Hatena::ブログ(Diary)

打倒民主 桜組 たいへんだたいへんだ

打倒民主!『桜組』「たいへんだ! たいへんだ!」
「桜組」の活動概要(ホームページTOP)はこちら
http://mid.parfe.jp/kannyo/sakuragumi/top.htm




不適切なコメントは削除します。悪しからずご了承ください。桜組

2011-05-01

知事選勝利までの道のり 

知事選勝利までの道のり 鈴木英敬氏バンザイ

                    津市 松谷祐子 

序章

昨日は、人生最良の朝を迎えさせていただきました。

約40年に渡って続いてきた、日教組お抱え県政に、一応終止符を打つことが出来、感慨無量です。

新知事となるすずき英敬さんとは、約2年前に知り合いました。

彼は安倍政権下、官邸スタッフとして山谷えり子参議のもとで教育再生に取り組んだ後、三重県第二選挙区から、所謂「落下傘候補」として、平成21 年の総選挙出馬しました。しかし、未だかつて無い逆風選挙だったため、惜しくも落選しましたが、臥薪嘗胆で地道な活動を重ねておりました。

初対面の折の英敬さんの印象は、「やたら元気な兄ちゃんやな。よく三重県にきてくれたもんや。頑張って当選してほしいけど、二区では逆立ちしても無理かな。」でした。それほど三重県第二選挙区は、民主党が不動の議席を確保していたのです。

衆院選後から知事選まで、英敬さんは地元で仲間作りを進め、支援者の発掘、支持の拡大に努めておられました。

そして本年2月4日、知事選への出馬表明。

彼の出馬には心底驚きましたが、実は此の度の知事選を目指して、私は昨年秋から密かに準備を進めておりました。

まさか英敬さんが出馬するとは、これっぽっちも想像しておりませんでしたが、結果的には、

僅かでも彼のお役に立てたかも知れないと思うと、真に嬉しい限りです。


参院選での敗北を受けて

昨年夏の参院選は、一昨年の総選挙とは反対に、民主党への逆風が吹きました。政権交代後の一連の不始末に、国民が怒りを感じていたからでしょう。

しかし、我が三重県では逆風は吹かず、自民党候補小野崎耕平さんは落選しました。

当選した芝博一は、参議院の野次将軍と呼ばれていて、日教組のドンである輿石東腰巾着でした。

県議から参院選出馬する際、県議時代には批判しまくっていた三教組に、平身低頭で支持をお願いした芝という男は、許しがたい「大変節漢」です。芝の母校である皇學館大學では、卒業生中ダントツの恥さらしまで言われております。地元での評判も芳しくなく、鈴鹿市の女性県議と不倫の噂まで流布されておりました。その女性県議は、芝との関係が原因で離婚しております。

これほど悪評判の芝ですから、逆風を諸に受けて参院選で落選、晴れて小野崎候補が当選を果たすだろうと、誰もが期待をしておりました。

小野崎さんは福祉政策に詳しく、近い将来、少子高齢化のモデル県になりそうな三重県にとって、国政に送り出す必要がある候補者でした。

私も小野崎さんには、何としても当選していただきたいと思い、支持をお願いに歩く日々でした。

小野崎落選という真に残念な結果を受けて、私はこれまでの後援会頼りの選挙運動だけでは、当選する事が出来ないと痛感しました。一昨年の総選挙の時からその疑問は頭を過ぎり、参院選で確認したのです。

無党派層の支持を得ない限り、得票数は増えないのです。後援会という組織の限界を垣間見たように思いました。

これからは、従来の後援会組織とは違う別動隊で、日頃から選挙を睨んだ活動を展開することが必要だと思いました。

また、候補予定者は選挙の時だけでなく、日常的に街頭で繰り返し演説するとか、ビラのポスティング等で名前の周知や政策提言を行い、無党派層の支持を掘り起こしておくことで、短い選挙戦を有利に闘うことができると思います。得てして落選した候補者は落胆が大きいため、その後の支援者回りもせず、自然消滅してしまうことが多いのですが、その態度も次の選挙につながらないことになってしまいます。

