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島村あきお活動日記

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 2009年6月19日(金) 理科ボランティア


 今年も、大袋小学校3年生のみんなに理科ボランティアで昆虫の授業をしました。昨日、前に勤務していた片倉工業株式会社の生物科学研究所へカイコをもらいに行ってきました。しかし、その帰途、祖父の訃報を受け取ることになりました。祖父は94歳、今月の29日に95歳の誕生日を迎えるはずだったのですが。天寿とは思いますが、常々「もう少しがんばらなきゃ」と言っていたのでとても残念です。でも、子ども達との約束は果たさなければならないし、生き物は待ってくれませんから、予定通りに準備をして授業を行うことにしました。
 今回は、スライドに「生物の歴史」を加えました。みんなに昆虫がどれくらい昔からいるものなのか、時の流れの中で知ってもらいたいと思ったからです。4億年前の両棲類が陸に上がった時代にトビムシなどの原始的な昆虫が現れ、3億年前の恐竜が現れた時代にはトンボの先祖が空を飛びまわっていました。哺乳類が現れた時代にはバッタの仲間(直翅目)が現れています。しかし、完全変態する進化した昆虫(鱗翅目など)が出現するのは、恐竜が絶滅した6,500万年前とずっと後になってからです。私が大学院へ進学した時、恩師である故吉武名誉教授から、「自分の研究が時間的・空間的にどこに位置しているのか、を意識して書きなさい」とまず最初に教えられました。仕事をして行く上でも生きて行く上で、大切な教えだと思っています。大げさに言えば、「歴史の中で自分の役割は何なのか?」と。

生物の歴史
生物の歴史


 もう一つ、昨晩から熱湯に水酸化ナトリウムを溶かした液に繭をつけておき、絹糸を取り出す実験も行いました。通常は繭を充分に煮てセリシンを溶かしてフィブロインを取り出すのですが、教室では時間的にも難しく危険なので、水酸化ナトリウムを用いることにしました。しかし、若い研究員が、我々(私及び私よりも少し後輩の研究員)が苛性ソーダと言った時に、何のことか分からなかった時にはビックリしましたね。そりゃ、研究している時に苛性ソーダとは言わないけれど、産業の世界では苛性ソーダといった方が通りが良いんだから常識だよ。さて、水酸化ナトリウム水溶液に一晩つけた繭は中が透けて見え、絹糸もほぐれています。良く水で洗って教室へ持って行き、引っ張りながら撚ると紡ぎ糸のようになります。
 こういった、実験的な手法も取り入れていくことが、子ども達の興味を理科につなげて行く上で、とっても重要だと考えています。むかし中学校で教育実習をさせてもらった時に、菌類(キノコ)の授業で「生徒達にキノコ:いわゆるエノキダケを配りたい」と申し出た時、「自費で買うなら構わないけど」と許可してもらいました。キノコもカビ同様に、菌糸から構成されている事を観察してもらいたかったからです。後で、理科のノートに、干乾びたエノキダケをセロハンテープで貼り付けている生徒を見た時、笑っちゃう反面、配って良かったなって思いました。

カイコの卵(蚕種)からカイコについて説明を始めます。
カイコの卵(蚕種)からカイコについて説明を始めます。
繭を配り始めるとみんなおっかなビックリ。
繭を配り始めるとみんなおっかなビックリ。

 子ども達には繭を配りましたが、今回は実用品種(日本種と中国種のF1:一代雑種)がなかったので、落花生型の日本種の繭と楕球形の中国種の繭が混ざっていて、これはこれで子ども達の興味を惹いたようです。さて、あちらこちらの子ども達のもとで、カイコガが羽化して卵を産みまくっているようです。上手く交尾できた雌が産んだ卵からは、孵化した幼虫もいるようですが、越谷市には桑畑はないと思います。自生している桑の木を探すか、インターネットで人工飼料を購入して飼うしかないかなぁ。どうしても飼いたい人は、私までご相談ください。

