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[26392] 【習作】恋姫†無双~緋将伝~
Name: paz◆1a11f41b ID:71c48e89
Date: 2011/03/07 18:57
どうも、初めまして。pazと申します。
オリ主のうえオリジナル分が多いです。恋姫キャラが出るのは三話くらいからです。そしてハーレム注意です。以上の事を許容できる方向けです。未熟者ですので何卒暖かく見守ってくださると嬉しいです。
小説家になろう様にも投稿しております。



[26392] 日ノ本一の兵
Name: paz◆1a11f41b ID:71c48e89
Date: 2011/03/07 22:08
大坂城。
かつては小田原城をも凌ぐ堅城として名を馳せていたが、今や外濠に内濠までも埋め立てられ城塞としては役に立たなくなった。
そして大阪城の弱点を支えた南の出城。真田丸址に男が唯、一騎佇んでいた。馬からひらりと降りたその男は精悍という以外特筆すべき事がない容姿をしていた。低くもなく高くもない背丈、美しくもなく醜くもない面立ち。
だが、どこか愛嬌がある。なんと言えばいいのだろうか。雰囲気とでもいうのか、どことなく人を惹き付けてやまない。

彼の名は真田左衛門佐信繁。

大阪冬の陣で真田丸に籠もり徳川方に苦戦を如いらせその将才を天下に示した。
しかし、それだけだ。戦術の勝利だけでは徳川に、家康に勝てない。信繁もそれを弁えており何度も打って出る策を上申したが受け付けられずに上役達は下策といえる籠城を選択した。その瞬間、信繁の夢は絶たれたといってもいい。
だがそれでも諦めず勝利への策を練り続け、おそらくは決戦の地になるだろう南の天王寺口を下見に来た帰りに真田丸址へ立ち寄った。
ここ、真田丸には上田合戦で培った馬出しの知識と経験、全てが詰まっていた。
信繁は跡形もなく壊し尽くされた真田丸を見つめながらも思いは遠く信濃へと飛んでいた。
生まれ、育った砥石城。馬で駆けた上田平。そしてそこに流れる千曲川。供も付けずに行った別所の温泉。そして我ら真田の城、上田城。真田も最初は信州小県郡の一豪族でしかなかったが、それを祖父様が武田家に属し小さいながらも大名にまでなったのだ。
父上は複雑怪奇な戦乱の世を弱小大名ながら生き抜き真田の名を遺した。
兄上は真田の存続の為に尽力している。
ならば、俺は?
大阪の戦を最後に戦乱は終わる。俺如きが生き残ったとてなんの意味もない。
故に、家康が首を取りたい。
父上が夢にまで見た天下分け目の大合戦を代わりに子の俺が参陣し真田の武名を鳴り響かせた。
故に、此処からは只の信繁として家康が御首を狙いたい。
只、その一心で戦い続ける。
冬の冷たい風が吹き荒び、蒸せ反る様な死臭の中。
まるで信繁の周りだけが全てを焦がす灼熱のような熱を放っていた。



◆ ◆



元和元年 五月七日

大阪夏の陣、最終決戦の日。先日の道明寺、誉田の戦いで豊臣方は戦将、後藤基次、木村重成、薄田兼相を失ってしまった。数少ない戦果は木村重成と長宗我部盛親が死に物狂いで井伊直孝、藤堂高虎隊を壊滅させた事と真田信繁が伊達政宗の先鋒の片倉重綱率いる騎兵隊を打ち破った事のみである。
被害は豊臣方の方が大きくもはや万に一つも勝ち目はなくなった。万策は尽き後は快く戦うのみとなり信繁は茶臼山に陣を張った。





徳川方の越前少将、松平忠直は正にこの戦で死ぬ心積もりで挑んでいる。祖父の徳川家康の言い掛かりともいえる激しい叱責で傷ついた誇りを無視出来る訳がなく面当てに死に物狂いで働いてみせると意気込んでいた。
霧の中、夜の内に茶臼山の南に陣を敷いた忠直は夜明けと共に物見を出した。
この忠直の部隊の前面に、小高い丘がある。数名の物見の兵が、まず駆けのぼってみて、あっ、と叫んだ。
この時、丘から北の茶臼山に真田信繁の陣営がのぞまれたのだ。
見る見る吹きはらわれてゆく霧の中に、朝の日がさしこみ茶臼山の、真田の赤備えが姿をあらわした。
紅の旗、吹貫をあたかも躑躅の花盛りの如く群れなびかせたようだった。
そして昼前に戦の火蓋は切って落とされた。真田隊はじりじりと進んでくる松平忠直の軍勢を引き付けながら伝令を送る。
内容は天王寺口で信頼出来る唯一の将、毛利勝永へと家康が本陣への突撃の援護の要請。
真田の赤備えの総勢三千五百が信繁が青竹の指揮杖を颯と打ち振ったのを見た。
真田隊の前衛陣地に立ち並んでいた赤の戦旗が左右に分かれる。
その中央から、松平の軍勢が坂をのぼってくる。
大阪城の南面の戦場に、戦闘の響みと叫喚が高まり、展開してゆく。
敵味方の兵士が入り乱れ、槍を使い、敵を目がけて叩きつけ、突き入れる。
戦乱を飾る最後の戦が幕をあげた。



◆ ◆



戦が始まり早数刻。
豊臣方の前線の兵を崩せない事に苛立った家康は本陣を押し出し前線近くの高処に構える。
家康は戦況を見渡し、思わず息を呑んだ。
赤い部隊が松平軍を引っ掻き回し圧倒している。
更にそれを支えるように毛利隊が突き進む。乱れ立った松平軍を一気に突き破り家康がいる本陣へとひた走る。本陣の低い丘の下にいた約五百の家康の旗本たちは、真田勢のあまりに猛烈な攻撃に、大御所の徳川家康の身を護ることさえ忘れてしまった。
赤色の魔神の一隊が旋風のごとく襲いかかってくる。それだけで三河以来の武勇を誇る、家康直属の戦士たちが半里も一里も逃げ散ってしまった。家康は命からがら部下の馬で逃げ出した。



敵の本陣に突撃し馬印をも倒して家康の首級を挙げんとした真田隊は散り散りになり信繁の供廻りも既に十騎に満たない。
それでもなお家康の後を追う。僅か、僅か一町先に家康の騎馬が走っている。信繁は更に馬の速度を上げた。
もはやハッキリと家康の背を目視できる。しかし快進撃は此処までだった。
あと半町という処まで追いついた時、敵の酒井、内藤、松平の諸部隊が体勢を立て直し信繁の前に立ちはだかったのだ。
前曲の鉄砲隊が火縄に火を着け、信繁に狙いを定める。
轟音が鳴り渡り信繁の供廻りが己が身を投げ出し盾になった。皆、真田の旧臣で信繁の無茶な戦に付き合ってくれた忠臣達だ。全員笑って逝った。故に信繁は思う。負ける戦ではなかった。ただ……ただ、俺が総大将じゃなかった。最早、これまでだが、真田の意地を魅せてやろう!

たった一騎の突撃。
鉄砲隊が再装填する前に突入する。
敵は侮っていた。たとえ赤備えといえど一騎で何ができる。圧し包んで討ち取れ、と気楽に命じた。
だが、信繁は鉄砲隊を突き抜け槍衾をかいくぐり、騎馬を打ちのめし停まらない。
敵勢はようやく思いだす。赤備えの恐ろしさを。
鎧を血染めで更に紅くした吼えるように叫ぶ一騎の鬼神から足軽は逃げ出し旗本は恐れ慄き浮き足立つ。
前軍の酒井の部隊を突破し中軍の松平の部隊のど真ん中まで駆け抜ける。
だが、もはや信繁は満身創痍だ。手に持つ十文字槍も片刃が折れて片鎌槍に為り下がり騎乗していた馬も限界を迎えたのだろう。松平隊の槍衾を回避出来ずに斃れる。だが、それでも馬から堕ちて膝をついた信繁を討ち取れない。槍兵が八方から囲むが皆恐怖していた。
この赤い鬼神は何故未だ動けるのか。左腕は鉄砲に貫かれ既に動いていない。右足は落馬の衝撃で折れたのか引き摺っているのに。鎧の下衣は己が血を吸って真紅に染まっているのに。
何よりも……何よりも恐ろしいのはその瞳。死に瀕しているのに関わらず轟々と燃え滾る闘志を顕すかのように爛々と輝いているその瞳。睨まれただけで黄泉へと渡ってしまうかのような迫力がある。
信繁は重たい身体を引きずるように、されど確実に進み始める。

槍は未だ折れず気炎は尽きない。

進む――渾身の力で槍兵の囲いを破り

進む――ただ前へ……ただ前へ

進む――踏み出すその瞬間。鉄砲の一撃が胸を貫く。それでも停まらない。

進む――槍が腹を貫く。身体から力が抜けていく。信繁は此処までと微笑み、己を貫いた敵兵に囁く。
我が首を以て手柄にせよ、と。そこで真田左衛門佐信繁は静かに微笑み、暝目した。




後に様々な人物にその活躍は綴られる。その中の一つ。島津忠恒が伝聞し語った話しに全てが詰まっている。

五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち捕り申し候。御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は、皆みな生き残られ候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵。古よりの物語にもこれなき由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候。

これにて真田信繁の物語は終わりを迎える――――筈だった。正史から外史と呼ばれるあり得ない世界へと続く。未だ戦いは終わらない。



◆ ◆ ◆




後漢――光武帝劉秀が興した王朝。優秀な政治家だった彼女を以てして帝による完全支配はできなかった。妥協策の大豪族を官に就けて制御する方法を採らざるをえなかった。
しかし帝が変わるにつれて幼帝が続き外戚と宦官が争うようになり勝った方は国政を私物と化し私腹を肥やした。
そして宦官が国政を握り自分たちの権力を確固たるものにする為に朝廷の知識人を追放した。これが党錮の禁と呼ばれ乱世の序章だった。

