2011年5月3日12時0分
「原子炉は五重の壁で守られている」「大きな地震や津波に耐えられる」
黒潮が乗る太平洋に面した宮崎県最南端、串間市。今年1月、A4判49ページのカラー冊子が市役所から回覧板で各世帯に配られた。
国が作った中学生向けの社会科副読本「チャレンジ! 原子力ワールド」。原子力発電所の立地の賛否を問う全国3例目の住民投票を4月10日に控えていた。
回覧板には「市民投票の学習の一助としてご活用頂きたい」とある。市内のサツマイモ農家、松本寿利(ひさとし)さん(53)は冊子を手にしながら、思った。
「人間がやることに絶対に安全なものがあるのか。都合の良い情報提供だ」
農業と漁業の人口2万人の市に、九州電力の原発計画が持ち上がったのは19年前。1997年に白紙撤回されたが、昨夏の市長選で元職の野辺修光氏(68)が住民投票実施を公約に返り咲き、問題が再燃した。
「原電立地で串間の活性化を」「子どもたちに原発のない未来を!」。市内に推進派と反対派の看板やのぼりが入り乱れた。地域経済の衰退に歯止めがかからない中、賛成派の間で「6対4で圧勝する」と「票読み」がささやかれた。
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震災翌日の3月12日朝。推進派の元市議会議長、森光昭さん(77)の自宅の電話が鳴った。食卓に置かれた新聞は、約1100キロ離れた福島第一原発で炉心の冷却が止まり、住民の避難が始まったと伝えている。
「投票はどげんしたらよかろうか」
野辺市長からだった。
「天地がひっくりかえった。やめた方がいいっちゃ」。間を置かずに答えると、市長が言った。
「腹は決まっている」
2日後の14日。住民投票の見送りを知らせるビラが全戸に配られた。
推進派団体の元幹部(67)が明かす。「事故の後では、推進派が何を発言しても不利になるだけだ」