2008年04月02日

ヒトラーの影法師

またまたヒトラーで恐縮ですが、何故、このタイミングなのかというと、反ユダヤ主義という排他的な思想が盛り上がった事、それと「中国が眠れる獅子」と呼ばれていた1970年代の古い本の中で、当事のユダヤ人が各地で反感を受けた理由の説明として、《ユダヤ人独自のネットワークを構築し、商売上手であった。どこか中国の華僑に似ている。》とあった為。確かに「ユダヤ商人」と「華僑」は世界各地に散らばりながら事業を成功させている部分では似ているのかな、と。

それとヒトラーという特異キャラクターが登場した背景というのは、やはり気にせざるを得ませんし、何故、あれほどまでのユダヤ人虐殺に到ったのかという疑問は、極めて当然の疑問なのに、今、一つ、正確に把握できていないなぁ、という思いがありまして...。

参考文献は村瀬興彦著『アドルフ・ヒトラー』(中公新書)。著者はまえがきにておいて「ヒトラーが嫌いなので、尚更、その実像を知るべきだと思った」とし、ヒトラー擁護もヒトラー批判も余計な贅肉を削ぎ落とした部分で、独裁者出現の歴史的背景に挑んでおり、客観性という部分で目を通す価値があると感じました。(ヒトラーがテーマですが内容は堅いので読書とするには、ちょっとヘビーかも。)

以下、拙いながらも私なりにヒトラーが登場する背景、その人物像を要約しておこう、と思いました。


十代後半に反ユダヤの思想に触れるも、その頃のヒトラーは知られているように芸術家志望の青年。人付き合いは少ないものの、同居人の証言によると、いつもスケッチを欠かさなかったほどの熱心だったともいうし、20歳頃までは実際に芸術家になるつもりだったと推測するのが客観的な立場だそうな。

とりわけ日本人には理解しにくい部分でもある反ユダヤ思想なんですが、反ユダヤ思想は普遍的に存在していたものの、欧州の中部・東部では特に反感が強かったそうな。ヒトラーの住んでいた地方ではヒトラー誕生の1889年以前にも1400年代〜1860年までは断続的にユダヤ人居住禁止の措置が施行されたり解除されたりの繰り返しで、そうした反感は常にあったかのよう。これらの措置は、ユダヤ人高利貸によって金銭トラブルが頻発、破産者が出るなどしていた事などが理由だそうな。

芸術家志望のヒトラーはオーストリア・ハンガリー帝国にある芸術の都、ウィーンを訪れているんですが、そのウィーンでも「ウィーンのユダヤ人問題」というのがあったらしいんですね。ウィーン市に占めるユダヤ人の割合は1857年には2%であったものが1910年には8.6%と上昇してきた中、ユダヤ人の詐欺事件が目立ったというんです。1911年〜1913年の期間に於けるウィーン市の全詐欺犯の16.57%がユダヤ人、暴利をとって罰せられた者全体に占めるユダヤ人の割合は30%であったというデータがあるらしいんです。単純に全人口に占めるユダヤ人の占有率にが9%前後だったと想定しても、やはりトラブルは多かったようで、ウィーンに於いてもユダヤ人問題は起きていたという事のよう。

この時期のウィーンで、ヒトラーは反ユダヤ思想に目覚めたか、反ユダヤを強めたか?!

どこか、市民感情として嫌悪されていた事がうかがまえますかねぇ。

また、単純にユダヤ商人が高利貸しをしてトラブルを起こしていたというだけではなく、実はユダヤ人の貧困層もウィーンに流入してきたことで、ドイツ人労働者などと職業の奪い合いの構図も起きていて、当事の反ユダヤ思想というのは、やはり普遍的に存在するものであったかのようにも思えます。(是非ではなく、そういう軋轢があったのが客観的な歴史検証でしょう?!)


