吾が輩は猫である。まだ名前はない…と言いたい所ではあるが、あいにく阪本と言う名がある。
名付け親と出会った時に阪本製薬の箱に入っていたから阪本。
安易、安直、考えなしと言うほかないが名無しの野良猫が多い中で、名前があるだけマシと言うものだ。
だから大人である俺は不本意ではあるが贅沢を言うつもりはない。
…ただマムシドリンクを作っている会社が、名前のルーツなのは自分でもどうかと思うが。
まぁ、という事だ。貴様も俺を呼ぶ場合は阪本と呼ぶといい。気分が良いときは相手をしてやるかもしれない。
そうだ。約束はできない。何せ猫の身で、気まぐれなのが性分なのでな。
そうそう。ちなみに貴様が年下ならば敬意を持って「阪本さん」と呼ぶように。
例え猫だろうが年上をうやまう心を持つことは大事なことだ。俺も時定市の伝説のボス猫である奴には…いやこの話はまた今度にしよう。
姿見は見ての通りの頭から長めの尻尾の先まで真っ黒、パーフェクトな黒猫だ。
不吉? そんな事はない。江戸時代には黒猫は「闇を見通せる」と言う事で厄除けの福猫としてありがられていたらしいぞ。俺は家人にそんな風にありがたがられた事はないがな。もちろん、不吉だと言われたことも一度もなかったな。
今は家猫だが首輪はしていない。代わりに真っ赤なスカーフを巻いている。
目立つ事この上ないが、諸事情によりしょうがないのだ。
それ以外は自分で言うの何だが、何の変哲もない日本猫である。まぁ、最近まで野良をやっていたので血統書などは勘弁だ。
確かに異国の血が流れている可能性は十分にあるが、いきなり「スラマッパギ」など言ったりしないので安心してくれ。
…何の変哲もない猫だと先ほど言ったが、ただ一点だけ普通と言えない点もある。
俺はニャーと鳴かない。
俺は日本語が喋れる。
しかし、選ばれた猫だとか、魔女の使い魔であるとか、遺伝子をいじった天才猫だとか、実は尻尾が二本あるとか、そう言う事もまるでない。
そもそも自力で喋れるわけではないのだ。
すべては首に巻く首輪代わりの真っ赤なスカーフのおかげである。
これを巻くだけで、日本語が分かり、日本語を話す事ができる。
理屈は俺にもお手上げだ。
作った奴は天才だと言いたい所だが、あんな奴はただガキだ。保護者である俺がいないとやっていけないガキンチョだ。
誰だって?
ちょうどいい、世話になっている家の住人を紹介しておこう。
まずはそうだな、ガキの方から紹介しておこう。
名前は「はかせ」。いや本名ではないが、周りからは「はかせ」と呼ばれていて、俺は「ガキ」と呼んでいる。苗字は多分、東雲。ちなみに読みは「ひがしぐも」ではない。「しののめ」だ。
こいつは栗毛色の腰までの長髪を持ち、いつもぶかぶかの白衣を引きずるように歩いている。
そんなだらしない真似をしている理由はたった一つ。こいつに合う白衣がないのだ。女性はもともと 小柄なものだが、こいつの場合は更に輪をかけて身長が低い。
当然だ。歳は8歳。最初の成長期が終わろうとしている歳だ。
何でこんなガキが白衣を着ているのか。それはこいつが発明家だからだ。
こいつが居るからこそ、俺の世話になっている家が東雲研究所なんて看板を掲げていられる。
今でも信じがたいが、このガキは頭がとんでもなく良い。特にメカに強い。
いや強いなんてもんじゃない。この歳のガキのレベルなど遥かに超えている。
もちろん、ミニ四駆の改造が上手いとかそういうレベルではない。
こいつの頭を持ってすれば、ノーベルも真っ青なすごい物を作れる。多分、世界のありようをも変える事ができる発明品が作れるのかもしれない。
天才児などと言う言葉で括っていいレベルではない。
あまり認めたくない物だが、天才だ。それも超の付くクラスの、な。
そうだ。気持ちは分かるが、深く考えるな。
今、俺はありのままの事を言った。だから、お前もありのままを受け入れろ。
しかし、所詮はガキだ。
どんなにすごい物を発明しようが、その有りようは、精神年齢はガキのままである。
それにノーベル賞よりも芥川賞の方が欲しいとほざきやがる。ガキの考える事は本当によく分からない。