後漢末期の青州東莱郡曲城県の屋敷には二人の人が暮らしていた。王婆という老女と王基という十二歳位の男子が過ごしていた。
王基は五歳の時に両親を亡くして祖母の王婆と暮らしていた。
僅か七歳にして身の丈以上の棒を振り回し王婆が何処からか連れてきた果下馬を乗り回していた。これには王婆も驚きこの子の異質に気付いた。だが、それ以上にこの孫を愛していた。
なによりこの世界の英傑は皆、女だ。秦の始皇帝も呂尚も張良も楽毅も呉起も皆、女である。男で英傑と呼べる者は存在しない。そんな不文律を皆、信じている。勿論、王婆もそう思い王基は少し早熟な子と結論付けた。
そんなある日の食卓。王基と王婆は質素な食事を摂っていた。そして早々に食べ終えた王基が何気なく話し始める。

「今日は良い天気だ。婆様、俺は海に行ってくるぞ」

「ええ、ええ。暗くなる前に帰ってくるのよ。それと安国君も連れて行ってあげなさい」

了承を貰うとすぐに厩舎へ向かう。残月と名付けた果下馬――大きさは五尺程(115cm)の小型種だが六尺九寸程(160㎝)の王基には問題ない。馬を曳きながら隣家へ歩く。隣家の武安国は王基より年上の十三歳の男の子だ。何かと王基に対抗心を燃やしてつっかかってくるが全てすかし、いなされて相手にされない。それが更に気に入らないという悪循環をしている。

「やぁ、安国! 海に行くぞ。一緒に来い」

「またお前か! 俺は行かないぞ!」

家の中から出てきた男子は身長七尺(162㎝)のいかつい顔つきをしている。武安国の家の親父は北海国の相、孔融に仕えている武官の為に大抵不在である。

「ほう……来ないのか。せっかく残月に乗せてやろうと思ったのに」

「えっ! し、しょうがないな。じゃあ付き合ってやる」

この時代馬は貴重な軍需品の為に平民は馬を持つこともできなかった。武安国の家も貧乏ではないがかといって残月ほどの名馬を飼えるだけの録を貰ってはいない。

「さあ、それでは参るぞ」

「ああ、約束は守れよ!」

王基達の住んでいる曲城県からは五刻(75分)ほどで海に着く。王基は大陸の雄大な自然が大好きだった。海を一日中眺める時もあれば山に篭ったりと好き勝手にやっている。

「なぁ、海に何しに行くんだ?」

「うむ、今日は塩でも造ってみるか。よし、粘土を集めながら行こう」

「塩って……お前、塩は専売制ってやつなんだろ? 役人に捕まっちまうよ」

「そうだ。武帝の時に決まった法には塩と鉄は国が管理する事になっているが今は誰も守ってはいないし俺らが砂浜で何かしてても砂遊びしてる餓鬼と思われるだけだ」

残月にくくりつけておいた袋に粘土を詰める。粘土探しのために普段使っている道を外れていく。水を弾く粘土を武安国と一緒に探しては袋に詰める。更に王基は木の棒で兎を狩り木の棒にくくりつけて進む。気がつけば既に十刻(約150分)は経っており隣の黄県の村まで来てしまった。武安国は疲労と不安が入り混じり王基は粘土がたんまり入った袋を上機嫌にみていた。

「見ろ安国。これだけあれば塩田が作れるぞ」

「なんでそんなに元気なんだよ……俺よりも動き回っていたのに」

「なんだ、疲れたのか。ならば飯にしよう。うむ、あそこにしよう。美人の女性だと良いな」

「お前本当に、女好きだな。皆、王家の若君はませているって噂してるぞ」

「男子たる者、女子をつかまえないでどうする。男の道理よ」

彼らは刃物を持っていないから兎を捌くことも出来ない。そこで王基は一番みすぼらしい家を選び戸を叩く。
ガンガンと音が響き中から美しい金の髪のどこかやつれた女が出てくる。

「はい、どちら様ですか?」

「俺は曲城の王基と申す。こっちは武安国。兎を狩り野草を摘んだはよかったが調理する道具がないのです。ぶしつけだが道具を貸していただけないか? 勿論、貴女の分の飯も用意させていただく」

「ふふ、私は太史恪。若いのに随分と立派な子ね。分かったわ。でもお願いが一つあるの」

「なにか?」

「私の娘の友達になって欲しいのよ」

「断る。一飯の為の友などなんの意味もない……が、貴女の娘が飯を食いたいなら手伝ってもらおう。働かざる者食うべからず」

王基の言葉に萎れていた太史恪はパッと花が咲くような笑みを浮かべて奥に娘がいると言って水を汲みに行くと井戸へ行ってしまう。それに武安国と残月もついていく。中々に古い家に入る。部屋には物が少なく寂しい。その中に弓の手入れをしている女の子がいる。

「なんだお前は? 私は太史慈。この家の長子だ」

金紗の髪に碧眼のまるで人形のような少女。彼女は腰まである長い髪をなびかせなんとも尊大に名乗った。王基と同年代であろうにもかかわらず不思議と貫禄に充ちていた名乗りに王基は好感を抱き微笑みながら訊ねる。

「俺は王基。太史恪殿に料理のために場を借りた。さっそくだが手伝ってもらえるか?」

「断る。私は弓を持つ方が好きなのだ。料理は好かん」

「くっ……はっはっはっ! 太史慈! 弓だけで何が出来る? お前のそれを匹夫の勇というのだ」

「お、お前!!」

王基の言葉は太史慈の逆鱗に触れた。激昂した彼女は殴りかかる――が王基はその手を絡め捕り組み伏せる。

「どうだ。弓だけではどうにもならんだろう?」

「バカ!! バカ!! お前に……お前に何が分かる!? こんな田舎では私塾もない上に豪の者もいない! だから私には弓しかないんだ! これで……これで、母上に孝行するんだ!」

「……孝行か。樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たざるなり。往きて見るを得べからざるは親なり、か」

泣き叫ぶ太史慈の言葉に自然と風樹の嘆と呼ばれる孔子の言葉を呟く。王基は既に両親を失っている。だからこそ太史慈の孝行の気持ちにうたれる。この家は見た限り片親のようだ。生活は楽じゃないだろう。

「ならば、俺の家に来い。書物もあるし働き手が欲しかった。母親も連れてこい」

「それは哀れみか! 私は施しは受けない! 如何に貧しくとも誇りは捨てない!」

「小人の誇りなど捨ててしまえ。それにこれは施しではない。貸しだ」

太史慈は戸惑った。今までこんな人間に会った事などない。父は物心ついた時にはいなかった。村の人間は金の髪を持つ私達を邪険にし差別と迫害においやられた。 金の髪は中原ではよく見るが青州の片田舎では滅多に見ない。わかりやすい異端というわけだ。
こいつは気にくわないが言ってる事は至極正しい。学がないと時代に呑まれるだけだ。

「……分かった。よろしく頼む。母上には私が話す」

「では、料理だ。俺は兎を捌くぞ。太史慈は野草を切れ」

近くもなく遠くもない距離感が二人にはあった。友でもなくされど敵というほど離れてもいない。そして武安国と太史恪が持ってきた水を用いて作った兎肉と野草の汁物に舌鼓を打ち皆が満足して食休みしている時に太史慈が切り出した。

「母上、お話しがあります」

「なあに? 改まって?」

「この王基殿は働き手を探していたようで私達を雇いたいと……勿論、依食住は用意してくれるとの事です」

「それは……本当かしら? いえ、私達の様な者を雇うなど正気じゃないわ」

「太史恪殿、さぞお辛い生活を続けてきたのでしょう。しかし、俺は同情などで雇いたいと言ったのではないのです。貴女の娘は素晴らしい逸材です。その逸材が花開せずに散るのは惜しい。故に投資です。いつか返してもらえばそれでいいと言う訳です」

普通ならば、こんな子供が? あり得ないと一蹴する話しだが子供とは思えない真摯な語り口と雰囲気に信用してもいいと思い始めた。細々と畑を耕し狩りをして生きてきたがそろそろ限界かもしれない。
どうせこの村にいても緩やかに死ぬだけなのだから――

「分かりました。よろしくおねがいします。王基殿」

「よし、ならば早々に家に行くぞ。荷物は最低限でよい」

数刻で用意を済ませて残月に荷をくくり歩き出す。
王基――真名を幸村。
遥か遠き旅路を歩き始めたばかりの十二歳の夏の日の事だった。








曲城の王家には手紙を書く老婆がいた。王基の祖母の彼女は王婆と呼ばれていたが本名は王允、字を子師といいかなりの名儒であり、かの郭泰には王佐の才と言われる程の者だった。本来ならば三公かそれに準ずる者になっていてもおかしくない彼女は官宦の罠に嵌まり官を辞して故郷の青州に戻ったのだ。
しかし彼女を待っていたのは荒され死屍累々の村と見る影もなくなった娘夫婦だった。
だが孫がいない。一抹の希望を抱き孫を探す彼女は死体を確認していく。いない――が、賊の死体が動く。思わず構えてしまう王允には見えた。賊の下から這い出そうとしてる子供の姿が。
そして話しを聞き驚愕する。僅か五歳の孫が賊の頭目を不意打ちで討ったというのだ。頭目を失った賊は同士討ちを始めて逃げさり孫は死体に圧し潰されて身動きが出来ずに居たところ人の動く音がしたから這い出そうとしたらしい。
なんとも我が孫ながら末恐ろしいが乱れ始めた世の中には必要なのかもしれない。
王允は孫を――王基を連れて東莱郡曲城県に移った。
そして馴染みの商人から譲り受けた果下馬や様々な書物を与え育ててきた。この乱世では誰もが例外なく厄介事に巻き込まれるだろう。いつも人の中心に居るあの子が巻き込まれないはずがない。
それでも、孫には幸せになってもらいたい。孫の為に昔の友に、上司に助力を請い財を蓄え情報を集める。
戦乱の暗雲は確かに彼方まで迫っていた。



[26392] 塩鉄論
Name: paz◆1a11f41b ID:640a9d24
Date: 2011/03/23 19:07
真田信繁の半生は人質生活だった。最初は上杉に、それから豊臣へと移った。だが信繁は何処にどんな立場だろうが闊達に礼を失せずに過ごした。そんな信繁を上杉景勝も豊臣秀吉も気に入っていた。景勝は人質である信繁に領地を与え、大阪に移る時も盛大に送り出した。秀吉は豊臣姓を与え従五位下左衛門佐に叙任させ傍に仕えさせた。
信繁は各地で熱心に学んだ。最初は信州で、真田の謀略、武田の軍略、越後で上杉の勇略、大坂では豊臣の人略を己が物にしようと必死だった。斯くして真田信繁は日ノ本一の兵と称されるほどの侍になる素養を身につけた。
そしてそれは王基となった今も脈々と流れている。