そこで私は、今後の選挙のため、以下の三点に絞って、働き掛けをしようと思いました。

1.次の選挙を想定し、早期に支持者を確保すること。

2.政治に無関心な人に関心を持って貰えるよう、働き掛けを続ける。

3.幅広い人間関係を構築する。

要するに、ノンポリの人と親しくなって、その人が関心を示す話題を通じて、選挙の際に協力して貰えるような人間関係をつくっていくことです。

私は早速、次の選挙戦である統一地方選挙を想定した動きを始めました。

民主党政権となってから、私は「打倒民主 桜組」という組織で定期的に街頭活動をしており、また、地元三重県でも伊勢神宮内宮周辺で定例活動を始めておりました。

その際の演説のなかで必ず、統一地方選挙のことを話題にして、「来る統一地方選挙は、次の総選挙前哨戦」と位置づけ、「日本の国柄や国益を守るのか、守らないのか、既得権益にしがみ付く人を選択し続けるのか、政治家だけに任せていては国を守れない時代が到来した。政治に関心を持ち、日本の将来を憂い、現状を打破することが次世代の最良のプレゼントとなる。」と、繰り返し訴えました。

また街頭だけでなく、友人や知人達にもそのことを提案し、賛同者を増やすことに努めました。

津市市議一名、県議二名も共感してくれ、情報交換することが多くなり、そのなかで得た情報は驚愕させられることもありました。

例えば県議会では、初めに結論ありきで、芝居がかった質疑応答が繰り返されているだけの「馴れ合い」で、議論らしい議論はここ数年行っていないことや、津市議会では市長が無能で、行政は二人の副市長で切り盛りしていること、質問すらまともに出来ない者が市議を務めていることも知りました。

三重県民の血税は、議会議論を尽くさずに使われてきたという事実を改めて知り、真に忸怩たる思いでした。民自相乗り知事選を続けてきたことが、「馴れ合い県政」の大きな原因となっておりました。来る統一地方選では、対立の軸がハッキリした選挙戦で知事を選ばなければならないと考えましたが、現職である野呂昭彦知事は磐石の態勢で、有力な対抗馬が出る可能性は、まったくありませんでした。

当時の私は、度々伊勢の両宮に参拝し、かかる現状を改善することができますようにと、

ただただ祈るのみでした。


天の助けか、不祥事発覚!

祈り続ける毎日を送っていた私に、思わぬ朗報が飛び込んできました。

それは、昨年8月28日の夕方のことでした。

「野呂三重県知事の長男、覚醒剤売り渡しで逮捕!」

昨年の夏は猛暑で、お盆を過ぎても尚、残暑厳しい日が続いておりましたが、この日ばかりは思わず暑さを忘れてしまう程でした。

家族で夕食の膳を囲んでいたとき、そのニュースが流れました。

私は箸を投げ出して、急いで知り合いの県議の携帯に電話をかけました。しかし、県議達は奈良県で開催されていた全国県議会議員親善野球大会に参加中で、その夜は大宴会の真っ最中でした。

電話がつながっても一杯機嫌の県議には、県議会を揺るがす大事件が起こったことを理解できていないようでした。

次に地元の国会議員の秘書に電話をかけ、事の次第を報告し「次の知事選には自民推薦の候補をたてるよう、K代議士に伝えてほしい。まだ選挙までに 7ヶ月あるが、準備は早い方がいい。野呂の続投はないだろうし、後継候補の擁立も阻止して、準備万端で県政を奪還しよう。」と持ちかけました。

