編集長日誌〜本の御しるし
★編集長日誌21★
4月1日(金曜日)
三省堂すずらん通り側の一角に喫煙スペースが設けられていたが、本日から閉鎖されロープが張られていた。千代田区は路上喫煙禁止で見つかると罰金が科せられる。小社の入っている近くだと、隣接ビル横の自動販売機置き場が喫煙スペースになっていて朝や昼休みには大勢のサラリーマンが忙しそうにタバコを吸っている。御茶ノ水駅前のビルの陰になった小さな公園も喫煙が許されているようで、朝など沢山な人がいる。この公園は、スガシカオの名曲「夜空の向こうに」が生まれた所らしい。彼は駿河台予備校の生徒だったのだ。いずれにしてもますます愛煙家には厳しい環境となってきた。
私は煙草を止めて三十年以上になる。喫煙していたのは五年くらいだが、相当なヘビースモーカーであった。今は煙草の煙に耐えられないほど嫌いであるが愛煙家の気持ちは良く分かる。加藤楸邨に『沙漠の鶴』という、戦時中に経験した西域や満洲を含む中国大陸の旅行記がある。改造社からの依嘱による中国旅行で土屋文明なども同行した。芭蕉に深く心を寄せる楸邨自身、漂泊への志向の強い俳人で、昔から憧れていた中国西域を直に触れることで、俳句に新境地を開きたいという思いの旅行であった。旅中に東条内閣が倒れ、また雑誌「改造」「中央公論」が休刊に追い込まれるなど戦況は悪化、身に危険のともなう旅行でもあった。その紀行の中でも最大のクライマックスは、ゴビ砂漠で自動車が湿地帯にのめり込んで動けなくなり、星だけが輝く夜中の砂漠を30キロ近くも歩くことになるシーンだろう。歩き疲れ皆で煙草を吸うのだが、その時、突然思ってもいなかった深層に潜む一つの憧憬が浮び、人間の心というものは、考えられたそれとは違った層を持つことに気づいたという。ここは煙草でなければ味が出ない。それにしても安全な旅行では体験できない、漂泊する者を捉える旅の魅力だろう。やがて目的地トフミン廟に着き、また不思議な体験をするのだが、そこで詠まれた句が、書名の由来となった、
ゴビの鶴夕焼の脚垂れて翔く
という、日本の日常にいては決して生まれない名句なのだ。戦時中の旅行記だが、戦後改めて刊行した楸邨の思いは分かる気がする。
4月4日(月曜日)
小社の折付が、福島に取材出張中なので、本日は私一人だ。小人閑居して不善をなすというが、校了前だから一人でもちゃんと忙しく仕事をした。
当社の社長八木壮一が「出版ニュース」四月上旬号に「バーゲンブックの新しい流れ」という文章を寄稿している。アメリカのバーゲンブック事情を紹介しながら、日本における過去のバーゲンブック史と、毎年の新刊部数に匹敵する不良在庫の効果的流通のために、一段の流通機構の整理と宣伝が必要であるという論旨で非常に分かり易い。バーゲンブックのことは、中古本との混同など古本よりも一般には理解が難しい点があるのだ。八木は、バーゲンブックは二次流通、古本・新古書は三次流通として認識すべきだと説いている。「出版ニュース」は図書館には大抵置いてあるので一読をお勧めしたい。
一人ではあるが、やはり昼休みは神保町古書街を覗いた。病気のようなもので、安い本だが6冊も買った。中に、鹿野忠雄の『山と雲と蕃人と』(中央公論社・昭和16)がある。箱入りで本もきれいだが、三冊500円コーナーにあった。確か所持している筈だが、状態が良いからまた買った。かつて古書価が高かった本が今はタダのような値段で売られている。古書の相場というものが今もあるとすれば、川島幸希さんがいつも紹介してくれているような超稀少本の世界だけかもしれない。それも出現すれば相場を越えて希望者は万金を積むという、相場があるような、ないような話で、要は高く売る力のある店と、欲しい本なら金額は厭わないという客が存在する一方で、古書を求める人が減少しているから、そこそこの古本では古書価がどんどん値下がりしているのだろう。