房長官は記者会見で「年間20ミリシーベルトまでの被ばくを許容したものではなく、小佐古氏の誤解だ」と述べた。
菅直人首相は……年間20ミリシーベルトとする政府の安全基準について、「子どもの健康が最優先だ。これで大丈夫というより、ここをスタートにして、線量を下げる努力をしなければならない」と述べ、基準を厳しくする方向で見直す考えを表明した。
→ http://jp.wsj.com/Japan/Politics/node_230232
──
私の推測だが、人々の「菅直人はやめよ、民主党はダメだ」という声にしたがって、自民党が政権を取ったら、たぶん、もっと甘い数字なる。20から 50に引き上げられそうだ。
2.4 mSV …… 一年間に自然環境から人が受ける放射線の世界平均。
5 mSV …… 放射線業務従事者(妊娠可能な女子に限る)が法定の3か月間にさらされてよい放射線の限度。
ということだ。飯舘村の女子は、この水準をとっくに突破している。将来的には不妊が多発しそうだ。このまま在住していれば、その傾向が高まる。
「この水準は平気だ」と述べている政府よりは、「福島の女とは結婚しない」と述べている低脳男の方が、ある意味では、妥当かもしれない。
(どっちもどっちと言うべきか。)
※ 注釈しておくが、「飯舘村の女子は皆不妊になる」という意味ではない。「率が少しだけ高まる」という程度だ。その意味で、これを過大評価するべきではない。とはいえ、過小評価するべきでもない。危険性は十分にある、と理解するべきだ。
と私が述べると、
「そんなことを述べるのは、飯舘村の人々に残酷だ」
と批判する声も出そうだ。だが、とんでもない。
私は前から、放射性物質の危険性について警鐘を鳴らしていたし、飯舘村から避難せよとも述べていた。
→ http://openblog.meblog.biz/article/4395032.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/4395032.html
→ http://openblog.meblog.biz/article/4396560.html
私の「危険だ、避難せよ」という声を聞いていれば、多くの放射性物質を浴びずに済んだのだ。私の警告を聞いていれば、こういう問題は起こらなかったはずなのだ。(私が言わなくても、孫正義が言っていた。その言葉は聞いたはずだ。)
なのに、今さら「放射性物質を浴びたことを隠してくれ」と頼んでも、ご都合主義というものだ。
また、現時点で飯舘村に留まれば、さらに危険性は増す。これも同様だ。
なお、現時点では「妊婦と乳幼児は避難する」という方針があるだけで、18歳未満の女子はいまだに村にいる。避難の順序では「最初に避難」とされているが、まだまだぐずぐずしている。
私が「避難せよ」と言ったのは4月5日だが、それから25日たっても避難を始めていない。その間、かなり多くの放射線を浴びており、危険水準の5mSV をとっくに上回ってしまった。しかも、妊娠可能女性における 5mSV という危険水準さえ理解していないようだ。(政府は 20mSV だ。)
──
21人のうち、合計200〜150ミリシーベルトが8人、150〜100ミリシーベルトは11人だった。
→ http://bit.ly/kdb6xI
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これらの人々には、かなり辛い人生が待ち構えている。国は正直に語るべきだ。「危険量に達しており、将来は原爆症と同様になるでしょう」と。
それを隠して「大丈夫です」と言っているなんて、詐欺と同じだ。国家による犯罪。人命に関わる詐欺。
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質問に立った高校1年の渡辺菜央さん(15)は「子供が産めない体になるのではないかと不安」と訴えた。
「結婚して子供産みたい」 東電幹部に質問する高1の渡辺さん(写真付き)
→ http://www.47news.jp/photo/189814.php
かわいそうだけど、子供を産めない体に少し近づきつつあります。政府は「大丈夫」なんて言うべきではないんだが。
確率的に言って、多数いる女子のうち、ある程度の数は、流産が増えるはずです。
Wikipedia によれば、妊娠可能な女性の許容限度は5ミリシーベルト。それ以上では問題が起こる可能性がある。
国際基準に反しているということをマスコミも報道しない。孫正義もツイートしない。(私がせっかく彼に直接教えてあげたのに。ダジャレには返信するくせに、まともな情報には返信しない。孫正義も口先だけ。子供のことをちゃんと心配していないようだ。)
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女性の被ばく限度超過2人に。
40代の女性が国の限度の3カ月で5ミリシーベルトを超える被ばくをしていた。
50代の女性が17.55ミリシーベルトの被ばくをしていたことが明らかになっている。
http://www.jiji.com/jc/eqa?g=eqa&k=2011050100061
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何を勘違いしているんだか。限度の3カ月で5ミリシーベルトというのは、女性への上限値ではなく、妊娠可能女性への上限値だ。二人ともたぶん妊娠するはずがない。(よほどの高齢出産するならともかく。たぶん無理。)
高齢の東電社員よりは、飯舘村の女子のことを報道すればいいのに。
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「私が将来結婚したとき、被ばくして子どもが産めなくなったら補償してくれるのですか」
同村飯樋の高校1年生渡辺奈央さん(15)は、将来の被ばくリスクについて質問した。
→ http://www.minyu-net.com/news/news/0501/news9.html