その秘書は「これは絶好の機会だ。早速代議士に報告する。その時には全面協力してくれるね?」と、私に念を押しました。

私はかつて自民党員だったのですが、いつまでたっても「自主憲法」を制定するための現実的な動きをしない自民党に腹を立てておりました。また、地元選出のK代議士は、平和ボケ谷垣グループに所属、親中派の筆頭ということもあり、私は地元での政治活動に嫌気がさしてしまい、自民党とは決別しておりました。

しかしこんな時、有力な候補者を出し、資金面でも充実した選挙戦ができるのは、自民党しかないというのが現実です。私はその現実を踏まえて、心中では悔しい限りでしたが、K代議士の力に頼ることにしたのです。

早速K代議士は「野呂知事の辞職を要求し、前倒しで知事選をする。」と、何かと野呂県政贔屓である地元紙に喧嘩を売りに行ってくれました。

県議会も大混乱を来たしましたが、知事の辞職に反対する県議も多く、私の計画通り、任期満了後の知事選となりました。

ただ、肝心の候補者選びに難航し、いろんな名前が出ては消えの繰り返しで、やっぱり知事選に候補者を擁立するのは無理なのかと、関係者の間で諦めムードが生じた時期もありました。

でもその間、私はずっと「次の知事選自民推薦の候補が出るから、県政を刷新するため協力してください。伊勢神宮のお膝元である我が県が、ずっと労働団体主導の県政でいいのか?保守系知事を誕生させて、平成25年の式年遷宮を清々しい気持ちで迎えたい。」と、いろんな人にお願いに歩きました。

理解を示してくれた人、中には無関心な人もいましたが、私に圧倒されたのか「何かわからんけど、知事選は貴方が推す人に投票する。」と約束してくれました。

そして「式年遷宮のお祭りに相応しい保守系の知事を誕生させよう!」というスローガンのもと、候補者が選定されていないにも関らず、私は個人的に知事選の準備を進めました。

県議の中には、自民系のくせに野呂知事の続投三選を支持する者がおり、自前候補の擁立に難色を示し、非協力的でしたが、そこは古株のK代議士が締め付けをしてくれました。

対立する民主党はと言えば、県議会を様子見して、野呂三選の絵図を描こうとしており、こちらも選挙となった場合を想定した候補者選びをしておりませんでした。

平成22年の秋、第二選挙区選出の中川まさはる代議士を擁立しようという動きがあるらしいとの情報を掴みましたが、その後、岡田克也の猛反対で中川擁立は沈んでしまいました。

その間も問題の野呂知事は、出処進退を明らかにすることなく、知事職に就いておりました。

一方、自民党はと言うと、特定の候補の名前が挙がる事すら無く、心細い毎日でしたが、私は一縷の望みを捨てず、グッと堪えて支持者を募って歩くことに専念しました。支持者を募ると言っても、誰が擁立されるかは未定であり、こちらの一方的なお願いにも関らず、協力を約束してくれた方々が多数おられたことは、涙が出るほど有難かったです。

私はこの期間、誰もが変革を願って、県政刷新を思い描いているのだということを改めて思い知りしました。今はまだ候補者が選定されていないけど、そのうち立派な人が名乗りを挙げてくれるだろう、その候補に県民が希望を託してくれれば、必ず民主系候補を討ち破ることが出来るに違いないと確信しました。

また、必勝のための秘策として、共産党知事選の候補者を出させる必要がありました。なぜなら、民主の支持母体である三教組から出る票を喰うのは、共産党の候補者だからです。出来れば民主系候補は、三教組から嫌われている人がよい、そうすれば三教組の票が、かなり共産党へと流れるのです。

それで私は、共産党の俄か支持者となり、同党市議県議に「次の知事選にはそれに相応しい候補を出して、反民主反自民層の受け皿となってほしい。」と、一県民としての意見を届け、知事選挙の協力金として、共産党系の病院に出向き、匿名で一万円、寄付しました。