だいたい、目の上の人間に対する礼儀がなっていない。
俺の事を平気で「阪本」と呼び捨てにする。
けしからん。まったくもってけしからん。
俺は人に直せば、20歳を超えているというのに。
だから、俺は奴を「はかせ」などと呼んだりはしない。
ガキはガキだ。
だから俺はこの家では奴の親代わりにやっている。
「ただいま戻りました。阪本さん。起きてます?」
と、声が聞こえた。
俺が目を開けて振り返ると、廊下と部屋を分けるガラス戸の境目にショートヘアの黒髪の娘が立っていた。
もう一人の住人だ。 名前は「東雲なの」。
外見上の年の頃は17歳前後と言った所。花の乙女の17歳。・・・ちと表現が古いか。
まぁ、いい。やわらかい雰囲気を持った娘だ。人の感覚で言えば、多分、美人の部類に入るのだろう。猫である俺にはその良し悪しは分からんが。
そして、この娘の最大の特徴は背中のねじ回しだ。
意味が分からない? まぁそうだろうな。背中に生える立派なねじ回し。子供が一抱えできそうな大きさのねじ回し。
ファッションにしては奇抜過ぎる。前衛美術もかくやと言うそのセンス。
まぁ、ぶっちゃければ、ファッションでもなんでもない。
・・・つまる所、人ではないのだ、この娘。
一昔前の言葉で言うなら、ロボット。今風で言うならば、アンドロイドか?
メカ娘、自動人形、汎用人型決戦兵器、それを示す言葉は何でもいい。
その象徴が背中のねじ回しと言うわけだ。
正直、見た目や言葉、動きを見るだけでは、人との区別をつけるのは、そのねじ回しぐらいしかない。
そして、この娘は機械の集合体ながら、人と変わらぬ「心」を持っている。
だからこの娘は自分を「ロボ」でありながら、「人」の「普通」にこだわる。
だから「人」であろうし、「ロボ」である事を隠そうとする。
傑作だったのが、この家にやっかいになってから、一週間後ぐらいの事だ。
神妙を顔した娘が座布団に正座して、こちらを見ていた。
大事な話があるから、そこで聞いてください、と。
俺はその時、やはりこの家には置いておけないという事を言われるのだろうな、と予想した。
まぁ、自分でも言うのもなんだが、野良だし、それはしょうがないと思い、娘を傷つけぬように気の利いた別れの言葉でも考えるかと娘と正面から向き合った。
だが、話は全然違った。
いわく、阪本さんはこの家の家族になる。家族の間に秘密はよくない。だから私の秘密を打ち明けておく、と。
つまり、自分はロボであると。
正直、対処に困った。家に置いておけないと言われた方がまだ簡単だったと思う。
何故ならば、俺はその時には、とっくに娘の正体を知っていた。
ねじ回しは、もちろんの事、この娘の右手はよく取れる。
何かの拍子でゴトリと落ちて、慌ててそれを拾っては辺りを見回しながら、それを付け直すという作業を何回も見ていた。
腕から甘い菓子が出てくる所も見たことがある。ちなみに、あれは美味かった。
恐らく周りは全員その事実を知っているだろう。知らぬは本人ばかりとはよく言ったものである。
そして、今でも上手く隠せている思っている節がある。
それはともかくだ。
その娘が制服姿でこちらを見ていた。学校帰りだ。
娘はロボでありながら、近くにある時定高校という学校に通っている。
娘が「普通」にこだわった結果だ。法的な処理がどのようになされたのかは、俺も知らん。
ともあれ、学校生活は楽しそうであり、最近では友達をたまに連れてくる。この町の住民はまったくもっていい奴が多いらしい。良い事だ。
「何だ、娘。今帰りか。おかえり」
「はい。ただいま。はかせ知りません?」
「ほれ、そこだ」
俺が丸くなっていたちゃぶ台の上から示した視線の先、散らかり放題の居間の隅で先ほど紹介したガキが幸せそうに寝息を立てていた。
先ほどまで盛大に遊んでいたので、当然の帰結というやつだ。
まぁ、俺も楽しませてもらった・・・いや、ガキが無茶苦茶やらないか、見張りつつ付き合ってやっただけだからな、そこは勘違いするなよ? ほんとだからな!?
