5月末は「日本側の目標」=普天間決着先送り論に米高官
4月6日8時4分配信 時事通信
米政府はこれまで、5月末までに決着しなければ「多方面に悪影響が出る」(キャンベル国務次官補)などと警告してきた経緯があり、トーンダウンさせた形だ。
投稿者: みるる : 2010年4月6日
4月6日8時4分配信 時事通信
投稿者: みるる : 2010年4月6日
4月6日7時41分配信 時事通信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100406-00000018-jij-int
投稿者: みるる : 2010年4月6日
4月6日7時41分配信 時事通信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100406-00000018-jij-int
投稿者: みるる : 2010年4月6日
4月5日20時2分配信 J-CASTニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100405-00000004-jct-soci
ブログでも紹介の書き込み |
子ども手当について、在日外国人が母国にいる養子などを多数申請するのではと、ネット上で疑念が広がっている。神奈川県川崎市のある区役所ではアジア系の人が590人分の支給を受けるとの書き込みまであった。しかし、この区役所では、「まったくのデマ」と否定している。
590人分支給の書き込みがあったのは、2ちゃんねるのスレッド上で2010年4月3日朝のことだった。
「川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてた アジア系の人いた さすがに別室に連れてかれてた どうなったんだろう」
■川崎市高津区役所、問い合わせは数十件も
4月1日から申請手続きが始まった子ども手当では、母国に子どもがいる在日外国人でも、要件を満たせば支給が受けられる。子どもは、養子でも婚外子でもOKだ。これが、一部報道やネット上で、たくさん養子を作るなどしてどんどん税金が国外に持ち出されるのでは、との危惧になっている。
高津区役所のケースは、それを現実に見たというのだ。
2ちゃんでは、極端な人数のため疑問視する声が出たが、書き込んだ人は、それを否定。段ボール箱の半分ぐらいになった書類を窓口に置いて、「ショルイアリマス」と流ちょうな日本語で言っていたという。さらに、最初の書き込みから2時間後には、区役所の人に聞いたところ、手続きは順調に終了したと聞いたと報告。困った顔だったとしたものの、即日の審査で支給が成立したらしいと明かした。
これらの書き込みは、ブログにも取り上げられて、ネット上で波紋を呼んだ。これに対し、高津区役所のこども家庭課では、アジア系の人の訪問そのものも含めて「まったくのデマです」と否定した。何件も問い合わせがあったといい、困惑している様子だった。
ただ、母国に子どもがいる外国人からは、問い合わせはあるという。3月下旬には、国籍不明の女性が「国に帰ると養子がいるんですが」と電話で聞いてきた。また、外国人を雇っている会社や、中国、フィリピンなどの人から4月に入って、申請書類などの問い合わせが数十件あったという。
■「通常業務と変わらない」が多く
母国に子どもがいるケースを巡っては、一部報道で、区役所や市役所などの窓口に外国人が連日訪れ、「子どもがいればお金がもらえると聞いた」などと言って職員を困らせていると混乱ぶりが伝えられた。また、2ちゃんねるでは、母国に戻って、身寄りのない16歳以下の子ども870人と養子縁組した書類を役人に作ってもらった、こうした人がすでに数人いた、といった書き込みもある。
もし、590人や870人といった数になると、子ども手当が年間1億円前後も支給されることになってしまう。こうした極端なケースがあるかは疑問だとしても、母国に子どもがいる外国人から、問い合わせや申請が殺到しているのか。
川崎市高津区役所には、問い合わせがいくつかあるようだが、ほかで聞くと、どこも通常業務とさほど変わらないとの回答だった。
テレビ番組でネパール人男性の申請が報じられた東京・豊島区役所では、中国やネパールの人などから数件問い合わせがあった。しかし、「母国に子どもがいるケースは、児童手当の制度でも当てはまります。それに比べて、特に問い合わせが増えたり外国人が押し寄せたりしていることはありません。うちでは、養子などの問い合わせは、まったくないです」と言う。
一部報道にあった東京・荒川区役所や埼玉県川口市役所でも、問い合わせは数件しかなく、混み合ってもいないという。児童手当の通常業務時と変わらないとしている。荒川区役所では、該当のケースで申請があったのは中国人1人だけだそうだ。
もっとも、申請が始まったばかりで、様子見をしている可能性もある。ブローカーの暗躍といった危険性が指摘されており、不正受給については今後も十分な警戒が必要のようだ。
投稿者: みるる : 2010年4月6日
4月5日20時2分配信 J-CASTニュースhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100405-00000004-jct-soci
ブログでも紹介の書き込み |
子ども手当について、在日外国人が母国にいる養子などを多数申請するのではと、ネット上で疑念が広がっている。神奈川県川崎市のある区役所ではアジア系の人が590人分の支給を受けるとの書き込みまであった。しかし、この区役所では、「まったくのデマ」と否定している。
590人分支給の書き込みがあったのは、2ちゃんねるのスレッド上で2010年4月3日朝のことだった。
「川崎市の高津区役所で590人分の子供手当てしてた アジア系の人いた さすがに別室に連れてかれてた どうなったんだろう」
■川崎市高津区役所、問い合わせは数十件も
4月1日から申請手続きが始まった子ども手当では、母国に子どもがいる在日外国人でも、要件を満たせば支給が受けられる。子どもは、養子でも婚外子でもOKだ。これが、一部報道やネット上で、たくさん養子を作るなどしてどんどん税金が国外に持ち出されるのでは、との危惧になっている。
