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終戦直前、広島・長崎に原子力爆弾が投下された。 日本は、世界で唯一の被爆国だ。 その日本で、原発が商用運転を始めたのは、 高度経済成長期の昭和41年。次いで…。
昭和45年。大阪万博が開幕。 これにあわせてか稼働し、万博会場に送電したのが、 日本原電の敦賀原発一号機だ。現存する最も古い原発だ。 そして、現在。日本国内の原発は、54基となり、 電力の3割を賄うまでになった。 だが、その代償は、あまりにも大きかった。 レベル7の福島第一原発事故。多大な危険性をはらんだ 原発に、なぜ日本が、依存を深めていったのか!?
(独立総研社長・原子力委員会専門委員 青山繁晴氏) 「これが福島第一原発の正門です」
これは、今月22日、原子力委員会専門委員の 青山繁晴氏が撮影した福島第一原発の敷地内の映像だ。 原子炉建屋に向かう道路には、桜が…。 そして、見えてきたのが…
(東電) 「正面の建屋が2号機。2号機は爆発していませんので… 右手に3号機…」
つづいて…
(青山氏) 「これが4号機。建屋の損傷が激しい」 (東電) 「右に赤いペンキを塗った機械を置いています。 あれで使用済み燃料プールに水を注入する作業に使っています」 青山氏は、車を降りた。
(青山氏) 「4号機の建屋の前です。線量が高いですから、早く車に 戻らなければいけません」
爆発の激しさを物語る、建屋の惨状…。 しかし、これ以上に、青山氏が、衝撃を受けたのが・・・
(東電) 「海が見えてきました」
津波をまともにうけた、海側。フェンスが、なぎ倒されていた。 そして、原子炉側にカメラを向けると…
(東電・青山氏) 「津波の破壊力がそのまま残っている」 「破壊されたクレーンや、トラックの残骸が ささっている…」 現在も、汚染水と戦いながら、 冷却作業が続けられている福島第一原発。
(独立総研社長・原子力委員会専門委員 青山繁晴氏) 「それが津波というよりは、 無差別の軍事攻撃を受けたかのような状況になっているのは胸が潰れる思い。 ただし現場は先入観を裏切るもので、 想像していた以上に作業の環境としては落ち着いていました」
現在、福島第一原発から半径20キロ圏内は、「警戒区域」として、 立ち入りが禁止されている。
(立ち入り禁止前・大熊町の住民) 「うわー!すごい数だ!みんな牛放したんだね!」 避難して住民が消えた町では、家畜が、野生化していた。
(24日 福島県会見) 「所有者の確認が取れる場合には、殺処分する」
福島県は今週から、警戒区域内にいる家畜の調査を開始。 住民たちが、元の生活に戻れるのはいつなのか…? 原発の持つ多大なリスクを見せ付けた、今回の事故。 福島第一原発が運転を開始したのは、昭和46年。 国内に現存する原発では3番目に古い。 そして、その直後、日本をオイルショックが襲った。 世は高度成長期。電力の需要はうなぎのぼりだった。 資源の少ない日本で、石油が輸入できなくなったら…。 これが、大きな転換点になったという。
(一橋大学 大学院商学研究科 橘川武郎教授 エネルギー産業論) 「石油危機の頃に、一番原子力を必要としたのは、 石油がでは、手に入らないけれど、ウランは輸入した後 何年も使える、エネルギーを確保するという意味で必要」 原発の燃料はウラン。このウランわずか1グラムで 石油2千リットルと同じ熱エネルギーを作ることが出来るという。
(一橋大学 大学院商学研究科 橘川武郎教授 エネルギー産業論) 「これだけ資源が小さい国でなぜ、経済成長が出来たかというと、 いろんなエネルギーの選択肢を持っていて、原子力はそのなかの重要な選択肢」 エネルギー源としてだけではなく、原発には、 建設地にもメリットがあった。三重県南伊勢地方では、 原発誘致をめぐり、37年に渡って、住民同士の壮絶な戦いが繰り広げられた。 昭和38年。当時、陸の孤島と呼ばれていた、この漁業の町を、 中部電力は、原発候補地に選んだ。 最終的には、芦浜地区に絞られ、中部電力は、 学校を建てるための費用を寄付したり、住民のための施設を 建設するなど、多額のお金を投入。町民のなかには、 原発を歓迎する「推進派」が増えていった
(Q(原発が来て欲しい気持ちあった?) (地元の推進派の住民) 「あった。豊かになるし、雇用も増える。」 一方、地元の漁師らは、計画当初から原発誘致に大反対。 90年代に入ると、住民同士の対立が激化。友人・知人は おろか親子でさえも推進派と、反対派に分裂した。 町の取材を続けてきたジャーナリストの北村博司さんは、 当時の様子をこう語る。 (ジャーナリスト 三重・紀北町議会議員 北村博司氏) 「あいつは賛成者、あいつは反対者という言い方をする。 町を自転車で走っていると、後ろから車で来て 急ブレーキをかけて脅すとか…。寿司とか 注文していないものが大量に届いたり… お互いが疑心暗鬼。 普通の地域社会が完全に破壊されていました」
99年に、東海村のJCOで臨界事故が発生。 これをきっかけに、30年にわたった対立の情勢は大きく変わった。
(三重県 北川正恭知事 2000年2月当時) 「芦浜は白紙撤回」
2000年2月に、三重県は原発誘致を撤回した。 しかし、地元では、今でもこんな声が…。
(地元の推進派の住民) 「(原発は)怖いのと嬉しいのと半々。 活性化になっていたかも分からん。 今、高校生は学校出ると他に行く。過疎化になって誰もいない。」
この町のように、住民の反対で、 原発の計画が中止される例は多くない。 なぜか?
(九州大学 吉岡斉副学長・科学技術史) 「原子力に慎重な政党が選挙で勝つとことがなくて、 自民党が長期安定政権を続けてきた。 経済産業省と電力業界とメーカー、地方自治体とかが 一定のペースで原発を造り続けるということに利益を見出していった。」
脱原発世論が高まるなか、中部電力はおととい、 点検中の、静岡県の浜岡原発3号機を、7月から再稼働することを 示唆した。浜岡原発は、東海地震の想定震源域に立地していて、 安全性の問題が指摘されている。 日本はどこへ向かっているのか!?
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