そうこうしているうちに、11月末には野呂知事が三選不出馬を表明、後継指名もしないと断言しました。

それを受けて、本格的に候補者選びを始めた民主党から、舟橋ひろゆき県議の名前が出ましたが、それは本人が固辞して年明けには消え去り、すぐさま高橋千秋参議院議員の名前が急浮上しました。

私は思わず、ほくそ笑みました。


トントン拍子に事が進む

高橋千秋参議院議員知事選候補として名前が挙がったという情報を得て、私は心の底から喜びました。

(まず、日記をお読みいただいているマイミクさんに、予備知識として、岡田は中井が大嫌いなのです。)

知事選候補には、松田直久津市長を推す一派があるにも関らず、中井蛤衆議院議員がそれに横車を押して、高橋議員を推しているという「裏話」を聞いていたからです。

はじめは松田が有力だったそうですが、高橋の名前が表に出るということは、県内の民主系が二つに割れることを示唆しており、何れが知事選出馬しようが、民主系が知事選で一本化しないことは確定したわけです。

しかも私は、高橋議員知事選出馬できない理由を知っておりましたので、彼は必ず知事選出馬を断るだろうと予想してました。

その頃、すずき英敬さんが知事選出馬に名乗りを挙げられました。私は大変驚きましたが、でもこれまでの動きが彼のためになるかも知れないと思ったら、もっとやる気が出てきました。

私の予想は的中し、高橋は出馬を固辞、かくして松田津市長が知事選出馬することになり、あまりにもトントン拍子に事が進むので、嬉しさを通り越して怖い位でした。

しかも共産党は、私の期待通り、岡野恵美が出馬表明を致しました。

松田が擁立されるなら、三教組の票は少なからず岡野に流れ、僅差であっても英敬さんに

勝ち目が出てきました。


松田、岡野両候補について

知事選候補、すずき英敬さんの対抗馬、民主系松田直久前津市長ですが、その経歴があまりに酷いため、なぜこんな奴が津市長だったのだと、大きな疑問を抱かれるかと思います。

松田は大阪産業大学卒業後、奈良県内で露天のたこ焼き屋をしており、その後郷里である三重県一志郡一志町に戻り、ラーメン店を営んでおりました。

そのラーメン店の経営が思わしくない時、当時衆議院議員だった北川正恭に声を掛けられ、私設秘書となりました。

当時北川は、自民党所属議員だったので、私は北川の本性をよく知っております。現在、早稲田大学院教授で、朝の報道番組にコメンテーターとして出演し、改革派の旗頭のような顔をしている北川正恭ですが、何を隠そう、この男はまさに利権の権化でした。

ゼネコンから裏金を搾り取ることに熱心だった北川は、露天商あがりで裏社会との付き合いがある松田を、秘書とは名ばかりのゼネコン回り専門、ずばり集金係として雇用したのです。

言葉巧みで愛嬌者の松田は、北川の期待通りゼネコンを纏めあげ、その論功行賞として北川の協力支援を受けて県議となりました。

北川の秘書時代、この男には常に悪い噂が付き纏っておりました。

・アジア系外国人に偽装結婚の斡旋をしている。

共済関連の詐欺事件に関って書類送検される。

・知人女性を無理やりラブホに連れ込み、強姦で訴えられるも、金を積んで 示談で済ませた。

・前妻とはDVが原因で離婚。

・失踪した同僚秘書一家は、実は松田が裏社会に手を回して始末した。

・中学生時代、自転車やバイクを常習的に盗んで転売していた。

ざっと書いても以上のような、代議士秘書には相応しくない噂ばかりでした。

やがて親分の北川は新進党に移り、県知事選に転戦、二期八年つとめた後、三重県をトンズラしております。知事就任中は利権を欲しいままにし、ばれそうになったから三選め出馬を諦めたということは、政治に関心を持つ三重県民なら、誰もがよく知るところです。

平成18年、津市が10市町村の大合併を果たし、市長、市議選が行われた際、市長候補に自民系が二人出馬したため、保守票が割れてしまい、松田が「漁夫の利」のような形で当選してしまいました。