高津区役所のケースは、それを現実に見たというのだ。
2ちゃんでは、極端な人数のため疑問視する声が出たが、書き込んだ人は、それを否定。段ボール箱の半分ぐらいになった書類を窓口に置いて、「ショルイアリマス」と流ちょうな日本語で言っていたという。さらに、最初の書き込みから2時間後には、区役所の人に聞いたところ、手続きは順調に終了したと聞いたと報告。困った顔だったとしたものの、即日の審査で支給が成立したらしいと明かした。
これらの書き込みは、ブログにも取り上げられて、ネット上で波紋を呼んだ。これに対し、高津区役所のこども家庭課では、アジア系の人の訪問そのものも含めて「まったくのデマです」と否定した。何件も問い合わせがあったといい、困惑している様子だった。
ただ、母国に子どもがいる外国人からは、問い合わせはあるという。3月下旬には、国籍不明の女性が「国に帰ると養子がいるんですが」と電話で聞いてきた。また、外国人を雇っている会社や、中国、フィリピンなどの人から4月に入って、申請書類などの問い合わせが数十件あったという。
■「通常業務と変わらない」が多く
母国に子どもがいるケースを巡っては、一部報道で、区役所や市役所などの窓口に外国人が連日訪れ、「子どもがいればお金がもらえると聞いた」などと言って職員を困らせていると混乱ぶりが伝えられた。また、2ちゃんねるでは、母国に戻って、身寄りのない16歳以下の子ども870人と養子縁組した書類を役人に作ってもらった、こうした人がすでに数人いた、といった書き込みもある。
もし、590人や870人といった数になると、子ども手当が年間1億円前後も支給されることになってしまう。こうした極端なケースがあるかは疑問だとしても、母国に子どもがいる外国人から、問い合わせや申請が殺到しているのか。
川崎市高津区役所には、問い合わせがいくつかあるようだが、ほかで聞くと、どこも通常業務とさほど変わらないとの回答だった。
テレビ番組でネパール人男性の申請が報じられた東京・豊島区役所では、中国やネパールの人などから数件問い合わせがあった。しかし、「母国に子どもがいるケースは、児童手当の制度でも当てはまります。それに比べて、特に問い合わせが増えたり外国人が押し寄せたりしていることはありません。うちでは、養子などの問い合わせは、まったくないです」と言う。
一部報道にあった東京・荒川区役所や埼玉県川口市役所でも、問い合わせは数件しかなく、混み合ってもいないという。児童手当の通常業務時と変わらないとしている。荒川区役所では、該当のケースで申請があったのは中国人1人だけだそうだ。
もっとも、申請が始まったばかりで、様子見をしている可能性もある。ブローカーの暗躍といった危険性が指摘されており、不正受給については今後も十分な警戒が必要のようだ。
投稿者: みるる : 2010年4月6日
投稿者: みるる : 2010年4月6日
投稿者: みるる : 2010年4月6日
2009.10.18 00:18
北朝鮮の朝鮮労働党の指導下にあるとされる朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が9月中旬に開いた中央委員会で「われわれは新しい連立政権に対北敵対政策を是正せしめ、日朝平壌宣言を誠実に履行させる対外事業(工作)を進攻的に広げる」などの方針を示し、幹部約350人に政界工作を指示していたことが、産経新聞が入手した総連内部文書でわかった。
総連は、日本の政権交代をこれまでの対北強硬路線から融和路線に転じさせる好機と受け止めており、16日には都内で欧米などの親北団体を集め、「海外同胞大会」を開いている。
文書は「在日朝鮮人運動の新しい全盛期を開くため確固とした土台を構築し、同胞が主人となる大衆運動の高揚と革新の成果として総連第22回全体大会を迎えるために」と題した計16枚。来年に予定される総連の「全体大会」に向け、組織拡大など活動指針を明示した。関係筋によると、総連首脳部が訪朝し、朝鮮労働党の指導で作成され、決裁を受けているという。
文書では「与野党をはじめ政界、言論界、在野の人材、社会団体との事業を強化、日朝関係改善と国交正常化を追求する社会的世論を大きく活気付けること」として親北ムードの醸成を指示。日本政府への働きかけとして、貨物船「万景峰92」の入港禁止など日本の独自制裁の撤廃を「闘争」の目標に掲げた。
さらに5月の核実験を受けた追加制裁として実施した輸出禁止措置により「同胞が祖国の家族らに送る郵便物や人道物資まで遮断された」などと主張。「前代未聞の人権蹂躙(じゅうりん)だ。国際社会に暴露、糾弾し、新連立政権(鳩山政権)がこれを即時撤回する措置を取るよう強力に要求する」とした。禁止措置では人道目的は例外となっているが、「人道」を理由に新政権から制裁解除を引き出したいようだ。
一方、地方政界への工作について「いくつかの地方自治体選挙でわれわれの活動を理解し、同情する人材が当選した」と評価し、「これに関連し、地域密着の対外活動(政治工作)を現実的な条件に合わせさらに強化、努力すること」と指示している。
朝鮮総連は旧日本社会党や総評、日教組などと歴史的な交流関係にあり、民主党の支持団体には、なお関係の深い団体が少なくないとされている。
投稿者: みるる : 2010年4月6日
2009.10.18 00:18
北朝鮮の朝鮮労働党の指導下にあるとされる朝鮮総連(在日本朝鮮人総連合会)が9月中旬に開いた中央委員会で「われわれは新しい連立政権に対北敵対政策を是正せしめ、日朝平壌宣言を誠実に履行させる対外事業(工作)を進攻的に広げる」などの方針を示し、幹部約350人に政界工作を指示していたことが、産経新聞が入手した総連内部文書でわかった。
総連は、日本の政権交代をこれまでの対北強硬路線から融和路線に転じさせる好機と受け止めており、16日には都内で欧米などの親北団体を集め、「海外同胞大会」を開いている。