なら今が買い時かといえば、それは将来また高くなるという前提の話になるので、買い時というわけではない。時間と手間さえ惜しまなければ必要な本はいつでも安く手に入る時代なのだ。全集や揃い物の相場に詳しい文泉堂書店の小西さんと偶に話すと、あの全集の何巻と何巻はキキメなんだよと教えてくれる。確かに欠があると二千円の最低入札金額にもならない全集が、揃いだと結構な高額で売られているケースはままあるのだが。売れるかといえば別の話だ。
ともかく、こんな本があったのかという驚き。調べていて謎の部分を解明してくれるような雑誌や資料などとの出会いがたまらないのだという人種には、古本の面白さはあまり金額とは以前から関係がない。『山と雲と蕃人と』と一緒に買った本に、古代仏教史研究の古田紹欽さんの句集『古田紹欽二五〇句』(永田書房)は、意外な人物の句集歌集を集めている私には鹿野の本より嬉しい収穫なのである。すごく俳句が上手い、気高い句を詠まれているかといえば、どうもそうではないような気がするが、「痩せて咲くこの花一輪春はゆく」は心に響いた。
4月5日(火曜日)
福島の取材から折付が無事戻った。白河市の老舗新刊書店金子書店と須賀川市の古書ふみくらさん、いわき市の岡田書店さんと直接合ってお話しを聞いてきた。福島県の古書店に人的被害はなかったが、何軒営業できているかは現地でもはっきりとは掴めていないようだ。新刊の金子書店さんも営業はしているが、新刊の入荷は三月末まではなかったそうで、厳しい状況だ。五月号で詳しくお伝えする予定にしている。
会津八一の『自註鹿鳴集』を読んでいたら、「震餘」と題された章があった。大正十二年の関東大震災に際しての歌八首に自註している。以前も読んだ筈だが忘れていた。震災で蔵書を焼失して悲嘆にくれている友人山口剛に贈った歌は「うつくし き ほのほ に ふみ は もえ はて て ひと むくつけく のこり けらし も」。自註は「作者ことさらに諧謔の語を以て一首を成して贈る。意はむしろ倶に啼かんとすなり」とある。東北地方の読者へ配達不能で戻ってきた3月号に見舞い状と返信葉書を入れてお送りしたところ、50通ほどのお便りが帰ってきている。現在のところ、津波で蔵書を失ったという内容の返事はないが、むしろ返信のない方々が心配である。「震餘」からもう一首引用したい。「あたらしき まち の ちまた の のき の は に かがよふ はる を いつ と か またむ」。せめて被災地に暖かな春の日が続くことを願っている。
4月6日(水曜日)
明治大学のフランス語の先生で、古書マニアでもある久松健一さんの本を出させて頂くことになり、本日はその原稿を一日かけて読んだ。題名は「書物奇縁」で本誌に連載されたものが三分の一を占めるが、題名通り「奇縁」に満ちた面白い本である。五月の末には刊行の予定だ。
資料会を昼休みに覗くと、柴田武著『糸魚川言語地図』(秋山書店)上巻、中巻二冊が出ていて封筒が膨らんでいた。入札が多いところをみると、下巻は未刊なのかと事務所に帰って調べるとそんなことはなくて、下巻もちゃんと出ている。不揃いだと入札のない本が多いが、例外もある。日本の古本屋でも揃いはかなり高額で二十万を超えている。バラでも一冊三万円であった。三巻だが十三分冊で大きな本だ。一九八八年の完結だが、現在の出版界では無理な企画だ。バブル期の出版ではあるが、画集と違って高い評価を受けている。
