大坂城。
かつては小田原城をも凌ぐ堅城として名を馳せていたが、今や外濠に内濠までも埋め立てられ城塞としては役に立たなくなった。
そして大阪城の弱点を支えた南の出城。真田丸址に男が唯、一騎佇んでいた。馬からひらりと降りたその男は精悍という以外特筆すべき事がない容姿をしていた。低くもなく高くもない背丈、美しくもなく醜くもない面立ち。
だが、どこか愛嬌がある。なんと言えばいいのだろうか。雰囲気とでもいうのか、どことなく人を惹き付けてやまない。
彼の名は真田左衛門佐信繁。
大阪冬の陣で真田丸に籠もり徳川方に苦戦を如いらせその将才を天下に示した。
しかし、それだけだ。戦術の勝利だけでは徳川に、家康に勝てない。信繁もそれを弁えており何度も打って出る策を上申したが受け付けられずに上役達は下策といえる籠城を選択した。その瞬間、信繁の夢は絶たれたといってもいい。
だがそれでも諦めず勝利への策を練り続け、おそらくは決戦の地になるだろう南の天王寺口を下見に来た帰りに真田丸址へ立ち寄った。
ここ、真田丸には上田合戦で培った馬出しの知識と経験、全てが詰まっていた。
信繁は跡形もなく壊し尽くされた真田丸を見つめながらも思いは遠く信濃へと飛んでいた。
生まれ、育った砥石城。馬で駆けた上田平。そしてそこに流れる千曲川。供も付けずに行った別所の温泉。そして我ら真田の城、上田城。真田も最初は信州小県郡の一豪族でしかなかったが、それを祖父様が武田家に属し小さいながらも大名にまでなったのだ。
父上は複雑怪奇な戦乱の世を弱小大名ながら生き抜き真田の名を遺した。
兄上は真田の存続の為に尽力している。
ならば、俺は?
大阪の戦を最後に戦乱は終わる。俺如きが生き残ったとてなんの意味もない。
故に、家康が首を取りたい。
父上が夢にまで見た天下分け目の大合戦を代わりに子の俺が参陣し真田の武名を鳴り響かせた。
故に、此処からは只の信繁として家康が御首を狙いたい。
只、その一心で戦い続ける。
冬の冷たい風が吹き荒び、蒸せ反る様な死臭の中。
まるで信繁の周りだけが全てを焦がす灼熱のような熱を放っていた。
◆ ◆
元和元年 五月七日
大阪夏の陣、最終決戦の日。先日の道明寺、誉田の戦いで豊臣方は戦将、後藤基次、木村重成、薄田兼相を失ってしまった。数少ない戦果は木村重成と長宗我部盛親が死に物狂いで井伊直孝、藤堂高虎隊を壊滅させた事と真田信繁が伊達政宗の先鋒の片倉重綱率いる騎兵隊を打ち破った事のみである。
被害は豊臣方の方が大きくもはや万に一つも勝ち目はなくなった。万策は尽き後は快く戦うのみとなり信繁は茶臼山に陣を張った。
徳川方の越前少将、松平忠直は正にこの戦で死ぬ心積もりで挑んでいる。祖父の徳川家康の言い掛かりともいえる激しい叱責で傷ついた誇りを無視出来る訳がなく面当てに死に物狂いで働いてみせると意気込んでいた。
霧の中、夜の内に茶臼山の南に陣を敷いた忠直は夜明けと共に物見を出した。
この忠直の部隊の前面に、小高い丘がある。数名の物見の兵が、まず駆けのぼってみて、あっ、と叫んだ。
この時、丘から北の茶臼山に真田信繁の陣営がのぞまれたのだ。
見る見る吹きはらわれてゆく霧の中に、朝の日がさしこみ茶臼山の、真田の赤備えが姿をあらわした。
紅の旗、吹貫をあたかも躑躅の花盛りの如く群れなびかせたようだった。
そして昼前に戦の火蓋は切って落とされた。真田隊はじりじりと進んでくる松平忠直の軍勢を引き付けながら伝令を送る。
内容は天王寺口で信頼出来る唯一の将、毛利勝永へと家康が本陣への突撃の援護の要請。
