木暮祐一の「ケータイ開国論II」

通信事業者のための情報サイト「WirelessWire News」から話題をピックアップし、モバイルサービス業界を展望する。

情報通信機器を用いた診療(遠隔医療)の画期的な前進!

2011年4月27日

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 筆者は、以前から医療分野にも関わりがあり、2004年からは携帯電話等を用いた遠隔患者モニタリングシステムの考案などにも携わってきた。いわゆる遠隔医療分野へのモバイル機器の応用である。2005年にはプロトタイプとなる携帯電話用アプリを、当時在学していた徳島大学大学院の研究室の院生の皆さんと共に試作・評価してきた。遠隔で医療用画像を閲覧するアプリは以前から多数見受けられたが、筆者らが取り組んできたのはベッドサイドモニタ、セントラルモニタから得られる患者の心電図、脳波等の生体情報を信号として遠隔で受け取り、これをモバイル端末上でリアルタイムに描画することでモニタリングするというものである。

 iPhone用では米国のAirStripというアプリケーションが著名だが、このAirStripが初めて披露された2009年6月のWWDC 2009以前に、すでに同様なことを日本国内の主要携帯電話およびiPhoneで私たちが実現させていたことになる。ただ残念ながら国内で試作はできていても、製品化することは容易ではなかった。理由はいろいろとあるのだが、なかでも大きな壁となっていたのは遠隔医療に関する法の制約だった。

 わが国では、医師の間の遠隔医療は法的には問題は無かったが、医師と患者の間の遠隔医療については、対面診療を原則とする医師法20条がネックとなり、積極的に取り扱われてこなかった。この医師法20条とは、次のような内容である。

「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。」

 この内容をそのまま解釈すれば、医師自身が立ち会わずに医療行為をしてはならないという、最も基本的なことが記述されている法律なのだが、「自ら診察」「自ら出産に立ち会わない」「自ら検案」という記述から「対面を原則とする」というふうに解釈されてきたことで、これが要因で遠隔医療が医師法20条に抵触するのではないかという点が問題視されてきた。ちなみにこの条文は、現代のような通信技術を使った遠隔医療など想像もつかなかった明治時代に原文が作られたものを流用している。

 技術的に遠隔医療が確立されていくと共に、この医師法20条の解釈をどうしていくかという議論も進んできた。1997年には、(旧)厚生省通達により、「直接の対面診療による場合と同等ではないにしてもこれに代替し得る程度の患者の心身の状況に関する有用な情報が得られる場合には、遠隔診療を行うことは直ちに医師法第20条等に抵触するものではない。」という基本的な考えが示された(健政発第1075号、平成9年12月24日)。

 さらに2003年には、情報通信機器に関する技術の進歩に伴い、一定の遠隔診療を行うことにより患者の療養環境の向上が認められることから、平成9年通知の一部を改正することとして別表が添付され、遠隔診療の対象・内容として「在宅酸素療法を行っている患者」「在宅難病患者」「在宅糖尿病患者」「在宅喘息患者」「在宅高血圧患者」「在宅アトピー性皮膚炎患者」「褥瘡のある在宅療養患者」での遠隔医療事例が例示された(医政発第0331020号 平成15年3月31日)。

 この2003年の解釈通知は、遠隔医療を具体的に認めた画期的なものであった一方で、7つの遠隔医療事例が紹介されたことが逆に遠隔医療の適用範囲を限定した形で世の中に受け入れられてしまった。この解釈通知に携わった厚生労働省幹部も、あくまで「事例」として例示したという考え方だったのだが、メディアの報じ方でこの部分の真意が伝えられず、「遠隔医療で認められるものはこの7事例」という形で、世の中に受け入れられてしまったのである。

 その後も通信技術の進歩は著しく、遠隔医療を適用することで患者が救われる場はますます広がりを見せている。現在ではiPhoneやiPadを医療の現場で活用する事例も全国で広がっている。だからこそ、合法的に遠隔医療を実施できるお墨付きが求められている。世界ではもっと有用に通信技術を医療分野に応用できているのに、日本ではこの法解釈が釈然としないことで、明示されてない遠隔診療が診療報酬の対象にもならず、私どもが作ってきた遠隔患者モニタリングシステムも実用に向けたトライアルさえままならない状態が続いていたのである。

 こうしたなかで、2008年には厚労省・総務省による「遠隔医療推進方策の懇談会」により遠隔医療推進の活動が本格化していく。政府が示したICT戦略「i-Japan2015」でも医療分野の情報化が重要政策として打ち出されたほか、日本遠隔医療学会では、2010年度学術大会(大会長:東海大学医学部・中島功教授)で「遠隔医療に係わる法制度の限界を探る」という大きなテーマを掲げ、遠隔医療に関わる法整備に言及してきた。このような動きが奏功し、このほど3月31日付で、ついに厚生労働省が遠隔医療に関する新たな法解釈を示したのである(医政発0331第5号 平成23年3月31日)。これが実に画期的なことで、今後のわが国の遠隔医療の推進に大きく前進を見せるものになりそうなのだ。

 この厚労省通知を見たところ、一見は2003年通知の7つの遠隔医療事例に、新たに2つの事例が加わっただけのように感じる。しかし、「2.留意事項」の「イ」の項をよくご覧いただきたい。「患者の病状急変時等の連絡・対応体制を確保した上で実施することによって患者の療養環境の向上が認められる」という前提は同じだが、その後に「例えば別表に掲げるもの」というカッコ書きが付されたのである。たったこの一言が、わが国の遠隔医療技術の発展に大きな影響をもたらすことは言うまでもない。2003年通知では、厚生労働省としても一例として掲げたつもりだった7つの遠隔医療事例が、報道するメディアの認識不足と、受け取る側の医療従事者の解釈により、「限定された7つの事例」となってしまった。今回の通知では留意事項がわずかに加筆されたに過ぎないように思えるが、ここには厚生労働省の真意と、わが国の遠隔医療の発展につながるおおきな意図が込められているのである。

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プロフィール

1967年東京都生まれ。携帯電話研究家、武蔵野学院大学国際コミュニケーション学部准教授。多数の携帯電話情報メディアの立ち上げや執筆に関わってきた。ケータイコレクターとしても名高く保有台数は1000台以上。近著に『図解入門業界研究 最新携帯電話業界の動向とカラクリがよ〜くわかる本』(秀和システム)など。HPはこちら

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