小塩節さんの『木々との語らい』(青蛾書房)は木々の写真の美しい本だが、「マグノリア(木蓮)」の章に十数メートルも直立して茂るハクモクレンに比べ、シモクレン(紫木蓮)は、直立する主幹もなく五メートルほどにしかならないとある。なるほど、確かに白の木蓮は大木が多いが、紫の木蓮は背が低い。花の色が違うだけではないのだ。知らないことの何と多いことか。
4月7日(木曜日)
水戸線がようやく復旧した。往復26キロの自転車通勤は都合七回、終わってみると少し寂しい気もする。
本誌でも二回ほどお話を伺った出版・新刊書店事情に詳しい星野渉さんが主幹を務める「文化通信」が、先日「東北地方太平洋沖地震被災者応援メッセージ」という企画を提案されたので協力することにして簡単なメッセージを送った。その掲載紙が届いた。掲載料は全て義援金に回されるという。新刊書店が主な読者かと思うが、被災地の現状はどうなのだろうか。それでなくても地方の新刊書店の現状は厳しい。利用者も今は読書どころではないだろうし、前途は多難だ。しかし、なんとしても書店は文化の燈だ、再興を願いたい。その「文化通信」の記事によると、震災に対応するため出版業界で発足した出版三団体の震災出版対策本部と、取次、書店の団体も加わった連絡協議会により、復興にむけた基金の創設や、ホームページによる情報提供、義援金や図書寄贈の呼びかけなどが考えられているようだ。被災地の小学生向けの特製図書カードの作成などという案もあるらしい。結構なことである。古書業界は何かするのだろうか。
4月8日(金曜日)
昨夜も大きな地震で肝を冷やした。いつになったら落着くのだろう。本日、気仙沼の読者から再送した3月号が着いたという葉書が届いた。お宅が高台にあり助かったとのことだ。三陸の港町が復興するとき、どんな町が出来ていくのだろう。漁港には必ず海難を除ける水神さまが祀られた神社があり祭礼がある。そうした民俗的、つまり無形文化財はどのように保持伝承されていくのだろう。町ごとの特色もあったろう。それが統一的などこも同じような町になっていったら寂しいことだが、災害に強い町でなくては駄目だ。
来週は十三日と十四日に名古屋で、全古書連の大市がある。総会開催を記念した名古屋古書組合の大市だが、目録が届いていてB5判20ページとやや寂しい。中に夏目漱石の中川芳太郎宛葉書が一通でている。「猫を三重吉君に送って下さい。僕は猫を二十二部もらった。金はまだ一文ももらわない。近来来客に食傷して人が嫌になったから当分きてはいけません。手紙はいくらでも頂戴」という文面で、日付も明治38年10月11日とあり、消印も二つある。中川は三重吉を漱石に紹介した英文学者だ。全集にも収録されている。これなどは相当な金額になるだろうが、あとはカストリ雑誌950冊というのもあり、内容次第では高くなりそうだが、全体に驚くようなものはなさそうだ。
えびな書店、稲垣書店、古書かんたんむさんとインタビューしてきたシリーズの四回目は本郷の森井書店さんを予定している。大きな商売をされる方だ、ご期待いただきたい。
4月11日(月曜日)
大東急記念文庫の機関雑誌「かがみ」41号が届いた。巻頭の論文は田中善信さんの「芭蕉の学力」で、自筆本「奥の細道」真偽の「偽」の方の論拠になっている、「自筆本」には「芭蕉が犯すとは考えられないような誤字・誤記が多い」という点を、芭蕉の学力、殊に漢文学の教養はさほどでもなかった、だから自筆本に誤記・誤字があるのは何ら不思議ではないという論旨である。いかに教養が高かったかを論じる文章は多いが、あるものの正当性を論証するために逆を論じるというのは珍しい論文かと思う。おそらく芭蕉の書き残したものからこの論とは逆に、いかに教養があったかを論証することも可能なのではないかと素人なりに思った。それよりも、当時は当て字が多かったとするならば、問題は誤字・誤記の問題ではなく、ある事例への理解の深さで教養は測られるのではないかとも感じたがどうだろう。編集後記で長谷川強さんは「従来出典によって作者の教養を忖度していたが、典拠によるべきことを、芭蕉の実際によって述べられた。実際に考える場合、判断に迷うことも多いが、心すべきことであろう」とある。勿論、正しいといわれることを疑って見ることはとても大切なことだとは思う。