真田の赤備えの総勢三千五百が信繁が青竹の指揮杖を颯と打ち振ったのを見た。
真田隊の前衛陣地に立ち並んでいた赤の戦旗が左右に分かれる。
その中央から、松平の軍勢が坂をのぼってくる。
大阪城の南面の戦場に、戦闘の響みと叫喚が高まり、展開してゆく。
敵味方の兵士が入り乱れ、槍を使い、敵を目がけて叩きつけ、突き入れる。
戦乱を飾る最後の戦が幕をあげた。
◆ ◆
戦が始まり早数刻。
豊臣方の前線の兵を崩せない事に苛立った家康は本陣を押し出し前線近くの高処に構える。
家康は戦況を見渡し、思わず息を呑んだ。
赤い部隊が松平軍を引っ掻き回し圧倒している。
更にそれを支えるように毛利隊が突き進む。乱れ立った松平軍を一気に突き破り家康がいる本陣へとひた走る。本陣の低い丘の下にいた約五百の家康の旗本たちは、真田勢のあまりに猛烈な攻撃に、大御所の徳川家康の身を護ることさえ忘れてしまった。
赤色の魔神の一隊が旋風のごとく襲いかかってくる。それだけで三河以来の武勇を誇る、家康直属の戦士たちが半里も一里も逃げ散ってしまった。家康は命からがら部下の馬で逃げ出した。
敵の本陣に突撃し馬印をも倒して家康の首級を挙げんとした真田隊は散り散りになり信繁の供廻りも既に十騎に満たない。
それでもなお家康の後を追う。僅か、僅か一町先に家康の騎馬が走っている。信繁は更に馬の速度を上げた。
もはやハッキリと家康の背を目視できる。しかし快進撃は此処までだった。
あと半町という処まで追いついた時、敵の酒井、内藤、松平の諸部隊が体勢を立て直し信繁の前に立ちはだかったのだ。
前曲の鉄砲隊が火縄に火を着け、信繁に狙いを定める。
轟音が鳴り渡り信繁の供廻りが己が身を投げ出し盾になった。皆、真田の旧臣で信繁の無茶な戦に付き合ってくれた忠臣達だ。全員笑って逝った。故に信繁は思う。負ける戦ではなかった。ただ……ただ、俺が総大将じゃなかった。最早、これまでだが、真田の意地を魅せてやろう!
たった一騎の突撃。
鉄砲隊が再装填する前に突入する。
敵は侮っていた。たとえ赤備えといえど一騎で何ができる。圧し包んで討ち取れ、と気楽に命じた。
だが、信繁は鉄砲隊を突き抜け槍衾をかいくぐり、騎馬を打ちのめし停まらない。
敵勢はようやく思いだす。赤備えの恐ろしさを。
鎧を血染めで更に紅くした吼えるように叫ぶ一騎の鬼神から足軽は逃げ出し旗本は恐れ慄き浮き足立つ。
前軍の酒井の部隊を突破し中軍の松平の部隊のど真ん中まで駆け抜ける。
だが、もはや信繁は満身創痍だ。手に持つ十文字槍も片刃が折れて片鎌槍に為り下がり騎乗していた馬も限界を迎えたのだろう。松平隊の槍衾を回避出来ずに斃れる。だが、それでも馬から堕ちて膝をついた信繁を討ち取れない。槍兵が八方から囲むが皆恐怖していた。
この赤い鬼神は何故未だ動けるのか。左腕は鉄砲に貫かれ既に動いていない。右足は落馬の衝撃で折れたのか引き摺っているのに。鎧の下衣は己が血を吸って真紅に染まっているのに。
何よりも……何よりも恐ろしいのはその瞳。死に瀕しているのに関わらず轟々と燃え滾る闘志を顕すかのように爛々と輝いているその瞳。睨まれただけで黄泉へと渡ってしまうかのような迫力がある。
信繁は重たい身体を引きずるように、されど確実に進み始める。
槍は未だ折れず気炎は尽きない。
進む――渾身の力で槍兵の囲いを破り
進む――ただ前へ……ただ前へ
進む――踏み出すその瞬間。鉄砲の一撃が胸を貫く。それでも停まらない。