文書は「在日朝鮮人運動の新しい全盛期を開くため確固とした土台を構築し、同胞が主人となる大衆運動の高揚と革新の成果として総連第22回全体大会を迎えるために」と題した計16枚。来年に予定される総連の「全体大会」に向け、組織拡大など活動指針を明示した。関係筋によると、総連首脳部が訪朝し、朝鮮労働党の指導で作成され、決裁を受けているという。
文書では「与野党をはじめ政界、言論界、在野の人材、社会団体との事業を強化、日朝関係改善と国交正常化を追求する社会的世論を大きく活気付けること」として親北ムードの醸成を指示。日本政府への働きかけとして、貨物船「万景峰92」の入港禁止など日本の独自制裁の撤廃を「闘争」の目標に掲げた。
さらに5月の核実験を受けた追加制裁として実施した輸出禁止措置により「同胞が祖国の家族らに送る郵便物や人道物資まで遮断された」などと主張。「前代未聞の人権蹂躙(じゅうりん)だ。国際社会に暴露、糾弾し、新連立政権(鳩山政権)がこれを即時撤回する措置を取るよう強力に要求する」とした。禁止措置では人道目的は例外となっているが、「人道」を理由に新政権から制裁解除を引き出したいようだ。
一方、地方政界への工作について「いくつかの地方自治体選挙でわれわれの活動を理解し、同情する人材が当選した」と評価し、「これに関連し、地域密着の対外活動(政治工作)を現実的な条件に合わせさらに強化、努力すること」と指示している。
朝鮮総連は旧日本社会党や総評、日教組などと歴史的な交流関係にあり、民主党の支持団体には、なお関係の深い団体が少なくないとされている。
投稿者: みるる : 2010年4月6日
日韓の文化がひとつになっている。今の日本は、老若男女誰もが韓国の食べ物をおいしく食べて、軽く近隣の国に旅行に行く時代である。私の常連のレストランでも、焼酎と韓国料理を前に談笑を共有する人々でいつもいっぱいだ。彼らにとっては厳しい日韓間の政治や歴史物語は話の種ではない。ただ韓国料理を楽しもうとする人々が集まっただけです。数年前に韓流がスタートした時とは全く変わった雰囲気である。韓国に対する日本のこのような雰囲気の上には、親韓派として知られる鳩山(鸠山)大臣が位置している。
鳩山首相の夫人みゆき(幸)さんも、韓流ファンとして有名である。昨年、東京で開かれた’韓日交流祭り』の開会式では韓国語で挨拶をして話題になった。新聞のインタビューでも"韓国ドラマは、若さを維持する秘訣""キムチは毎日食べる"と述べた。彼女のこのような態度で、"政治的な意図が隠れているのではないか"とスサンチョクオする見方もあるという。今年の日韓併合100周年を意識した首相夫人のベストパフォーマンスではないかとしている韓国の疑問である。
ミユキさんの韓国文化を愛するには、政治的な意図を持っていない。彼女は若い頃歌劇の項に舞台で歌って踊る芸能の人だった。政治とは関係のない人生を生きてきたのだ。世界から注目されている彼女の奇妙な発言でも、ファーストレディとしての傲慢さと計算的な様子は感じられない。彼女はただ韓国のアーティストとの食べ物が好きである。
今まで日本の指導者がこれほどまでに韓国の文化に親近感を持つことはなかった。しかし、韓国人の頭の中には、まだ"政治的意図を持っているのではないか"という懸念が離れないようだ。韓国人は『韓国』以外に警戒心が強く、何でも政治、歴史と関連づけて考える傾向がある。普段は平気なように『大丈夫』を連発ですが、政治や歴史と関連するとの表現から変わる。従って日本の韓流についても、"なぜ急に韓流ブームが起こったのか?""なぜ『冬のソナタ』が人気を呼んだのか?"と心配そうに尋ねる。日本人は、政治は政治、文化は文化として受け入れる。そのため、急に吹き始めた韓流についても、何も考えずに、1つの文化現象として多くの人々を楽しむだけだ。
両国の考え方の違いは、歴史や地理的条件も関係している。韓国は、外部の敵から、いつも『私たちの国』『私たちの文化』を保たなければならなかった。 "『メイドインジャパン』はいいが、日本は嫌い"という言葉を私は韓国でよく聞いた。堂々と日本を受け入れることができない韓国人の葛藤が感じられた。島国の日本は、外部の文物を直接受け入れ、自分の感情に合わせて変化させる。日本をソヤンジョク近代国家に変えた明治維新(明治维新)は、200年間の鎖国主義を経て、’を’を受け入れ、必要が自らを守ることができるというところから出発した。その後、日本政府は、欧米先進国の制度や技術を持ち込んで『日本的資本主義』を創出した。国民も『文明開化』(文明开化)という時代の流れに応じて、欧米の文化や習慣を模倣したり、日本文化と融合させ、積極的に収容した。
1946年に開始されたペロン政権は、アルゼンチンからの日本移民の社会的地位を高めた。そこには日本に親近感を持つエバペロン(別名エビータ)の存在があったという。彼女は夫の政治活動を助けながら、"女性が政治にも関与している"という批判も受けたが、民衆から絶対的な支持を得ていた。エバペロンとミユキさんには、華やかなイメージと異文化への理解と似ている点が多い。日本のファーストレディの韓国愛が鳩山政権の外交と日本人の心を親しい的に偏ることもないではないか。
今の日本人は、韓国と韓国文化に関心が多い。これは、日韓関係を変えることができる重要な機会でもある。何かを『好き』の心は、国境や身分という境界を超えている。このような感情は頭ではなく心で感じるものだからだ。誰にも相手の『好き』をそのまま純粋に受け入れれば近づく。日韓関係も同様であるである。
横山ゆか日本東北大学博士課程研究生http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=088&aid=0000153852
投稿者: みるる : 2010年4月6日
日韓の文化がひとつになっている。今の日本は、老若男女誰もが韓国の食べ物をおいしく食べて、軽く近隣の国に旅行に行く時代である。私の常連のレストランでも、焼酎と韓国料理を前に談笑を共有する人々でいつもいっぱいだ。彼らにとっては厳しい日韓間の政治や歴史物語は話の種ではない。ただ韓国料理を楽しもうとする人々が集まっただけです。数年前に韓流がスタートした時とは全く変わった雰囲気である。韓国に対する日本のこのような雰囲気の上には、親韓派として知られる鳩山(鸠山)大臣が位置している。