1915年、25歳のヒトラーは知人に手紙で、その排他的思想を顕している言葉があったという事。

《なまじっか領土など拡大するよりも、国内の国際主義を打ち砕くことの方が大切だ》

という一節があるそうな。ここで着目したいのは「領土拡大よりも国際主義の打破を優先していたという部分。その言い回しはヒトラーらしさが滲み出ているし、ひょっとしたら覇権主義的な領土的野心よりも、敵対者を除外するという徹底した排他主義のようにも感じました。後に総統になったヒトラーがポーランド侵攻を開始し、世界を巻き込んだ戦争になりますが、この民族主義的思想と強烈な排他主義とがヒトラーの思想の中核で、一般的に語られている「世界征服を目論む覇権主義的な独裁者」という語り口よりも、複雑な部分があると感じました。


ヒトラーの「あゆみ」ですが1914年、第一次世界大戦の際にドイツ軍として志願兵に。それ以前にはオーストリア・ハンガリー軍の徴兵を拒否している経緯があるので、明らかにドイツに対する愛国主義者的な選択だったかのよう。ヒトラーの配属された部隊はインテリが多く、また大学生も多かった事からインテリ連隊などと呼ばれたそうな。そこで伝令兵として活躍、1914年の12月には上等兵へとスピード出世をしているんですね。云われているようにヒトラーの軍隊経験で用いられる立志伝は実話なようで、最終的には一般兵が貰える可能性は殆どないという一級鉄十字章という勲章を受けていたりします。ただし、上等兵になった後は昇進は4年間もなく、優秀な人物だと評されながらも、何かしら軍隊の中で、ヒトラーを冷遇する何かがあったかのように考察できるのだそうな。想像では、「部下を持たせるタイプではない」とか「あまりにも過激な思想が危険視された」など。

上等兵として埋もれていた頃でもヒトラーの雄弁さは目を引いていたので、或るとき、マイウェル大尉なる人物がヒトラーに書状を送り、参考意見を聞き出そうとしたそうな。ヒトラーは自らの意見を記して、大尉に書状を返信しています。

《ユダヤ人は個人の価値を計るのに、性格や業績によって計るのではなしに、その財貨の多少によって決定する。民族の価値も、道徳も、財貨の多寡によって計っている。》などのユダヤ批判を展開し、更に、《現在の民衆の反ユダヤ思想は感情的な嫌悪でしかなく、ユダヤ人が破壊者である事を、まだ理解できていない》と展開させたのだそうな。感情的嫌悪では済まされず、粛清を匂わすかのような危険な排他主義が垣間見えます。

大尉はヒトラーに感心を寄せ、兵士の再教育担当の弁士という役を負わせ、更に軍司令部の討議にもヒトラーを呼び出すなど、徐々に弁士ヒトラー、反ユダヤ思想家ヒトラーが組織の中でメキメキと頭角を現していったかのよう。

ヒトラーはドイツ労働者党に入党。党の有力者であったドレクスラーに気に入られ、入党と同時に委員に推挙される。そしてヒトラーが初の演説を行なったというビアホールでの党大会。このときの演説も当初はヒトラーに演説の予定は無かったものの、ドレクスラーが非凡なヒトラーの弁士ぶりを知っていたために、急遽ヒトラーに二番手の演説を行なわせたというものらしい。約30分間のヒトラーの初演説は131名の聴衆を興奮にいざない、激烈な支持と激烈な拍手を浴びたという。

このあたりの事情って、ヒトラーの天才的な弁士ぶりに気付いた人物が、次々とヒトラーを重用したのも自然の流れでしょうし、そうしてヒトラーが脚光を浴びていった流れというのも、背景として確実にあったかのよう。その後、ヒトラーは軍の討議に呼ばれる傍らで、ドイル労働者党の街頭演説に立つ機会が増え、徐々に政治活動に重点を置くようになったという。

ヒトラーの演説巧者ぶりは類い稀なレベルのものであった事が判るんですが、そうした演説の巧さは、単にテクニックとしての「雄弁さ」とも考えられますが、先に触れたように「激烈な拍手が沸き起こった」というのは、声のトーンや強弱のような発声方法、パフォーマンスの巧さだけではなく、おそらく、演説の内容となるヒトラーの思想そのものも、聴衆は支持していたと考えるべきではないでしょうか。