 2009年6月18日(木) 祖父の死


 今年も理科ボランティアのため、片倉工業株式会社へ蚕をもらいに行きました。しかし、午後7時、祖父の訃報を受け取りました。慌てて関越から外環と車を飛ばして、引き返してきました。勿論、既に祖父は息を引き取っていたわけですが、叔母に夕食を食べさせてもらっている最中に意識を失ったそうで、祖父は整然と何の変わりもない穏やかな顔をしてベッドに横たわっていました。一昨日から調子が悪くはありましたが、まさか亡くなるとは家族の誰も思っておりませんでした。妻は一生懸命に心臓マッサージをしたそうですが、95年近く働き続けた祖父の心臓が再び動き出すことはありませんでした。聞くと、中2と小2の娘達は祖父の死に立ち会って大声を出して泣いていたそうです。しかし、年長の長男には未だ理解できなかったのかも知れません。
 私もちょうど長男と同じ年頃で、やはり曽祖父の死に会いました。夏休みで出掛けていた母の実家から夜中に連れ戻され、家族に囲まれて眠っているような曽祖父の死水を取らされました。蝋燭の光に照らされていたような、セピア色の記憶です。そして私も、「悲しい」という感覚は沸いていなかったような気がします。今でも、その場面は昨日のことのように思い出すことができますから、初めての「家族の死」が強烈な印象で記憶に刻まれたことは間違いありません。でも、その記憶に今でも「悲しみ」は伴っていませんから。
 翌々日の土曜日、祖父の遺体を清めて納棺いたしましたが、その時ちょっと驚くような場面に出会いました。北枕で客間に寝かされた祖父の腕や脚を、親族が別れを惜しむように撫でさすっていると、長男が祖父の髪の毛に両手を突っ込み掻き乱し始めたのです。小2の娘も祖父の顔や耳を、何の抵抗感もなく撫でたり摘んだりしています。幼さに、未だ死が実感できないのか?でも、さすがに死後2日が経って子ども達に祖父の死が分からないはずはありません。幼いものには「死を忌む心」あるいは「死を忌むという知識」が未だないからでしょうか?幼い子ども達にとって、生きていても死んでいても「曽祖父」に違いはないのでしょう。
 私が幼いころは祖父も未だ若く、考えてみれば今の私くらいの年齢だったのではないでしょうか?祖父に遊んでもらった記憶は少なく、たまに酒に弱い祖父が酔って帰り「相撲をとろう」と言ってかまわれたくらいでしょうか。ただ、私が幼稚園の時、当時は近所に幼稚園がなかったので越谷幼稚園まで通っていました。幼稚園バスが大袋駅まで送迎してくれましたが、私はどうしても一人で乗って行くことができませんでした。帰りは大丈夫だったんですが。そこで、当時は越谷市役所に勤めていた祖父が、毎朝、私を自転車に乗せて幼稚園まで送ってくれました。祖父が死んだとき、ふと、その事を思い出しました。例え遊んでもらった記憶がなくても、祖父にとって一番面倒を見た孫だったのかも知れません。ありがとうございました。


 2009年6月14日(日) 幼稚園で父親参観・小運動会


 今日は、大袋幼稚園で父親参観を兼ねて、小運動会が開かれました。子ども達と準備体操をしてから、「尻尾取りゲーム?」-ズボンのお尻にはさんだ鉢巻を取り合うゲーム-、「クラス対抗綱引き」を楽しみました。「尻尾取り」は、わが息子は相手チームの「尻尾」に手も伸ばさずに逃げ回ってばかりで、生き残りはしましたが戦果なし。綱引きは保護者だけの参加でしたが、我チーム(梅組)はトーナメントを勝ち抜き、3戦全勝で優勝しました。みんな運動靴を履いていましたが、私だけ決勝戦で裸足になってやる気を出してしまいました。なにしろ、外野で応援しているお母さん達が「裸足になれー」と叱咤激励するものですから。でも、お父さん達は結構シャイだから裸足になんかならないよね。私はもう保護者暦4年だから平気だけど。

これから体育館で体操をします。
これから体育館で体操をします。
綱引きの準決勝
綱引きの準決勝

 午後には、今年最初のお父さんの会の顔合わせがありました。いつもは20人くらいなのに、今年は40人以上も参加していて、ビックリ。新人もたくさんいて、昨日誘った大袋北小のPTA会長も飛び入り参加してくれていて感激。皆さん、仲よく楽しくやりましょう。今年のキャンプファイヤーは楽しみだぞ。
 夕方から酷い雷雨になりましたが、宮本町でミニ集会を開いて頂きました。ちょうど開会の頃に一番酷い雨でしたが、皆さん傘をさして来てくださいました。命を守ることができる越谷を創りたい。また、医薬産業の誘致によってまちを活性化したいという考えに対し、どんな企業を考えているのかという具体的な質問もありました。2000年前後から、世界の製薬企業は大規模な合併や買収を繰り返し、目まぐるしい再編が行われています。これも、ゲノム創薬の時代を迎えるに当って、膨れ上がる研究開発費に耐えられるだけの体力をもった企業だけが生き残れると判断されたからです。製薬企業は、売り上げの10 %を研究開発費に投入する典型的な研究開発型企業です。
雷雨の中、ミニ集会を開きました。
雷雨の中、ミニ集会を開きました。
 日本でも第一三共やアステラス製薬といった合併企業がいくつも生まれ、外資に買収された企業もあります。一方では、日本の企業によるインド等アジアの製薬企業の買収も起きています。日本の医薬品市場は、輸入を含めれば7.5兆円という米国に次ぐ巨大市場です。そして、世界の製薬市場は2009年も前年並みの4.5〜5.5 % の成長が見込まれています。これから、外資系企業の参入も拡大し、研究所などの日本への進出も拡大すると予想されます。
あいにくの雨ではありましたが、集会が終わる頃には雨も止み、皆さん傘をささずにお帰りになりました。雷のなる中、おいでいただいた皆さん、会場の準備をしてくださった皆さん、有り難うございました。