鳩山首相の夫人みゆき(幸)さんも、韓流ファンとして有名である。昨年、東京で開かれた’韓日交流祭り』の開会式では韓国語で挨拶をして話題になった。新聞のインタビューでも"韓国ドラマは、若さを維持する秘訣""キムチは毎日食べる"と述べた。彼女のこのような態度で、"政治的な意図が隠れているのではないか"とスサンチョクオする見方もあるという。今年の日韓併合100周年を意識した首相夫人のベストパフォーマンスではないかとしている韓国の疑問である。
ミユキさんの韓国文化を愛するには、政治的な意図を持っていない。彼女は若い頃歌劇の項に舞台で歌って踊る芸能の人だった。政治とは関係のない人生を生きてきたのだ。世界から注目されている彼女の奇妙な発言でも、ファーストレディとしての傲慢さと計算的な様子は感じられない。彼女はただ韓国のアーティストとの食べ物が好きである。
今まで日本の指導者がこれほどまでに韓国の文化に親近感を持つことはなかった。しかし、韓国人の頭の中には、まだ"政治的意図を持っているのではないか"という懸念が離れないようだ。韓国人は『韓国』以外に警戒心が強く、何でも政治、歴史と関連づけて考える傾向がある。普段は平気なように『大丈夫』を連発ですが、政治や歴史と関連するとの表現から変わる。従って日本の韓流についても、"なぜ急に韓流ブームが起こったのか?""なぜ『冬のソナタ』が人気を呼んだのか?"と心配そうに尋ねる。日本人は、政治は政治、文化は文化として受け入れる。そのため、急に吹き始めた韓流についても、何も考えずに、1つの文化現象として多くの人々を楽しむだけだ。
両国の考え方の違いは、歴史や地理的条件も関係している。韓国は、外部の敵から、いつも『私たちの国』『私たちの文化』を保たなければならなかった。 "『メイドインジャパン』はいいが、日本は嫌い"という言葉を私は韓国でよく聞いた。堂々と日本を受け入れることができない韓国人の葛藤が感じられた。島国の日本は、外部の文物を直接受け入れ、自分の感情に合わせて変化させる。日本をソヤンジョク近代国家に変えた明治維新(明治维新)は、200年間の鎖国主義を経て、’を’を受け入れ、必要が自らを守ることができるというところから出発した。その後、日本政府は、欧米先進国の制度や技術を持ち込んで『日本的資本主義』を創出した。国民も『文明開化』(文明开化)という時代の流れに応じて、欧米の文化や習慣を模倣したり、日本文化と融合させ、積極的に収容した。
1946年に開始されたペロン政権は、アルゼンチンからの日本移民の社会的地位を高めた。そこには日本に親近感を持つエバペロン(別名エビータ)の存在があったという。彼女は夫の政治活動を助けながら、"女性が政治にも関与している"という批判も受けたが、民衆から絶対的な支持を得ていた。エバペロンとミユキさんには、華やかなイメージと異文化への理解と似ている点が多い。日本のファーストレディの韓国愛が鳩山政権の外交と日本人の心を親しい的に偏ることもないではないか。
今の日本人は、韓国と韓国文化に関心が多い。これは、日韓関係を変えることができる重要な機会でもある。何かを『好き』の心は、国境や身分という境界を超えている。このような感情は頭ではなく心で感じるものだからだ。誰にも相手の『好き』をそのまま純粋に受け入れれば近づく。日韓関係も同様であるである。
横山ゆか日本東北大学博士課程研究生http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=088&aid=0000153852
投稿者: みるる : 2010年4月6日
イソジンは飲み薬ではなくうがい薬紛らわしい事やってるな!
4月3日7時56分配信 産経新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100403-00000013-san-ent
拡大写真 |
イ・ソジン(写真:産経新聞) |
NHK-BSで放送中の「イ・サン」に主演し、人気急上昇中の韓流スター、イ・ソジン(37)。鳩山由紀夫首相の幸(みゆき)夫人も大ファンで、来日の際には夫妻そろって食事をしたりプレゼントを交換したりする親しい間柄として知られる。自身の出演料などを原資にして、日本や東アジアでの植樹や青少年育成を行う「Let’S Tree基金」が設立されるなど、日韓の懸け橋としての期待も高まる。
「(幸夫人は)とてもユーモラスな方で冗談がうまい。韓国語は私の日本語よりもずっと上手。実は鳩山総理も簡単な韓国語を話されるんですよ」
度々の会食が話題を呼んでいる鳩山首相夫妻について、イはこう話す。誕生日プレゼントなどで幸夫人からスカーフやジャンパーをプレゼントされたこともある。イが「お返しに」と韓国の伝統薬を贈ると、夫妻はすっかり気に入り、「薬に私の名前(イ・ソジン)をつけて、愛飲してくださっているようです」と顔をほころばせる。
学生時代をアメリカで過ごし、英語に堪能なイは、日本では平成17年からNHK-BSで放送された「チェオクの剣」でブレーク。放送中の王室時代劇「イ・サン」では、王の孫役として主役を務めている。
ボランティア活動を通じた日韓交流にも熱心だ。「Let’S Tree基金」について、「木だけでなく、みんなの心に愛を植える活動。新たな日韓関係のきっかけにしたい」と意気込みを語る。
基金では今後、首都圏の小、中学校周辺に鎮守の森のような自然林を再生したり、黄砂現象を減らすための中国、モンゴルでの植林などを計画。日韓の青少年育成や難病に苦しむ子供たちのためにも使われる。
「誰かがやらねばならなかったことを私がやっただけ」と話すイは、在日韓国人の団体である民団の広報大使にも選ばれた。「日韓の未来が有望だと信じています」。懸け橋として両国を往復する日々が増えそうだ。(喜多由浩)
投稿者: みるる : 2010年4月6日
イソジンは飲み薬ではなくうがい薬紛らわしい事やってるな!