1920年頃までのヒトラーの演説内容は、ドイツ民族至上主義と反ユダヤ主義が核として構成されていたようなんですが、これはヒトラーだけの視点でもなければ、ドイツ労働者党だけの視点でもなく、反革命的な保守思想を持った多くの政党と似通った主張であったといい、雑誌の論説にも似た、ありふれた主張でもあったそうな。

だからといってヒトラーが一介の職業的弁士に過ぎず、その演説の巧さから操り人形にされただけというヒトラー論もあるようなんですが、著者は冷静にそれを批判しています。ヒトラーの思想は独自性も自主性も隠れていて、実際にヒトラーは自分が思想家の誰に影響を受けたとか、傾倒したという話は一切せず、揚げ足取りや不要な論戦を避ける術を心得ていた事、また、それらの思想すべてはヒトラーが独学で学び、自分の思想としていた人物でもある事を挙げ、「有力なパトロンに操られるようなデクノボウでは断じてなかっただろう」という推察が付記されています。実際に、その後のヒトラーはドイツ国内の頂点を極める訳ですから、誰かに操られていたというのは恣意的な陳腐化でしょう。

ヒトラーの実像を認めたくない立場から、ヒトラーの主張や思想を陳腐化する必要が後に発生したものであり、ヒトラーが台頭したリアルタイムでは、それが凄まじいエネルギーで賛同を得ていったのだと思います。逆に、「ヒトラーは内容のない演説でも人々を熱狂させた」としてしまうと、それこそ悪魔的なものになってしまう。また、そうした悪魔的なカリスマ性というものさえ、ヒトラーが魔力を持っていたと考えるよりも、民衆がヒトラーに魔力を与えてしまったと捉えるべきなんじゃないでしょうか。

それを裏付けるように、ヒトラーの人間像に触れられていました。ヒトラーは「大衆を軽蔑していた」という部分。それを如実に示すようにヒトラー自身が「大衆は移り気で、扇動に乗りやすい人たち」と語っていたりするんですが、どこか、ヒトラーの裏の顔が表われている気もします。人々を扇動する事は、ヒトラーにとってはたやすい事だったかのようなニュアンスにも取れ、ヒトラーという人物の孤独と屈折した部分も垣間見える気がします。

こうしたヒトラーの話も、知っている人は知っている話なんだと思うんですが、このナチズムが興った背景というのは理解するのが難しいんですよね。

著者は、まえがきに於いて中立の立場から考察する事を宣言していますが、「1973年当事、ドイツでヒットラーを憎んでいる者は以外と少なかった」や「1977年頃、西ドイツで『ヒトラーは面倒見が良かった』なんて答えをする老人も案外、いた」という逸話も紹介してありました。そうした老人らが記憶しているのは、庶民に福祉を与えたヒトラーの姿だったりしたというんですね。…まぁ、そういうものなんでしょう。



つい先日、福田和也氏が雑誌の対談で語るヒトラー像がありました。《戦争指導者としてのヒトラーの実像が見えにくくなっていますが〜略〜フランス戦線でのマジノ線突破作戦などは実に水際立っている。彼自身が構想し、作戦立案もしていますから、軍事面での能力は高かったとみていいでしょう》と。

一致しますかねぇ。更に福田和也氏はナチスは世界制覇を武力でなそうと暴走したのではなく、他の指導者と同じように外交戦術も駆使した上でのファシズムであって、領土的野心が突出していた、という見方を否定していましたが、意外と領土的野心は強くも無かった?! 第一次世界大戦によって受けたドイツの処遇に不満があり、イギリスも宥和政策を取り続けていたので、「ポーランド侵攻ぐらいは大丈夫だろう」という読みでポーランドへ侵攻したら、それが決定打となり、世界大戦が起こったという見方なんですね。