進む――槍が腹を貫く。身体から力が抜けていく。信繁は此処までと微笑み、己を貫いた敵兵に囁く。
我が首を以て手柄にせよ、と。そこで真田左衛門佐信繁は静かに微笑み、暝目した。
後に様々な人物にその活躍は綴られる。その中の一つ。島津忠恒が伝聞し語った話しに全てが詰まっている。
五月七日に、御所様の御陣へ、真田左衛門仕かかり候て、御陣衆追いちらし、討ち捕り申し候。御陣衆、三里ほどずつ逃げ候衆は、皆みな生き残られ候。三度目に真田も討死にて候。真田日本一の兵。古よりの物語にもこれなき由。徳川方、半分敗北。惣別これのみ申す事に候。
これにて真田信繁の物語は終わりを迎える――――筈だった。正史から外史と呼ばれるあり得ない世界へと続く。未だ戦いは終わらない。
◆ ◆ ◆
後漢――光武帝劉秀が興した王朝。優秀な政治家だった彼女を以てして帝による完全支配はできなかった。妥協策の大豪族を官に就けて制御する方法を採らざるをえなかった。
しかし帝が変わるにつれて幼帝が続き外戚と宦官が争うようになり勝った方は国政を私物と化し私腹を肥やした。
そして宦官が国政を握り自分たちの権力を確固たるものにする為に朝廷の知識人を追放した。これが党錮の禁と呼ばれ乱世の序章だった。
後漢末期の青州東莱郡曲城県の屋敷には二人の人が暮らしていた。王婆という老女と王基という十二歳位の男子が過ごしていた。
王基は五歳の時に両親を亡くして祖母の王婆と暮らしていた。
僅か七歳にして身の丈以上の棒を振り回し王婆が何処からか連れてきた果下馬を乗り回していた。これには王婆も驚きこの子の異質に気付いた。だが、それ以上にこの孫を愛していた。
なによりこの世界の英傑は皆、女だ。秦の始皇帝も呂尚も張良も楽毅も呉起も皆、女である。男で英傑と呼べる者は存在しない。そんな不文律を皆、信じている。勿論、王婆もそう思い王基は少し早熟な子と結論付けた。
そんなある日の食卓。王基と王婆は質素な食事を摂っていた。そして早々に食べ終えた王基が何気なく話し始める。
「今日は良い天気だ。婆様、俺は海に行ってくるぞ」
「ええ、ええ。暗くなる前に帰ってくるのよ。それと安国君も連れて行ってあげなさい」
了承を貰うとすぐに厩舎へ向かう。残月と名付けた果下馬――大きさは五尺程(115cm)の小型種だが六尺九寸程(160㎝)の王基には問題ない。馬を曳きながら隣家へ歩く。隣家の武安国は王基より年上の十三歳の男の子だ。何かと王基に対抗心を燃やしてつっかかってくるが全てすかし、いなされて相手にされない。それが更に気に入らないという悪循環をしている。
「やぁ、安国! 海に行くぞ。一緒に来い」
「またお前か! 俺は行かないぞ!」
家の中から出てきた男子は身長七尺(162㎝)のいかつい顔つきをしている。武安国の家の親父は北海国の相、孔融に仕えている武官の為に大抵不在である。
「ほう……来ないのか。せっかく残月に乗せてやろうと思ったのに」
「えっ! し、しょうがないな。じゃあ付き合ってやる」
この時代馬は貴重な軍需品の為に平民は馬を持つこともできなかった。武安国の家も貧乏ではないがかといって残月ほどの名馬を飼えるだけの録を貰ってはいない。
「さあ、それでは参るぞ」
「ああ、約束は守れよ!」
王基達の住んでいる曲城県からは五刻(75分)ほどで海に着く。王基は大陸の雄大な自然が大好きだった。海を一日中眺める時もあれば山に篭ったりと好き勝手にやっている。
「なぁ、海に何しに行くんだ?」