 2009年6月13日(土) 倫理法人会全国一斉清掃デー・わんぱく相撲


ゴミをバックに、関根エンタプライズの皆さんと記念写真
ゴミをバックに、関根エンタプライズの皆さんと記念写真
 朝7時半、集合時間よりも30分早くらぽーれに到着しましたが、既に掃除が始まっていました。きょうは、年に1回の倫理法人会全国一斉清掃デーです。らぽーれ駐車場周辺のゴミ拾いと清掃を行うのですが、私はもっぱら産業道路沿いのゴミ拾いに精を出しました。道路沿いの植え込みには、特に空き缶や紙パックなどの飲み物のゴミが多いようです。もちろん、車から捨ててしまうのでしょう。歩道には、ご他聞にもれずタバコの吸殻がたくさん落ちています。歩きタバコをする人が、まちを汚している原因の1つであるのは間違いありませんね。後は、意外にビニル傘が捨てられていることが多いように感じました。
 何故でしょうか?割れたガラスの破片が袋に入れて大量に捨てられていたり、モラルというよりも不法投棄に近いですね。今年は、関根エンタプライズの社員の皆さんもたくさん参加してくださり、清掃活動もスムーズに進みました。皆さん、お疲れ様でした。ゴミを拾う人はゴミを捨てることのない人です。有り難うございました。
午前中は、大袋地区体育祭プログラム編成会議があり、終了後に「わんぱく相撲越谷場所」へ応援に行きました。ただし、今年は昨年出場した小2の娘が、散々相撲を取った挙句に予選落ちしたことにこりて「もう出ない!」と言ったため、来年に備えて年長の息子を連れて出かけました。会場の西体育館につくと、入り口でPTA本部のお母さん達にいきなり出くわし、「遅い!もう、予選は終わっちゃったんだから!」と叱られてしまいました。「まぁ、いろいろと・・・」と小声で言い訳し、大袋小から出場したみんなと一緒に、午後の決勝トーナメントに勝ち残った3年生の土井君を応援することにしました。しかし、1年生女子・男子、2年生女子・男子と順にトーナメントを行っていくので、3年生男子まででも1時間以上待たなければなりません。最後の6年生男子に出場する子ども達は、本当に待ちくたびれてしまうかも。少なくても、本人はともかく応援団は炎天下では疲れてしまうね。
 子ども達は、昨年は出場記念に手形をもらったのですが、今年は記念品も入賞者のメダルも無かったそうです。「手形が良い成長の記録になったのに」と残念がっていたお母さんも多かったので、来年は再考してもらいたいものです。もし経費の問題があるのなら、数百円程度の参加費は負担していただいても良いのではないでしょうか?ただ相撲を取っただけでは、参加者が段々減ってしてしまうかも知れません。わんぱく相撲は子どもが裸でぶつかり合うとっても良い事業なので、ぜひ続けてもらいたいし、どんどん活性化していってもらいたいと期待しています。

わんぱく相撲決勝トーナメント
わんぱく相撲決勝トーナメント
優勝できなくても、みんな元気に記念写真
優勝できなくても、みんな元気に記念写真

 夜は大袋地区小中学校7校の正副会長会議がありました。7人の会長のうち3人が新会長ですが、1人は小学校から中学校へ進学?したので、まったくの新人は2人。しかし、小学校が異なっていても幼稚園が一緒だったりして、副会長さん達もお互いに知り合いの場合も多く、すぐに和気藹々の雰囲気になっていました。皆さん、学区の編成についてはいろいろと意見があるようで、子ども達が安全に通学でき、地域にの行事にスムーズに参加でき、更に学校の規模も適正におさまるような編成を考えて行かなければなりません。