元々自民は、K代議士の元秘書という経歴を持つM県議一本でいく予定でした。私もM候補の運動員として召集され、遊説を担当することが決定しておりました。

ところが選挙戦間近になって突然、K代議士から「O市議を市長選に擁立し直すから、今後はOさんの応援を頼む。」と言われました。私としては、Mさんが何らかの事情で出馬出来なくなったため、Oさんが出るのかと思い、Oさんの応援準備を始めたら、Mさんから「A市議に嵌められ、K代議士に掌を返された。しかし市長選には出るから、どうか最後まで応援してほしい。」と懇願されました。

このA市議というのは、自民党市議の最古参で人柄の悪さには定評がありました。口と立ち回りの巧さだけで議席を守っている、誠実さなど欠片もない男でした。

思い悩んだ末、私はMさんの熱意に打たれ、無報酬を承知で応援を引き受けたのですが、残念なことに

松田直久 63,388票

M候補  46,846票

O候補  37,050票

と言う結果となり、松田市長が誕生してしまったのでした。

その4年後の改選では、共産党が岡野恵美候補を擁立するも当然落選、またまた松田は、運よく二選を果たし、自民党に至っては候補者を擁立することすら出来ない体たらくでした。

ここで岡野候補の名が出てきましたので、次は彼女の紹介を致しましょう。

岡野恵美候補は、共産党系病院の看護師出身で合併前は津市議でした。市議引退後は、ジェンダーフリーを提唱する女性団体の役員をしており、いかにも退職教員が好むタイプの候補者でした。

しかも彼女は、昨年の市長選では松田と一騎打ちで戦っており、その折に三教組は、退職教員が中心となった共産党、岡野支持派と、民主系松田を推す執行部が睨み合いになったと聞いております。その遺恨は、約一年後の今も解消されず、知事選でも再燃する様相を呈しておりました。

なぜなら三教組の一部に、北川知事に対する恨みが残っているからなのです。三教組は北川県政時代、「鉛筆年休」という姑息な手法で、勤務時間内に組合活動をしていることが明るみになり、「寄付金」という名目で県に多額の弁済をする破目になっておりました。そのことを逆恨みしている教職員は、北川の秘書だった松田に嫌悪感を持ち続けております。

民主系候補は三教組から嫌われている者、共産党候補は三教組がシンパシーを感じる者をという、

私の願いは叶えられました。


決戦へ

民主系松田直久津市長、共産党岡野恵美、そして我等が鈴木英敬さんと、知事選出馬する三候補が出揃い、決戦のときを待つ日々のなかで、私は素晴らしい情報を手に入れ、有頂天になっておりました。

その素晴らしい情報とは、松田候補に関することでした。しかも入手先は、津市役所関係者でした。

松田候補の経歴が酷いことは前の日記で書きましたが、それらの悪評はあくまで噂話の域を出ず、選挙戦の最中では誹謗中傷、所謂「怪文書」と受け取られがちです。また、発信元は英敬陣営と、有権者からそう思われたら却って不利になります。

しかし新しく得た情報は、その経歴を裏付ける類の内容であり、しかも動かし難い事実なのです。

ではエッヘン、その素晴らしい事実をご披露いたしましょう。

無能な松田市長には、役所内を束ねるO副市長と国とのパイプ役N副市長という二人の補佐役がおりました。

そのうちの一人が我が夫の友人の兄でした。

以下は、夫の友人から聞かされました。

「松田は本当に前科者なんだよ。ニューヨークで飛行機の乗換えを拒否され、ブラジルにある友好都市を訪問することが出来ず、日本に舞い戻ってきたんだ。空港で『私は日本国三重県津市の市長だぞ!』と息巻いても、アメリカにかかったら『それがどうした?ゴーバック!』ってなわけで、一旦帰国後、慌てて今度はカナダ経由で再渡航、三日遅れて現地に入ったんだって。渡航経費は倍以上かかるし、まさか犯罪歴で引っかかったなんて言えないから、市長は急な発病で到着が遅れたと言って誤魔化すのに、兄は随分苦労したんだ。」