このポーランド侵攻に或る種の謀略史観を盛り込むと、「アングロサクソンをホンキで怒らせた」となるんだそうな。確かに、近代以降、米英のアングロサクソンは世界情勢に於いては常に勝利し、君臨し続けている民族なんですね。

また、やはりヒトラーは精神を病んでいたという見方も根強く、戦況と同じように劣勢になると支離滅裂な言動が増えたと思われます。ヒトラーは「総統」に表われているように本気で単身での全権掌握を目指していたといい、実際に12年間という長きに亘って、トップにあった人物だと考えれば、精神を患い、それを悪化させていったという推測は、リアリティがあるように感じました。

記事冒頭で「ユダヤ人ネットワークと華僑は似ている」としましたが、その性格により、世界のあちらこちらで軋轢を生じさせている部分では酷似しているかも知れません。が、その比較は全てが全て一致するというのではなく、軋轢を生じさせる性格の一致でしかありません。他方、少数民族を押さえ込む中国の姿は当事のドイツに似ていますし、その中国に宥和的に向き合っている現在の米英アングロサクソンという構図が、当事の決戦前夜と似た構図になっている気がします。逆に宥めている故に、その裏の緊張感があるという感じ。

また、政策は不明瞭ながら演説が上手で労働者の味方とされる大統領が今秋にも誕生する見込みだったりしますが、これも或る種の断片的な符号と感じます。週刊誌記者はオバマをコイズミ的と表現したりしてるんですが、とにかく、「演説が巧い」という部分はクローズアップされてます。「まさか次期大統領がそんな風になる訳はない」のが常識なんですが、世界情勢って、一たび転ぶと、奇妙な方向に転がったりするもので、それこそ現在のブッシュはゴアとの大統領選挙のときには「政策のゴア」に対し「人柄のブッシュ」なんて評されていたんですよね。お人好しであるハズのブッシュが、まさか戦争を繰り返して泥沼化を招くなんて、当事の誰が考えたでしょう。ブッシュとて、もし平和な時代の大統領であったなら、アメリカ国民は勿論、世界中から嫌われる事もなかったんじゃないかって気もします。お人好しだけに騙されたという局面もあったのかも知れないな、と。例えば、イラク戦争開始はイラクの大量破壊兵器の有無が焦点でしたが、ブッシュ自身は「保有している確証がある」という情報を何者かに掴まされていた可能性なんてのは、本来は大きな焦点でしょうし。まぁ、思いの外、国際情勢というのは些細な焦点で、ヘンテコな方向に転がる事があるものなんですよね。歯車が狂うという些事が戦争を引き起こすと考えると、そりゃコワい話です。

また、ヒトラーの言動を幾つか挙げましたが、《ユダヤ人は何を計るにも財貨の多少によって判断する》というあたりの前段階の主張は、ひょっとしたら、堂々たる正論であった可能性さえありますしねぇ。

誰かの味方は、誰かの敵であったりするシビアな国際情勢が、そこに在るという事かも。

ヒトラーを生み出した世界情勢を主眼に置きました。社会科の授業は勿論、「朝まで生テレビ」などでも「ヒトラーは何故、ドイツという先進国で登場してしまったのか?」という話になると、「ヒトラーは民主主義が生んだものではないんですよっ! 国会議事堂焼き討ち事件を知らないんですかっ! 謀略を繰り返して大きくなっていったんですっ!」となる。勿論、そうした謀略もあった訳ですが、空気として考えたとき、ヒトラーが当事のドイツの労働者階級に支持されていた事は明白で、その部分を読み誤るとヒトラーは特例扱いとしてしまい、その歴史から何を学ぶことにもならないんじゃないかって気がします。「ヒトラーは大衆を軽蔑していた。扇動するのはカンタンだ」と紹介したように、感情的に語ってしまうとその本質を語れないのかも知れません。

ussyassya at 23:36│Comments(0)TrackBack(1)雑記 

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