 2009年6月7日(日) ふれあいの日


 今日も暑い日になりそうです。まず、大袋小学校へ、恩間連合自治会の運動会が開催されました。どんなに暑くても、子ども達は元気いっぱいに跳んだり走ったりしていました。恩間自治会も大袋小に通っている子どもが多いのですが、昨年の北小より大人の参加者は少なかったようです。ちょっと遠くなったからかな。次には、北小で開催されている袋山連合自治会の運動会に出席しました。こちらには、北小と東小のPTA会長も出席していて、PTA活動についてレクチャーしちゃいました。2人とも初めての会長なので、1年の経験に過ぎないけれど先輩ですから、偉そうに。パン食い競走が大盛り上がりで、「運動会でもやらないかなぁ」の声も。子どもはどこでも張り切っています。
 お昼ごろからは、家族で障害者の日記念事業「ふれあいの日」に出掛けました。中央市民会館前にはたくさんの模擬店が出店し、会館内でもバザーや催し物が開かれていました。子ども達は、いろいろなクッキーを何袋も買い、お昼ご飯に焼きそばを買い、携帯ストラップを3個買ったら2個おまけしてもらって大喜び。バザーで買った買い物袋に詰め込んで、最後に綿菓子を食べて大満足でした。しかし、ひたすら食べていたような・・・。障害者団体がクッキーを製造販売するには、専用の設備を整えて許可を得なければなりません。一時的な販売許可を得て活動することはできますが、まだまだ自立への道は険しいものです。

越谷市聴覚障害者協会の模擬店で綿菓子を食べました。
越谷市聴覚障害者協会の模擬店で綿菓子を食べました。
越谷市手をつなぐ育成会の模擬店で焼きそばを食べました。
越谷市手をつなぐ育成会の模擬店で焼きそばを食べました。

太陽光発電パネル
太陽光発電パネル
 越ヶ谷新町・本町ふれあいまつりも開かれていたので、歩行者天国-古いかな-になっている旧道をぶらぶら歩きながら、フリーマーケットなど見て歩きました。途中、水道企業団近くでは太陽光発電パネルを見つけて、息子と記念写真を撮りました。越谷市も、クリーンエネルギーの普及には力を入れて行かないと。国や県だけではなく、額の大小はありますが地方自治体でも太陽光発電施設への補助が行われています。平成21年度では、国が7万円/kw、県が新築:3万円/kw・既存6万円/kw、埼玉県内市町では18自治体で、2〜5万円/kwあるいは1〜10万円/件の補助が予定されています。越谷市は、残念ながら現時点では補助はありません。


 2009年6月6日(土) 今日は芸術?の一日


阿波踊りの鳴り物合同練習
阿波踊りの鳴り物合同練習
 午前中、ポラス本社に本場徳島から講師を迎えして、鳴り物の合同練習会が開かれました。3年位前に一度だけ、鳴り物の講習会に参加したことがありますが、本場の方に教えていただくのは久しぶりです。流石にリズム感良くメリハリの利いた演奏でしたが、教わる度に各連の特徴(癖)があって敲き方が微妙に変わります。倫理連から大太鼓に参加したのは一人だったので、余り変わると本番に間に合わなくなるので、どうしようか悩んでいます。しかし、上手な人たちと演奏すると勉強になります。
 午後は、筝曲みささ会の発表会に伺いました。箏を中心に、尺八や三絃といった和楽器だけではなく、ピアノやバイオリンといった洋楽器との合奏が発表され、とても美しい曲を鑑賞することができました。最後に演奏された、「感謝の一日」は箏、尺八、バイオリンそしてピアノと総出演で、長めの曲も十分に楽しむことができました。筝曲みささ会は、日本伝統文化の融合を求めているそうです。

筝曲みささ会:箏とバイオリンによる「夜の歌・夢」
筝曲みささ会:箏とバイオリンによる「夜の歌・夢」
筝曲みささ会「感謝の一日」
筝曲みささ会「感謝の一日」

 夕方からは、埼玉ラオス友好協会定期総会に出席しました。純粋に民間外交として日本とラオスの友好に尽くし、特にラオスの子ども達の教育環境の充実に貢献してきました。協会の活動は、会費や寄付金で賄われています。今回の総会は、土屋義彦名誉会長が逝去されたのち最初の総会であり、土屋品子代議士が新たに名誉会長に就任しました。総会には、シートン大使が腰痛のため欠席で、代理のビサラック公使が出席されました。懇親会では、日本・アジア芸術協会の方からタイ王国の伝統舞踊が披露されました。指先の表情に注目との解説があり、不思議な音楽と踊りを楽しみました。でも、踊り手が日本人だったのでちょっとびっくり。

名誉会長に就任した土屋品子代議士
名誉会長に就任した土屋品子代議士
タイの伝統舞踊は指先に注目
タイの伝統舞踊は指先に注目


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