友人は「これは誰にも言わないで。極秘で!」と言ってたが、私はすかさず「余分にかかった渡航費用は、市長の自腹ではなく、我々の血税から支出したのだから、極秘になんか出来ない。こんな人を県知事にしたら、海外へ行くたび、税金の無駄遣いになる。あんたがその分の銭を出すのなら誰にも言わないが、そうじゃないのならこのネタは、私が好きに使わせてもらう。気に入らないなら、ネタ元はあんたの兄さんやと言い添えて、県内隈なく言い降らすでぇ。まぁ、心配しなくてもこんな美味い話は、何処からともなく漏れるだろうから、あんただけが悪者になる可能性は1,000%無いわ。」と脅しも入れながら宥めて、流布することを承知してもらいました。

私は本来、心優しい女(?)なのですが、知事選に落選したなら英敬さんは、三重県第二選挙区から衆院選に再出馬することも出来なくなるので、英敬必勝のためなら夫の友人とは言え、こんなおっさんの一人ぐらい、人間関係が壊れてもええわい、「保守系知事誕生」という大義のため、仕方ないとも思いました。

その後この話を広めるため、知人友人のみならず、出会う人すべてに言いふらしました。ネット内で流れている情報より、私がネタ元をバラして話すほうが信憑性があり、聞いた者は皆、驚き、そして必ず「こんな人が知事になったら困る。」と言いました。

私はこの手のネガティブキャンペーンを推し進めるため、英敬さんの選対には決して近付かず、あくまで一般の支援者という立場を保ちつつ、県内遍く喋り歩きました。

またこの情報をすでに知っている者もおり、それらの方々にも協力して貰いながら、「松田候補を県知事にさせない運動」をしました。

そしていよいよ、選挙戦へと突入。

告示の次の日から期日前投票ができるので、私はそれを最大限、有効利用しました。

しかし松田陣営はと言うと、どうも全力で戦っているように思えないのです。ここは敵陣の情報を探る必要があると考え、岡田克也の後援会関係者を訪ね、「今知事選は、民主系であっても県内出身者である松田候補を推そうと思っているのに、何か選対が上手く動けていないように思うが?」と、嘘八百を並べて聞き質しました。

すると、「知事選出馬に難色を示す松チャンを口説き落とすため、落選しても国政選挙で処遇するからと約束したらしい。そしたら岡田先生が中井(蛤)を除外するために利用しようと思ったらしく、中川衆議からの応援をストップさせたみたいだ。だから中井が急に熱心に松チャンを応援し出したんだ。」と内幕を話してくれました。

この岡田の後援会関係者は、大吟醸を手土産に訪ねると心を開いてくれる、私にとっては非常に「好い人」でした。

ここで補足しておきますが、岡田克也中井蛤は仲が悪く、中川衆議とは先の衆院選で英敬さんが負けた相手です。中川は、岡田の数少ない側近です。一時は県知事候補として名前があがりましたが、岡田が側近の中川を手放したくなかったため、中川自身は知事選に色気を出していたにも関らず、擁立話は立ち消えになったという経緯があります。

なぜここまで、岡田が中井を嫌うのか。それは中井が小沢派の筆頭で、無能なくせに小沢の威を借りて威張った態度を取り続けるからです。

「虎の威を借る狐」ならぬ「法螺貝(小沢)の威を借る蛤」です。

また岡田は当初、県議から知事候補を擁立したいと公言しており、その候補とは岡田の秘書だったM谷県議でした。

このM谷県議は、自治大臣を務めたことがある自民党国会議員、山本幸雄の秘書でしたが、山本が政界を引退する際、その地盤を岡田が数億円で買い、その時に地盤とセットでM谷は岡田に引き渡されたのです。