4月3日7時56分配信 産経新聞http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100403-00000013-san-ent
拡大写真 |
イ・ソジン(写真:産経新聞) |
NHK-BSで放送中の「イ・サン」に主演し、人気急上昇中の韓流スター、イ・ソジン(37)。鳩山由紀夫首相の幸(みゆき)夫人も大ファンで、来日の際には夫妻そろって食事をしたりプレゼントを交換したりする親しい間柄として知られる。自身の出演料などを原資にして、日本や東アジアでの植樹や青少年育成を行う「Let’S Tree基金」が設立されるなど、日韓の懸け橋としての期待も高まる。
「(幸夫人は)とてもユーモラスな方で冗談がうまい。韓国語は私の日本語よりもずっと上手。実は鳩山総理も簡単な韓国語を話されるんですよ」
度々の会食が話題を呼んでいる鳩山首相夫妻について、イはこう話す。誕生日プレゼントなどで幸夫人からスカーフやジャンパーをプレゼントされたこともある。イが「お返しに」と韓国の伝統薬を贈ると、夫妻はすっかり気に入り、「薬に私の名前(イ・ソジン)をつけて、愛飲してくださっているようです」と顔をほころばせる。
学生時代をアメリカで過ごし、英語に堪能なイは、日本では平成17年からNHK-BSで放送された「チェオクの剣」でブレーク。放送中の王室時代劇「イ・サン」では、王の孫役として主役を務めている。
ボランティア活動を通じた日韓交流にも熱心だ。「Let’S Tree基金」について、「木だけでなく、みんなの心に愛を植える活動。新たな日韓関係のきっかけにしたい」と意気込みを語る。
基金では今後、首都圏の小、中学校周辺に鎮守の森のような自然林を再生したり、黄砂現象を減らすための中国、モンゴルでの植林などを計画。日韓の青少年育成や難病に苦しむ子供たちのためにも使われる。
「誰かがやらねばならなかったことを私がやっただけ」と話すイは、在日韓国人の団体である民団の広報大使にも選ばれた。「日韓の未来が有望だと信じています」。懸け橋として両国を往復する日々が増えそうだ。(喜多由浩)
投稿者: みるる : 2010年4月5日
投稿者: みるる : 2010年4月5日
投稿者: みるる : 2010年4月5日
演歌の特徴
演歌が用いる音階の多くは日本古来の民謡等で歌われてきた五音階が用いられる事が多い。西洋音楽の七音階を五音階にするために、第四音と第七音をはずし、第七音を第五音にすることから四と七を抜くヨナ抜き音階と呼ばれる音階法を採ることが多い。演歌の歌唱法の特徴としては、小節(こぶし)と呼ばれる独特の歌唱法が多用される。演歌歌手(特に女性)は、日本的なイメージを大切にするため、歌唱時に和服を着用する事が多い。また、歌詞は「海・酒・涙・女・雨・雪・別れ」などがよく取り上げられ、これらのフレーズを中心に男女間の切ない愛や、悲恋などを歌ったものが多い。
美空ひばりの「悲しい酒」、都はるみの「大阪しぐれ」、大川栄策の「さざんかの宿」、吉幾三の「雪国」などがある。また男女間の情愛に特化されたジャンルで、演歌よりも都会的なムード歌謡というものがある。とはいえ上記の特徴をもってしても、演歌とそれ以外のジャンル(歌謡曲など)を明確に分類する事は難しい。ジャズピアニストの山下洋輔は演歌や歌謡曲の全盛だった1970年代に「演歌もアイドル歌謡も同じにしか聞こえない」と述べていたといわれる。(演歌や歌謡曲をけなしているのではなく、音楽理論的に両者を分類する事が出来ないと言う意味)。
演歌の歴史
もともと演歌は、自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり政治を封刺する歌で、演説に対する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の変わりに歌を歌うようになったのがこの名称の始まりと言われる。これ以前にも政治を封刺する歌はあったが、これ以後、演歌という名称が定着する。しかし時代を経るにつれ、政治的な内容を含む歌を刺して演歌と呼ぶ事はなくなりました。
明治後半から心情を主題にした社会封刺的な歌が演歌師によって、歌われるようになった。大正になると演歌師の中から洋楽の手法を使って、作曲するものも現れた。昭和に入ると外資系レコード会社が日本に製造会社をつくり、電気吹き込みという新録音システムも導入され新しい時代を迎えた。戦後に入り、昭和30年代になると望郷歌謡の春日八郎、三橋美智也、泣き節の島倉千代子が登場した。
昭和30年代後半になると、北島三郎、都はるみ、40年代には水前寺清子、森進一、五木ひろしなどが登場し、個性豊かな時代を迎え、洋楽思考の歌謡曲と人気を二分した。この頃になると、それまで先般的に流行歌や歌謡曲と呼ばれていた大衆歌謡音楽のうち、ヨナ抜き音階や小節を用いたものが、演歌と呼ばれるようになった。しかし演歌と歌謡曲の間に明確な分岐ラインが存在するわけでもなく、むしろ歌手(レコード会社)などが、「自分は演歌歌手」し称するかどうかが、わかれめと見る向きもある。
1960年代後半になると、政治批判的な歌はフォークソングの形態を取ることが多くなり、演歌は男女間の情念等を取り上げた曲が多くなった。またフォークソングやグループサウンズ等、洋楽の影響を強く受けた音楽の台頭によって一時やや下火になったが、昭和50年代に、カラオケブームが起こった事や、歌唱力の乏しいアイドルが多くなった反動などで、実力派の演歌歌手が台頭し、多数のヒット曲が生まれた。