4月12日(火曜日)
昨夕は、図書館サポートフォーラム賞の授賞式があった。旧知の飯澤文夫さんが、地方史文献目録の業績を評価され受賞、私も招待されたのである。会場は、古書会館が建設中に即売会の会場として一時借りていた一ツ橋の日本教育会館九階。授賞式の最中に、昨夕の地震が起きた。九階なのでゆらゆら大きく揺れて驚かされた。参会者は一時、外のフロアーに避難待機させられたが、無事最後まで済ませることができてともかくも良かった。
飯澤さんの『地方史文献年鑑』を刊行している、岩田書院の岩田博さん(四月号から本誌で連載)、元都立中央図書館司書の稲岡勝さん、日外アソシエーツ社の大高社長や編集部の山下浩さんなど旧知の方もいて楽しかった。
今回の受賞者の中に、法務省図書館で約二万点の未整理図書を退職後にほぼ手弁当で目録化された高山京子さんという女性がいた。その16分冊の目録も展示されていて拝見したが見事なもので、こうしたものがボランタリーな仕事によってしか成り立たない事情というのも考えさせられた。それにしても今回の余震いつまで続くのだろう。
今度お話を伺うことになっている森井書店さんの目録が届いた。草稿特集で分厚いわけではないがなかなか豪華な内容だ。驚いたことに、草稿類の大半がプラトン社の雑誌「女性」用の原稿である。一括して古書市場に出たものであろうか。
4月13日(水曜日)
地震さえなければ、今日は本当に良い春の日だ。初夏を思わせるほど気温も高い。
京都ノートルダム女子大学人間文化研究科の岡村敬二教授が企画、3月29日から4月12日まで開催された展示会「終戦時新京 蔵書の行方」の図録が送られてきた。昨年は「満洲の図書館」というテーマで開催され同じく図録が刊行されている。共に希望者には送料負担で謹呈してくれるそうだ(二冊で290円・606−0847京都市左京区下鴨南野々神1 京都ノートルダム女子大学人間文化研究科)。興味のあるかたには参考となろう。岡村氏はこのテーマを一貫して追求しておられ、2006年には300頁にも及ぶ研究『日満文化協会の歴史−草創期を中心に』を刊行しておられる。
先日読んだ、加藤楸邨の『沙漠の鶴』に描かれている戦時中の中国の地方都市、殊に西域などの人々の暮しは、本当に共産党による革命が必要であったのかと思うほど、長閑で平和だ。一方で上海では路傍で餓死した人間のことや、それとはっきりは書いていないが日本に強制連行される人々の様子も出ているから、大都市部や地主が強大な力を持った農村では社会矛盾は苛烈を極めていたのかもしれないが、本当に全てが酷かったかというとそうでもなかったのかもしれない。むしろ、日本と国民党、共産党三つ巴の戦争、それにアメリカ軍までからんだ戦争が一般人民にとってはもっとも迷惑であったのではないか。どうも戦時中にも関わらず、日本人が南京や重慶を旅行し、そこにアメリカ軍による空襲があるという、戦争の構図自体が不思議でならない。太平洋戦争のように日米両軍が激しく対峙する全面総力戦争とは様相が違う。満洲にしても、日本の傀儡国家であったことは確かだが、文化面で日本人が寄与した点があることも確かで、何事も多面的な様相を持っているのだろう。岡村教授の今回の資料でも、まだ詳しくは拝見していないが、日中両国の心ある人々の協力で中国に残され利用された蔵書がある一方で、終戦間際のソ連満洲侵入で、日本人の蔵書などが焼かれた事実もあるようだ。