岡田としては、長年自分を支えてくれたM谷を処遇する意味合いもあったのかと思いますが、M谷はぬるま湯のような県議会で鈍らになっていたためか、知事選に関心を示さなかったようです。

政治の世界は一筋縄で行かないのが常套ですが、ここまでややこしい三重県政の

裏側を知れば知るほど、私は益々、必ずや県政を刷新させねばならないと燃えるのでした。

その実現のためなら、例え地獄に堕ちようが本望であると思っておりました。


最終章

彼方此方で松田候補の渡航事件を言い回る日々の中、4月5日にまたまた、英敬さんに有利な情報を得ました。

三重県四日市市にある建設会社から、福島原発事故の対応策としてアームの長い圧送車が派遣されたことは、記憶に新しいと思います。

圧送車派遣の段取りをつけ、経産省を通じて東電に協力の申し入れをしたのが英敬さんだったため、民主党岡田サイドが圧送車の手配を遅延させていたという記事が週刊Pに出ました。

私は早速、週刊Pが書店に並ぶのを待って、その記事を500部、拡大コピーして不特定多数の人に配布して回りました。

記事に目を通した人は皆、「これは酷すぎる。でも鈴木候補ってまだ若いのに、こんなにも人脈があるんだね。」と、民主党岡田サイドへの批判より、英敬さんの実力を評価してくれました。彼には政治家としての実績はありませんが、官僚時代に築いた人脈、またやり遂げた仕事が実績として評価に値するんだと気付いた私は、直ちにそれを有権者に知らせなければならないと思いました。

そしてこの記事を配布する傍ら、ハーゲンダッツのグリーンティーアイスを「これはすずき英敬候補が経済産業省官僚時代、ハーゲンダッツ社に日本の緑茶を売り込んで製品化されたものですよ。アイスクリームの濃厚な甘さが緑茶で緩和され、非常に口当たりのよい味になってます。ぜひ食べてみてください。三重県には多くの特産物がありますが、すずき英敬が知事にならせていただいたら、きっと東国原さん以上にそれらを海外に売り込んでくれると太鼓判を押します。」と、知り合いの中の「無党派」の人に紹介して歩きました。

それらの人も皆、「へぇ〜、鈴木さんってたいしたもんだね。何か期待が持てるなぁ。」と言ってくれました。その言葉を受けて私は、「では、ご家族揃って期日前投票に言って欲しい。」と頼みまくりました。

また、昨年の秋から知事選のために支持者拡大に努めてきた甲斐あって、共感、賛同してくれた人が皆、期日前投票を済ませたうえ、支持の拡大にも協力してくれました。大部分の人が、所謂「無党派」で、政治に関心が低く、自民民主の違いもよくわからないような人たちでしたが、英敬さんの若く溌剌とした印象に好感を持ってくれたようでした。

自民党本部も大物議員を続々と応援に寄越してくれました。しかしこれには、少なからずデメリットもありました。

英敬さんは「しがらみのない県政」と訴えていたのに、自民とのしがらみを有権者に連想させるからです。早速、相手陣営は「すずき候補は自民とのしがらみだらけだ!」と突いてきました。

どうせなら、小泉進次郎さんを投入してもらって、「はいはい、それが何か?」という開き直りをする方が得策かと考え、自民党三重県連では埒があかないと、直接党本部に直訴したり、これまで献金をしてきた国会議員の先生がたに電話やメールでお願いしました。4月5日の夜遅く、現在要職に就いている衆議院議員、Aさんから「独自の世論調査で、すずき候補が相手候補と並んで、追い抜く勢いだ。一気に勝ち抜くため、こっちも頑張るからもう一押しの運動を!」と連絡を貰いました。そしてその翌日の夜、地元のK代議士秘書から「最終日に進次郎さんが来ることになった。」と連絡がありました。