1980年代半ば以降、若者と中高年の聞く歌のジャンルが一致しない傾向が強まっていった。テレビの歌番組も中高年向けと若者向けとが別々になり、誰もが知っている流行歌が生まれにくい時代となった。
演歌が中高年のみの支持に限定されてきたことや、素人がカラオケで歌いやすい事が尊ばれ森進一などのようないい意味で癖のある歌手が実力を発揮しにくくなったことなどから、緩やかな保守化と衰退が始まった。
平成に入ると衰退がさらに目立ち、1990年代末には演歌の新曲CDが数十万枚単位でヒットする例は皆無になってしまったと言われる。しかし2000年に大泉逸郎の「孫」や氷川きよしの「箱根八里の半次郎」が大ヒットしてからは、復活の傾向を見せており、一時期一人または二~三人だった大型新人演歌歌手のデビューも毎年4~5人まで増えてきている。逆にランキング上位を占めていたJ-POP全体の売り上げが低くなるにつれ、相対的にランキングでも上位に顔を出す事が多くなっている。
主な演歌のオリコンチャート1位獲得作品(週間)
星影のワルツ/千昌夫(1968/6/3日付~7/1日付、8/17付の6週)
港町ブルース/森進一(1969/6/9日付~7/7日付の5週)
池袋の夜/青江三奈(1969/9/8日付~10/13日付の6週)
女のブルース/藤圭子(1970/3/30日付~5/18日付の8週)
圭子の夢は夜ひらく/藤圭子(1970/5/25日付~7/27日付の10週)
京都の恋/渚ゆう子/(1970/11/9日付~12/28日付の8週)
望郷/森進一(1971/1/25日付~2/8日付の3週)
横浜たそがれ/五木ひろし(1971/7/19日付の1週)
わたしの城下町/小柳ルミ子(1971/7/26日付~10/11日付の12週)
瀬戸の花嫁/小柳ルミ子(1972/5/15日付~6/5日付の4週)
女のみち/宮史郎とぴんからトリオ(1972/10/30日付~1973/2/12日付の16週)
なみだの操/殿さまキングス(1974/3/18日付~5/13日付の9週)
夫婦鏡/殿さまキングス(1974/7/15日付~8/5日付の4週)
冬の駅/小柳ルミ子(1974/11/18日付~12/9日付の2週)
あなたにあげる/西川峰子(1974/12/16日付の1週)
昭和枯れすすき/さくらと一郎(1975/4/28日付~5/12日付の3週)
心のこり/細川たかし(1975/7/28日付~8/18日付の4週)
北の宿から/都はるみ(1976/12/20日付~1977/1/10日付の4週)
おもいで酒/小林幸子(1979/7/23日付の1週)
矢切の渡し/細川たかし(1983/4/18日付~5/2日付の3週)
あじさい橋/城之内早苗(1986/6/23日付の1週、史上初の演歌初登場1位曲)
雪国/吉幾三(1987/2/9日付の1週)
フリー百科事典「ウィキペディア」より
投稿者: みるる : 2010年4月5日
演歌の特徴
演歌が用いる音階の多くは日本古来の民謡等で歌われてきた五音階が用いられる事が多い。西洋音楽の七音階を五音階にするために、第四音と第七音をはずし、第七音を第五音にすることから四と七を抜くヨナ抜き音階と呼ばれる音階法を採ることが多い。演歌の歌唱法の特徴としては、小節(こぶし)と呼ばれる独特の歌唱法が多用される。演歌歌手(特に女性)は、日本的なイメージを大切にするため、歌唱時に和服を着用する事が多い。また、歌詞は「海・酒・涙・女・雨・雪・別れ」などがよく取り上げられ、これらのフレーズを中心に男女間の切ない愛や、悲恋などを歌ったものが多い。
美空ひばりの「悲しい酒」、都はるみの「大阪しぐれ」、大川栄策の「さざんかの宿」、吉幾三の「雪国」などがある。また男女間の情愛に特化されたジャンルで、演歌よりも都会的なムード歌謡というものがある。とはいえ上記の特徴をもってしても、演歌とそれ以外のジャンル(歌謡曲など)を明確に分類する事は難しい。ジャズピアニストの山下洋輔は演歌や歌謡曲の全盛だった1970年代に「演歌もアイドル歌謡も同じにしか聞こえない」と述べていたといわれる。(演歌や歌謡曲をけなしているのではなく、音楽理論的に両者を分類する事が出来ないと言う意味)。
演歌の歴史
もともと演歌は、自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり政治を封刺する歌で、演説に対する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の変わりに歌を歌うようになったのがこの名称の始まりと言われる。これ以前にも政治を封刺する歌はあったが、これ以後、演歌という名称が定着する。しかし時代を経るにつれ、政治的な内容を含む歌を刺して演歌と呼ぶ事はなくなりました。
明治後半から心情を主題にした社会封刺的な歌が演歌師によって、歌われるようになった。大正になると演歌師の中から洋楽の手法を使って、作曲するものも現れた。昭和に入ると外資系レコード会社が日本に製造会社をつくり、電気吹き込みという新録音システムも導入され新しい時代を迎えた。戦後に入り、昭和30年代になると望郷歌謡の春日八郎、三橋美智也、泣き節の島倉千代子が登場した。
昭和30年代後半になると、北島三郎、都はるみ、40年代には水前寺清子、森進一、五木ひろしなどが登場し、個性豊かな時代を迎え、洋楽思考の歌謡曲と人気を二分した。この頃になると、それまで先般的に流行歌や歌謡曲と呼ばれていた大衆歌謡音楽のうち、ヨナ抜き音階や小節を用いたものが、演歌と呼ばれるようになった。しかし演歌と歌謡曲の間に明確な分岐ラインが存在するわけでもなく、むしろ歌手(レコード会社)などが、「自分は演歌歌手」し称するかどうかが、わかれめと見る向きもある。
