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GW、帰郷する人々 変わり果てた古里…絶句
 | 津波に流された実家の住宅兼店舗跡を訪れた阿部さん親子。深い爪痕に英恵さんは絶句した=2日午前11時15分、宮城県南三陸町志津川十日町 |
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東日本大震災で壊滅的な被害を受けた宮城県南三陸町で、大型連休を利用して帰郷する人が増えている。大津波にさらわれ、変わり果てた古里の風景。息をのみ、言葉を失う。家族の無事を喜ぶ人、行方不明の家族を捜す人。廃材を燃やす煙が立ち込めるがれきの町で、心にとどめていた故郷への思いが込み上げる。 「現実なのか非現実なのか、いまだに分からない」。横浜市の主婦阿部英恵さん(36)は2日昼前、実家があった場所に立ち、戸惑いの表情を浮かべた。 志津川湾に面した住宅兼店舗は店正面の枠だけが残る。両親、祖母の無事は避難先の仙台市で確認したが、震災後に郷里に戻ったのは初めて。 父の英世さん(63)は「この惨状を見れば、娘たちもあきらめがつく」と語り、連休で帰省した3姉妹のドライバー役を買って出ている。 患者や職員の死者行方不明者が約70人に上る公立志津川病院。八王子市の大学生額賀駿さん(18)が、玄関横に花を手向けた。3階の病室に入院していた叔母が津波の犠牲になったという。 正面玄関は、車が突っ込んだ無残な状態のまま。見渡しても10歳まで過ごした町の面影はどこにもない。「本当に言葉がない」と絶句した。 大阪市の会社員佐藤浩さん(25)も震災後初めて、古里の歌津石浜の地を踏んだ。「風景に古里の名残はあるが、全く違う世界だ」。実家や家族は無事だったが、津波で亡くなった知人もいる。 それでも「漁船は多くが無事。すぐには漁に出られないだろうが、希望の光になる」と郷土の再興を願った。 志津川生まれの盛岡市の会社員阿部茂さん(59)は「大型連休なのでみんなで行くことにした」と言う。震災後、3回ほど1人で来たが、今回は妻ら家族4人で生家を訪ねた。 茶販売店を営んでいた実家は流され、母と兄夫婦の3人は行方不明のまま。「何度来ても涙が込み上げる」と阿部さん。93歳の母は体が弱いため、地震後も自宅2階にとどまったとみられる。 「母たちが暮らした名残は全て流された。残ったのは土台だけ」。家族でがれきの中を歩いたが、面影をしのぶ品は見つからなかった。 (山崎敦、田村賢心)
2011年05月03日火曜日
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