「ギャンブラー」
甲斐庄楠音 「横櫛」
「どうして、結婚しないの?」
先日、訊かれた。
どうも、こうも、
そんなの、私の勝手だ、
とも思ったが、
改めて、考えてみた。
どうして、私は、結婚しないのか。
甲斐庄楠音 「横櫛」 (部分)
上の右図より、左図の生き方を
選んでいるからだろう。
「平凡な幸せはいらない」
そう宣言してから、10数年。
私も、37歳…。
時の流れというやつは…。
別に、
平凡が悪い、というわけではない。
偉大なるかな、平凡…。
でも、
残念ながら、
私は、普通に、人並みに、
生きることができないのだ。
いつでも、どこでも、
はみ出し人生…。
「人生は、ギャンブルだ!」
若い頃は、思ってた。
おばかさん…。
伊藤若冲 「鸚鵡図」 (花鳥版画)
若冲さんは、
一生、ギャンブルとは、
無縁だったのだろうなあ。
ぼんぼん、だもんね。
だけど、
結婚もせず、
人生を、絵に賭けていたのだから、
それは、それで、
一種のギャンブルか…。
人は、皆、
何かを選びながら、生きている。
それじゃ、
みんな、ギャンブラー!?
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コメント
ギャンブルでしょ!若沖は!!普通に生きていれば青物屋の旦那で生きていけたのに、しかもおっさんになってから独学で絵の世界に没入って!!!生活に貧してない、でも、退屈な世界からの脱却という賭けに出た、そう自分には思えますが。鶏の躍動感、色使いに目をとらわれますが、自分も生活に困らない京都の青物屋の息子と生まれ『所詮、自分も鶏だ、自由に気ままに生きているように見えるが、ソレは庭の中の限られた世界』というメッセージ性にも取られるのですが、ウチは。ウ~ン、上手く伝えられていない気がする
投稿: シザーハンズ | 2010年9月20日 (月) 09時42分
おっしゃることは、わかります。
ギャンブルと無縁、と言ったのは、
全てを投げ出して(財産を放棄して、危険を冒して)、
絵の道に入ったのではない、という意味です。
無一文からのスタートだったら、
あのように、凄い絵は、描けなかったでしょうね。
籠の中の鳥、ならぬ、
庭の中の鶏ですか。
ナルホド。
投稿: 家麿 | 2010年9月20日 (月) 16時54分
昨日から、『なんだろう、どこだろう、思い出せない』と気になっていたのですが、思い出しました『岩井志麻子・ぼっけえ、きょうてえ」でしたっけ?甲斐庄楠音 「横櫛」の絵が装丁に使われていたのは。寝てて、夢の中で思い出し、朝早々書き付けました、コレですっきり!
投稿: シザーハンズ | 2010年9月21日 (火) 16時44分
Amazonで見てみました。
絵が切れているのが、残念な感じ…。
投稿: 家麿 | 2010年9月24日 (金) 04時59分