1960年代後半になると、政治批判的な歌はフォークソングの形態を取ることが多くなり、演歌は男女間の情念等を取り上げた曲が多くなった。またフォークソングやグループサウンズ等、洋楽の影響を強く受けた音楽の台頭によって一時やや下火になったが、昭和50年代に、カラオケブームが起こった事や、歌唱力の乏しいアイドルが多くなった反動などで、実力派の演歌歌手が台頭し、多数のヒット曲が生まれた。
1980年代半ば以降、若者と中高年の聞く歌のジャンルが一致しない傾向が強まっていった。テレビの歌番組も中高年向けと若者向けとが別々になり、誰もが知っている流行歌が生まれにくい時代となった。
演歌が中高年のみの支持に限定されてきたことや、素人がカラオケで歌いやすい事が尊ばれ森進一などのようないい意味で癖のある歌手が実力を発揮しにくくなったことなどから、緩やかな保守化と衰退が始まった。
平成に入ると衰退がさらに目立ち、1990年代末には演歌の新曲CDが数十万枚単位でヒットする例は皆無になってしまったと言われる。しかし2000年に大泉逸郎の「孫」や氷川きよしの「箱根八里の半次郎」が大ヒットしてからは、復活の傾向を見せており、一時期一人または二~三人だった大型新人演歌歌手のデビューも毎年4~5人まで増えてきている。逆にランキング上位を占めていたJ-POP全体の売り上げが低くなるにつれ、相対的にランキングでも上位に顔を出す事が多くなっている。
主な演歌のオリコンチャート1位獲得作品(週間)
星影のワルツ/千昌夫(1968/6/3日付~7/1日付、8/17付の6週)
港町ブルース/森進一(1969/6/9日付~7/7日付の5週)
池袋の夜/青江三奈(1969/9/8日付~10/13日付の6週)
女のブルース/藤圭子(1970/3/30日付~5/18日付の8週)
圭子の夢は夜ひらく/藤圭子(1970/5/25日付~7/27日付の10週)
京都の恋/渚ゆう子/(1970/11/9日付~12/28日付の8週)
望郷/森進一(1971/1/25日付~2/8日付の3週)
横浜たそがれ/五木ひろし(1971/7/19日付の1週)
わたしの城下町/小柳ルミ子(1971/7/26日付~10/11日付の12週)
瀬戸の花嫁/小柳ルミ子(1972/5/15日付~6/5日付の4週)
女のみち/宮史郎とぴんからトリオ(1972/10/30日付~1973/2/12日付の16週)
なみだの操/殿さまキングス(1974/3/18日付~5/13日付の9週)
夫婦鏡/殿さまキングス(1974/7/15日付~8/5日付の4週)
冬の駅/小柳ルミ子(1974/11/18日付~12/9日付の2週)
あなたにあげる/西川峰子(1974/12/16日付の1週)
昭和枯れすすき/さくらと一郎(1975/4/28日付~5/12日付の3週)
心のこり/細川たかし(1975/7/28日付~8/18日付の4週)
北の宿から/都はるみ(1976/12/20日付~1977/1/10日付の4週)
おもいで酒/小林幸子(1979/7/23日付の1週)
矢切の渡し/細川たかし(1983/4/18日付~5/2日付の3週)
あじさい橋/城之内早苗(1986/6/23日付の1週、史上初の演歌初登場1位曲)
雪国/吉幾三(1987/2/9日付の1週)
フリー百科事典「ウィキペディア」より
投稿者: みるる : 2010年4月4日
2010.4.4 07:00
永住外国人への地方参政権(選挙権)の付与の是非が大きな争点となる中、永住者の資格を持つ在日外国人に注目が集まっている。参政権の付与対象は、永住者49万人と在日韓国・朝鮮人ら特別永住者42万人の計91万人だが、このうち永住者が急増しているためだ。「わが国の国益を踏まえた議論が乏しい」と懸念する識者がいる一方、外国人の定住・永住化が進む現実を前に、外国人の人権確立を訴える声も上がっている。
「永住中国人の確定申告はすさまじいばかりだ」
関東地方の税務署関係者が明かす。
「中国本土に住む両親、兄弟、配偶者の両親、その兄弟姉妹…と、両手の指で数えられるほどの『扶養家族』がついてくる」
所得税や住民税では、納税者に扶養家族がいる場合、一人当たり一定額の所得控除があり、還付が受けられる。その仕組みを利用した“節税対策”という。
「最終的に納税額がゼロになるまで扶養家族をつける。足りないと、出直してまで扶養家族を足してくるケースもある。韓国やロシアなど他国人と比べ、そうした申請は中国人が突出している。法律に違反しているわけではないし、大家族の国なので、そういうこともあるのかもしれないが…」
法務省入国管理局の統計によると、在日外国人は平成20年末時点で221万人と総人口の1・74%。このうち在留期限や就労に制限のない永住権を持つ永住者は49万2千人と50万人に迫る。
かつては在日韓国・朝鮮人ら特別永住者が最多だったが、高齢化で年々減り続ける一方、永住者は10年間で5倍に急増し、19年に特別永住者を上回った。とりわけ中国人は14万2千人で、永住者の3・5人に1人は中国人となっている。
中国人が集住する東京・池袋の“チャイナタウン”で中国語新聞を発行する「日本新華僑通信社」の蒋豊編集長(50)によると、中国人は1978(昭和53)年以降、市場経済化を推進した改革開放政策により80年代から増えたという。