「寝ちゃってますね・・・。」
鞄を柱のそばに置きながら、娘はガキを起こさないように優しく姿勢を正して、そうっと頭の下に座布団を差し込む。しかも、娘を起こさぬように、猫である俺も及第点を上げたいぐらいに足音や物音を消している。
それから、静かに押入れを開けると一番の上に常駐してあるタオルケットを引っ張り出して、ガキにかぶせた。
実に手慣れた動作だった。
それもそのはずだ。この娘は、この家の掃除に、ご飯の支度に、と家事全般をこなしている。
そして、ガキに甘い。自分では厳しくしているつもりらしいのだが、最後はガキのわがままに押し切られる傾向が強い。
「これで良し、と。後は・・・」
娘は散らかり放題の部屋をながめて、どう掃除をしようかと考え始めた。いつも通りと言えば、いつも通りだが、派手に散らかっている。掃除も手間だろう。
ふと、こちらに視線を寄越す。その視線に気づいて俺も娘を見上げた。
俺と目が合っても何かを考えているようにぼーっとこちらを見ていた。
「どうした。娘」
声を掛けると娘はハッとなり、それからなんでもないと、慌てたように両手を突き出して振る。
「い、いえ、何でもありません。わ、私、着替えてから大工マートにお買いもの行ってきますね」
「あ、あぁ」
バツが悪そうに、しかし、ガキを起こさないように静かにそそくさと娘が居間から出ていく。
それを見送りながら、俺は「またか」と一つ息をついた。
最近、娘が何かを隠している。しかも俺に関する何かを。
こう言っては何だが、猫である俺は視線に敏感だ。最近は無理やり慣れたが、元々、猫と言う物は視線恐怖症であり、じっと見られる事を嫌う。
だから、最近、チラチラとこちらを伺う娘の視線には気づいていた。猫の視野角、つまり見える範囲が人間よりも広い事を娘は知らないようだ。
最初はガキが俺の体に何かのいたずらをしたのか、と思ったのだが。
いやなに、実際にやられたことがある。寝ている最中にガキが開発したろくでもない発明品で背中の一部の黒毛を脱色して、「しろ」と書かれた事が・・・今思いだして腹立たしい。黒猫の存在意義に対する反逆に等しい所業だった。おおよそ人として許容されるレベルの犯罪ではない。
当然、抗議と説教したが、ガキも娘も腹抱えて笑ってまとも相手にしなかった。しまいにはいつも通りガキは笑い疲れて寝息を立ててしまった。その後、娘の買ってきた毛染め薬で事なきを得たので、まぁ娘に免じて不問にしてやったが。
話がそれた。俺の体は別にいつも通りに黒猫であり、何らおかしい事は無かった。
怪しいと言えば、何かのプリントを見ながら、こちらを見ていた事がある。
その紙はなんだと聞いたら、慌てて後ろ手に隠しやがった。
後でそれとなく探してみたが、その紙は見つからなかった。
そして最近、娘は俺の昔の話を聞いてきた。
どこで生まれて、生まれてこの方、どこに居たのか、と本人はそれとなく聞いてきたつもりだったのだろう。
だが、俺の直感がそれが隠し事に繋がっていると踏んだ。
俺の過去。
自慢じゃないが、どこで生まれて、どこで生きてきたのか、自分でも記憶があいまいだ。
どこかの家の軒下で生まれたのか、それとも橋の下で生まれたのか、それすら覚えていない。
この家に落ち着くまで、首輪を一度もした事がない。今思えば、この家に流れ着く直前にどこかの誰かに飼われそうな雰囲気だったが・・・あれは誰だったのだろう。多分、女性だったと思うが、まぁ、縁がなかったという事だろう。
その事を告げると、娘は「そうなんですか・・・」と微妙に困った顔でこちらを見るとそれ以上は聞いてこなかった。
別に俺の過去に娘が困ることは何もない筈なのだが・・・。
考え始めると落ち着かなくなってきた。
俺は丸くなっていたちゃぶ台から降りると周りを見渡した。
ふと、視界の隅に中身をぶちまけた空のおもちゃ箱が一つ転がっているのが見えた。
何の気なし、そのおもちゃ箱に近寄る。
しかし、何にしても娘が何を考えているかだ。一体何を・・・ふむ、この箱は。
何、お年頃の娘である。隠し事の一つもあるだろう・・・狭そうだな。
いや、娘は確か作られてから1歳だったか・・・俺の体が入るにはギリギリか?
家族に隠し事をされるのは気分が悪い・・・お、ピッタリか。
うーむ。どうしたものか、な・・・おお狭い。狭いぞ!