曲城の自宅に着いた王基は武安国と別れた。まず王婆の部屋へ太史親子を連れて行った所、王婆は一目で二人を気に入り客人としてもてなした。
後は大人の話と部屋を追い出され王基と太史慈は書庫へと来ていた。ずらりと並んだ竹簡が棚に詰まっている。孫子、左氏に史記、六韜、韓非子、老子などの様々な書物が二冊ずつ置いてある。一冊は王婆が持ってきたもので、もう一冊は王基が写して注釈を付けたものだ。

「さて、太史慈。何を読む?」

「……お、王基。そ、その、私は字が読めないんだ」

恥ずかしそうにうつ向いた太史慈に王基はそれがどうしたとばかりに返した。

「なにを恥じるのか、産まれたときより字を解する者はいない。真に恥じるべきは学ぼうとしない性根だ」

その点、お前は立派だと王基は締めて奥の竹簡を持ってくる。

「最初は――六韜からいくか。呂尚の兵法書だ」

王基の教え方は巧かった。なにより面白い。太史慈はほんの少し字を覚え王基から毎晩に字を教えると約束を結びこの日は床に着いた。


次の日、王基は武安国と太史慈を連れて再び海に来ていた。まずは盛り土をして土台を築く。これが中々に手間取る。並以上の体力を持つ王基と太史慈と武安国でさえ夕方まで必死に土を運びようやく盛り終わる。

「なぁ、これも塩を造る為なのか?」

「そうだ。時に一粒が命より重くなる魔性の粒よ。さあ、しっかり働け、武安国。お前は帰りは残月に乗るんだろう?」

「そうだけどさ……塩って海水を煮れば出来るんだろ?」

「うむ、だが、質も量も悪すぎるそれでは意味があるまい」

きりの良いところで作業を止める。武安国は残月に乗って帰っていく。あっという間に駈けていく馬影を見送って帰り道を歩みながらこれからの工程を考える。背中には疲れ果てた太史慈を背負い暗くなり始めた道をしっかりと進みだした。


次の日、また海へとやって来た王基達は、盛り土の上に粘土を敷き始める。昼過ぎには終わらせ今度は夕方まで粘土の上を踏み固め細かい砂を撒いていく。

「で、出来たか? 私は弓はどれだけ射とうが疲れないがこういうのは駄目なのだ」

「うむ、完成だ。だが明日の方が辛いぞ。ほぼ一日かかるからな」

それを聞いた太史慈はふらっと尻餅をついてしまう。それを王基は背負って歩きだす。武安国は既に残月に乗って駆けているだろう。王基の手伝いの報酬だ。

「その……すまない。私は足手まといだな」

「なに、武安国を背負うのは臭くてイヤだがな。お前はいい匂いがするからイヤじゃない」

「なっ、ななっ! 嗅ぐな! 馬鹿者!」

夕陽に照らされた一つの影と二つの声が賑やかに帰路に着いた。


翌日も海に来た。この日は残念な事に曇天である。揚げ浜式塩田の大敵は雨だ。無論、王基もそれを知っている。それでもやってみて成功したら笑い、失敗しても笑うのが彼の流儀だ。成功からも失敗からも学ぶのだ。無駄な事など一切ない。王基は家の箪笥を改造した沼井を背負い残月には桶と杓を乗せて自称塩田へやって来た。塩田の中央に沼井を設置し、海水を汲みに行った時に遂に曇天が泣き出した。
あっという間に前が見えなく為るほどの豪雨に変わった。天を仰いでいた王基は素早く決断した。

「荷物は捨てて帰るぞ。急げ!」

「良いのか、また造るのではないのか?」

「もう駄目だ。なにより命の方が大事だ」

雨といって侮ると命に関わる。雨に打たれるだけで体力は落ちて体温は下がっていく。下手すると家路の途中で力尽きるかもしれないのだ。

「武安国、お前が残月に乗っていけ。俺達は走る」

太史慈はまだ馬に乗れない。そして武安国と王基、体力があるのは王基の方であり、理は王基に有る。
だが、だからこそ武安国はそれが気に入らない。故に反抗してしまう。

「お前が乗れよ。俺は走れる!」

「む……ならば太史慈。お前が乗っていけ。乗って掴まっているだけで大丈夫だ」

「――っ! ……分かった、先に行くぞ」

武安国の感情を王基はよく知っている。真田源二郎だった時に幾度も味わった辛苦。英傑の父と兄に追いつけない苛立ちという名の嫉妬。
その感情を今王基はぶつけられている。その応え方は一つしか知らない。否、一つしかない。

「口喧嘩など性に合わん。やるならコイツだ。かかってこい安国――男子だろう?」

拳を突き出した王基の余裕が更に武安国の理性を削る。雨ですぶ濡れの身体が燃え上がるかの様な激情に揺られ王基に殴りかかる。
拳が交差する。
ドゴッと鈍い音の後に二人は吹き飛んだ。立ち上がりまた殴り合う。防御などかなぐり捨てひたすらに殴る。これは闘いではなく喧嘩だ。相手を一方的に殴るのではなく対話のように殴り合う。
延々と続くかと思われた殴り合いは一刻(15分〉程で終わった。王基の渾身の右の拳の一撃に耐えきれず武安国は倒れた。二人とも顔は膨れあがり拳も擦り切れている。
勝った王基はふらつきながらも武安国の方を一瞥もせず身体に鞭を打ちゆっくりと家路に着く。
今、武安国は男子から男になろうとしている。必要なのは少しの時間と背を押してくれる誰かだろう。それは決して王基ではないのだ。男子は時間と共に大人になるが漢には為れない。男子から漢になるには意地がいる。自分の裡に真っ直ぐで、強靭で、しなやかな芯を通す者を漢というのだ。
ふと、安国に構いたくなる理由が分かった。
どこか大助に似ているのだ。大助も童の時から喧嘩しながら育てた。大坂に入る前に叔父の所へ行かせようとしたが従わずに着いて来た大馬鹿者。
回顧しながら苦笑して道を歩く。頬を伝うのは雨だろうか。
それは王基にすら判らなかった。

王基が去ってすぐに雨がやみ太陽が雲の切れ間から顔を出した。
武安国は倒れて空を視ていた。弱くなった雨が火照った身体を冷やしてくれる。すっかり嫉妬や苛立ちは吹き飛んでどこか清々しい気持ちが胸を満たす。
負けた。王基にだけは負けたくなかった。自分より年下のくせに知勇に秀でた王基を認められなかった。鬱屈した感情を秘めて王基に付き合っていた。だが、今はどこまでも清々しい気分だった。王基の一撃は百の言葉よりも心に響いた。

「俺は俺であいつはあいつだ。今は及ばなくても――」

いつの間にか雨は止み雲間から覘いた青空に虹がかかっていた。






家に帰り着いた王基を待っていたのは太史恪の説教と太史慈の無駄に痛い治療だった。説教も程々に太史恪は夕食の下拵えに戻って行く。

「太史慈、痛いぞ」

「自業自得だ! しかし派手にやったものだな」

「安国も俺も不器用だからな。手加減などできはしない」

「まったく、男はすぐに殴り合いだ。馬鹿なのか?」

「ふふっ、殴り合いではない。喧嘩だ。言葉よりも雄弁に語り合える」

太史慈の馬鹿につける薬はないという視線を一身に受け少し居心地が悪くなるが救いの手は意外なところから差し伸べられた。

「若様、王婆様がお呼びですよ。お客様も来ていらっしゃってるから服も着替えた方がいいですよ」

「おお、すぐに参る」

太史恪の言葉に王基はこれ幸いとばかりに自室へ逃げ込んだ。今まで着ていた粗末な単の服を脱ぎ、正装に着替える。
この時代の服は何故か洋服に近いものがある。服だけならば真田信繁がいた時代よりも進んでいるだろう。
王基はどこかちぐはぐなこの世界が三國志を基にしていると気付いていたが気にもしない。何故、自分が此処に生まれ変わったのかなどどうでもいいのだ。人生に筋書きなど必要ない。だから王基は時間に任せ三国志の物語を忘れた。というより殆ど知らない。豊臣、武田、上杉、織田など真田信繁の時代には憧れた英雄が大勢いた。過去の、しかも異国の英雄の話よりも断然興味があったのだ。
そして今はただ、ただ日ノ本よりも雄大なこの世界が、国が、村が好きだった。



◆ ◆ ◆ ◆



「失礼いたす」

「ああ、衛弘殿、これは孫の」

「王基と申します」

「これは、これは、衛弘と申します」

王婆の部屋で王基を迎えたのは王婆と太った中年の男だった。挨拶を交わしなんてことのない世間話に興じる。松花江の魚の話や詩の話で賑わい食事を運んできた太史親子も巻き込んで宴になった。
王基が音頭をとった飲めや歌えやのドンチャン騒ぎに最初に太史慈が潰れ、次に太史恪も潰れた時には宴もたけなわと王基は太史親子を担ぎ部屋を辞していき、部屋には王婆と衛弘のみが残った。

「悔しいですが、値を付け間違えましたな」

「河南一の豪商と言われる衛弘殿でも値を間違えるのですね」

「私はどんな物でも人でも一目見て値を付けます。この二十年、外した事はございません。若君は最初は安物と見えましたが話し、共に酒を飲めば素晴らしき男振り。いやはや、本物でしたな。いや、悔しい。王婆様、彼が起つ時は御一報下さい」

「随分と王基めに惚れ込みましたな」

「久しぶりに美味い酒をいただきました。王基殿と飲む酒は美味い。これだけで援助するには十二分な理由ですよ」

衛弘は生粋の商人である。過去に大恩ある王允の孫だろうと冷酷といえる程、情を交えずに値を付ける。値とは即ち、将来性と言ってもいい。しかし衛弘はそんなものを無視してでも王基に援助してもいいと思ってしまった。
曹家の娘のような迸る才覚を感じた訳でもないが――――
死んで欲しくない
と、そう思ってしまった。
王婆と衛弘は乾杯をする。やはり今日の酒は一段と美味かった。