蒋さんは「当時の中国人には来日する理由が3つあった。改革開放政策と、外国語を学ぶ学習欲、そしてバブル景気の真っただ中だった日本の経済的な魅力だ。彼らは到着の翌日から皿洗いするほどの意欲があった」と振り返り、さらに近年の来日中国人の傾向についてはこう語った。
「今は日本へ来る中国人の多くが、改革開放政策と同時に始まった『一人っ子政策』の子供たちだ。子供の意思よりも、両親が子供の視野を広げようと願って送り出すケースが増えた。経済的な理由で来日する中国人は減っていると思う」
池袋の中華料理店でアルバイトをしている福建省出身の中国人女性(24)は、高校を卒業後、19歳のときに「留学生」の資格で来日した。
「まだ若いからほかの国に住んでチャレンジしてみたかった」と話し、日本を選んだ理由は「先進国なので行ってみたかった。小さいころから日本は技術力が高く、日本人は優しくきれいな国と聞いてあこがれていた。実際、便利で生活しやすい。電車もたくさん走っているし、新幹線もある。買い物もコンビニが24時間あいている」。
彼女の高校時代の同級生40人のうち、半数の20人ほどは現在、東京や大阪、神戸など日本国内に住んでいるという。
「日本で高校の同窓会ができるくらい。高校時代の友人で中国に残っている人は少ない。ほとんどはアメリカ、オーストラリア、カナダ、日本へ行っている。特にアメリカと日本が人気ですね」
永住者だけでなく、来日の際に外国人登録をする「登録外国人」の10年間の推移をみても、中国人の急増ぶりは群を抜いている。平成10年末の登録外国人のトップは韓国・朝鮮人で63万8千人。中国人は2位だったが、その数は27万2千人でトップとは大きく離れていた。
ところが、中国人の登録数は年間5万人のハイペースで増加。19年には中国人は60万6千人に達し、韓国・朝鮮人(59万3千人)を初めて逆転した。20年には65万5千人まで伸びている。
「実際は65万人どころではない。日本国籍を取得した中国人を含めれば、日本国内に100万人ほどいるのではないか」
池袋にある中国語の新聞社に勤める滞日20年の中国人男性はこう話す。
同社によると、中国語の新聞は全国で20紙ほどあり、各紙とも隔週で1万~2万部ほどを販売または配布しているという。
結婚などのため北海道や九州へ転居した中国人も定期購読しており、彼らにとって大事な情報源となっている。新聞広告はすべて中国人向け。男性は「不況で広告費が安くはなっているが、広告出稿が途絶えることはない」。
登録外国人のほかにも、20年の1年間に日本を訪れた外国人のうち、観光や出張などの短期滞在者を除くと中国人は13万4千人で飛び抜けて多い。中国人の来日形態は、他国人とは異なり、長期滞在者や「移民」志向であることがうかがえる。
ノンフィクション作家の関岡英之さん(48)はこうした状況について「中国人の場合、すでに永住権を取得している14万人以外に、その“予備軍”というべき分厚い層が存在する。放置すれば爆発的に伸びるのは必至だ」と指摘する。
入管統計によると、20年末で「日本人の配偶者等」の資格を持つ中国人は5万7336人おり、また「永住者の配偶者等」の資格を持つ中国人が6170人いる。
「これらの在留資格は最長3年だが更新可能で、永住者の資格取得の要件も緩和される。永住者に準ずる存在とみて差し支えない」(関岡さん)
さらに、これら以外に「定住者」の資格を持つ中国人が3万3600人いる。定住者とは「法務大臣が特別な理由を考慮し一定の在留期間を指定して居住を認める者」とされており、在留期間は3年だが、働く職種や労働時間に制限はない。関岡さんは「永住者との違いは事実上、『一定の在留期間』という制限だけで、これも個別に更新することで尻抜けになっている」。
20年末の中国人の永住者は14万2469人、特別永住者は2892人だが、これら日本人や永住者の配偶者等、定住者という“永住予備軍”を加えると、その数は23万9575人に達する。
一方、20年の1年間に中国から新規入国した121万人を年齢別にみると、10代以下が10万人▽20代が35万人▽30代が32万人▽40代が23万人▽50代が12万人▽60代以上が6万人。
30代以下が78万人と全体の3分の2を占める。江沢民・前国家主席の政権下で「愛国反日教育」を受けた世代である。
関岡さんは「むろん永住志向の中国人の大半は善良な市民なのだろうが、北京五輪の聖火リレーを思いだしてほしい。全国の中国人が長野に結集し、異様な行動様式、威嚇(いかく)的な一大政治デモンストレーションを見せつけた」と指摘し、こう警鐘を乱打する。
「在日中国人が有事の際、わが国の主権下において北京当局や中国大使館の号令の下、中国の国益を擁護し、わが国の国益を損なう集団行動を統一的に展開する可能性は排除できない。こうした懸念のある10万人規模の外国人に対し、地方レベルとはいえ参政権を付与するなど、常識では考えられない」
一方で、永住外国人が増え続ける現実を前に、外国人の人権確立を求める民間団体は「これだけ多くの外国人が日本の各地域に住み、日本人のいやがる3K職場の労働力不足を補っている。外国人は今後、増えこそすれ減ることはない。排外主義ではなく、日本人と外国人が共生する環境をどう構築するか真剣に考えていく必要がある」としている。
日本が嫌いなのに日本に住んでいる謎日本人は外国人を養っているような感じ
日本なのに日本人は中国人の奴隷になっているような感じだ
在日のために重い税金を払う日本人の事を考えない民主党に呆れる