テレビニュースで、
議会開設120年記念式典とやらを見た。
天皇・皇后が議会の最上位に座り、
その下方で国会議員たちがひれ伏す姿は、
戦前のおぞましい天皇の神格化儀式そのものであった。
そのうえ、あの秋篠宮夫妻も胸を張って天皇の下に座っているではないか。
テラスから北朝鮮人民を見下ろす金正日・正恩親子の姿とだぶり、
実に背筋が寒くなる図式であった。
数人の国会議員が秋篠宮夫妻をヤジったらしいが、
彼らは正常な精神の持ち主である。
口には出さないものの、
秋篠宮夫妻、何様?という思いを持った議員も多かったことだろう。
主権者の国民が選任した国会議員なのだから、
これからも皇室に非があれば、堂々と非難すべきである。
国会開設以来初めて、議場に堂々と帽子を被って出たのも紀子さんであった。
美智子妃も、どの皇族もこんな馬鹿げたことはしなかった。
ダイアナ妃を真似てみたのだろうが、品格が違いすぎた。
紀子さんも、例えば常陸宮妃の華子様に見習って、
彼女の控えめで楚々とした役回りを踏襲してほしいものである。
日本では、西太后のような存在は必要ない。
なぜ、議会開設120年式典に皇太子は出席されなかったのか、
そこに女性天皇に反対する極右の国会議員たちの影が透けて見えるようだ。
たちあがれ日本の平沼党首は、
私のすべての政治活動は天皇様のためにある(そこまで言って委員会)などと、
平気で発言する議員であり、
この国は神の国であると演説した森元総理もまだ議員でいるし、
安部元総理も、神国議員連盟なる時代錯誤の集団を率いている。
さて、
あのような薄ら寒い儀式を欠席した日本共産党は正しい。
教条的で決して好きになれない政党だが、
さらにこの国の人々の支持を増やすなら、
かつてのように、天皇制反対を強く打ち出すべきである。
天皇制に反対するこの国の人々は多数いる。
口には出さないが、
人種、国籍を問わず、
すべての人間は生まれながらに平等であるという共通した意識があるからだ。
現在の天皇と皇太子は優れた人格者である。
皇室に対する新しい考えをお持ちの皇太子が天皇になり、
雅子さんが皇后に、愛子様が皇太子になれば、
おそらくこの国を危うくすることはないだろう。
皇太子ご一家は、決して象徴天皇としての領域を外れたような行為はしないだろう。
しかし、皇太子を追い落とすような勢力が跋扈するなら、
この国はそろそろ共和制への移行を考えなければならない。
この国は、国民主権の国である。
皇族の国ではない。