◆ ◆ ◆ ◆ ◆



武安国は王家の前に立っていた。喧嘩からは既に一日経っている。王基と会って話したいが考えれば考えるほど何を言えばいいのか分からない。

「あら? 安国君じゃない。どうしたのかしら?」

「太史恪さん……いや……王基、いますか?」

「う~ん、多分自室に居ると思うわよ」

「そう……ですか」

どうしても一歩が踏み出せない。
動け! 動け! と必死に己を叱咤する武安国の背中を太史恪は優しく押した。

「頑張りなさい」

武安国は優しさに押され驚くほど軽く一歩を踏み出した。

また一歩――
また一歩――

王基の部屋に近づいていく。なにを話すかなどまったく定まらない。だが足は止まらない。

また一歩――
また一歩――

部屋の前の扉に手を掛ける。まずは謝ろう。そう決して入った部屋には王基が座して瓢箪で作った徳利と盃を持っていた。
言葉が抜け落ちていく。謝罪の言葉も何もかもが。何も言えずに王基の前に座る。
沈黙に包まれながら王基は酒に満ちた盃を武安国に差し出して淡く笑い言った。

「飲ろうか」

知らず武安国は泣きそうになった。初めて認められた様な気がしたのだ。今までは子供扱いだったのがようやく対等な男となれた気がした。
ただ無言で酒を酌み交わす。言葉など要らない。交わした盃の数が、心地よい言葉になる。
この日から武安国は変わった。言葉遣いを改め昼は双鎚の修練を積み夜は学問に励み時々王基と酒を酌み交わした。王基も昼は太史慈と修練し畠を耕す。夜は太史慈に学問を教える。
そんな生活が二年程続いた。







月日が過ぎる中、王基の身の丈も七尺九寸(約180㎝)にまで伸び堂々たる偉丈夫に成長していた。
武安国も八尺もの巨躯に成長していた。今は北海の孔融に仕官している。王基も誘われたが断った。仕えるのならば己が目で見極めなければならない。
安国がいなくなると殆どの時間を太史慈と過ごしていた。

「王基! 今日こそ私の矢を当ててやる!」

庭で対している太史慈も今や少女と言うよりは女というのがふさわしい。豊かな胸に引き締まった四肢も、相まってそこはかとなく色気を醸しだしている。
しかし、東莱郡では――――いや、青州では彼女を口説く男は少ない。一年前の事件で太史慈は名を青州に轟かせた。
一年前、州と郡の役所がいさかいを起こした事が発端だった。話し合いでも決着がつかず漢朝廷に上奏し裁判してもらうことになった。この時、州の役所は先んじて上奏の使者を出していた。何故ならば先に上奏した方が有利になる。というよりはどちらが先かで裁判の勝敗が変わってしまう。
慌てた郡の役所は遅れじと使者を出そうとしたが奏曹史の役についていた者が逃げた。州の妨害を退け更に先に出発した州の奏曹史より先に上奏せねばならない。そんな事できやしないと諦め、責任を押し付けられる前に逃げ出したのだ。
困り果てた役人が王基の話を聞き付けて王家にやって来たが王基はその時、安国と共に衛弘のもとへ出向いておりいなかった。
項垂れた役人は王婆に泣きついた。そこで王婆は孫はいないがその役目を果たせる者がいると太史慈を推薦したのだ。
役人はまだ若い女性の太史慈を信用できなかったが暫定的に奏曹史の役に就けて洛陽へ送りだした。
昼夜兼行で旅路を急ぐ。途中、州に雇われたと思わしき賊を弓矢で撃退し洛陽に着いた時、丁度州の役人が取次ぎに出ている所へ出くわした。もう間に合わないとみた太史慈は搦め手を用いた。
州の奏曹史に近づき、あたかも州の役人に言われて来たとばかりに上奏文に間違いがある事を告げる。慌てて上奏文を取り出した奏曹史から太史慈はパッと奪い破り捨てた。
そして抜け抜けと笑顔で、やはり間違っていた。こんなものを上奏しては罪に問われる。州に一度、確認してくるから待っているといい、そう言って州に戻るフリをした。
そして悠々と郡の上奏文を上奏し郡に有利な処分を引き出したのだ。この二年間の王基の教育のせいだろうか、太史慈はすっかり真田色に染まってしまった。この事件により州役所の恨みを買ったために王家に刺客が差し向けられるが全て太史慈と王基が討ちとった。
この一連の事件により巷では太史慈の事を王家の金鷹と持て囃したが言い寄る男を太史慈は全員打ちのめした。そのせいで太史慈を口説こうとする男はいなくなってしまった。

「太史慈よ。待て、待て。髪を梳いてからだ」

「む、むぅ」

庭で太史慈の髪を梳く。この二年間ずっと王基が梳いてきた。最初は気まぐれに始めたがこれが中々に楽しい。梳櫛を自作して椿の種から椿油を造りだしてまで金紗のような髪を愛でてきた。腰まで届く金の長髪はキラキラと輝き王基を魅了する。

「もういいだろう! さあ、勝負!」

「仕方ないな」

苦笑し再び庭で対峙する。太史慈は鏃のついてない矢を三本、弓に番える。対する王基は無手だ。二人の間は三丈程(約10m)しかない。圧倒的に太史慈が有利だ。
矢継ぎ早に放たれる三矢。
風切り音をあげるそれを王基は身をかわし素手で掴み取る。
王基は目を、感覚を鍛え、太史慈は動くモノを射る練習になる。二年前から続いている勝負である。戦積は三百六十五勝、三百六十五敗の決着つかずだ。

「……今日は弦の調子が悪かった」

「お前も大概だな。しかしもう二年か」

感慨に浸る王基はこの二年を振り返る。
この勝負の発端は王基が村の娘に夜這いをしに行こうとした事から始まった。それを見咎めた太史慈はあらゆる手段で止めようとした。口論の果てに弓矢を持ち出しどうにか止めた。
一方の王基は何故、太史慈に止められるのか分からない。日ノ本では夜這いなど日常茶飯事である。乱世に生きる男は明日をも知れぬ身なのだ。だから、積極的に女を抱きにいく。王基はその気概が芯まで根付いている。ようするに、王基は助平で女好きなのだ。
そのような王基の話で太史慈が納得するはずもない。太史慈は思春期特有の潔癖で必死に王基を止めた。それと少しだけ、王基が遠くに行ってしまう様な気がして嫌だった。
そして勝負を持ち出した。三丈離れて太史慈が三矢放ち王基に当てたら勝ち、外したら負けという単純至極な勝負。王基が勝てば太史慈を嫁に、太史慈が勝てば王基を部下に出来ると取り決めた。先に三連勝した方が勝ちと決めたが両人、共に負けず嫌いの上に追い込まれた時の方が力を発揮する質だ。
結局、二年間毎日勝負を行うがいまだに決着が着かない。

「そろそろ、この勝負やめないか?」

「駄目だ。お前みたいな不埒な男を自由にしたら村の女性が孕まされて泣くだろう。私はそのような事態を決して許さない」

この勝負にはもう一つ取り決められた条件がある。勝負してる期間は夜這い禁止と定められたおかげで王基は強制禁欲中なのだ。

「だがな、太史慈。俺はもう十四だし食い扶持くらいは稼げる。女の一人や二人……」

太史慈のあまりにも鋭い視線に語調が尻窄みしていく。そこに村人が血相を変えて走り寄ってくる。

「た、大変だ!! 太史のおっかあが倒れた!!」

「――っ!」

部屋に担ぎ込まれたと聞き太史慈と王基は直ぐ様駆け出した。

部屋には寝台に太史恪が寝ており医者と王基と太史慈が傍に立っている。王婆には退室して貰った。この症状を王基は見た事がある。

「原因は分かりませんが熱があり咳が出てます。一応、いくつかの薬を出しておきますが――」

「……労咳」

最初は微熱が続き、咳がでて血を吐き、死ぬ。労咳とは不治の病だ。竹中重治もこの病で死んだ。医者が去った後、王基は自室で太史慈に向き合った。

「太史慈、お前の母は長くないかもしれん」

「な、何を……ただの軽い風邪だ! 死なない! 死ぬものか!!」

しかし王基は冗談は言うが嘘は言わない。太史慈もこの二年でそれを知っている。だから縋りついてしまう。厚い胸板に、たくましい腕に抱きしめられる。むせかえるような男の匂いが鼻孔から全身に巡り、痺れに似た快感が身体を走る。言い寄ってきた男達には全く感じなかった情感に満たされる。

「……確か、名医が洛陽にいるらしい。その人なら、もしや」

「なら、私が――」

「いや、俺が行こう。お前は母の面倒を看ていろ。万が一がある」

ずるい、と大史慈は思う。普段はいい加減なくせにこんな時だけ優しい。きっとこいつは天性の女こましだ。いや、人たらしだ。
自然と豊麗に潤んだ瞳で王基を凝望する。

「私は……お前に貰ってばかりだ。返せるものなど、この身一つだ」

太史慈は王基の耳元に口を近づけて囁く。
勝負は無しだ。お前の好きにしていい。
王基は何も言わず抱きしめたまま寝台へ歩く。太史慈は本当に小さく、王基にだけ聴こえるように呟いた。

――――私の真名は安岐、お前に捧げる。

寝台へ雪崩れ込む二人を窓から覗いていた夕陽は恥じる様に地平に沈んでいった。

◆ ◆ ◆



清々しい朝だった。久しぶりに女を抱いた。飯も食わずに朝方まで交わっていた。寝台の太史慈は今までの刺々しさがなくなり寝顔はとても穏やかだ。王基は寝台から立ち上がり身支度を整え閨を出る。旅に出る事を伝えに王婆の部屋へ赴くと無表情の王婆が座していた。

「王基……座りなさい」

「婆様、俺は――」

「座れ!!」

王婆の一喝に素直に座り向き合う。ピリピリとした感覚に王基は震える。ただ、ただ、喜びに打ち震える。
自分の婆様は只者じゃない。時代に名を刻んだ者かもしれない。つまりは我が先達か。
王基は三國志の内容などすっかり忘れていたが偉人の醸し出す雰囲気は忘れてはいない。