まったくもって・・・これはなかなかいいな!
・・・これは楽しい!
「阪本さん・・・?」
俺が入っていたおもちゃ箱から見上げると、私服に着替えた娘が最近買ったエコバッグを片手に困った顔で俺を見下ろしていた。
・・・また猫の本能に負けてしまった。
これでは親としての威厳が・・・
「・・・い、いや、これはだな。」
「後で片付けますので、もうあんまり散らかさないでくださいね?」
苦笑いで娘が俺を抱きかかえて、箱の外に出す。いかん、何か言い訳を考えなくては、えっと・・・えーっと!
「ま、待て、娘、お前がだな」
「私が・・・?」
きょとんとする娘に対して、俺はしまったと思った。確かに箱に入って事と考え事には一連の関係性がまるでない。だが、押し切るように俺は叫んだ。
「娘、お前、俺に隠し事をしているだろう!」
「え、か、隠し事ですか。そ、そんな事あるわけないじゃないですか」
今度は娘がひるんだ。その証拠に声が大きい。やはり心当たりがあるようだ。
とその時、別の声が割り込んできた。
「んー。うるさいんだけど」
ガキが半身を起して、眠そうにゴシゴシと目元をぬぐっていた。
「阪本さん! はかせが起きちゃったじゃないですか」
「こいつ、昼飯の後も寝てたんだから、そもそも寝過ぎなんだよ」
「寝る子は育つんです」
相変わらずガキの事になると容赦がないな、娘。過保護にもほどがあるぞ。
「限度ってものがあるだろうが・・・。それよりも何を隠してるんだ」
「分かりました。言います。本当は機を見て言おうかと思ったんですけど。阪本さん、これを見てください」
観念したのか、娘はタンスの上段の引き出しから、紙を一枚を出した。
それはいつぞやの紙だった。
娘は俺の前で正座すると、それをずいと俺の前に出した。
何が書いてあると見やると・・・
「・・・愛猫のワクチン接種のお知らせ・・・だと?」
「そうです。阪本さん、接種の記憶は?」
「・・・た、多分あったような」
ワクチン接種。つまり簡単に言えば、お注射だ。注射ってあれだよな。ぶすっと刺す奴だよな。あれって猫の場合はどこに刺すんだ?(答え:お尻です)
ははは。ナンテコッタ。
ずいとこちらに寄って、視線を向ける娘に対し、俺は視線を逸らす。ほら、猫って視線恐怖症なんだから、しょうがないことだよな。
「嘘言わないでください。今までずっと野良だったって」
だから、俺の過去を詮索してきてたのか。用意周到だな、おい!
「ま、待て。話せば分かる。」
だが、娘はもう聞く耳を持ちはしなかった。
立ち上がるとカレンダーによって、次の土曜日の所に何やら書き込み始めた。
「今度の土曜日。私、午後は授業ないですから、一緒にいってもらいますね。ついでに狂犬病のワクチンも接種してもらいます。はかせにうつると大変ですから。」
背中越しにそう語る娘はこちらに有無を言わせない。
「まて、それは犬のワクチンであって猫には義務はないだろう」
狂犬病は犬ではワクチン接種が義務化されているが、猫でも狂犬病に掛かる事可能性は十分にあるのは、何かでみた事がある。
振り返る娘の眼が心なしか座っているように、見えた。
「・・・怖いんですか?」
「阪本、お注射怖いんだ!」
ガキが目を輝かせて横からチャチャを入れてきやがる。
「・・・こ、怖い事あるか! むしろ、インフルエンザ予防の時に喚き散らしてのはお前だろうが!」
確かに、あの時のガキの嫌がりようは尋常ではなかった。行く前も、帰ってきた後も、散々娘の手をわずらわせていた。
い、いや俺は大人だ。ここでは最年長だ。ちゅ、注射なんか怖い事あるもんか! ガキじゃあるまいしな!
「では決まりですね。では私、大工マートに買い物行ってきます。行きしなに動物病院に予約入れてきますね」
「はかせも行くー」
「ま、待て、事を急ぐとだな・・・俺の話をだな・・・」
そうやって二人はあっさりと俺を残して、買い物に行ってしまった。
一人残された俺は縁側でいつまでも暮れゆく街を見ていた。
夕暮れの空に寝床に戻るためか、カラスが一羽が飛んでいた。
あ、カラスが鳴いた。お前はいいなぁ、自由でいいなぁ。
・・・今日も東雲研究所は平和であった。