「うむ、今日は塩でも造ってみるか。よし、粘土を集めながら行こう」
「塩って……お前、塩は専売制ってやつなんだろ? 役人に捕まっちまうよ」
「そうだ。武帝の時に決まった法には塩と鉄は国が管理する事になっているが今は誰も守ってはいないし俺らが砂浜で何かしてても砂遊びしてる餓鬼と思われるだけだ」
残月にくくりつけておいた袋に粘土を詰める。粘土探しのために普段使っている道を外れていく。水を弾く粘土を武安国と一緒に探しては袋に詰める。更に王基は木の棒で兎を狩り木の棒にくくりつけて進む。気がつけば既に十刻(約150分)は経っており隣の黄県の村まで来てしまった。武安国は疲労と不安が入り混じり王基は粘土がたんまり入った袋を上機嫌にみていた。
「見ろ安国。これだけあれば塩田が作れるぞ」
「なんでそんなに元気なんだよ……俺よりも動き回っていたのに」
「なんだ、疲れたのか。ならば飯にしよう。うむ、あそこにしよう。美人の女性だと良いな」
「お前本当に、女好きだな。皆、王家の若君はませているって噂してるぞ」
「男子たる者、女子をつかまえないでどうする。男の道理よ」
彼らは刃物を持っていないから兎を捌くことも出来ない。そこで王基は一番みすぼらしい家を選び戸を叩く。
ガンガンと音が響き中から美しい金の髪のどこかやつれた女が出てくる。
「はい、どちら様ですか?」
「俺は曲城の王基と申す。こっちは武安国。兎を狩り野草を摘んだはよかったが調理する道具がないのです。ぶしつけだが道具を貸していただけないか? 勿論、貴女の分の飯も用意させていただく」
「ふふ、私は太史恪。若いのに随分と立派な子ね。分かったわ。でもお願いが一つあるの」
「なにか?」
「私の娘の友達になって欲しいのよ」
「断る。一飯の為の友などなんの意味もない……が、貴女の娘が飯を食いたいなら手伝ってもらおう。働かざる者食うべからず」
王基の言葉に萎れていた太史恪はパッと花が咲くような笑みを浮かべて奥に娘がいると言って水を汲みに行くと井戸へ行ってしまう。それに武安国と残月もついていく。中々に古い家に入る。部屋には物が少なく寂しい。その中に弓の手入れをしている女の子がいる。
「なんだお前は? 私は太史慈。この家の長子だ」
金紗の髪に碧眼のまるで人形のような少女。彼女は腰まである長い髪をなびかせなんとも尊大に名乗った。王基と同年代であろうにもかかわらず不思議と貫禄に充ちていた名乗りに王基は好感を抱き微笑みながら訊ねる。
「俺は王基。太史恪殿に料理のために場を借りた。さっそくだが手伝ってもらえるか?」
「断る。私は弓を持つ方が好きなのだ。料理は好かん」
「くっ……はっはっはっ! 太史慈! 弓だけで何が出来る? お前のそれを匹夫の勇というのだ」
「お、お前!!」
王基の言葉は太史慈の逆鱗に触れた。激昂した彼女は殴りかかる――が王基はその手を絡め捕り組み伏せる。
「どうだ。弓だけではどうにもならんだろう?」
「バカ!! バカ!! お前に……お前に何が分かる!? こんな田舎では私塾もない上に豪の者もいない! だから私には弓しかないんだ! これで……これで、母上に孝行するんだ!」
「……孝行か。樹静かならんと欲すれども風止まず、子養わんと欲すれども親待たざるなり。往きて見るを得べからざるは親なり、か」
泣き叫ぶ太史慈の言葉に自然と風樹の嘆と呼ばれる孔子の言葉を呟く。王基は既に両親を失っている。だからこそ太史慈の孝行の気持ちにうたれる。この家は見た限り片親のようだ。生活は楽じゃないだろう。