「王基! お前は人様の娘を傷物にしたのです。身体ばかり大きくなってしまって、思慮が浅い。太史恪殿になんと詫びれば良いか」

嘆息する王婆に王基はいけしゃあしゃあと言いのける。

「詫びる必要などない。俺は抱いた女を不幸にはさせない。天帝に誓っても良い」

「ならば、成人なさい。今日からお前は字を持つのです」

「心得ました。……伯與と名乗ります」

呆れと怒りと諦めの混ぜ合わさった表情で王婆は箪笥を開けて布に包まれた棒状の物を取り出す。布を払い王基の前に粛々と置く。
それを見た王基は声も出ない。
全長四尺の打刀。黒漆の塗られた鞘には、夜空に瞬く星の様な七つの宝石が鏤められている。
鞘より刃を抜く。打刀らしい本造の片刃で庵棟、身幅広めで腰反り高く踏張りがあり中鋒猪首風となる。鍛えは板目に杢混じり、総体に肌立ちぎみで乱れ映り鮮明に立つ。刃文は丁字に互の目を交えて変化に富み、裏は一般と大模様に乱れる。鍔は丸形で小柄櫃と笄櫃もある。典型的な打刀拵えのそれは紀元三世紀には明らかな異質。

「福岡一文字の作……か?」

絵画や陶器といった美術品とは一線を隔す美しさ。久方ぶりに見る刀だが王基の鑑定眼は曇ってはいなかった。

「これは七星宝刀。王家の総領が持つ刀です。意味が分かりますね?」

「……分家が狙ってるのか?」

「貴方次第です。己が器を示しなさい。才無しと観られたならば命は保証できません」

「そうか、面白いな。うむ、面白い。それは医者捜しのついでに訪ねることにする」

「医者捜しですか……洛陽の王凌を訪ねなさい。彼女が貴方を認めたならば力を貸してくれるでしょう」

王基は直ぐ様、旅支度を整える。自室で必要な物を纏めていると太史慈が身を起こす。

「起きたか。身体の調子は?」

「痛い。初めてなのに朝まで付き合わされたのだぞ。だが……悪くない」

ふわりと微笑む彼女に王基はゆっくりと近づく。机から櫛と椿油と紅い織布を取り出し寝台に上る。ギシっと寝台が悲鳴をあげるが王基は構わずに安岐を正面から抱き抱えるように髪を梳く。安岐も最初はビクリとしたが静かに身を任せる。髪を梳き終えて織布で後ろの髪を括り纏める。王基が真田紐の技術を用いて暇な時に作った織布は華美で丈夫な逸品だ。

「どうだ。これなら髪が邪魔じゃないだろう?」

王基が差し出した鏡には、後頭部の髪を高い位置で一つに纏めて垂らす安岐がいた。なによりも目を惹くのが蝶のように結わえた織布だ。髪を留めるだけでなく金に映えるように主張している。

「うぅ……少し、可愛い過ぎないか? 私にはこのような装飾は――」

「似合っている。うむ、うむ」

王基は満足そうに頷いた。


紆余曲折の末に旅支度を整え王基は家を出る。見送りには王婆と安岐が来た。

「なっ」

「母上!」

別れの言葉を送ろうとした王基は驚きに声をあげる。視線の先にはフラフラと覚束ない足取りの太史恪がいた。どうにか王基の前に来ると両膝をつき拱手する。

「若様。私は大丈夫ですので医者捜しなどは必要ありません」

「何を! 何を言ってるの! 母上!」

王基はどうみても大丈夫ではない様子の母の言葉に激昂した安岐を手で制す。

「俺は、安岐を娶ります。つまり、貴方は俺の母上でもあります」

「えっ!」

「どうか、この不肖の息子に孝行させていただきたい」

王基は膝をつき土下座をする。太史恪はその行為が大丈夫にさせてはいけない事だと感覚的に理解した。

「わ、分かりました! 分かりましたからどうか頭を上げてください」

王基は立ち上がり、真っ赤な顔をした安岐の前に面する。

「俺は王基、字を伯與。真名を幸村と申す。俺と共に生きてくれないか?」

「わた、私は、太史慈、字を……子義。真名を安岐と申します。喜んで、共に参りましょう」

そして王基は反転して道歩きだす。どこか照れ臭いため振り向かずに声を掛ける。

「安岐、留守は任せた。それでは行って参ります」

洛陽までは徒歩で十二日程だろう。
姓は王、名は基、字を伯與。真名を幸村。
彼の波乱に満ちた旅は始まりを迎えた。









~おまけ~

家を出て最初の夜。王基は野宿の準備をして横になった。満天の星空と薄く輝く月を見つめながらゆっくりと眠りに堕ちていった。



ふと気がつくと見知らぬ場所にいた。王基も頭のどこかでこれは夢だと思い至った。
何故ならば見知らぬ美女が自分に膝枕して幸せそうに微笑んでいる。
昨日安岐を抱いたからこのような夢を観るのだと己の浅ましさを叱咤して身を起こす。

「つかぬ事を伺うが、どなたかな?」

「私は鶴と申します。ずっと貴方をお慕いしておりました」

艶やかに微笑む女はとても美しい。十二単を着て正に日本の姫のようだ。

「う~む、すまないが覚えておらん。人違いじゃないか?」

「いいえ、信繁様。貴方でございます。私はようやく貴方と共になれました」

ぼんやりと景色が変わる。どこか懐かしい日本の閨。生々しく布団が一つ置いてある。鶴の格好も十二単から寝装束に変わっていた。据え膳である。王基は自分の好色な心を抑えきれずに鶴を布団へ押し倒し口を吸い身体をまさぐる。いつの間にか灯りが消えた閨には艶めかしい嬌声がこだました。



ちゅん、ちゅんと鳥の鳴き声で目が覚めた王基は周りを見渡す。
昨日、野宿したところだと分かり残念と安堵の籠った溜め息を吐く。
そんな彼をせせら笑う様に朝日が照らしだす。眠たげな目を擦り、伸びをする彼の首元には赤い接吻の痕がくっきりと残っていた。

「さて、今日も気張るか」

勿論、誰も答えない。ただ、枕にしていた刀が朝日に煌めいたのみだった。




後書きという名の言い訳

まずは皆様の真田幸村のイメージと乖離しているだろう事を謝罪いたします。戦国無双やBASARAではなく史実の方をモチーフにしています。とりあえず戦国時代の男ならみんな助平だよ、と独断と偏見をもってる作者です。つまり、主人公はち〇こ太守ばりに節操無しです。
作者の住んでいる地域は関東なので計画停電の影響で執筆速度が下がります。具体的には亀からナメクジレベルまで落ちます。節電の為、なるべく深夜に作業していたので所々おかしい点があると思います。見つけられた方はどうか御一報ください。必死に修正致します。
末筆ではありますが被災され亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。そして困難な状況に置かれている皆様に心よりお見舞い申し上げます。まだ学生の身の上なので小額の募金しかできませんが被災地の一日も早い復興を願っております。



[26392] 伏魔殿
Name: paz◆1a11f41b ID:640a9d24
Date: 2011/05/01 04:16
漢の都、洛陽。
黄河の中流に位置した大都市。
中央通りは豪華絢爛、まさしく帝の足元にふさわしい。だが一つ道を外れると貧民街が広がっている。道には骨と皮の痩せこけた民が座り込んでいる。目も綾なの情景を憂い悲しむ者は朝廷や行政には驚くほど少なかった。その数少ない憂国の士が王基が訪ねる王凌だ。叩き上げの彼女は発干県長、中山太守を歴任し中央に出仕した。三公の一人、司徒の袁隗に高第として侍御史に任命され、彼女は大司農の地位まで駆け上がった。
だが、宦官たちの横暴凄まじく大司農の官職は有名無実でなんの権力も無かった。最近は館に引きこもりがちな彼女は今日も今日とて読書に耽る。だが、その享楽を打ち破る使徒の足音が聴こえる。

「母様! いい加減に引きこもりは止めてください!」

「え~ でもさ。正直、仕事なんか無いし。宦官が許可出さないしさ」

だからいいじゃ~んと横になる王凌を見て眉をしかめるのは彼女の娘の王昶。この親子はなんとも相対的である。
母の王凌は水色の髪をボサボサと背中まで伸ばして眠たげな半目。娘の王昶は母より受け継いだ髪をうなじが隠れる程度に切り揃えて凛としたつり目。
何より身長と胸が違う。王凌は六尺二寸(142㎝)で断崖絶壁の胸部。王昶は七尺四寸(169㎝)でしっかりと自己主張する胸部の双子山を有する。
母の言に焦れた王昶は遂に実力行使に出た。力ずくでも外に出してやる、と飛び掛かる。押し合い圧し合いになるが

「あ、あの、お客様が御越しになりました。王伯與と名乗っておりましたが……」

「王?」

「伯與?」

部屋に入ってきた侍女の言葉で揉みくちゃの二人はようやく止まった。顔を見合わせ首をかしげる。王の姓を持っているならば会わない訳にはいかない。二人は身形を整えると客人の待つ部屋へ向かう。


部屋の中には襤褸を見に着けた乞食の様な男がいた。部屋の外に立つ王凌達にまで届く饐えた臭いに王昶は部屋に入るのを躊躇した。

「母様、あのような下賤な者など追い払いましょう」

「だめだよ~ 昶ちゃん。ちゃんとお話聴かないと」

王凌が部屋に入っていくのを王昶は慌ててついていく。部屋の中の臭いに辟易しつつ男を観る。その姿と立ち居振る舞いで粗野で下卑と王昶は判断した。

「え~と、貴方が王伯與殿?」

「うむ……すまないが二刻ほど(約三十分)待っていただきたい」

言うや否や男は立ち上がり家を出ていった。


きっかり二刻後男は姿を現した。二人はその変わり様に目を丸くする。
乞食同然だった男は身を清め香を焚き、仕立てのいい上等な物を着て刀を佩いた偉丈夫へと様変わりしていた。更に立ち居振る舞いまで変わってるのを見て二人は気付いた。試された、と。

「王伯與と申す」

「え~私は王彦雲。こっちが」

「王文舒」

尖った声の王昶にまだまだ青いな~と苦笑いしつつも王凌は話を進める。

「君が允伯母さんの孫だね」

「然り、些か試させてもらった」

「あっはっは~、それで結果は?」

「上々」

試されるよりも試す方が好きな王基は乞食の格好をして訪ねたのだ。会ってもらえないのなら会う価値無しと決めたが中々の傑物だ。小さい娘の方はかなりの士だろう。母の方はまだ未熟。