4月14日(木曜日)
本日も穏やかな春日だ。古本海ねこさんの目録第三号が届いた。B5判、214頁の堂々たる目録。先日の書肆つづらやさんの目録といい、女性古書店主の頑張りが凄い。海ねこさんの目録は絵本専門だ。日本の戦前戦中を含め、ロシアの資料まで幅広く目配りされている。古書市場でも熱心に入札されている姿を見かけるけれど、絞られた分野だけに大変な苦労があるだろうと思う。ただこれまで二回の目録の実績で、徐々に買い物もあるとのことだから結構なことだ。持続こそ力である。中に、トッパンの人形絵本、トッパンのキンダー絵本、トッパンの木馬座絵本というのがあるが、昭和二十年代末から三十年代にかけてのもので、私などは懐かしい。殊に「ぶーふーうー」シリーズなどは、現在に続くNHK「おかあさんといっしょ」の最初のシリーズで黒柳徹子さんが声優をしていた。着ぐるみと指人形による二通りがあったと記憶するが、その絵本版だ。初代歌のおねえさんは、ネットで調べると真理ヨシエとある。確か丸顔の女性だ。体操のお兄さんは砂川啓介で、ドラえもんの声優大山のぶよさんの旦那さん。木馬座は影絵が有名だが絵本は人形劇の方だ。藤城清治構成・文とある。藤城が木馬座の歴史を書いた本を確か持っていたと思う。目録最後の方に、ロシアの幼年雑誌「ムルジルカ」というのが出ている。1924年5月創刊で現在まで一度も途絶えることなく刊行されているとのことだ。児童書というのは美術の先端を取り入れていることが多い。その意味でもこの雑誌など美術史上も重要な資料だろう。
都立中央図書館におられた吉田昭子さんから、「東京市立日比谷図書館構想と設立経過:論議から開館まで」「加茂市立図書館坪谷善四郎関係資料とその意義」という論文抜刷を送られた。現在は慶応義塾大学院博士課程に通われているとのことで、都立中央図書館関係の研究を続けたいとのことだ。誠に女性のたくましさが目立つ昨今である。
4月15日(金曜日)
三ヶ月連載してもらった笠間書院の岡田君に僅かながら謝礼を渡したら、古書通信社さんでは原稿料はどういう風にされているのかと聞かれた。余りに少なくて不満だったのではなく、編集者なら誰もこの問題に悩むのだ。他社ではどうしているか気になるのだ。出来るなら沢山支払いたいと誰でも思うが、現実には難しい。かといって、終戦後に青山寅之助が新生社を起こし、高額な原稿料で著名作家の原稿をかき集めたのに憧れるかといえばそうでもない。著者の苦労に報いる妥当な金額を支払いたいのだが、妥当の基準はないし、応じられもしない。本誌の場合、以前に較べて目録頁が減少(激減か)し、本文は一番頁数が多かった時期と同じか少し多いくらいになっている。早い話が収入と支出のバランスが逆転してしまった分、原稿料は抑えるか、誠に心苦しいけれども低下させざるを得ない現状なのである。「誠に些少で申し訳ないのですが」という常套句を、謙遜ではなく実情として使っている。出来るのはせめてお支払いを遅らせないことくらいなのだ。執筆者の皆さんには本当に申し訳ないと思っている。
昔むかし、庄司浅水さんが来社されて、「君、日本経済新聞に掲載された広告に文章を書いたけれど原稿料が高いので驚いたよ」と嬉しそうに言われことがある。新聞の原稿料は発行部数が多いから確かに高いが、広告中の文章はさらに高いのは納得できる。一方で、新聞の取材記事には相手への謝礼はない。著名人でないかぎり週刊誌も同じだ。現在はプロダクションなど外部委託の記事が多いからそうなのか昔からそなのかそれは分からない。
明治古典会に「マヴォ染織図案集」というのが出ていた。吉田謙吉、村山知義など四作家の図案集で、京都の高野敏郎という方の昭和二年の出版だ。高いだろう。