現在の自民党で、進次郎さんはまさに最終兵器なのです。その効果にケチがつかないように、勝ち目のない候補の応援には出さないのです。

英敬さんが有利な選挙戦を展開していること、このまま突き進めば当選間違い無しと確信しました。

そこで7日からは、常に勝ち馬に乗りたがるタイプには「英敬は必ず勝つ!」と断言し、「県政に新しい風を送り込むお手伝いをしてほしい。」と頼み、情の深いタイプには「この知事選で負けたら、英敬は政治家への道が断たれてしまう。有能な若者を朽ちさせることのないよう助けてやってほしい。」と、支援の頼みかたを二通りに分けました。

そして迎えた、4月10日。

午前中一杯、松田候補の落選運動に歩き、午後から内宮に行き、正宮と荒御魂に参拝、月読宮四社にも、英敬必勝を祈念しました。

伊勢からの帰途、津市長選に出馬予定のSさんの後援会事務所に寄り、少しお手伝いをしていると、顔見知りのNHKの記者と遭遇しました。

その記者は私に「これはまだ言えないことですが、出口調査ですずきさんが優勢らしいです。」と耳打ちしてくれました。

更に当選を確信しましたが、誰にも余計なことは言わず、夜になって帰宅、いつも通り晩酌をしながら家族で開票速報を見ておりました。

私は常に、開票日には選挙事務所に行きません。

なぜなら、この日に屯しているのは、それほど熱心に運動してなかった人が大半だからです。当選し、首長議員になった人に「自分は熱心に運動したぞ!」と誇示し、その後何らかの利権のお零れに与ろうとする人が多いので、そんな人々が醸し出す雰囲気の中に居ると、無性に腹立たしくなってきて、ストレスが溜まるのです。

支持する候補の応援や運動をするのは、国や県、市町をよりよくするためのはずです。何某かの目論見があっての支援なら、それは支援とは名ばかりの「便乗」です。私は、有権者がそんな卑しい考えを持つ事こそが、政治を歪めている大きな原因だと考えているので、自分が候補者のしがらみ的存在にならないよう、選挙戦が終わったら、あまり選挙事務所に顔を出さないようにしております。

開票速報を見ながら、ネットでNHKのホームページを開けておりましたら、11時半よりも早く、英敬さんに待望の「当確」マークが出ました。

これまでの約二ヶ月間を振り返って感無量でしたが、もうこの時点から次の選挙が待っているのです。私はすぐさま、深夜の電話がOKの知人や友人に電話をかけ、御礼と引き続きの支援もお願いしました。また、他府県の同志の皆さんからお祝いの電話もいただき、この夜は深夜三時過ぎになって、やっと就寝しました。

選挙戦は初陣を飾れましたが、英敬さんにとって、これからが本当の闘いなのです。周囲を敵に囲まれ、特に三重県の場合は保守系県議でさえ、何時寝返るかわからない状況の中、英敬さんは「針の蓆」に座っての県政運営になります。特に知事は、県庁のトップ、県民のリーダーですから、部下の批判、愚痴は溢せません。きっと、県職員や県議たちは手薬煉引いて待ちうけていることでしょう。

私は今後も後方支援につとめ、場合によっては援護射撃も必要となってくることを想定し、日本会議三重など県内の保守団体挙げて、知事の公約実現に寄与できる運動を起こしていかねばなりません。

いの一番に、児童、生徒の学力向上のため、学力テストの全県実施やその結果の公表を求める運動など、三教組が横車を押しそうなことから着手したいと思っております。

英敬さんが知事として、県民に敬愛され、県職員や県議に一目置かれるようになるまで、

まだまだ私の応援運動は続きます。

スパム対策のためのダミーです。もし見えても何も入力しないでください
ゲスト


画像認証

トラックバック - http://d.hatena.ne.jp/M5931/20110501/1304259083