「う~ん、面白いなぁ。いいよ、この王凌、伯與殿を王家の総領と認めるよ」

「母様!?」

「母?」

ありえない事ではないとはいえ驚きを禁じえない。どうみても幼女である。

「は、母か……世界は広いな」

「あ~! 私の事、子供だと思ってたね」

「そんな事より! 私は認めませんよ。こんな男が……」

「ねぇ、昶ちゃん。私が、認めたんだよ。分かる、よね?」

一見すると童女のような笑みだが、そこには抗いがたい何かが交じっている。流石に大司農まで上り詰めたのは伊達じゃないなと得心する王基を余所に王昶は怯えている。

「は、はい……分かり、ました」

「うん、じゃあ、今日は宴だよ。昶ちゃんはお友達を連れてきてね」

男の子は女の子が多いほうがいいんだから、四人は連れてこないとお仕置きねと王昶を追い出す。
王昶が部屋を出た途端にがらりと雰囲気が変わり厳粛な空間へと変貌し、王凌は静かに問う。

「伯與殿はこの国の状況を理解してる?」

「しっかりとは言えないが大体は」

「そっか。まぁ、一応教えておくね。今は宦官たち濁流派と何虎奔中郎将たち清流派で水面下の戦いを繰り広げてるのさ。だけど宦官の方が主上(皇帝)に近いからね。張譲、趙忠の二人を父と母と言ってる位だ。今や彼らと目が合っただけで死刑に処される」

「民の声に応え、王巨君にでもなるつもりか?」

「まさか、私が儒教狂いの真似をする訳がないよ。身の程は弁えてる。だけど民は動く。赤眉と緑林の再来だ。君はどうするの?」

「分からん」

「そっか、そっか。うんうん、私も力を貸すよ。本当に微力だけどね」

「だから分からんと……いや感謝する。うむ、今日の酒はきっと旨いな。なんせ真剣に国を想う士と飲むのだから」

何の気なく洩らした言葉は、正に殺し文句だ。真の忠臣たる者を殺すのにこれ以上の言葉は無い。それは王凌の燻った心にひどく心地よい。最近は皆、上辺だけの言葉を述べる。作り笑いで心にも無い世辞をたれる有象無象より好感が持てる。なにより媚びない。

「それと頼みがある」

「なぁに?」

「名医を捜している。洛陽にいるんだろう?」

「あ~ 華沱の事だね。確か五日前に洛陽を出たよ。ちょっと待ってね。劉曄~」

「はい」

王凌が呼ぶと天井より降りてくる少女。白雪の様に白い長い髪を翻した少女は王凌の前で拱手する。

「なにか?」

「あのねー彼に仕えて欲しいの」

「待て、俺は別に――」

「伯與殿は北に行った華沱の足跡を追えるの?」

王基は唸るしかない。洛陽の北は広い。并州、冀州、幽州と闇雲に捜すには広すぎる。

「この劉曄は若いけど間諜の才は群を抜くよ~ 頭も良いし出自だって汝南の名門、劉家だよ。更に美人! これはもう泣いて乞うしかないよ」

「……何で劉家の御息女が間諜なんかしてるんだ?」

「ははのゆいごんにしたがい、かんしんをちゅうした」

「奸臣を討つ為に間諜の技を鍛えて遂には暗殺しちゃったんだもんね。それを律儀に父親に伝えたら放逐されて、洛陽に来たところを私が拾ったのさ~」

からからと笑う王凌と無表情の劉曄を目視して王基は溜め息を吐く。

「草か……確かに情報は必要だしな。よし、雇う」

「うん、うん、可愛がってあげてね」

「……ぽっ」

わざわざ口で言いながら頬を染める劉曄とニヤニヤ見ている王凌を見て王基は更に深く溜め息を吐いた。



◆ ◆ ◆ ◆



その晩の宴会。王基は男一人、花園にいた。右手に座すのは洛陽北部都尉の曹操とその従姉妹の夏候惇と夏候淵。左手に座すのは曹一族の曹仁と曹純。全員の自己紹介が終わり酒宴は和やかに進む。
しかし客人全員が美しい。曹仁はなんとも野性的な魅力に溢れているし曹純は儚げで可憐だ。
だが王基はただ一人の少女に見蕩れていた。
金色の花。美しく芳しい黄金の薔薇だ。きっと触ろうとした男は皆、棘に傷つけられただろう。それでも近づきたくなる魔性の一輪花。傷だらけになっても掴んでみたい。故につい声を掛けてしまう。

「曹操殿、酌をしてもらいたい」

和やかな宴席が一変し、深と静まる。王基へと夏候姉妹も曹仁も曹純も明らかな敵意を向ける。彼女たちは王家の総領といえど無位無官の輩が敬愛する主を酌婦に貶めようとしているのを看過できない。しかし曹操は悪戯っぽく笑う。

「ふふっ、私を酌婦にしたいのなら相応の芸を見せなさいな。私が喜んで貴方の横に侍べるような、ね」

「ふ、む。なるほど、道理だな。ならば一つ舞わせてもらおう」

鼓持ちもいないが懐から扇を取り出し場の中央に立つ。
演目は幸若舞、大職冠。かぶきの要素を取り入れ適当に独自の大職冠に換える。
調子を取って謡い、合わせて舞う。動きの一つ一つに意味を持たせ緩急つけたこの舞は観る者によって評価ががらりと変わる。相応の教養がなければ楽しめない。
この国の物と全く違う舞いと歌は曹操の琴線に触れた。

「へぇ、竜と人の玉の奪い合いね。舞いも独創的だし……良いわ。今晩は貴方の酌婦になりましょう」

「そんな!! お止めください!」

「黙りなさい! 私は約を違えないわ」

一喝で夏候姉妹を黙らせて淑やかに王基の横に侍べり杯に酒を注ぐ。

「正面から口説かれたのは、初めてよ。大抵の男は逃げ腰なんだから」

「全く以って愚かだ。逃げ腰で近づくより堂々と構えて近づかせればよいのにな」

お互いにニンマリと悪戯っぽく笑う。それはまるで心裡を理解しあった者の笑みだ。
夏候姉妹も曹仁、曹純姉妹も驚きに目を見張った。曹操は洛陽北部尉になってから取締りを厳しくし宦官だろうが高官だろうが法を破った者を罰してきた。今や洛陽では曹操は目の敵にされ寸分の隙も見せられない状況である。普段は、取ってつけたような笑みか無表情でいるのに、初対面の男に素顔を見せた。
これには、夏候惇以外が興味を持った。
だが夏候惇には主がまるで寵姫の様に扱われているのが気にくわない。
気にくわないなら――――斬る。
手元に置いておいた幅広の刀、七星餓狼を掴む。

「華林様から離れろ!!」

裂帛の気合いと共に大上段に構えて駆け振り落とす――――

「止めなさい!! 春蘭!」

――――間一髪、頭蓋すれすれで止まった。

それを王基は気にも留めず曹操に杯をだす。殺されかけたというのに微動だにしない男に曹操は酒を注ぐ。この一件が宦官に伝われば有ること無いことをでっち上げられ死罪を賜るかもしれない。
緊迫が場を包む。夏候惇もようやくマズイ事をしたと気付き、青くなる。

「うむ、うむ。俺も夏候惇殿の気持ち分からなくもない。だが、殺し合いは不粋だ。宴会の勝負といったら、これだろう」

杯を掲げて不敵に笑う王基は更に王凌に目配せし酒を有るだけ出させる。

「夏候惇殿が勝ったら、曹操殿は離そう。俺が勝ったら夏候惇殿も此処だ」

げらげらと笑いながら曹操が侍べる方とは逆の場所を叩く。

「う、受けて立つ!」

そこからはやんややんやの大騒ぎ。夏候惇だけでなく夏候淵、曹仁、曹純、王昶を酔い潰し曹操に酔い潰されて王基は眠ってしまった。
曹操の膝を枕に、布団代わりに夏候姉妹と曹姉妹を掛けて眠る王基を曹操は見つめる。

「変な男ね」

「うん、うん。そうだよねー 変だよねー いつの間にか心に入り込んでる。男嫌いの曹操殿にまでしっかりと。稀代の人たらしだね」

王基達が飲み干した大量の酒瓶の片付けを侍女に命じた王凌が戻ってきた。

「この男も中央に仕官するのですか?」

「あはは、しない、しない。させてもね。きっと直ぐに辞めちゃうよ。それで熨斗付けて国に喧嘩を売るね、多分。いや、確実に」

間違いないね、と笑う王凌に曹操も笑う。
ほんの数刻の付き合いでも分かる。この男はバカなのだ。だが、気持ちのいい男だ。この澱んだ都には似合わない程に清々しい。
洛陽に来てから荒んだ心に優しい風が吹く。曹操は微笑みながら太ももの上の頭を撫でた。



◆ ◆ ◆ ◆



翌朝、スヤスヤと女体に埋もれていた王基は王凌に叩き起こされた。

「ほら、起きて、起きて。朝だよ、旅立ちの朝だよ!」

「……ああ、おはよう。これは男冥利に尽きるな」

「くふふ、みんな凄い美人さんだもんねー ほんっと、ダメ男のくせに度量が広いよね」

「ダメ男とは心外な言い種よ。俺は自分に正直なだけだ」

「……まぁ、いいけど。早く準備しなよ。劉曄が調べてきたみたいだから」

極上の肉布団から抜け出し、表の井戸で水を浴びる。酒気を飛ばし劉曄の部屋へ入る。
部屋には洛陽周辺の地図を持った劉曄がいた。

「ごしゅじん、かだはどうやら、ゆうしゅうの、ぎょようへむかったようで」

「幽州の漁陽? 随分と北ではないか。なんでまた?」

「くすりのざいりょうが、こないんだって。やどのしゅじんのじょうほう。だからたぶんあってる」

「失礼するわ」

開け放たれた扉から曹操が堂々と現れる。昨日の酒量はかなりのものだったが影響はまったく出ていない。

「どうしたんだ? 曹操殿」

「謝罪と御礼よ。私の従姉妹の無礼を詫びるわ。そして貴方の寛大な対応に感謝を。御礼に私が出来る事ならなんでもしましょう。純潔を捧げてもいいわ」

「それも、悪くないが……次に会ったらまた膝枕をしてくれればよい」

「そんなのでいいの?」

些か拍子抜けした曹操は疑問に思う。この男は相当な女好きであるから自分を喜んで抱くだろうと覚悟を決めて来たのだ。

「いや、曹操殿を己がものにしたいと思っている。だが、曹操殿が俺のものになりたいと思っていない。だから、抱かぬ」

「ふふっ……貴方は本当に変な男ね!」

堪えきれず曹操は腹を抱えて笑う。この女好きは身体だけではなく心も欲しいらしい。なんと厚かましい男だろう。この男のモノになるつもりはないが。だが、この男が欲しい。その想いがぽろりと口から洩れる。