「ならば、俺の家に来い。書物もあるし働き手が欲しかった。母親も連れてこい」
「それは哀れみか! 私は施しは受けない! 如何に貧しくとも誇りは捨てない!」
「小人の誇りなど捨ててしまえ。それにこれは施しではない。貸しだ」
太史慈は戸惑った。今までこんな人間に会った事などない。父は物心ついた時にはいなかった。村の人間は金の髪を持つ私達を邪険にし差別と迫害においやられた。 金の髪は中原ではよく見るが青州の片田舎では滅多に見ない。わかりやすい異端というわけだ。
こいつは気にくわないが言ってる事は至極正しい。学がないと時代に呑まれるだけだ。
「……分かった。よろしく頼む。母上には私が話す」
「では、料理だ。俺は兎を捌くぞ。太史慈は野草を切れ」
近くもなく遠くもない距離感が二人にはあった。友でもなくされど敵というほど離れてもいない。そして武安国と太史恪が持ってきた水を用いて作った兎肉と野草の汁物に舌鼓を打ち皆が満足して食休みしている時に太史慈が切り出した。
「母上、お話しがあります」
「なあに? 改まって?」
「この王基殿は働き手を探していたようで私達を雇いたいと……勿論、依食住は用意してくれるとの事です」
「それは……本当かしら? いえ、私達の様な者を雇うなど正気じゃないわ」
「太史恪殿、さぞお辛い生活を続けてきたのでしょう。しかし、俺は同情などで雇いたいと言ったのではないのです。貴女の娘は素晴らしい逸材です。その逸材が花開せずに散るのは惜しい。故に投資です。いつか返してもらえばそれでいいと言う訳です」
普通ならば、こんな子供が? あり得ないと一蹴する話しだが子供とは思えない真摯な語り口と雰囲気に信用してもいいと思い始めた。細々と畑を耕し狩りをして生きてきたがそろそろ限界かもしれない。
どうせこの村にいても緩やかに死ぬだけなのだから――
「分かりました。よろしくおねがいします。王基殿」
「よし、ならば早々に家に行くぞ。荷物は最低限でよい」
数刻で用意を済ませて残月に荷をくくり歩き出す。
王基――真名を幸村。
遥か遠き旅路を歩き始めたばかりの十二歳の夏の日の事だった。
曲城の王家には手紙を書く老婆がいた。王基の祖母の彼女は王婆と呼ばれていたが本名は王允、字を子師といいかなりの名儒であり、かの郭泰には王佐の才と言われる程の者だった。本来ならば三公かそれに準ずる者になっていてもおかしくない彼女は官宦の罠に嵌まり官を辞して故郷の青州に戻ったのだ。
しかし彼女を待っていたのは荒され死屍累々の村と見る影もなくなった娘夫婦だった。
だが孫がいない。一抹の希望を抱き孫を探す彼女は死体を確認していく。いない――が、賊の死体が動く。思わず構えてしまう王允には見えた。賊の下から這い出そうとしてる子供の姿が。
そして話しを聞き驚愕する。僅か五歳の孫が賊の頭目を不意打ちで討ったというのだ。頭目を失った賊は同士討ちを始めて逃げさり孫は死体に圧し潰されて身動きが出来ずに居たところ人の動く音がしたから這い出そうとしたらしい。
なんとも我が孫ながら末恐ろしいが乱れ始めた世の中には必要なのかもしれない。
王允は孫を――王基を連れて東莱郡曲城県に移った。
そして馴染みの商人から譲り受けた果下馬や様々な書物を与え育ててきた。この乱世では誰もが例外なく厄介事に巻き込まれるだろう。いつも人の中心に居るあの子が巻き込まれないはずがない。
それでも、孫には幸せになってもらいたい。孫の為に昔の友に、上司に助力を請い財を蓄え情報を集める。
戦乱の暗雲は確かに彼方まで迫っていた。