「もし、私がどこかの太守ならば貴方を絶対私のものにしたのに」

「俺は貴女のものにはならない。貴女を俺のものにするのだ」

お互いが心に誓う。
目の前の者を必ず手に入れると。信念をぶつけあい、武を競い、智で縛る。そしてねじ伏せ目の前の者を貪るのだ。
火花が散りそうな程ギラギラとした視線を交わす。

「そろそろ、いいですか」

「ええ、それでは失礼するわ。王基殿、私は曹操、字は孟徳、真名は華林。貴方を手に入れる者よ」

不敵に宣言する華林は威風堂々と部屋から出る――――

「――――俺は王基、字は伯與、真名は幸村。貴女を手に入れる者だ」

華林が出ていき静かになる部屋で劉曄は無表情で王基に呟く。

「おとこぎらいで、ゆうめいのそうもうとくが、ごしゅうしんだ。きょうはやりがふってくるかも」

「それは周りにろくな男がいなかったからだろうよ。彼女と正面から対峙できないのでは興味も持たれまい」

ニヤニヤしながら旅の行程を煮詰める。ただ彼は失念していた。この世界の女性は日ノ本の女性とは違い武家の女としての教育など受けていない。独占欲、嫉妬を抑える術をしらない。否、抑えやしない。女の情念の恐ろしさを彼はまだ知らない。



旅支度を整え劉曄を連れて旅路につく。王凌と王昶が見送りに来たが王昶は渋々来た様だ。

「見送りなど別にいらんが」

「王家の総領を見送らない訳にはいかないよ。次に会う時を楽しみにしてるよ、伯與殿。」

「うむ、命を大事にな。生きていなくば叶うまい」

二人はまず北へ向かう。数日かけて小平津関へ行き黄河を渡る。
河内郡に入り、温県の山道を歩く二人の前にボロボロの人が倒れている。浅い切傷が多数に足を捻ったのだろうか、赤く腫れている。黒く長い髪も顔も服も泥にまみれて薄汚れている。横には立派な大刀がある。

「女子か……どう思う、劉曄?」

「ぜったいにめんどうごとだよ。かかわりたくないな」

「そうか。面倒事か……よし連れて行こう」

「ごしゅじん、なんで?」

「面白そうだからだ」

それ以外に何かあるか、と首をかしげる王基を劉曄は無性に叩きたくなったが我慢する。一応こんなのでも主なのだ。王凌に受けた分の恩くらいは耐えてみせると意気込み主(仮)の話を聞く。

「見ろ、きっとあそこに庵がある。そこまで行けばこの娘の手当てもできよう」

指差す方には確かに飯炊きの煙が立ち上っていた。だが、嬉々と行き倒れの女を抱き上げた王基を見るとただ女好きが興じたのではないかと思う。劉曄はこれからの旅路に漠然と不安を覚えた。



目的の庵は山の裾に隠れるようにひっそりと佇んでいる。随分と立派な庵が山奥にひっそりと建っている理由など一つしかない。隠居、世捨て人だろう。
人を拒む門をぶしつけに叩く音が鳴り渡る。

「誰かいないか! 怪我人がおるのだ。開けてくれないか!」

数拍の間を置きギギィとゆっくりと門が開く。そこには壮年の男がしかめ面で立っていた。

「……怪我人を見せよ」

「こ奴よ」

王基が女を見せると男は何も言わず家の中に入っていく。王基と劉曄も後に続くがどうも堅苦しい家である。息が詰まりそうだ、とぼやく王基は勝手に客間に入る。

「……仲達!」

「なんでしょうか? お父様」

黒い。奥から出てきた女を見た王基の感想はその一言に尽きた。真っ黒な髪は背中を覆い、服も黒い和服を着ている。肌は病的に白い。それが更に黒を際立たせている。だが、黒の印象が一番強いのはその瞳。底の見えない闇の様な呑み込まれそうな漆黒の瞳。

「怪我人だ。診てやれ」

「はい」

「劉曄、頼む」

「うん」

怪我人を連れて部屋を出ていく。部屋には壮年の男と王基だけとなった。男は佩いている刀を見やる。

「お主は王允殿の親族か?」

「うむ、孫だ。王伯與と申す」

「ワシは司馬防。あの御人は息災か?」

「今のところは」

「そうか……今日は泊まっていくがいい」

「かたじけない」



手当てをして客間に劉曄達が戻ってくるが部屋に入れなかった。片や静かに茶を飲む男達の雰囲気に、片やうっすらと微笑む父に吃驚し動けない。
結局、部屋には入らず二人は夕餉の支度に向かった。



宵闇がしっとりと庵を包む。月の無い夜は灯りがないと何も見えない。時々、闇に恐れを懐く者がいるが王基は闇が嫌いじゃない。ゆらゆらと何も見えない庭園を歩く。見えない故の美しさに酔いしれる。目を閉じて、大地の声を聴き、風と語らう。どれだけの時間そうしていただろうか。そろそろ戻ろうと踵を反す。

「お待ち下さいませ」

後ろから腕を掴まれる。しかし五感がまったく捉えなかった。腕に触られなければ気付かずに立ち去っていたと言える程、自然に隣に立っていたのだろう。耳元で妖艶に囁く声は夕餉の時に挨拶した司馬懿の声だ。だが、振り返れない。闇よりなお深い黒に呑まれそうで。

「……何か用か?」

「ええ、私は貴方に興味が湧きました。いえ、一目惚れかもしれません。知ってますか? 父は笑った事がない、と言われる程厳格な人です。なのに貴方の前で笑った。笑ったのです。ああ! 貴方を私のものにしてやりたい。両手、両足を断ち私の寝台に繋ぎたい」

言葉にどんどん熱が籠る。熱を孕んだ闇が王基を取り巻き、更に狂気を溢れさせ司馬懿は尚も囁く。

「でも、まだしません。もっともっとこの感情を熟成させて、貴方がもっと強大に光り輝く時こそ私は貴方を絶望に堕とします」

熱に耐えきれず司馬懿は王基に身体を擦り付け自慰に浸る。

「んっ……はぁ、永久の闇で、ああっ……溶け合いましょう?」

司馬懿は一際高くうめくと王基の腰をしとどに濡らした。劣情が湧き上がるが本能が訴える。この女はマズイと警鐘を鳴らす。どうにか力の抜けた腕を振り払い王基は部屋に逃げ帰る。後ろから聴こえる女の忍び笑いに久々に恐怖という感情を想い起こした。



◆ ◆ ◆ ◆



翌朝、王基は未だに眠り続けている女を背負い早々に庵を出た。劉曄に大刀を持たせギョウを目指す。
司馬懿という女が恐ろしい。自分とは真逆な人間。全てを包み溶かす闇。だが、佳い女だ。傾国の美女と言えばいいのか、毒の入り混じる色気は堪らなかった。抱きたかったなぁと悔みながら歩く。背中に背負う女の柔らかさと暖かさが王基には救いだった。


静かになった庵にはご機嫌な女の忍び笑いが響いていた。

「随分と上機嫌だな、仲達」

「はい、つまらない浮世と思っていましたが、欲しいものが見つかりました」

「王家の小僧か?」

「はい、ああっ 早く熟してほしいのです。彼が最も光輝く時に私は彼を奪い、隠し、犯す。どんな表情をしてくれるのか……ああ!」

身悶える司馬懿を司馬防は面白そうに見る。

「しかし王家か……因縁よな」

「……はぁ、はぁ、何か、当家と、問題があるのですか?」

「若い頃にな、お主と同じように王家の女に懸想した。あらゆる手段で手に入れようとしたが……他の男と駆け落ちしおった」

司馬防の瞳に司馬懿と同じものが宿る。

「だからな。まずは宦官を使い、女の母を無実の罪に陥れた。そして女の居所を見つけ周囲の賊に誤情報を流した」

司馬懿と同じ、いやそれ以上の狂気。司馬家の血に眠る狂気が再び目覚める。奇しくも女の息子によって。

「だが、あの男は一筋縄ではいかないだろう。見たか? 去り際の眼を。お前を包み込んでやると語っていたぞ」

「はい! 楽しみです。私が彼に照らされるか、私が彼を引きずりこむか」

司馬の庵は魔物が棲む。
山奥、故に人はあまり訪ねてこない。浮世から離れるようにひっそりと暮らしていた。
だが一人の男が司馬の血に火を着けた。
今は司馬懿一人にしか火が着いてないがいずれ姉妹にも伝わるだろう。姉妹は仲達含めて八人いる事をまだ王基は知らない。



夕暮れになるとギョウも近くなってくる。あと少しというところで背負っていた女が身動ぐ。

「う……に、兄様?」

「すまぬが、妹を持った覚えはないな」

朗らかに笑う王基を見て人違いに女は赤面しうつ向く。

「す、すみません。兄に似ていたもので、ここは……それに貴方たちは?」

「俺は王伯與、こっちは」

「りゅう、しよう」

「そして、ここは冀州魏郡ギョウだ。河内郡で行き倒れていた貴女をここまで連れてきてしまった。すまん」

「いえ、行き倒れの私を介抱してくださったのです。ありがとうございます。私は……長生とお呼び――」

ぼんやりしていた頭が覚醒していくにつれて自分がどんな状況かが理解できる。
背負われている。密着してる。
朱が引きかけた顔を再び真っ赤に染める。

「お、降ろしてください。自分で歩けますから……」

「駄目だ。いいか、長生。お前は足を捻っている。そしてなによりお前は柔らかくて心地いい。だから降ろさん」

羞恥で耳まで真っ赤にした長生は再度うつ向きボソリと呟く。

「先程の兄様に似てるというのは取り消します。兄様はもっと誠実な人でした」

「誠実などつまらん。少しくらい我が侭な方が良いのだ」

「あ、貴方は! 良いですか! 人は慎ましやかにを美徳と――」

「だから慎ましやかにお前の柔らかさを堪能しておるのだ。さては、お前、未通女――」

「わぁ! わぁ! な、何を言っている! 大体、経験してようがしてまいが関係ないだろう!」

「馬鹿を申せ。人生の半分は損をしている。よし、俺が教えてやろう」

「ば、馬鹿を言うな! い、いいか。私はな、そういうのは好き合った者同士が――」

ギョウに着くまでこの口喧嘩は続いた。すっかり口調が崩れた長生とからかうような王基は最初よりグッと距離が近づいていた。
まるで馬鹿な番いの痴話喧嘩のようなやりとりを聴かされている劉曄は少し頬を上げて小さな声で呟く。

「あれはだめなおとこにほれるおんなだな」

まったくあの男の女たらしっぷりは酷い。誰でも良いように見えるのにしっかり相手を選ぶ。そして相手の深くまで入り込み、魅了する。きっと彼女は彼のおめがねにかなったのだろう。
曹操、司馬懿。この二人は確実にご主人を狙っている。曹操は仕方ない。ご主人の自業自得だ。
けれど、司馬懿はまずい。曹操より底が見えない上に狂ってる。手当てや調理を共にしただけで感じた。全ての動きが読まれているかの様な、まるで彼女の掌の上で動いていると。
良い女というのは命を懸けるに値するのか分からないけど、とりあえず慎んでほしい。
劉曄の気持ちとは裏腹に赤々と地を照らす太陽がどこか憎らしかった。



ギョウの城下の宿に二人はいた。劉曄は情報を集めに行き、王基と長生は服を買いに行っていた。
長生の服がボロボロの為、服を買ってやると王基が長生を連れまわす。

「これなんかどうだ?」

「伯與、買ってくれるのはありがたいが……どうして、どうして破廉恥な服しか選ばないんだ!」

「破廉恥? 何がだ?」

「お前が選ぶのは全て露出が激しい! 先のヤツなどほぼ下着ではないか」

衣料店の商品を飾っている通路で烈しく言い争っている二人に、店主は商人特有の笑みを浮かべて近寄る。

「お客様、こちらの服はいかがですか? 盧子幹先生の御弟子が作った逸品ですよ」

「おお、見事だな。よし、これにしよう」

「……待て、伯與。私は、もっと安い物で良い」

「嫌だ。店主、いくらだ?」

「そうですねぇ、一品物ですからな。このくらいでいかがで?」

「高い、だが買った!」

驚きを胸に秘め店主は銭を受け取り数える。確かにある。馬の一頭は買える値だ。

「お客様、こちらの革靴などいかがですか? 勿論、御代はいりません」

「ならば貰おうか」

「伯與! 私は……」

長生の口を塞ぎ商品を受け取り店を出る。何か言いたそうな長生を宥めすかして連れていく。そして宿をとり部屋で王基は着替えた長生の格好を眺めている。
緑を基調に脇と肩の部分はパックリ空いて肌を晒し二の腕から手首まで衣服が覆っている。そして下半身は短い筒状の衣服、すかーとを履いており足袋のような布が太ももまで覆っている。

「あ、余り視るな……恥ずかしいだろう」

消え入りそうな声の長生を王基はニヤニヤと見つめる。
このすかーと、とやらは良い。麗しき足が直に見れる。
結局、劉曄が戻ってくるまで王基は悦に浸りっぱなしだった。



戻ってきた劉曄に殴られ正気に戻った王基はようやく本題を切り出す。

「長生、お前はどこにいくつもりなんだ?」

「私は……幽州の方へ」

「ならば、俺達と一緒だな。旅は道連れだ。共に参ろう」

「あ……でも、私は――」

「久しぶりの寝台だ。俺はもう寝る」

なんとか断ろうとする長生を余所に王基は眠りに就く。
なんて最低な男だ、と長生は思う。介抱してくれたり服を買ってくれたのには感謝しているが、軽薄で、いやらしくて、私はこんな男――――大嫌いだ。



翌朝、やけに外が騒がしい。劉曄に調べさせたところ、河内郡から来た衛兵が門で人相改めをしているらしい。捜しているのは黒髪の大刀を持った女。心当たりはある。

「長生……」

「すまない……これ以上迷惑をかけたくない」

大刀を持ち部屋を出て行こうとする長生を王基は止める。

「待て、わざわざ捕まりに行ってどうする」

「ごしゅじん、これいじょうはふみこまないほうがいい」

「劉曄、それは駄目だ。救った窮鳥を放り出すなど人のする事ではない!」

王基の一喝に劉曄は黙り込む。

「いや、すまぬ。だが俺は長生を幽州に連れていく。これは決めた」

「聞かないのか? 私が何をしたのか」

「言いたくなったらで良い。先ずはギョウを出るか」

「しかし、どうやって?」

「なにか策はないか? 劉曄」

「ないよ……つてもないし、かくれてでるにはこの、しろはけんろうだ」

「うむ、ならば門を通るしかないか」

ニヤリと笑う王基は早速準備に取り掛かった。




ギョウ城は七つの城門がある。その内の一つ北の玄武門も混雑している。一人一人止めて顔を見ているからだ。門を通ろうと列を成す人々の横を男が通る。背中には外套と頭巾を被った女をおぶっている。城門を通ろうとする男を兵士は呼び止めた。

「何をしている! 列に並び審査を受けろ!」

「申し訳ごさらぬ。実は妻が奇病にかかりまして……医者にも匙を投げられる程でございます」

「ほう、どのような病なのだ?」

「急に皮膚が焼け爛れます。妻は顔が……そして今日、みどもにも症状がでてまいりまして――」

男が腕を捲ると確かに焼け爛れていた。それは視るに耐えない程に。

「――どこか人の来ない山奥で夫婦二人寄り添い死のうと決めたのです」

兵士は顔をしかめ距離をとり追い払う様に手を振った。

「ならば、早く行け!」

「ありがとうございます」

男は城門を通りギョウを出る。勿論、この男は王基だ。彼の策は単純至極。自分の腕に熱した鉄板を当てて火傷をつくり病を装い巧く抜けたのだ。劉曄は先に大刀を持たせて北の邯鄲で合流する手筈を整えた。

「何故……ここまでしてくれるんだ?」

「お前が佳い女だからだ。男が命を懸けるのには充分だろう」

呵々大笑する王基を長生は視れなかった。
風景が滲む。
なんて、男だ。行き倒れの女の為に腕を自ら焼くなんて。軽薄でいやらしくて、だけど、私はこの男が――――

背中の泣きじゃくる声を聞こえないふりをして先を急ぐ。
姓は王、名は基。字は伯與、真名は幸村。女と酒と博打に命を懸けれる駄目男。
戦乱の世を駆け抜けるのは今少し後の事。





おまけ~曹操~

洛陽北部都尉の仕事は治安維持である。正直な所、出世からは程遠い仕事だ。曹操は元は郎という身分で出仕した。
これは皇帝身辺の警護を兼ねた、秘書的な世話係だ。そこで曹操は王昶に出会った。二人とも反骨の気概が激しく出会って数刻で殴り合いの喧嘩をしたが、なぜかすぐに友宜を交わし親しくなるのも早かった。
或る日の花見の席で存外に短気な曹操は宦官が幅を利かすのに耐えられず蹇碩を論破し恥をかかせた事により報復人事をくらってしまった。
それが洛陽北部都尉だ。他の郎の者は嘲笑っていたが王昶だけは態度を変えずに接していた。これに曹操は無二の友を得たと喜んだ。
そんな時に王昶に宴へ誘われた。

「頼む! 一族の方と従者の方もご一緒に」

「どうしたのよ? いつもの貴女ならたかが宴にそんなに必死にならないじゃない」

「そ、それが母様にな。四人は連れてこないとお仕置きだと」

「お仕置き? 何かあったのかしら?」

「その、王允様の孫が来てね。母様が王家の総領に認めたんだ」

「ふ~ん、美女なの?」

「いいえ、男よ。むさくてごついわ」

正直、欠片も行きたくないがあまりにも王昶が頼むので致し方なく、曹操は夏候姉妹と曹姉妹を連れて宴会に臨む。
案の定、男は精悍ではあるが曹操の食指はまったく動かなかった。適当に挨拶を交わして席に座る。宴会が始まると曹操はどこからか視線を感じる。少し探ってみると直ぐに分かった。男がジッと視ているのだ。男が女を見る目で。曹操は歯牙にもかけず受け流していたが男は更に踏み込んでくる。

「曹操殿、酌をしてもらいたい」

大抵の男は擦り寄るように酌をして愛を囁くがこの男は近づいてほしいらしい。
室内に満ちた敵意も気にも懸けず曹操を見つめる男。
面白い、と曹操は悪戯っぽく笑う。

「ふふっ、私を酌婦にしたいのなら相応の芸を見せなさいな。私が喜んで貴方の横に侍べるような、ね」

流石にこればかりは怒るだろうと思いつつも曹操は止まらない。いや、止めない。この程度で気分を害するような男が曹孟徳を手に入れられようか。曹操は男がどう反応するかを見つめる。

「なるほど、道理だな。ならば一つ舞わせてもらおう」

不思議な舞いだった。武骨だが雅な動作。低く心地よい唄。舞いにも精通している曹操でさえ初めて観た傾国の舞い。
そして曹操は男の横に侍べる。この男に俄然と興味が湧いてきた。
だが、誤算があった。夏候惇が男を叩き斬ろうとしたのだ。間一髪、頭蓋手前で止まったが剣を向けた無礼はなくならない。殺されかけたのだというのにこの男、悠然と杯を出してくる。酒を注ぎながら曹操は男に怒気が無いことに気付いた。
挙句、笑い事の様に流して呑み比べを始める始末。気の荒い曹仁や内気な曹純でさえ楽しそうに酒を呑む。夏候淵でさえ微笑んでいる。
全員を酔い潰し曹操に酔い潰された男は眠ってしまった。その寝顔を見て曹操は思う。
まるで太陽の様な男ね、と。
クスクスと、微笑む。
――――太陽を手に入れるのも悪くないかしらね。
ひっそりと発した言葉は誰にも聞かれる事なく虚空に溶けていった。







後書きという名の言い訳

録画していたアニメをみていたらテンションが上がり四時間ほどで完成しました。あまりにも突貫で書きすぎたので書き直す予定です。というより四月中に投下するつもりだったんですけど……もう五月ですね。
とりあえず、次の話を書いたらその他板に移動するんだ……もう何も怖くない!


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